12
「アーシュラ、その手はどうしたの?」
数日後、町の公園でビビアンと落ち合ったアーシュラはまだうっすらかさぶたが残る手の傷を驚かれた。
「なんでもないの。ちょっとつまずいただけ」
アーシュラと違っておっとりしたビビアンに先日の強盗の話をするわけにもいかず、アーシュラはそうごまかした。
「まあそう。アーシュラはときどきうっかりしていたり無茶をするから気をつけてね。そういえば川に身元不明の死体が二つも上がったんですって。そんなぶっそうなこともあるのだから、事件に巻き込まれないようにしてね」
アーシュラを妹のように心配してビビアンは言った。
アーシュラにとっても久しぶりの外出だ、外に遊びに行くにもお金がかかる。自由になるお金があまりないため外出を控えているのが現状だ。しかし閉じこもりばかりでも気持ちが滅入ってしまう。今日はオーガストの見舞いの帰りだった。
ビビアンと落ち合った二人は近くの店に行くと温かい飲み物を買ってベンチに座った。気がついたそぶりさえなかったが、アーシュラがお金のないことを察して付き合ってくれるビビアンだ。
「それで新学期からは無事学校にこられそう?」
「ええ、なんとか。将来のことはまだちょっと未定だけど」
「でも当面は安心なのね、よかった」
ビビアンは自分のことのようにふっとため息を漏らすと穏やかにそういった。
「ビビアンには心配をかけたわ」
「そんなことは大丈夫。それよりもバージェス侯爵はどんな方?」
ビビアンはアーシュラの後見人になろうとしている彼を気にかけているのか、眉をひそめていった。確かに「引き篭もりの侯爵」などという二つ名は不安の種でしかないだろう。
「ええ、いい方よ」
アーシュラは言い切った。
「ねえ、私も今まで知らなかったのだけど、侯爵様は魔力がないって本当?」
「あら、ビビアンも聞いたことがなかったの?わたしも知らなくて、物知らずだと笑われてしまったから、みんな知っていることだと思ったの」
「知る人ぞ知るというところみたいよ。侯爵様は屋敷から出られないという点が有名でしょう。だから知っている人はいても、結局侯爵様は見かけないから他の噂というものはなかなかする機会がないようなの」
「そうね」
同意したことでアーシュラははたと気がついた。
サイファは屋敷からでられない、それは確かに不運なことである。しかしだからこそ噂の波にもまれずにいられるのだということに。
彼は月瞳族の特徴が濃い容姿をもち、そして魔術が使えないという稀有な存在だ。社交会では格好の噂の的だろう。ただそれは、なかなか彼が話題になる機会がないため広がらない。
別に不幸ではない、そういったサイファの言葉はこの辺りの事情もよくよく含めてのものだったのであろうと気がついた。
「でも貴族なのに魔術が使えないなんて気の毒ね」
「そうね。でも得意不得意は誰にだってあるわ。わたしは魔術が得意だけど、料理は全然よ」
「大丈夫よ、アーシュラならきっと料理なんてしなくたって大丈夫な人生だわ」
ビビアンの言葉はなぜかどこかで聞いたことがあるように思えた。誰に言われたことだろうとアーシュラが思い返しているうちに次の言葉を彼女は口にした。
「バージェス侯爵とはうまくいっているのね」
「ええ。とても親切なの」
「アーシュラは基本的にはいつもそうね」
「そんなことないわ」
呆れたようにいうビビアンにアーシュラは迷いながらも言葉を続けた。
「わたしだって、ウィルクスランド家の財産をあてにして、お父様がまだ亡くなっていないうちから遺産がどうのこうのといってきた連中には腹を立てているんです。ああ、債権者の方々には別に腹を立てていません。借りたお金を返すのは当然のことですから」
「お父様のことはもういいの?」
「お父様が何を考えていたのかはわからないの。この先もわからないかもしれないけど……でも仕方ないかなと……サイファ様と話していると、親がどうであれ自分は自分だって考えられるようになってきたの」
「じゃあ侯爵様はアーシュラにとってはとても良い影響を与えたのね」
「かもしれない」
「でも」
そこでビビアンは口ごもった。
「なあに、ビビアン」
「でも、バージェス侯爵様はどうしてアーシュラをよびつけたのかしらと思って」
「それは、わたしを支援してくださるお心積もりで」
「それならそうと最初に言ってくださればよかったのに。もしかしたらもっと他の考えがあったんじゃないかしら」
「他の考え?」
ビビアンはアーシュラをじっと見つめていた。鋭さはない視線だがなぜか不安にさせられる。
「でもサイファ様はお父様の友人だと」
「それはお父様がおっしゃったことじゃないわよね」
ビビアンはアーシュラを案じすぎて神経質になりすぎているのではないだろうか、そういいかけたアーシュラはしかしそうともはっきり言い切れない自分に気がついた。出て行った使用人、一人残った秘書の妙な行動、深夜の強盗、そして呪われた侯爵。あの家に起きることはあまりにも多彩で風変わりだ。彼ははたしてアーシュラの常識と等しい常識を持ち合わせているのだろうか。
気づまりな沈黙に慌ててビビアンが話を変えてもアーシュラの中でそのわだかまりは残り続けた。
それはビビアンと別れ、一人屋敷に向かっても変わらなかった。
