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「で、これはなんだ?」

 アーシュラの反省はわりとすぐに生かされた。

 数日後、置きぬけのサイファを奇襲したのだった。

「食事です」

「……俺は今、起きたばかりなんだが……」

「わたしはサイファ様のお目覚めを待っていたので良い具合に空腹です」

「……しかし、これはまた重いな」

「半日ほど煮込ませていただきました!」

 その日、いつもどおり真夜中に目覚めたサイファをアーシュラは食事を持って訪れた。

 いきなり牛の肉のこってりとした煮込みである。


「なぜこれだ」

 まだ起きぬけのよく働いていない頭だが、煮込みの濃い匂いは容赦なくサイファの鼻にもぐりこんでくる。しっかりとした重みのある味わいの赤ワインとだったらさぞかし合うだろうと言う香りだ。

 サイファはもそもそとベッドから降りた。寝室の小さなテーブルにはすでに煮込みとパンが置かれていた。


「昨日なんですけど、何か食べるものは無いかしらとまた台所にいったんです。そうしたら棚にこんな大きな牛の塊肉をみつけたんです。多分使用人の方々が出て行ってしまう前のものだと思うのです。冷却呪文の効果がもう昨日くらいに切れていたっぽいんですね。これ以上放置しておくのはよろしくないかと思いました。出かけるというジュードにこれどうしたらいいでしょうかと聞いたら、好きにして良いといわれました!」

「……それで煮込みか」

「はい。それがですね、なんだかわたしの想像の上を行く出来のよさなんです。でもわたしの勘違いかもしれないのでサイファ様にも食べていただこうと!」


 アーシュラはテーブルにすでについている。無垢というか純真と言うか何も考えていないアホというか、ただ機嫌よくサイファを見つめている。その目で見られて文句もつけにくくなったのかサイファは寝巻き姿のままそこに座った。

 一枚の長いシャツ姿である。胸元のボタンは三つも開いてしっかりとした胸板が除いているがアーシュラはさっぱり頓着していない。


「さあいただきましょう!」

 起きて極めて間もない時間で、こっくりとした濃い茶色のソースに埋もれた牛肉をサイファは胃に叩き込むことになった。が。

「ほう」

 二口三口と口にして、サイファは感嘆の声をあげた。

「なんだ、旨いじゃないか。起きた早々、また歯が通らないような何かを食べさせられるのかと思ったが」

「でしょう!わたしもそう思ってました」

「そうか、出来が悪くても俺に食べさせる気満々だったわけだ」

 いつもどおりで安心した、とサイファはため息をついた。


「だってサイファ様しかいませんもの。ジュードは出かけてしまいました。サイファ様がいてくださって本当に嬉しいです」

「それは、立っているものは親でも使うとかそういう意味合いだよな」

 アーシュラの無礼さにも慣れたらしいサイファだが心なしか寂しそうだ。

「まあともかく、これは旨い」


「わたし、わかったんです。料理と言うものには『煮込めばそれなりになんとかなる』っていう種類のもがあることに。図書館に行っていろいろ読んで見ました。サイファ様はあまり食べていただく機会もありませんでしたが、わたしも時々簡単そうなものを作ってみていたんです。まあわたしが作るものなんてサイファ様が今まで召し上がっていたものに比べたら全然ダメでしたから、わたしだけで消費していたんですけど」


「なんで今日だけ?」

「出来がよかったから嬉しくて」

 アーシュラはいつも淡々としている彼女には珍しく花が咲いたような笑顔を見せた。

「それと、友人に言われたことが気になって」

「なんていわれたんだ?」

「わたしが痩せたと。まあもともと食べることに執着してなかったからしかるべき結果ですよね。でも体は資本ですし、ちゃんと食べようかなって思ったんです。で、それなら、わたしと似たような状況のサイファ様はどうなのかしらと思ったんです」

「俺?」


 笑顔から静かな真顔になったアーシュラをサイファは驚いた顔で見つめた。自分など、ただの部屋と資金の提供者くらいにしか思われていないと彼自身考えていたからだ。まあ財布扱いはされているので概ね間違ってはいない。

