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「よかった。他の研究もあったんですね」

 彼は今の状況に不釣合いな貪欲な顔をしていた。何かを侮蔑している表情を隠しきれていない。

「そんな魔力の再利用なんて、誰も興味を持ちませんよ。そんなもの弱者の杞憂でしかない。それじゃ金にならないと心配していましたが、とりあえず新呪文の開発も進んでいてよかった」

「……オルセン、それは暴言だな」

 サイファの鋭いまなざしがカイルを射る。しかしそれを無視して彼はアーシュラを見た。


「最初は君と結婚しようと思っていたんだけど、そんな面倒な手段をとらなくても良さそうだ」

そしてカイルの拳は思い切りアーシュラの頬に打ち付けられた。

「アーシュラ!?」

 勢いで床に叩きつけられたアーシュラにサイファは駆け寄った。視界がぶれてうまく立ち上がれないアーシュラを支える。

「何をするんだ!」

 カイルを糾弾しようとしたサイファにもカイルは殴りかかった。かろうじて避けたサイファはアーシュラを抱き上げて必死で距離をとった。

「か、カイル、どうして」

「どうして?」


 カイルはアーシュラをにらみつけた。いつもの優しく穏やかな青年研究者の顔はもうなかった。何かに執着する品のなさだけがくっきりと浮かび上がる。彼が投げ捨てた剣の鞘が床に落ちる重い音がした。

「それはこちらが聞きたいね。あれほどにウィルクスランドに仕えたのに、彼は最後まで仕えた僕には何も残さなかった。何が娘だ。研究に何の助力もしていないくせに当然のように何かを受け継ぐなんて」

「カイル……」

「魔術には使うものが意味を決める。未来のことなんてその時代の人間が考えればいいことだ。魔術師は魔術を使えない連中の尊敬の念だけを受けていればいい」

「……そういう考えだから、グレッグは貴様になにも残さなかったんだろうよ」

 サイファは睨みつける。


 剣を抜いたカイルだが、その柄にはいくつか禍石が埋め込まれていた。なんらかの魔術が行使されることはサイファにも想像できる。

「カイル」

 アーシュラはサイファの腕の中から彼を見つめた。

「あなたのいうことも当然だわ」

「アーシュラ!」

「いいの。そんなに必要なら他のお金になりそうな呪文は全てあなたに差し上げます。だって今までお父様を助けてくださったのは確かですもの。当然の権利だと思うから。だから乱暴なことはやめて」

「いや」

 カイルは鋭く拒絶した。

「お前達は……あの家令も含めて邪魔だ。死ね」

「ジュードを襲ったのはあなた!?」

 アーシュラは愕然として叫んだ。サイファはどこか予想していたように表情を変えない。


「どうして?」

「この家に伯爵の研究成果があることはわかっていた。忍び込んで調べていた時に、使用人に見られて殺してしまった。あの家令はそれを調べていたな!?何度も何度も僕に付きまとって問い詰めてきた」

 アーシュラはここしばらくのジュードの不審な様子を思い出す。あの時地面の中にあったのはやはり本当に死体だったのか。しかし彼はそれを埋めたのではなく、逆に掘り出そうとしたのだろう。あの時のアーシュラに対する態度は彼を疑っていたからこそ脅迫にしか感じられなかったが、本当に単純に、善意からあんな陰惨なことに巻き込みたくなかったらからなのか。


『女子どもが見るものではない』

 あれがいなくなったリリーだとジュードは気がついていた。もしさらにあの場所を探っていれば、いかにアーシュラであっても見るに絶えない無残なものがあったはず。

腐敗した遺体に対してジュードは忠告したのだ。本当に言葉通りのことだった。

……アーシュラは無意味な心配をしていただけだ。


「じゃあ、ジュードを襲ったのは」

「あいつがこちらを疑ったせいだ!この家を調べるにしてもあいつの存在は邪魔以外の何者でもない。目障りだから早く始末したかったが、あいつも魔術師。なかなか隙がなかった。やっと今日始末できた」

