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「『引き篭もりの侯爵』……」

 アーシュラはそのあだ名を思い出す。

 人をどこかに封じ込める魔術はもちろん存在している。犯罪者が閉じ込められている牢獄でも使用されているくらい珍しいものではない。だからそれはもちろん可能なことなのだが、問題は期間である。

 サイファがバージェス侯爵になってからすでに五年が立っているはずだ。ビビアンの話を信じれば先代がその呪文をかけたのだということになる。しかし魔術もまったく手入れしないままでは徐々にほころびが生じてしまうものだ。それに媒介の禍石の魔力も有限である。その補充はどうなっているのだろう。


「もしかして……!あの天使の化石を媒介にしているのかしら?」

 アーシュラは思いつきに思わず声を出してしまう。しかしそれはすぐに首を振って否定した。

「わたしでさえ思いつくことですもの。サイファ様が気がつかないわけがないわ。それにあの禍石には今使用されている雰囲気はなかった」

 謎は解けないままである。魔術の補修、そして魔力である禍石の補充は一体誰が行っているのであろうか。おそらくサイファも屋敷の外に出ようと努力はしたはずである。それが結果をだしていないところをみるとよほど巧妙かつ強靭な呪文なのだろう。


 そこまで考えてアーシュラはふと顔を上げた。今、目の端になにか動くものが映った気がしたのだ。かなり低くまで落ち朱色が強くなった太陽の光の下、庭園の潅木の陰に人影を見つけた。

 立ち止まってみているとそれがジュードであることに気がつく。そもそもサイファは屋敷から出られないとすると庭で見る影はジュードくらいしかいないのだが。

 しかし彼の行動は不思議だった。うろうろとその辺りの植木の根元を凝視したり、茂みの仲にしゃがみこんだり、何かを探してさ迷っているようであった。


「ジュード?」

 アーシュラは小道をそれ、庭園の仲に踏み出した。ジュードも気がつきこちらを見る。

「どうなさったの?」

「いいえ、特に」

 ジュードはアーシュラにはそっけない。それでも客と思っているので食事の手配など、アーシュラに不便ないようには気を使っているが、サイファと話しているような親しみはアーシュラには向けてくれない。それは仕方ないことなのだろうと思うが、そうなると誰と話すこともないため、アーシュラとしては少し寂しさを感じている。

 相変わらずこの屋敷の使用人は出て行ったきりで、一人残ったジュードは毎日忙しそうだ。掃除などはさすがに手が回らなくなっているようで、廊下の調度品はくすみ始めていた。


「お客様はお帰りになられたのですね。お声をかけてくだされば馬車をお呼びしましたが」

「大丈夫」

 ビビアンにはこの屋敷の召使が皆いなくなってしまったことは伝えてある。彼女も気をつかって自分で帰っていった。

 ジュードとの間に会話は続かない。その気まずさに負けそうになりつつもアーシュラは最近気にかかっていたことを尋ねてみることにした。


「わたし、あれきりサイファ様にお目にかかっていないのだけど、お元気なのかしら」

「元気ですよ。とても。ですが起きられるのは日が沈んでからですから、アーシュラ様とお会いすることはなかなか無いでしょうね」

「お世話になっているから、夕食だけでもご一緒したほうが良いのかしらと思ったのですけど」

「食事を取られるのは深夜日が変わる頃です。ご無理なさらなくてもよろしいかと思います。本来ならばアーシュラ様はお客様なのですから、サイファ様が時間を都合するべきところなのですが……申し訳ありません、長年の習慣はなかなか変えられないようで」


