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 ……サイファのよく知る……知り尽くした室内の薄暗い冷ややかさ。

 それが世界の全てではなかったということを、サイファは思い出したように、そこで立ち止まった。アーシュラは手を放さない。

 夜明けの光はまだ淡い。

 よく手入れされていたはずの園は、ここしばらく庭師が不在だったこともあって少し荒れている。しかし温かさを増してきた気候は確かに自然の力で春の訪れを力強くしめしていた。芝生の上にはどこからか富んできた雑草の小さな花が、黄色や白、そして青い星のように淡く光って見える。明らかに葉の量を増した木々が風に揺れていた。


「ああ、外だ」

「サイファ様」

「五年ぶりだ」

 そしてサイファはアーシュラを見つめた。陽と星の光の下では、彼の瞳の金は庭の花よりも優しい色だった。

「……まだ父が健在だった頃のことを思い出した。父と母とそして異母兄達とここで遊んだよ。そうしたら叔父が叔母を伴ってやってきたんだ。甘い菓子をくれた」

 それは幸福を伴った記憶なのだろう。もちろん今のサイファならそこに潜む思惑も確執も理解しているはずだ。そうであっても、何か温かいものが風と一緒に再び彼の心に吹き込んだようだった。

 残念ながらそれについて語り合う暇は今はなかった。


「サイファ様、とりあえず急いで逃げましょう」

 背後の屋敷の中で毒の気配が薄くなっていることを感じ取ってアーシュラは彼を急かした。ああと頷くと彼はカーブを描きながら伸びている石の階段を下りようとした。が。

「あれは?」

 サイファの視線の先には階段を駆け上がって来る娘の姿があった。

「まあビビアン!?こんな朝からどうしたの」

 息を切らして青ざめた顔でやってきたのはビビアンだった。

「アーシュラ、一体どういうことなの!」

 ビビアンは先ほど空いた大きな穴から立ち上がる土埃を指差した。

「なんでこんな……」

「ごめんなさい、ビビアン。事情はあとで説明するわ。とりあえずここから離れましょう」

「……ルは?」

 え?とアーシュラは聞き返した。青ざめた顔のビビアンの言葉は聞き取りにくかった。


「危ない、アーシュラ!」

 ビビアンの言葉が返ってくる前に、アーシュラの視界にはサイファが割り込んできた。

「サイファ様」

 アーシュラの前に立ったサイファは、何かに寄りかかることもすがることもなくただ、足を踏ん張るようにして立っていた。これほどの距離を縮めたことがなくアーシュラは息を飲む。あと少し彼がかがめば、唇が届きそうな距離だ。

 しかし状況はそんな甘いものではなかった。すとん、と糸が切れたようにサイファがかがみこんだ瞬間、アーシュラは止めていた息で悲鳴を上げた。


「……はは、なんだ、そんな普通の娘らしい悲鳴をあげられるのか」

 アーシュラを見上げて、苦しそうな顔をしてサイファはそれでもふざけたように言った。

「サイファ様!」

 サイファの後ろにいたのはビビアンだ。彼女の手には赤黒く血のこびりついたナイフが握られていた。それがどれくらいの深さに至ったのかまではわからないが、サイファの身を背後から傷つけたのは間違いない。

 いや、サイファは間に割り込んだだけだ、狙われたのはアーシュラ。


「大丈夫だ、浅い…浅いが」

 サイファはむしろアーシュラを気遣うように眉をひそめた。

「ビビアン、あなた」

「あ、あなたが悪いのよ、アーシュラ!」

 ビビアンはナイフを持つ震える手にもう片方の手を添えた。それで震えを止めるとアーシュラを睨みつける。

「あなたがカイルを正当に評価しないから!」

「カイル?」

「わ、私達は……」

 一瞬ためらった後ビビアンはアーシュラに向かって言葉を叩きつけるように怒鳴り散らした。


「カイルは私の恋人よ!でもお金がないからこのままじゃ絶対うちの両親は彼との交際なんて許してくれない。それじゃ嫌なのよ。あなたがちゃんとお父様に仕えてくれた彼のことを評価していれば!」