「カイル……なんていうことを……ああっ?」

 アーシュラははっとした顔で言葉を続けた。

「もしかして、この間屋敷に忍び込んだ三人の侵入者の一人はあなた?」

 カイルは答えなかったが薄く笑うその表情は肯定するものだった。


「だからあの時剣が来る方向が分かったんだわ……あなたの剣術だったら何度か見たことがある。きっと流派や師匠によって特徴があるのね……」

 それはさらなる不安を呼ぶ。アーシュラの頭に浮かんだのは、最近聞いた噂だった。二人の身元不明の死体が川に浮かんだという話。


「……カイル……」

 彼は肩をすくめた。

「僕は見た目は強そうじゃないからね。油断した人間なんて、始末するのは簡単だ。金で雇ったんだけど、逆に僕を脅迫してきたから邪魔になった。……オーガストなんて老人はもっと簡単だったけどね。彼もウィルクスランド伯爵の遺産について何か知っているかと思ったんだ、外れて残念だったよ」

 さらりという彼にアーシュラが言葉を詰まらせたときだった。

「……お前か」

 低い声がアーシュラの頭上から降ってきた。見上げればサイファが暗い目でカイルを睨みつけていた。

「リリーは俺の母親代わりだった。父が俺に興味を持たずとも、彼女だけはどんなときも俺の味方だった。彼女が何も言わずに出て行くなんてありえないと思っていた」

 アーシュラを抱きかかえる彼の指先には力がこもっていた。


「……でも死んでいるくらいなら、まだ俺を見捨てて出て行ったということのほうがよかったよ」

 あまり家族の絆が強くない家庭で育ったサイファにとって彼女がどれほど大事な存在であったかはアーシュラにもわかる。アーシュラだってオーガストには祖父に近い感情を抱いている。


「大丈夫ですよ、バージェス公爵」

 カイルはにやりと不吉な笑顔を見せた。

「どうせあなたもすぐ後を追う。再会は間もなくです」

 そしてカイルは剣を振り上げる。アーシュラを抱きかかえたままサイファはとりあえず逃げ出した。体当たりのようにして書斎の扉を開けると部屋を飛び出す。

「サイファ様、歩けます!」

 頬の痛みこそとれないものの、なんとかめまいがやんで視界に不自由がなくなったアーシュラは彼の腕の中で暴れた。

「このままでは危険です」

「暴れるな!」

 サイファの忠告は一瞬遅く、暴れた表紙にアーシュラは思い切り廊下に落ちてお尻を打ちつけた。


「い、いたた」

「アーシュラ!」

 サイファがアーシュラの前に屈みこむ。その頭上を通り抜け、突き当たった廊下の先で大きな破壊音がした。

「なんだ?」

 サイファは今すり抜けたものの力の巨大さにぞっとしたようだった。もしアーシュラのためにかがみこまなければあの熱に飲み込まれていた。

「サラマンダーの禍石ですね。それほど大きくなさそうですけど、カイルは才能ある方だから引き出し方が上手です」

 アーシュラは立ち上がった。服のポケットを探る。


「そうか、彼が優秀だという話はあまり心が安らがないな」

「でも安心してください、サイファ様。わたしはもっと天才ですから」

「……それは助かる」

 アーシュラのポケットにはがらくたのような禍石しか入っていなかった。だがアーシュラはひるむ事無くサイファを庇うようにして前に出ると廊下の先を見た。

「おいアーシュラ。俺の男としてのプライドも考えろ」

 サイファがため息混じりに横に並ぶも

「いいえ、申し訳ありませんが、ちょっと引っ込んでてくださいますか?プライドの話はまた今度お茶でもいただきながらお伺いします」


 アーシュラは執務室から出てきたカイルを視界に入れた瞬間、一気に詠唱を始めた。同時にカイルも呪文構築を始めていた。

「『タラスク、セノマニア』」

「『コボルト、カティア』」

 そして二つの呪文は廊下でぶつかり合う。

 廊下に充満し始めた不気味な紫色のガスが、ゆるゆるとカイルの方に向かっていた。


「今です、逃げましょう」

「なんであいつはこちら側にこられないんだ?」

「わたし毒獣タラスクの禍石で毒霧を出しているからです。先ほどカイルが開けたあの穴からの風はカイルのほうに向かって流れていますでしょう?毒霧はあちらに流れます。カイルが対策を練るまでが隙です」

