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正直なところ、アーシュラも美貌の母親の血をあまり受け継がなかったことに関しては、コンプレックスと言っていい。ここまで正面きって言われたこともないが、影で「どうしてお母様はあれほど美人だったのに」といわれていることは本人の耳に入ってしまうのだ。それで心が痛まぬほどアーシュラも達観していない。
だが痛むというにはあまりにもあっけらかんと言われてしまった。しかも彼は別に悪意も侮蔑もなにもないのだ。ただ、母親ほど美人じゃないが父親にそっくりで面白いな、と自分の気持ちを率直に述べているだけだ。傷つくより先に、彼への興味が先にたってしまう。父親ほど才がないといわれたが、アーシュラも面白いものが嫌いではない。
「サイファ様、そろそろ口を閉じられたほうが」
ただ一人、真面目にジュードが冷たく言い放つ。
「ウィルクスランド伯爵様、もうしわけありません。うちの侯爵、バカなんです」
「大丈夫です、見たらわかりました」
「自己紹介も滞りなく済んでよかったじゃないか」
「侯爵は黙っていて下さい。できたらもう引っ込んでいて欲しいです。ともかくウィルクスランド伯爵様、ご足労ありがとうございました。事務的な手続きは私が後日承ります」
「とりあえず、御支援いただけるということでよろしいのでしょうか」
アーシュラとしては一番気になるのはそこだ。
「そうだな。君なら良い成績で卒業してきちんとした勤め先を見つけることも可能だろう。援助した部分についてはそれから返していただく。あまり貴族女性が働くなどという話も聞いたことは無いが……」
「ありがとうございます!大丈夫です。わたし政府の魔術機関に入りたいと考えています。そうしたらがつがつ馬車馬のように働きます」
サイファの顔にはっきりとした驚きが見えた。
「狭き門だな。女性であそこに入れたらおそらく第一号だ」
「自信はあります」
サイファは明るく言い切ったアーシュラに少し呆れたようだが、その表情は特に嫌悪感は抱いていない。しかし困惑は浮かんでいた。
「魔術機関に任官できるのは最高学府を満了しているのが条件だから、高等部、大学、下手すれば大学院と続く。先は長い。それに援助もかさむな。まさかそこまで進みたいとは考えていなかった」
「よろしくお願いします。親の分までバージェス侯爵様の脛をムシャムシャガリガリかじらせていただきます」
「……遠慮と言う言葉を知っているか?」
「その件ですが!」
本題来たるということに気がついて、アーシュラは一歩踏み出した。
「バージェス侯爵様はわたしと結婚なさるとよろしいかと思います!」
サイファがここに現れて以降ずっと奇妙な騒々しさがあったが、それがその言葉によって一瞬で静まり返った。初めてサイファに沈黙が訪れた。
「……ウィルクスランド伯爵」
「アーシュラで結構です」
そしてさらなる沈黙の後に彼は口を開いた。
「それはどういった理由からだ?」
「はい、わたしはお金が欲しいからです。妻になればバージェス家のお金を沢山自由に使えるかなと思いました!」
「清々しいまでに正直なタカリ宣言だな!」
「とすると、反対理由がありますのね」
「いやあたりまえだろう。まあ俺も社交辞令とか面倒くさいから正直に言うがウィルクスランド伯爵と結婚して一体俺になんの利点がある?」
なあ、とジュードをみて同意を促す。ときどき主人に対して暴言をさらりと吐き出すジュードだが、アーシュラには気を使ったのか「私が意見できることではございません」と礼儀正しく返した。不要な事態に関わりたくなかっただけなのだろうが。
「まず、ウィルクスランド家には資産がまったくないのだろう?まあ落ちぶれた貴族が自分より下位の貴族や平民と婚姻関係を結ぶことはあるがそれは相手方が資産家だからだ。俺は資産もあるし爵位は伯爵より上の侯爵家だ、ウィルクスランド伯爵家が俺に与えるものは何もない。あるいは女性であればその美貌で優れた相手に嫁ぐこともできるだろう。しかし……ええとまあなんだ……率直に言って、アーシュラは世紀の美女とは言いがたく……」