「サイファ様も体は大事にしてくださいね。そうそう、そういうことでわたし、使用人が見つかるまではなるべく野菜料理中心に考えますね」

「……健康のためか?」

「そうです。野菜を食べろとどの料理書も口をすっぱくして言ってました。サイファ様はわたし自身なんかよりよっぽど大事です」


 おそらくサイファも、寂しいのだ。

 アーシュラはがそこまで考え及んだかは知らないが心配されて嬉しくない人間はいない。サイファの言葉には期待ともいえる柔らか味があった。

「心配しているのか?」

 彼の優しさが十分に染み込んだ静かなまなざしはアーシュラにはじめて向けられるものだった。


「サイファ様はわたしの大事な資金源ですからね。自分より今大事です」

「資金源……」

「あ、金ヅル?」

「なお悪くなったな」

 まあ予想通りの返事だなと、なんだか逆にほっとしたような顔でサイファは食事を続けた。


「ところでサイファ様。この際なので実は伺いたいことがあるのです」

「なんだ」

「ジュードは最近とても忙しそうですが……」

 サイファの食事の面倒も見られないくらいだ。

 アーシュラとしては先日のジュードとカイルの口論のことやジュードの深夜の彷徨などが気になることだったのだがあまりサイファに心配をかけたくない。だからこんな当たり障りない聞き方になってしまった。


 そんなアーシュラの心情をサイファが知ったら首を傾げることだろう。少なくとも無礼と言う点ではアーシュラは初対面から突き抜けていた。いまさらなんで、と思うことだろう。だがなによりもアーシュラ自身、自分のそんなつじつまの合わなさにはまだ気がついていない。

 その矛盾の根底にある物はサイファに対する思いやりの萌芽なのだが、アーシュラ自身に自覚ない以上、サイファも気がつくはずも無い。


「まあそうだな。学生として論文書きつつ俺の仕事も手伝って今は屋敷の管理までやっているからな。早いところ屋敷を管理する人間は見つけたいが、なかなか信用できる人間というものはいないものだ」

「今日はどちらに?」

「え、いないのか?」

「昨日の晩からいらっしゃいませんよ?」

 サイファは首を傾げた。


「おかしいな。屋敷の使用人に関する契約の件で出かけたんだが、昨日のうちには帰っていると思ったが」

「屋敷の使用人?」

「ああ。さすがにそろそろジュード一人では立ち行かなくなってきた。人を雇う。ちょっと複雑な契約になるからジュードに行かせた」

 アーシュラは表情が曇るのを必死で止めようとしていた。

 契約ともなれば大金が動く。もしかしてそれを持ってジュードは……。


「それは……心配ですね」

「いやあ、ジュードは魔術師としての腕前は相当のものだ。心配はしていないよ」

 どうにもアーシュラの不安は通じていない。

「あの……とっても失礼なことを申し上げていると思うのですが、ジュードって……信頼できる方なのでしょうか」

「……何?」

 さすがにサイファの顔に疑問が浮かんだ。

「どういう意味だ」

「あの……時々怖いときがあって」

「あー」

 サイファはそこでにやりと笑った。


「怒鳴りつけられでもしたか。そんなの俺に対するあいつの無礼な態度を見ていれば、誰にだってそうだということはわかるだろ」

「でも」

「まあ、あいつも相当育ちは悪い。口も悪いし品もない。取り繕っているだけだ」

 驚くほどの罵倒である。アーシュラがぽかんとしていると、サイファはさらにダメ押しをしてきた。

「信用できるかどうかなんて俺にもわからんよ」


「じゃあなんで……」

「うーん。でも、面白い奴なのは間違いない。あいつが目指したいと考えている専門は治癒系だ。人体に関する呪文についてはかなり造詣が深い。あいつの父親は貧民街で怪我だの病気だの見ていたらしいんだ。でもどれほど能力が高くても禍石がなければできることには限りがあるし、禍石だって金がかかる。そのうち悩んだあいつの父親は酒に溺れて死んでしまった。でも彼の家には患者が途切れなかった」

 どういうことかわかるか、というまなざしでアーシュラをみるとサイファは一瞬だけ言葉を切った。静けさが驚くほど深い。


「ジュードがやれる限りのことを続けていたんだ。十歳にも満たなかったのに」

 十歳で治癒術を独学で学び、人を治療できるとこまで高めていたことをまず驚くべきか、それとも、父親の絶望を見ながらそれでも同様なことをはじめた彼の意思に驚くべきか、アーシュラは悩む。


「でもアーシュラのことは意識していたぞ。あいつも負けず嫌いだから」

「意識?」

「屋敷に来た日に、アーシュラが俺を助けただろう。得意分野であるはずの治癒呪文を使われたことが悔しかったようだ」

「だって、ジュードはその前に高位呪文を使っていて疲れていたんでしょう。普通だったらわたしは治癒呪文ではジュードに適わないと思います。わたし本当に治癒系の呪文については悲惨な有様で」