 申し訳ない、そう言いつつも、ジュードの口調は冷ややかなままだった。まるでアーシュラがぶしつけな闖入者のようだ……いや、それはその通りなのだが。

「いいえ、わたしはお世話になっている立場ですので」

 アーシュラはそこで茂みを眺めた。手入れが行き届かなくなっている様子が少し伺える。

「もしお邪魔でなければ、なにかお手伝いできることはありませんか?」

「……料理はなかなか独創的であったとサイファ様から伺いました。庭仕事などはやったことがありますか?」

 サイファよりもジュードはいくらか用心深いようだ。


「……すみません」

 アーシュラは声を小さくした。

「あと一月もすれば学校がはじまります。今、寄宿先を探しているところですのでもうしばらくお待ちください」

 はい、と小さな声でアーシュラは返事をした。ジュードは何も間違ったことをしていない。率直にいって居候以外の何者でもないアーシュラにも礼儀正しく接してくれる。それに主人に対する態度も会話の端々に気になる暴言はあるものの、一人しかいない中で誠実に働いている。


 ただ、アーシュラが寂しく思うのは自己満足だ。それも彼女自身わかっている。

 父が死んでカイルとオーガスト以外は自分の都合で寄ってくる者しかいなかった。それもウィルクスランドの爵位と資産ほとんどなかったわけだがについて集まってきたということでしかない。

 没落したウィルクスランド以上にアーシュラは忘れられた存在だった。だからこそ、魔術の才しか求めていないとは言え、サイファが見ていたのはアーシュラであり、それは彼女にとって少し心温められる状況であった。

 しかし今の会話で彼らにはあまり必要とされていないと感じ、アーシュラはうなだれる。


 アーシュラはジュードの無遠慮な視線に晒されていた。使用人のいないその場所には二人しかない。それもとても友好的な関係にあるとは言いがたい二人だ。静けさは気まずさ以外の何者でもない。

「……サイファ様とジュードは長いお付き合いなのですか」

 冷たい風のような気まずさに耐えかねたアーシュラは思わず話題を探す。しかしそれは残念ながら。

 ……とても相応しくない話題みたいだったようね。

 ジュードの視線がさらに冷ややかになるのを感じたアーシュラは自分の話題の貧困さに少しばかりうんざりする。しかしそれはいまさら始まったことではない。学校の同級生と話していてもあまり話がかみ合うことは無いのだ。


 同級生の恋愛話にはアーシュラはあまりついていけていない。誰かが好きあっていたり片思いだったり、社交界で見かけた素敵な人の話だったり。

 ねえそんなことより図書館で見つけた魔術書の誤植の話を誰か一緒にしようよ!これ、一字ちがうだけで、全然魔術の種類が違っちゃうのにね。学生の目に触れちゃまずいくらいの呪文になっちゃってるよ!?どうしよう、試していいかな?


 と思わず本音が出てしまうのを隠して聞いているだけのアーシュラでは、アーシュラ自身もつまらないし、話している友人達はもっとつまらないだろう。ビビアンがアーシュラとうまがあっているのはあまり噂話をしない、という点だ。ビビアンもビビアンで少し大人びて冷めたところがあり、少女達の華やかな笑い声の中に彼女の声が混ざることは少ない。それでもその穏やかな態度が彼女達にとっては安心するのか、さまざまなうち明け話を聞かされることも多いようだった。そうやって聞かされた話をビビアンはアーシュラにも語らない。その口が固い部分もビビアンをアーシュラが好ましく思う一つの要因だ。


 なぜビビアンがアーシュラの友人でいるのかは、アーシュラにとっては学園七不思議のひとつであるような気もするのだ。正直な、というかあまり空気を読まないアーシュラはビビアンに「なんでわたしと友達なの?」とバカ正直に効いたこともあるのだが。ビビアンは「そうね。そういうことを聞けてしまうとことかしら」とさらっと答えた。

 わが身を振りかえって考えるとサイファとジュードもなんだか変わっているようとしみじみも思いなおした。


「十五年です」

 急に言われた言葉が先ほどのアーシュラの問の答えだとは最初ぴんと来なかった。

「私が八歳、彼が五歳でした」

「まるで友達みたいね」

「私は貧家の生まれで……そういった人間ならば、サイファ様を裏切らないとサイファ様のお父上は考えられたのでしょう。この家に住み込みでサイファ様のお世話をすることになりました。多分魔術の才を認められたのでしょう。魔術の面で彼を強く補佐できる人間が必要でしたから」