「なるほど」

 風の流れを頬でわずかに感じ取って、アーシュラはそれを仕込んだのだということを理解したサイファは素直に感嘆の声をあげた。


「行きましょう」

 アーシュラはサイファの手を取って走り始めた。

「待てアーシュラ!」

 背後からカイルの罵声が聞こえるが必死で無視している。アーシュラにとっても彼は単なる知人ではない。ほんのしばらく前まではもっとも頼りになる人だったのだ。

 サイファがアーシュラの手を握る力がほんの一瞬だけ強くなった。それだけで彼がアーシュラの痛みを理解してくれたのだとわかる。

 だが。

 広いエントランスホールまで来たとき、サイファはその手を放した。


「えっ?」

 カイルは玄関の大きな扉の前で立ち止まった。

「アーシュラ、行け」

「サイファ様……あっ」

 今の騒ぎで忘れていたが、サイファはこの扉の外には出られない、そのことを今思い出す。

「サイファ様」

「いいからお前は先に行け。大丈夫だ」

「サイファ様はどうなさる気ですか」

「時間を稼ぐさ。なんたってジュードのお墨付きの怠惰だからな、暇つぶしには慣れている」

「いけません。カイルがサイファ様をどうするかはわからないんですよ?」

 アーシュラは戻り、彼の手をつかんだ。そして扉のほうに引きずっていく。

「アーシュラ!俺を殺したいのか。ここから出ることはできないんだ、出たら死が」

「残っても死です」

「無茶言うな」

「サイファ様!」

 アーシュラの手を振りほどこうとするサイファにアーシュラはついに怒鳴りつけた。


「嘘つき!」

「なんだと?」

「本当はもう呪いなんてないことを知っているくせに!」


 そう、サイファは嘘をついている。

 それを確信しているアーシュラの鋭い視線と言葉にサイファは息を飲んだ。

「どうしてそれを……」

「だって」

 アーシュラは屋敷のエントランスをみる。ここを訪れた日にサイファが風の魔術で襲われた場所だ。あの時流した血は、ジュードの手入れも追いつかず黒々としたシミになっていた。

「あの時サイファ様が流された血を、調べてみたんです」

 アーシュラは早口に言う。


「サイファ様の呪いは、その血にかけられていました。サイファ様の血の一部を呪詛へと変える呪文です。使った禍石はおそらくグール。闇にしか動けず日の光の下では埃となって消え失せます。サイファ様はだから日の光を恐れ、外に出られなかった。昼夜を問わず、外は光という暗示も入っていたのでしょう。呪詛は効力が消えそうになると自らそれを複製して、一定の数をサイファ様の中で保っていたんです。それだけだから必要とする魔力は極小で、長持ちしたんです」


「……この間の怪我で」

「血の多くが一気に入れ替わりました。呪詛は複製が間に合わないままにすべて消え失せたのでしょう」

 サイファも薄々察していたのだろう。だからアーシュラが血を採取したあの日、所在無げに外を見ていたのだ。彼を受け入れようとしている屋敷の外を。

「サイファ様も、出られるんだってもう知っていたんでしょう?」

 アーシュラの言葉をサイファは否定しなかった。

「……俺は」

 サイファは千々に迷う心を並べるかのように、短い言葉をつなぎ合わせた。

「怖いんだ」

 吐露はサイファの弱さそのものだった。


「この中で完結していることは不幸じゃないと言った。本当に不幸じゃないんだ。誰も俺の容姿にぶしつけな好奇心を注がない。バージェス家の過去についてとやかく言わない。怠惰さについて目をつぶってくれる……そんな生活をしていた人間がいきなり外に出て大丈夫なのかと」

 アーシュラは言葉を一端留めた。

 彼が語る言葉を、自分の言葉で邪魔したくないと言う想いだった。

「俺は外に出て大丈夫なのかと考えることが怖かった」

「そんなことわたしにだってわかりません。でも……」

 アーシュラは言葉をさがす。


「でもわたしも一緒に理不尽だと思うことには戦いますよ。わたしが一緒でも怖いですか?」

「アーシュラが?」

「天才グレッグ・ウィルクスランドの娘……でも三十年後には、グレッグは天才アーシュラ・ウィルクスランドの父として評価されると思います。そのくらいの魔術の天才がご一緒します」

 アーシュラの手にはもう彼を無理やり引っ張り出そうとする力はこめられていない。彼が自ら動くのを信じていた。

「そうか」

 サイファは呟いた。


「それは実に心強い」

 アーシュラの未来など未確定なもので、今の彼女はまだ学生の小娘にすぎないことなど、アーシュラよりもサイファ自身のほうがよくわかっていたはずだ。彼女には出来ないことの方が今は多いということも。

 彼はアーシュラの未来に期待したわけではない。

 ただひたすらに、サイファの黄金の目は現在のアーシュラを信じていた。

 そして彼はアーシュラと一緒に扉を開けて世界に出た。


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