「ごもっともです。わたしの顔にはまったくといっていいくらい『一目惚れ』に対する説得力がありません」
アーシュラはまた一歩近づき、他には?と促す。サイファはまたジュードに視線をやったがそれは「お前なんか言え」と語っていた。その視線をするりとかわし、ジュードはあらぬ方向を見る。とにかく面倒なことに関わりたくないのだろう。
「そうだな、あとは……もしかしたらアーシュラはずば抜けて才能ある女性かもしれない。グレッグ・ウィルクスランドの才能を見るにそれは大いにありえる。しかし大抵の男は妻にはそういった才能は求めていないのだ。家庭を無事治めてくれればそれでいい。したがってアーシュラの成績の良さも婚姻という点では好条件にはならない」
「なるほど」
アーシュラは頷く。天井から舞い降りるように飾られた天使の禍石を一度見上げた。夕刻が近づき、それは夕日の朱を背負い、燃え上がるようだった。それからアーシュラはひるむ事無くサイファを見つめた。
「それではなおさらわたしはバージェス侯爵様にとって好条件ですわ」
「なに?」
「まず一つ、わたしは資産も爵位もバージェス侯爵様には劣ります。というか資産については借金がないということ以外自慢できることがないくらいです。ですが、わたしがおそばにいればバージェス侯爵様に箔が尽きます」
「どうしてだ?」
「わが国では国民の信仰心の多くが、宗教の礎ともなった建国王に向けられていると思いませんか?戦乱の世を平定した初代の王とその仲間達の魔術師達。だからこそわが国では貴族に魔術師の才ある者が多く、また国民の建国日には盛大に祭りますよね」
「そうか、アーシュラ。君は建国王の特徴ある容姿をしているな」
「詳しいことに立ち入るつもりはありませんがバージェス侯爵様のお姿は、貴族社会ではあまり評判がよろしくないのではありませんか?人の見た目なんて皮一枚、でもそれは良くも悪くも評価の一部として働きます。いかがでしょう、わたしが横に立つことでバージェス侯爵様にお力添えできるかと思います。そこには美醜もバージェス侯爵様の趣味も関係ありません」
「そうだな、国旗にさえ赤と黒が使われていて人はその二色を尊ぶな。まあそれに君も人から嘲られるほど醜いわけでもない。いや髪形だけはちょっとなんとかしろ?」
「わたしの髪の毛についてはそっとして置いてください。話を続けます。それに、わたしが無力であることも逆に有利だと思います。バージェス侯爵様は強すぎるのです。王家に並ぶ資産を持ち、爵位も最高、先々代の奥様は確か当時の国王の妹様であらせられたかと。王家としてはこれ以上侯爵家の力が強くなるのはおもしろくないんじゃないでしょうか。今は安寧の世で治安も落ち着き国民に目立った不満にありません。王も健在、王妃様との関係も良好。跡継ぎのお子様方は皆王妃様の実子で仲もよろしいと伺っております。でも世の中なんてわからないものです。担ぐべき神輿が二つ三つと分かれたときに、一人の動向で大きく状況が変わるような臣下の存在は疎まれるもの。バージェス侯爵様は、うかつに財力がある貴族のお嬢様なんて娶らないほうが安心ではありませんか?まあバージェス侯爵様が、自分こそ担がれるべきだと思われるのであればまた別の話ですが」
「俺は別に、のんびり暮らせてそこそこ酒が飲めればいいんだ。うっかり担がれたら、揺れて酒がこぼれるし迷惑だ」
「やれやれ、結構な野心です」
ジュードがボソッと付け足す。
「貧乏な平民でもよろしいかと思いますが、爵位がない相手と結婚するのはそれもまた周囲がうるさくて大変でしょう。バージェス家ともあれば相手には相応の格をもとめないわけにもいかないでしょうから。そんなわけで、わたしは最適かと。無一文の伯爵なんてそうそういませんよ、まあなんてお買い得!」
アーシュラは胸をはった。サイファは唖然として言う。
「まあ無一文になど、できたらなりたくない代物だろうからな……」
「そしてわたしの魔術の才能など不要、というお話ですが」