 いつから!とかどんなきっかけで!とか……友人のビビアンに恋人ができたらならはしゃいで尋ねたいことはいくらでもあった。多分こんな形じゃなければ。

 しばらく前にビビアンが語った「うまくいかない恋愛」とはカイルのことであったのだ。


「身分が低いから彼は才能があっても高給が得られる場所には勤められないのよ」

「ビビアン、サイファ様だってそういったことは憂いていて……」

「それはいつ解決するの!?十年後、二十年後?五十年後?私はそれじゃお婆ちゃんになっちゃう!」

 その時痛みに引き連れるような歪んだ表情をしながらも、サイファは立ち上がった。

「だから、アーシュラを傷つけろと言われたのか。カイル・オルセンに。アーシュラが死ねば直系がいなくなる。そうすれば一番弟子にも研究の譲渡の機会は巡ってくるかもしれないな」

 サイファの言葉などビビアンは聞いていない。ただ怯えたように短剣の刃先をアーシュラに向ける。


「いいから戻って!逃がさない」

 ビビアンはその短剣を突き出すように何度か振るった。サイファも本当に戦いとなれば容赦しないのだろうが、相手がアーシュラの友人、しかも若い娘ということで自分が動くことにためらいがあるようだった。

 ビビアンはなにもわかっていないため無駄な動きも多い、しかしその後先の考えていない必死さがサイファが手を出しかねている理由だ。アーシュラにいたっては混乱したまま言葉も出ない。

 困惑しつつ二人は徐々に屋敷に押し戻されていた。

「ビビアン、わたしは……」

「言い訳なんていいわ」


 屋敷の暗がりの中で、ビビアンの青白い顔が妙にはっきりと見えた。ときどきふらつくサイファを支えるようにアーシュラは彼の腕をとった。

 だが、アーシュラ自身も友人だと思っていた相手に裏切られて呆然としている。

 ビビアンとはそれほどいつも一緒にいるわけではないが、それがお互いに適切な距離であったと思っていた。でもその実自分は彼女のことなど何も判っていなかったのか。


「よくやったな、ビビアン」

 その声にはっとして振り返ると、そこには毒の霧から抜け出てきたカイルが居た。

「カイル!」

 ビビアンの声に安堵が混ざった。

「私、あなたに言われたことを守ったわ」

「ありがとうビビアン」

 おや、とアーシュラはこんなときだが違和感を覚えた。ビビアンの愛情のこめられた熱狂とカイルの身の入らない感謝は不釣合いに感じられたのだ。そっけないほどの返事だった。


 カイルは毒の霧を払うために、いくつか禍石を使ったようだった。乱れた髪を乱暴にかき上げて彼はステンドグラスを見た。そしてその先の天使の禍石を。

 それからカイルはポケットから再び一つ禍石を出した。そして彼が口にしたのは簡単な風の魔術だった。

 その瞬間、扉は大きな音を立てて閉まった。さらに、それがかき消えてしまうような轟音が重なる。

 天使の禍石を吊り下げていた糸やロープなどが全て切れてカイルの脇にばらばらと落下してきたのだった。その硬質さと音をもってしてもなお、まるで雪のようだった。見事なまでに完璧に組み上げられた天使の禍石も崩れ去る時は一瞬だ。