「俺もそう思うが、得意分野で後手に回るというのは悔しいものだ。アーシュラにそっけないのもそのあたりの葛藤があるんだろう」

 あいつも子どもっぽいところがあるんだろうとサイファは言うと最初の話題をもちだす。


「面白い人間はえして変わり者だ。それをみて俺は満足しているんだから裏切られたとしてもそれは自業自得というものだ」

「……そうですか。大変失礼なことを申し上げました」

「いや、あいつの育った場所は柄の悪い連中が首を揃えて待ち構えているような場所だ。どすの聞いた声で脅されれば貴族のお嬢様がびっくりするのも無理は無い」

 アーシュラとすれば、自分は普通の貴族のお嬢様とは違っているのだろうという気持ちがあったが、それでもたくましさでは平民に適わない甘ったれた子だということを言外に告げられたようでなんだか気落ちしてしまう。


「どうしたしょんぼりして」

 目ざとく見つけたサイファがにやにやしながら尋ねてきた。

「温室育ち扱いは嫌か」

 そして見事に図星を指す。

「嫌です。でも実際そうだから仕方ありません。何が嫌なのかを考えてみれば、単にそこにある甘えへの侮蔑を感じとれるかからでしょう。でもそもそも父が死ぬ直前まで家の窮状を知らなかったぐらいです。甘えているととられても止むを得ません」

「でもその後の決断はなかなか冴えていたぞ」

 サイファはしばらく何かを言おうかどうしようか逡巡しているようだった。しかし言うことを決めたらしい。


「アーシュラ・ウィルクスランド伯爵、お前には期待してるんだ」

「……サイファ様がわたしを褒めるなんて」

「お前が俺を褒める程度にはめずらしいだろ」

 サイファはにこりと笑ってスプーンを置いた。

「起き抜けにきつかったが、味はよかった。しかし『伯爵様』にこんなことをさせるわけにも行かないから早急に料理人は探す予定だ。こんな呪われた屋敷なのでなかなか成り手は無いがな。募集にも人が来ない」

「わたしは別に……」

 別に、食事を作るくらいかまわないとアーシュラは思った。

 勉強の時間が少し減ってしまうが、あくまでも少しである。煮込んでいる間は台所で教科書を開いていた。

 この閉鎖された場所でもサイファが少しでも楽しいとかそういったことを感じとってくれるならと。

 こんな気持ちになる相手は初めてだ。


「さあアーシュラ、俺は着替える。悪いが席を外してくれ。それとも俺の裸でも見たいか?」

 アーシュラをあしらおうとしたサイファだったが。

「あ、見るのは差し支えありません。男性女性問わず人間の身体構造を知ることは治癒系の呪文の成長の欠かせないと思うのです。どうか見せてください」

「からかった俺が悪かった!出て行ってくれ」

 なんだか恥ずかしがったサイファがアーシュラを部屋から追い出そうとしたときだった。

 突然中庭のほうからドンと言うあまり聞きなれない音が聞こえてきた。何か重いものが床に落ちたような音だ。


「……なんでしょう」

「まさかまた?」

「サイファ様、わたし自分の部屋から禍石をとってきます!」

 また侵入者なのかとアーシュラとサイファに緊張が走る。自分の攻撃手段をとりにいこうとしたアーシュラだが、そのためには今音がした中庭を通らなければならない。サイファはそれを制した。

「いいから一緒にいろ」

 サイファは部屋に置いてあった剣を手にした。もしも相手が禍石を使うのであれば勝負の行方は厳しいが。

 アーシュラの手をつかんで歩き始めたサイファは自室を出た。真っ暗な廊下には今日は明りは灯っていない。ジュードがいないからだ。


「これは」

 アーシュラが感づいたのはサイファと同時だ。

 ぼんやりと漂う人を落ち着かない気持ちにさせる匂い。

 血の匂いだ。

「アーシュラ持っていろ」

 サイファはアーシュラにランプを渡した。それをかざした瞬間アーシュラは息を飲みサイファは剣を鞘から抜き去った。

 暗い廊下の向こうの床に、うずくまっているのか倒れているのか、影が見えた。

「……あれ?」

 アーシュラはその明りを高く掲げた。そして息を飲む。


「あれは!」

「ジュード!?」

 サイファは走り出した。

 明りにぼんやりと浮かび上がったのはジュードだったのだ。床に倒れ付し、そしてその周りには血溜まりが広がり始めていた。


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