そこでアーシュラはふうと小さくためいきをついた。
「そうなのですよね。こればっかりは確かにおっしゃるとおりです。ちなみにわたし、ダンスは下手ですし、ドレスの趣味もどうかしているようですし、楽器もひとつだって扱えません。貴族の子女ができることはどうにもこうにも不得手で……」
「貴族の奥方には不向きだな」
やっとアーシュラの勢いが弱まってサイファはにやりと笑うと反論にでた。ところがアーシュラは堪えた様子もない。
「でも、その分、魔術でお返しできればと思います。大学院まで行けば、いろいろ珍しい呪術をつかえるようになると思うのです。その時にはバージェス侯爵様の政敵や恋敵をさくっと暗殺して差し上げますので、役に立つか立たないかはその時まで保留と言うことにしていただけませんか?」
「ぶっそうなことをあっさり言うな。俺が疑われる!」
「さくっ、がお気に召さないようでしたら、体中が緑色になって目から変な光線を出しつつ二倍速ステップで踊りながら死亡、とかそういう魔術もできるように頑張ります!」
「不審死極まれりだな」
「…恋敵も、ということは、サイファ様が愛人を作られるということはお気になさらないのですか?」
と、ジュードが口を挟んできた。
「ええもちろんです。お金を出してもらって拾っていただきながら、心まで支配しようなど、そこまでずうずうしくはありません。あ、大学院の学費とその先の研究費はよろしくお願いしますね。金についてはわたしとてもずうずうしいです」
「おい、学費がものすごく高額と知って言っているだろ……」
「ふふふ、ですのでお金が入用なのです」
不敵に笑うな……とサイファは脱力したように言った。
「まあいい……とりあえず高等部以後と結婚のことについては保留だ」
「保留ですか……」
アーシュラはため息をついた。
「仕方ありませんよね。物事もあまり完璧を望むとうまくいきませんもの。今日はここで泊まれるくらいで勘弁しておきます」
「泊まるのか!?」
サイファは目をむいた。
「お前には年頃の娘としての自覚があるのかー!」
「ありますよ。でも周囲の基準とは少々隔たりがあるみたいです」
「……だろうな……」
サイファはため息をついてから一瞬だけ、何かにためらう時間を持った。逡巡の時間であったのだろう。ただ、彼は言う。
「でもだめなんだ、ウィルクスランド伯爵。ここには置いてやれない」
「まあ、こんなにお部屋があるのに?さっき出て行った以外にもさらに使用人や御家族がいらっしゃるんですか?」
「今この屋敷にいるのは俺とジュードだけだ。でもそういう問題じゃない」
続けようとしたサイファは、その瞬間、はっとしたように窓を見た。ジュードもその表情を変える。
このまま行けばいつまでもアーシュラとサイファで間抜けな会話をしていそうだったが、そんな空気はふいに吹き飛んだ。
中庭に面したガラスがふいに外側から衝撃を受けてはじけとんだ。ガラスの割れる音が激しく響き、夕日に破片はきらめきながら散った。
まあ、と口を開きかけたアーシュラは、その口の形を変えないうちに、飛び出してきたサイファに腰を抱えられた。美しい文様を描くように形と色彩を考えられた寄木の床に叩きつけられる。
「問題なのは、ここ半月、俺が命を狙われているということだ」
サイファが言い忘れていて申し訳ない、うっかりしていた、とばかりに言う。
「……それはご多忙ですのね」
窓ガラスを割ったのは、禍石をつかった風の系統の呪文のようだった。鋭くそして重みのある刃のような空気の乱れが、次々と外から襲い掛かって来ている。その呪文を行使している人間の姿は見えなかったが、殺意は明確だ。
「ジュード!」
アーシュラを放り出して、サイファは立ち上がった。
「ウィルクスランド伯爵を守れ!」
「知りません。私の主人はサイファ様ですから」
ジュードは言い切った。そして自身のシャツの首元から首飾りを引き出した。
「まあ、なんて質のよさそうな禍石」