 ステンドグラスの虹色を反射して落ちて輝くそれは不吉だった。


「バージェス家の家宝『天使』」

 カイルは皮肉っぽく笑った。

「さすがにこれを全て使い切るのはもったいないな」

 軽くかがんだ彼は手の中につかめるだけを拾い上げる。

「そうだな。『バージェス家の悲劇、天使の禍石が暴走』……こんなところでどうだろう」

「何をする気だ」

「禍石が暴走した時に不幸にもたまたまいた主人とその客達が巻き込まれて死亡。よかったな、使用人達はたまたま無事で」

「我々を葬る気か」

「たまたま不幸な事故が発生しただけですよ」

 カイルはにこりと笑う。


「ご安心を。ウィルクスランド博士の研究は僕がきちんと回収します」

「カイル?」

 ビビアンの声が恐れを含んだものに変わった。

「ねえどういうこと?脅かして研究の正当な報酬を奪うだけだって言っていたわよね。アーシュラは全然そういう話に興味がないからって……」

「バカだなあビビアンは」

 カイルはため息をついた。


「この状態を見て、交渉しているだけだなどと思うのかい?それに僕はそのナイフはアーシュラに深く刺せと言ったよね」

「……だ、だめよ、殺すなんて!人殺しなんて許されない!」

「君だって今バージェス公爵を傷つけたじゃないか」

「傷害と殺人はずいぶん違うな、カイル・オルセン」

 サイファは痛みをこらえて苦々しく言う。

「ナイトリー嬢、知らないということならば一応教えておくよ。彼がうちの年老いた女中を殺したのは先ほど彼自身が認めたよ」

「カイル!?」

 ビビアンの声が悲鳴に変わった。しかしカイルは答えない。


「『セラフ、アーレニア』」

 カイルはその冷ややかな目で淡々と呪文を構築し始めた。天使の禍石を使った呪文の威力は計り知れないものだが構築には時間がかかる。

「どうしましょう、サイファ様」

 アーシュラはサイファにささやいた。

「ちょっと距離があるが剣であいつを倒すか……」

「多分ムリです。あの人自分の周囲に障壁を張っています。まあ天使の化石を使うのだから威力が自分に及ばないようにすることは考えていますよね、もちろん……。剣でそれを破るのはかなり厳しいですね。でも下手な呪文だと破壊の詠唱が間に合わない」

 こうして離している間にも彼の呪文はどんどんと完成されていく。


「カイル、私もうそっちにいっていい?」

 呪文におびえるのは二人の背後にいるビビアンも同じだ。すでにナイフは手から取り落としてしまっていた。

「だめだ、ビビアンはそこにいてくれ」

 カイルは一瞬だけ詠唱をやめていう。にこりと微笑んだ。

「それに別にもう君じゃなくて良い」

「何をいっているの、カイル」

「ウィルクスランド伯爵の研究成果があれば、もっと上を狙える。君みたいなさして裕福でもない貴族には興味がないよ」

「カイル!」

「さようなら」


 やはりカイルにとってビビアンは恋といえるほどのものでもなかったのだ。だから今見捨てた。ビビアンは愚かな娘ではない、でもその大人びた性格でもしかすると同年代の中では孤独を感じていたのかもしれない。そんな彼女にとって大人であり、優しいカイルは特別だったのだろう。

 ビビアンは身を翻して扉に張り付いた。しかし先ほどの呪文の効果の一つなのか扉はびくともしない。

「いやっ、カイル。開けてよ!扉を開けて」


 カイルはいよいよ呪文の最終章を立ち上げていた。天使の禍石からなにか白い靄のようなものが立ち上がり始めていた。それは集まって、渦を巻く白の巨大な球体を構成し始めていた。全てを弾き飛ばし粉砕する力があることをアーシュラは見て取る。


「サイファ様」

 アーシュラはサイファの服の腕をひいた。

「こんな時ですけどお願いがあるんです」

「なんだ」

「少しお力を貸してくださいますか?」

 アーシュラの手は腕を這い、そして彼の指先に……左中指の指輪に触れられていた。

「……いいとも」

「ありがとうございます」


 アーシュラは迷いもためらいもなかった。いきなり自分の胸元に手を突っ込むと母からもらったペンダントを出した。

 よく磨かれたそれは鈍く輝く。

「おや」

 カイルが笑った。

「それは珍しい。堕天使の禍石とは。だけどちょっと小さいね。この規模の天使の禍石とどうはりあう?」

 アーシュラは片手にそれを握って前に突き出す。そしてもう一方の手はサイファの手を握り締めていた。

「『ルシファー、サントニア』」

「……なに?」

 カイルの顔色が少し変わった。


「それではその禍石は堕天使の長ルシファーのもの?」

「お父様からお母様への贈り物です!」

 天使の化石はまるまる一体分。カイルがアーシュラ達を葬るために用意したものは両手に一杯くらいだがアーシュラの禍石とは量が違う。それでもカイルが青ざめたのはその禍石がもつ圧倒的な質の違いだ。天使と同等の力を持つ堕天使、その長であったというルシファーの禍石であれば、潜在能力は計り知れない。


