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「まあでも」

 アーシュラは翌朝自分の寝台の上で考えていた。

「わたしにおとなしくしていろ、というのは、馬に二足歩行を求めるようなものね」

 さりげにジュードを馬鹿扱いしてアーシュラは頷いた。

「やっぱり気になることは解決したいのよ」

 ジュードが聞いたら、あなたは一度痛い目にあったほうがよろしいのでは?と言われかねないことを思いながら、アーシュラは服を着替えた。


 まだ日は昇るか昇らないかという時刻である。暗い中アーシュラは眠れもしないまま、昨夜の出来事について考えていたのだった。

 この時刻なら、まだサイファは眠らず起きているはずだ。とりあえず彼に会ってみたいと考えたアーシュラは離れを出た。

 闇は今が一番深いようだった。

 ジュードが灯したろうそくや魔術による明かりは効果が切れて、ほとんどが消えている

 しかしアーシュラは以前ほど暗闇が怖くなかった。いや、怖いことは怖いのだが、それよりもサイファに会いたいという気持ちのほうが強い。


 変わり者で、引きこもりで、ぶっきらぼう。

 それでも根本的なところにあるサイファの優しさや知性というものにアーシュラは気がつき始めていた。

 それはアーシュラのほうの大きな変化でもあるのかもしれない。いままで他人にあまり興味も持たなかった彼女が出会った初めての気になる相手である。

 ただ、お互いに変わり者過ぎて、普通の分かりやすい恋の手順というものは踏めそうにないが。


 本館にたどりついたアーシュラはそろっと扉を開けた。

 あの剣幕のジュードが待ち構えていたら困ると考えたのだ。しかし廊下に姿はなかった。ジュードの部屋はサイファの部屋のさらに奥まったところだ。おそらくこのまま静かに行けば大丈夫だろう。

 アーシュラは廊下を静かに進む。しかしすぐのところで足を止めてしまった。そこは玄関先の広いエントランスだった。


 通路の陰にとっさに隠れながらアーシュラは人影を見つめた。

 こちらに背を向けて立っていたのはサイファだ。

 サイファは締め切られた玄関の扉の前で、立ち尽くしていた。その閉ざされた先を見つめるように。

 サイファ様、と声をかけることはできなかった。アーシュラは無言で彼の背中を見つめる。

 サイファが何を考えているのかを推し量ることなどアーシュラにはできない。しかしその思いつめたような孤独感はなぜか伝わってきた。


 そしてなんらかの焦燥。

 どうなさったんですか!なにかお悩みですか!どうぞどうぞお話くださいませ!と聞けるのがアーシュラのはずだった。でも今、アーシュラは言葉が出ない。そればかりか彼の前に出ることも気が引けた。

 サイファは傷ついている。

 それは兄達と叔父に憎まれたときからのものなのだろう。


「……俺にどうしろと」

 サイファは短い言葉を口にした。

 投げかけられた難問に答えあぐねているようなその言葉はアーシュラにとって疑問だった。いったい彼は何を悩んでいるのだろう。

 しかしいきなりこちらを振り返ったサイファと思い切り目が合ってしまった。サイファは今この一瞬まで身にまとっていた悩みや孤独感をあっさりしまいこんでしまう。

「なにをしているんだ?」

「あ、あの」

 アーシュラは言うことができない。何かに悩んでいる彼に、ジュードのことなど打ち明けることはできなかった。


 アーシュラが人を思いやるということは珍しい。しかもそれが打算さえ含まれているなどということは。アーシュラの打算……サイファに嫌われたくないと思ったのだった。

 サイファと仲がいいジュードの悪口など言えるわけがなかった。それこそがアーシュラにとってサイファが特別になりつつあるということであるが、まだアーシュラには気がつかない。恋に手馴れた男が相手なら、彼のほうが先に気が付いてしまいそうな拙いものだ。しかし幸運なことにサイファはあまり恋に詳しいタイプではなかった。


「腹でも減ったのか。俺の部屋に来れば菓子があるぞ」

「あ、はい!」

 いつも通りの会話だった。

「ついてこい」

 サイファは今まで呆然と玄関扉の向こうを見ていた自分をなかったかのように、さっさと書斎に向かって歩き始めてしまった。

 アーシュラも追おうとしたが、ふと足をとめた。

 アーシュラがここに来た日、サイファが怪我をして大出血をおこしたそのあとがまだ床に色濃く残っていたのだった。


 血の跡が黒ずんで月光に光っていた。

 アーシュラはふとそれに気になるものを感じた。魔術師としての勘を。

 サイファに気がつかれないようにさっとしゃがみこんで、持っていたハンカチで床を拭うと、ハンカチには淡く茶褐色の血がついた。それをまたしまいこんで、アーシュラはサイファの後を追った。



「なんだかおかしいのよ」

 オーガストの具合も大分よくなってきたので、アーシュラはビビアンをつれてお見舞いに行った。その帰りに彼女に先日の出来事を相談した。

 詳細を語るまではさすがにしなかったが、バージェス家の執事は現在一人で全ておこなっていることを差し引いても奇妙な行動が多いと。何かあの屋敷には秘密でもあるのではなかろうかということをなるべく穏やかに語った。