ジュードに、お前のことなど知らん、と言われたアーシュラだが気にしていない。ジュードは主人になんて忠実なんでしょう、と感心しているくらいだ。それに目は首飾りに釘付けだ。
ジュードの首飾りは無数の禍石が連なってできていた。アーシュラも魔術師の端くれである以上、その価値はもちろんわかる。
ジュードはその一つを掲げた。
「『シルフ、オーテリヴィア』」
ジュードは禍石魔術の最初の一語を滑らかに詠唱した。
「ジュードは魔術師なんですか?」
アーシュラはさすがに声をあげた。
その若さであれだけの禍石を持ち、そして唱えている呪文もなかなか高位のものである。彼はバージェス侯爵の秘書もやっていると言っていた。
「皆さん多忙な方……」
アーシュラが身を伏せたままそんなことに感心しているあいだも、攻撃の手は止まない。今も、花台の上に置かれていたそれはそれは高価そうな磁器の花瓶が一つはじけ飛び、壁の絵画が一枚裂かれた。
「『太古の息吹、五千十五番の薫風、光と風の盾となりて緩く夢見よ』」
ジュードの呪文は早く、また正確だった。一気に術を構築すると、彼の手の中の禍石が煌いた。そのまま光は強くなると内包する魔力を放出した。割れたガラスのもとに流れるように向かった光はそこで、柔らかく窓にかかるレースのカーテンのような形に変わる。時折何か衝撃でも加えられたように激しく歪むのは、外からの攻撃を遮っているのだろう。割られた窓ガラスの代わりをそれは力強く果たしていた。ジュードはさらに呪文を重ね、室内に入り込んだ風の刃を破壊していた。
「ジュード、今のはシルフの禍石ですね?」
アーシュラは今日一番の目の輝きようで立ち上がった。
「シルフの禍石自体はそれほど高価でも稀少でもありませんけど、そこからあれほどの魔力を引き出せるなんて、ジュードは優秀なんですね!」
彼に近づこうとしたアーシュラだったが、サイファの言葉にはっと足を止めた。
「おい!」
引きずっていったアーシュラと共に、玄関脇の重い時計の影で風の刃を避けていたサイファが急に飛び出してきた。そしてジュードを突き飛ばす。
音はしなかったが、アーシュラの視界に一気に激しい主張をする赤が広がった。
「……バージェス侯爵様?」
サイファの首筋が切り裂かれていた。衝撃もあって彼はそのまま床に倒れこんだ。さすがのアーシュラも一瞬言葉をなくす。
彼の首筋からは血が激しく噴出していた。
ジュードが防御を構築するまえに屋敷内に入り込んでいた風の刃の一つが、屋敷内を迷走したのちにここまで戻ってきたのだろう。淡く黄色に見えるとはいえ、不意打ちだった。
「サイファ様!」
先ほどまで、わりと激しい舌鋒をサイファに繰り出していたジュードの顔色が変わる。彼とアーシュラが動いたのは同時だった。
「バージェス侯爵様」
服が汚れるのもかまわずに、二人はサイファの傍らにしゃがみこんだ。
「大変、大変だわ……」
アーシュラは震える声で呟き続ける。思わず手で傷口を押さえたくなってしまうほどにその首の怪我は激しい。この出血ですでにサイファは意識もないようだ。このままではおそらくそれほど長くはもたない。
ジュードが彼の首筋の傷ついていない部分に手を当てた。そのままかすれた声で呟く。
「脈が……弱い」
「大変……」
「アーシュラ・ウィルクスランド伯爵」
ジュードが震える声で言った。
「どうか、ご協力を」
ジュードは自らの首飾りから石を一つ取った。
「私が血を止めます。私は治癒術は不得意ではありませんが、これほどに重篤な状態では、治すことができても、サイファ様の命が失われてしまうまでに間に合うか」
「大丈夫です……わたしがついてますから」
アーシュラはジュードを見据えた。まだ見習いにも満たない年頃なのに、妙に肝の据わった魔術師の顔で。
アーシュラはジュードの首飾りの禍石をざっと眺める。それが十代の娘とはとても思えないようなするどい検分であることにジュードは気がついただろうか。
「ジュード、その禍石を使いましょう」
アーシュラは勝手に手を伸ばすと、一粒をむしりとった。それはさして巨大な魔力の有しているわけでは無い禍石だ。