「『蒼空の堕天、黄金の反逆、汚辱の王よ、闇を持て」

 アーシュラの呪文を聞いて、サイファが眉の間にしわを寄せた。

「ちょっとまてアーシュラ、それがアーシュラには扱えないはずの段階の呪文だということは俺だってなんとなくわかるぞ、おい!」

「お力貸してくださいますのでしょう、信じてください!ていうか、黙ってて!」

 アーシュラのもつペンダントの石が輝き始めた。黒い光、そういうしかないような強さを持った光が鋭くあふれ出す。

 うっと呻いてサイファはよろけそうになるのを足を踏みしめてこらえた。グレッグの研究成果である石を介して、サイファの身に蓄えられた魔力がアーシュラに伝わっているのだ。


「『溶けよ、飲めよ、深淵の傲慢、その腹を満たせ……』」

 正確にはアーシュラの持つ堕天使長ルシファーの禍石に。

「『業、剛、強、不遜、祈りに変えて染めよ!』」

 アーシュラはそれこそが天才にふさわしい集中力によって圧倒な速さで呪文を完成させる。

「まて!やめろ!」

 むき出しの殺意を隠すこともなく、自分自身も天使の禍石を使った魔術を完成させていたカイルは、アーシュラの呪文を見た瞬間逃げようとした。

 しかしもう遅い。


 暗黒の力は全てをその焼け付くような暗い光の中に獲り込み始めていた。天使の禍石からの破壊エネルギーがまず吸い込まれる。それを拒絶するように、暗黒の力の中で白い光りは暴れるが一度取り込んでしまった力はもはや出口を見失っている。


 そして。

「アーシュラ!」

 カイル自身もその力に飲み込まれた。彼自身が今、天使の禍石による呪文の支配者だからだ。

 半身を暗い光の渦に覆われながら、カイルはアーシュラに憎しみをぶつける。アーシュラはそれをまっすぐ受け止めるように彼を見つめると言った。

「カイル、呪文を解除してください。そしたらわたしも解放します!」

「……小娘が!」

 カイルの呪詛に満ちた罵声だった。

「僕に負けを認めろというのか!僕こそがウィルクスランド伯爵の後継者だ!」

「カイル!」

 彼は呪文をとかない。


 二つの力は軋み合う。量に勝るカイルの天使の化石、質が上回るアーシュラの堕天使長の化石。ホールの蜀台が吹き飛び、一枚の絵を切り裂く。中庭に面したガラスが小刻みに震えている。一枚が爆ぜるように割れた。床に落ちていたカイルの剣が床を傷つけながら転がる。パシッと時折聞こえる音は、その空間に起きる小さな稲妻だ。カイルの頬に飛んだ破片で薄い傷が走る。アーシュラの髪の毛が舞い上がった。

 一瞬の拮抗。


……だが次の瞬間にはアーシュラの制御する黒の牙に白の嵐は噛み砕かれていた。一瞬で、悲鳴を上げる隙もなくそのまま、消え失せたのはカイル。

 先ほどまで二つの力がぶつかり合う軋みに、激しい音が鳴り響いていたエントランスホールが急に静まり返った。アーシュラの堕天使長ルシファーの禍石の力が使い切られたのだ。天使の禍石も制御していたカイルが消え、その効果が消え失せる。

 アーシュラは沈黙して先ほどまで力のうねりがあった場所を見つめていた。失われた古い友人……兄のようだった存在を探すように。


「カイル……」

 アーシュラはうつむいた。

 あまり感じたことのない感情が、胸の中でごそごそと蠢いていた。痛みとも怒りとも違う、もっと漠然とした、しかし確実にアーシュラの何かを食いつぶす暗い気持ちだ。

 いままでそんなことをアーシュラが考えるなど、誰も想像しなかっただろう。

 アーシュラには『後悔』なんてものはあまりにも不似合いだった。


「……俺はお前に感謝する」

ふいにサイファがアーシュラの肩を抱いた。

「お前の力で生き延びた」

 サイファも自分の責任ではないとは言え、一族の不和から始まった悲劇に対して、少なからぬ後悔を覚えている人間だ。アーシュラごときが考えていることなど、きっとお見通しなのだろう。