 その言葉の意味がわからずに、アーシュラはジュードを見つめた。しばらくしてアーシュラの沈黙と視線に気がつき、彼女をみたサイファは一瞬唖然とした後、ため息をついた。


「アーシュラ様はあまり社交界には興味がなくいらっしゃいますか?」

「社交界にでるような娘がこんなぼっさぼさの髪の毛していると思います?」

 ジュードの視線が『ですね』と意味した。

「貴族達なら確実に知っていますよ。あまりの話に堂々と口に乗せることは少ないでしょうが。サイファ様は魔術を使うことがまったくできないのです」

「へ?」


 アーシュラのなかではありえないその状況に一瞬思考が止まる。確かに話には聞いたことがある。

 剣術の才、学問の才、絵画の才、商業の才、世にあるさまざまな才がそうであるように、魔術も才に恵まれた人間がいる。そして逆を返せば恵まれない人間も。だが、まったくとはどういうことだろう。それはかなり珍しい。

 禍石の力を引き出す呪文を発見できる才、これは天才のなすべきことだ。グレッグ・ウィルクスランドはここにある。禍石から呪文で魔力を引き出すことができるのはかなり恵まれた人間だ。アーシュラやジュードはここに分類される。魔術師が禍石に仕込んだ魔術を、簡略化した呪文で解放すること、これは大方の人間ができる。できなければ生活に大いに困るからだ。台所で火を起こすのも井戸の水汲み滑車を動かすのもこの仕組みが基礎となっているためだ。


「呪文の解放も?」

「できません。ですので、書類のサインも彼の場合は魔力で証明できないので、サインと判は政府登録されています。生活に必要なことは使用人が代行します」

「不便ではないのですか?」

「まあ二百年前までは人は禍石の使い方を知りませんでしたからね。なんとかなるんじゃないでしょうか。微力ながら私もお手伝いできればと思っています」

 しかしその言葉を聞いた時にはアーシュラは別のことに思い当たっていた。


 サイファは魔力を持たない。

 だから彼にかけられた魔術はまだ効果を発揮しているのでは無いだろうか。魔力を持つということは相手の魔術に対する耐性もあると言う事が言えないだろうか。それが、徐々に効力を弱くしていく。しかし対象者がサイファのように魔力を持たなければその効力は普通よりずっと長く続くのではないか。

 惜しいのは今までそういった対象がないために、比較するべき過去の例がないことである、あくまでも仮説に過ぎない。


「しかしアーシュラ様の社交界への関心のなさには驚きます」

 いきなり他の家の家令に説教されて驚く。

「そんなこと、オーガストにも言われたことありません」

「そうですか。私は比較的誰にもはっきりものを言うタチらしいですよ」

 主人にもあの態度ならそれは間違いないなと思う。

「……アーシュラ様は故ウィルクスランド伯爵にそっくりです。その才能はできれば間違えずにしかるべき方向に向けられるといいですね」

 というか、と彼は凍りつきそうな表情で続けた。


「本当に、家の中のことは何しなくて結構ですので、お部屋で新学期の予習をしていてください。サイファ様の花嫁になるとしたら、家の掃除なんかよりもっと大切なことがありますから」

 それが言いたかったのね……とさすがのアーシュラにもわかる。

 やっぱり言いたかったのは嫌味らしい。

 ジュードが去ってアーシュラはため息を一つだけついた。

「でも、頑張ればいいのよね」

 アーシュラは母から残されたペンダントを握り締めた。

 アーシュラの母のステラも最初は父から相手にされていなかったらしい。それでも彼女は自分の恋心に素直に突き進んだ。

 それに比べれば、自分の寂しさなどたいしたことではないと思う。

 何かできることはないかしら。

 アーシュラは考え始めた。


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