「わたしがやります。ジュードはさきほど呪文をつかって疲れているでしょうから」
呪文の詠唱にも正確さと集中力は要求される。連続して高位の呪文を使える人間は少ない。アーシュラは時間が惜しいとばかりに詠唱を始めた。
「『ノーム、テリチア。黄金の地、祈りの草原』」
「ウィルクスランド伯爵、それでは呪文が怪我の程度に及ばな……!」
ジュードの抗議は途中で掻き消えた。
「『ノーム……』」
アーシュラはその簡単な呪文を次々と重ね始めたのだった。簡単で短い呪文、本来それほど効力を持たないはずのそれだが、無数に重ねられることによって効果を発揮し始める。しかも高位の呪文と違って、この一秒一瞬に確実に治癒を行っているため、効果が出始めるのは逆に難易度高い呪文より早いかもしれない。
アーシュラが選んだものは、反応の早い禍石だった。魔力は少なくともこの場では速さが重要だ。血を失い続ければ、脳に損傷を受ける。そうなると相当高位の呪文をつかっても元通りにするのは難しい。治すのは速度が勝負だ。
しかし簡単な呪文とはいえ、これほど詠唱をよどみなく続けられるのはやはりアーシュラの非凡さだとジュードは気がついたようだ。アーシュラの意図を察したジュードは、魔力が消え始め、光が淡くなり始めた禍石を次のものに変えた。
彼がアーシュラに向ける視線は、得体の知れない小娘から、同等の魔術師を見るものに変わっていた。
「ウィルクスランド伯爵様、変わりましょう」
いくつか禍石を食い潰し、サイファの首の傷が塞がり、薄い痣になってきたところで、ジュードは言った。アーシュラもさすがに目がうつろになるほどに疲れている。サイファはすでに自発呼吸を取り戻していた。
「いいえ、あとは目覚めてさえくれれば……そこまではなんとかわたしが」
「げふっ」
サイファがむせるようにして喉に残った血を吐き出す。そして目を開けた。しばらく焦点が定まらないようだったが、怪我をする直前のことを思い出したようだった。
「……俺は?」
そして、血まみれの二人を見つけ目を見開く。
「な、なんだお前ら……」
「やりましたね、ジュード!」
アーシュラは笑ってジュードを見つめた。アーシュラがこの屋敷に入ってから一瞬たりとも険しい顔を崩さなかったジュードもおもわずつられて頬を緩めてしまったほどの明るい顔だった。
「サイファ様」
ジュードは彼の肩を支えて起こしながら言った。まだ少し血は足りないのか、ぼーっとしているが、四肢にも意識にも別段大事無いようだった。
「その服を着替えて、顔を洗ったら、ウィルクスランド伯爵様にはよーくお礼を言ったほうがよろしいですよ」
「な、なんだ?一体どうしてお前はアーシュラに対していきなりそんなに親切になっているんだ」
「あとで説明して差し上げます。そして別に親切なんかじゃありません。人としての礼儀です」
「まあ!ジュード、あなたって素敵ね。もっとバージェス侯爵様に言って差し上げて!どうかわたしに金づるになってくださいって!」
「サイファ様の嫁に相応しいと言った覚えはありません。こんなでも一応侯爵様ですから」
無条件でアーシュラの味方をするつもりはないらしい。あっさりと彼独特の冷ややかさが戻ってくる。
「おいアーシュラにジュード……」
「金で命が買えたなら安いものですよ、サイファ様」
ジュードはサイファに肩を貸して自室に連れて行こうとしながら言った。
「ウィルクスランド伯爵様、大変申し訳ございませんが、少々こちらでお待ちください。今お部屋をご用意いたします」
「ええ、喜んで」
「おい、俺はアーシュラをここに置くなんて決めてないぞ!」
「怪我人はおとなしくしていてください」
サイファは状況がよく飲み込めていない顔でジュードに連れて行かれた。後に残ったアーシュラは、血まみれの服でエントランスのベンチに腰掛けた。
このタイミングで運の悪い来訪者でもあれば、呪われた屋敷確定の腰が抜けそうな光景を作り出しながら、アーシュラは本日の宿が決まって上機嫌というのん気なものである。
これが、アーシュラが屋敷に踏み入れた瞬間におきた出来事だった。