 だからこそ、彼の感謝の言葉はアーシュラが目を離せなくなっていた心の暗がりから彼女を引き戻したのだった。


「サイファ様……」

 怖い時はつかまれ、とかつて言われた時には触れることしかできなかった。

 しかしアーシュラは今、ぎゅっと彼に抱きついた。サイファもためらう事無く抱きしめる。

「アーシュラ……ありがとう」

「いいえ、サイファ様の力です」

 アーシュラの持つルシファーの禍石、しかしそれだけでは呪文は構築できなかった。属性は一致していても呪文を支える魔力が不足していたからだ。そこに力を加えたのが、サイファだった。彼は身のうちに方向性の定まっていない純粋な魔力を蓄えているのではないか、そう判断したアーシュラが正解だった。


「俺に出来ることだったなら、俺自身があいつを葬っていた。お前にやらせて悪かった。……お前は悪くない」

 サイファはいつの間にか後ろで気を失って倒れているビビアンを見てから言った。

「お前は自分の友達もちゃんと助けたんだ」

 アーシュラはサイファの腕の中で小さくうなづいた。

 あまり見せたくないと思ったから、顔を上げなかったが、カイルを失ってしまったことはアーシュラにも大きな悔恨だった。できることならしたくなかったのだ。思わず涙が滲みそうになるが、それは自分に許したくなかった。アーシュラは歪めた顔で、涙をこらえる。


「わたし、カイルはとても大事だったのに、それでもサイファ様を傷つけたくないと思ったんです」

 ぼそっというアーシュラの真意をサイファは測りかねていた。しばらく逡巡した後に思い切って口にした。

「俺もだ。間に合わなければ、アーシュラだけでもなんとかして屋敷から放り出そうと思っていた。アーシュラが無事で一番嬉しいのは俺だ」


 それはサイファの「だってサイファ様はわたしの大事なお財布ですもの!」という返事が返ってくることを覚悟しての言葉だったと思われる。

 しかし顔をあげたアーシュラはいつもの下心が暴露されまくりの無垢さを発揮することなく、彼を見上げた。

 その顔がなぜか赤くなっていてうろたえたのは彼女自身だった。

「あ、あら?いやだわ、わたし、どうしてこんな」

 アーシュラは混乱してさらに顔を赤くしている。しかしサイファもこんな反応が返ってくるとは思わず、なぜかおろおろと困惑してしまった。

「そ、そうだな。なんだろうな、これは!?」

 ジュードが見ていたら、いい加減にしてください、この恋愛初心者どもが、位の事は言っただろう。

 うろたえている自分をごまかすためか、急にサイファが口調を改めた。


「で、だ」

 サイファはさらに抱きしめる手を強くした。

「それはともかく、ルシファーの禍石の力を引き出せる呪文など、お前一体どこで手に入れた。あれは大学院を出た段階じゃないと扱って良い許可が下りないはずだが?」

「おうっ……サイファ様そういう知識になぜ御詳しい……」

「おい……」

 アーシュラもどこか自分のしでかしたことが犯罪だとわかっているのか、しばらく返事を口ごもっていた。

 ルシファーの禍石で使用するような呪文は、間違えたときの反動は大きいし、効果は先ほど見せたとおりだ。人の命を奪うことすらたやすい。そんなものを十六歳の小娘が使用できるわけがないのだ、本来。

 倫理的にちょっとまずい代物である。


「言わないと、貴様のお小遣いを減額の刑だ」

「えっとですね」

 アーシュラは顔を上げた。

「わたし、以前に申し上げたと思うんです。あんな父でよく道を踏み外さなかったなと聞かれた時に」

「ああ、酒も不純異性交遊も興味なかったというやつか」

「でもちょっとは悪いことはしていたんですよと言いました」

「何?」

「お父様の書庫に忍び込んで、使ったらまずい呪文を自習していました。おもに禁術該当の 暗 黒 系 呪文を」


 アーシュラは『自分が考えうるもっとも可愛い顔』をしてみた。可愛いげのある少女を見本にしたように、ちょっと上目遣いで指先だけあわせた手を唇につけて。

「……不良行為は、繊細な少女の思春期にはありがちな反抗ですよね」

 目まで頑張ってうるうるさせてみたが、サイファには効かなかった。

「ない、暗黒系呪文を身につけてしまう反抗は、ちょっとない」

 サイファは沈痛な面持ちで言った。

「この不良娘が!父の墓前で謝ってこい!」


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