 他の人間なら到底話す気にはなれないが、ビビアンとは長い友人だ。彼女の口が堅いことはアーシュラは信じている。


「人のことを悪く言うのはとてもよくないことだと思うのよ。でも……ジュードはとても奇妙だわ」

 主に他人への無関心からではあるが、アーシュラがあまり人を悪く言わないことをよく知っているビビアンは驚いたのか目を見開いた。

「まあアーシュラがそんなことを言うなんて珍しい」

「……そうね、良くないわね。ごめんなさい、聞き流して」

「ううん」

 ビビアンは首を横に振った。

「非難しているわけじゃないの。ただ珍しいなと思って」

「何が?」

「アーシュラが他の誰かについて語るなんて」

 ふふっと短く笑った彼女は目を細めた。


「アーシュラは自分がいじめられていても気がつかない人だったから」

「そうかしら」

 それこそアーシュラには初耳だった。

「魔術学院に入ったばかりの頃、アーシュラにしつこくお父様のことばかり聞いてきた男子生徒がいたじゃない」

 それはもう三年も前の話である。一生懸命思い出そうとしたアーシュラだったが、なかなか引き出せない。難解な呪文は覚えていられるのに同級生のことは完全に忘れている。


「どうだったかしら……」

「『君はお父上の名前ほどは優秀じゃないんだな』とか」

「ああ、思い出した。でもいじめられていたのかしら。彼はただ自分の思ったことを言っただけだもの」

 アーシュラの返事にビビアンは頭を抱えるようにして額に手を載せると、深いため息をついた。

「やっぱり彼の失礼さには気がついていなかったのね……。彼はあなたが数少ない女子生徒である上、自分よりはるかに優秀だということにとても不快感を覚えていたのよ。私にしてみればそんなの自分の努力不足じゃないとしか思えないのだけど。ともかく彼はアーシュラに意識してひどい言葉を投げかけていたの」


「そうだったのね。それじゃ、言ってくれればわたしだって彼に何かできることがあってかもしれないのに。試験のヤマくらいはかけてあげられたわ」

「……それは余計に火に油……。まあいいわ、昔の話ですものね。そんなアーシュラが気にしているんだからもしかしたらそのジュードという家令を意識しているのかしらと思ったのよ」

「意識って」

 ビビアンは更に深いため息をついた。


「好きとかどうかってこと」

「好き……」

 アーシュラはジュードのことを考える。いや、好意を持つなんてことは絶対ない、別に気になってもいない。

「いいえ、そんなことはないわ。ジュードへ特別な気持ちなんて持っていない」

 ただ、彼は、サイファ様の家令だから……。

 アーシュラの心臓はどきんと跳ね上がった。


 必死にそれは覆い隠したが頭の中では今思いついたことにおついてめまぐるしく活動している。

 問題はジュードじゃない、サイファ様なのだ。サイファ様が心配だからジュードのことが気になる。

 ぼうっと頬が赤くなり、妙に心拍数があがる。なんだか急に叫びだしたいような気持ちだった。


「アーシュラ?」

 急に黙ったアーシュラにビビアンが尋ねた。

「なんでもないの。きっとそれはあの人が持つお金に対してだわ」

 ジュードが気になるのはサイファ様が心配だから、サイファ様を心配なのはサイファ様のお金はわたしのお財布になるかもしれないから。

 アーシュラはそんなふうに思いなおす。アーシュラもまだサイファへの無意識な自身の気持ちに気がついていないが、意識的には財布扱いしているのでひどいものである。


「何か言った?」

「いいえ」

「顔が赤いわ?」

「風邪かしら」

 アーシュラが自分で自分の額に手を当ててみるとビビアンは心配そうに眉をひそめた。

「アーシュラ、食べるものを食べている?なんだか心配だわ」

「大丈夫……でもないわね……」


 もともとアーシュラは食事の味についてはわりと無頓着だ。というより食事そのものに興味が薄い。魔術学に熱中すると食事そのものを忘れてしまうことがままある。今まではアーシュラが三食も抜いてしまえばオーガストが出てきてほぼ無理やり食卓につかせたが、今そこまで面倒を見てくれる人間はいない。

 バージェス邸の人間は二人だけだが、その二人もアーシュラ同様あまり食事がどうのこうのと言わない。あれば食べるし無ければ別にいいという状況だ。サイファにいたっては深夜に飲酒をかねて軽くつまんでいることも多いようで、アーシュラとは重ならない。ジュードがそれでも気を配ってくれているが、多忙を極める彼には限界がある。

 したがってアーシュラの食生活は極めて貧しいといえた。何より問題なのはアーシュラがそれはそれで別にいいと気にしていないことだろう。


「ねえアーシュラ、うちにこない?」

 ビビアンは言い出しにくいことだったらしく付し目がちに告げた。

「うちもおもてなしはできないけど、アーシュラの食事くらいなら」

「いいえ大丈夫よ、ビビアン」

 ビビアンの家も爵位があってもけして裕福ではないと知っているアーシュラは穏やかに固辞した。友人に迷惑をかけるわけにはいかない。

「別にサイファ様に意地悪されているわけじゃないの。ただわたしの自己管理の問題ね。気をつけるわ」

「気をつけてね」

 ビビアンの言葉にアーシュラは気まずさを感じながら頷いた。


 ……なぜならば、今アーシュラが食事に対する興味をなくしているのは『自分の作るものがマズイ』ということも大いに関係しているからだ。

 いやだわ、努力もしないでそんなこと考えるなんて。わたしもわたしに意地悪していた昔の同級生のことは笑えないわね。

 と。アーシュラにしては珍しくいたく反省したのだった。



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