町の中を一人歩きながら、アーシュラはサイファの真意というものを考え続けていた。彼が何かを企んでいるとして……。しかし目的はさっぱりわからない。まずアーシュラが関わる余地がない。どう考えても自分がいないほうが、目的を順調に果たせそうである。
と、気になるものを見た。一瞬それがなんだかわからなかったが徐々に頭の中で、明確になる。なっても信じがたかったが。
細い路地に入っていった人物が二人。
一人はカイル。
もう一人は……ジュードだった。
考えられない組み合わせに一瞬脳が情報を整理し切れなかったようだ。
「どうしてあの二人が?」
アーシュラはためらわずに駆け出した。路地の入り口にたどり着くとその中をそろりと覗き込んだ。
昼なお暗い路地の向こうで二人の青年は向かい合っていた。ジュードの冷ややかさに温厚なカイルは気おされているようだった。
「どうして彼女をつけているんです?」
ぞっとするような声でジュードは言い放った。カイルはうつむき加減に答える。
「どうって……別につけてなど」
「ウィルクスランド邸前で別れたのに、今までずっと彼女をつけていましたね」
「そういう君こそ、同じじゃないか」
指摘したカイルをジュードは鼻で笑った。
「私には理由がある。主人には尽くさないといけないですから」
「ぼ、僕はただ、彼女が無事に屋敷まで戻れるかが心配で。オーガストも襲われたし」
「くどくどと……」
カイルの言葉に、ジュードは一歩踏み出し、彼の胸倉をつかんだ。
「いいか、ウィルクスランド伯爵はこちらの手の内です」
アーシュラの場所からでもジュードの鋭い眼光はわかった。
「あまり私を甘く見ると痛い目に会いますよ。いいか、今後彼女には近づくな。私の背後にはバージェス侯爵がある」
「アーシュラに何をする気だ!」
ジュードは薄く笑った。
「もてなすだけです。主の客に対し私が成すべきことはそれだけですよ」
その言葉はとても素直に受け取れる響きではなかった。
アーシュラは今まで思いもしなかったことに気がつく。
ビビアンはサイファの思惑を心配していた。確かにバージェス邸は奇妙なことが多すぎる。しかし……もしかして用心すべきはサイファではないのかもしれない。ジュードは主人のためと称して何をするかわからない。今もカイルを脅している。
アーシュラは声をかけるべきかどうかを逡巡する。しかし、そのまま乱暴にカイルを突き飛ばすとジュードは足早にその場を立ち去ってしまった。うなだれたようすのカイルに声をかけることもはばかられる。アーシュラが困惑している間に、カイルものろのろと重い足取りで別の方向に歩いていった。
ビビアンと会った日に目撃してしまった出来事はアーシュラを悩ませた。
サイファのことはさておき、アーシュラはその日からジュードの行動が気になってならない。もしかしたら目的にアーシュラのことは含まれていないかもしれないが、彼がなにかを企んでいるという線は濃厚だ。
深夜、アーシュラはベッドから身を起こした。月の淡い明かりの中、部屋のテーブルから禍石をとり、小さな明りを灯した。そしてガウンを羽織るとアーシュラは静まり返っている屋敷に足を踏み入れた。
行こうとしているのは先日ジュードが妙に執着していた場所である。広い庭園の一角で彼はその地面を注視していた。あそこにはなにかあるのではなかろうか。
正直不気味である。
アーシュラが間借りしている離れには、ジュードが惜しげもなく明りを灯し香を焚き、花まで飾ってくれている。飲食をここですることもあって、どこかしら生活の匂いが漂っている。しかしサイファの暮らす本館のほうにはあまりにも気配が薄かった。もちろんジュードは離れにしているようなことは屋敷にも施しているのだがあまりにも広く天井も高いそちら側ではジュードの努力も密度が薄くなってしまっていた。
人が生活している場所は実質サイファの執務室くらいである。外も深夜の星明りであったが屋敷の中のほうがよほど不気味だった。
「大丈夫、幽霊なんてでないわ」
アーシュラは一言呟くと、小さな物音一つしない廊下を歩き始めた。このまま単純にまっすぐ進めば左右対称の構造になっているこの屋敷の右翼に出る。そちらで中庭に面した入り口から出て行けば、昨日ジュードがいた場所にはもうすぐだ。
長い廊下の先は暗闇で、アーシュラのろうそくは手元しか照らしていない。薄ぼんやりとした向こうの暗がりが、突然人の姿をとったらどうしようと怯えながら、なんとか一歩ずつ進んでいた。
サイファの執務室の前を通った時は、もうここに入り込んで、こぼれる明りの様子から今も仕事中のサイファのところによってそれで話を終わらせてしまおうかと思った。それでもわからないことをそのままにしておく自分もまた気分の悪いもので、アーシュラはなるべくきょろきょろしないようにして進んだ。
角を曲がり右翼の廊下にある出口にたどり着いた時にはほっとして思わず長いため息をついてしまった。星明りがこれほど心強く感じられたのは初めてだ。
庭園にでると、爽やかな風が頬に触れる。アーシュラは庭園に走る小川や小池の向こうに見える自分の離れを見た。あそこから見えたということは、と予想してジュードが先日いた場所の見当をつける。
それは水辺から離れた潅木の小さな集まりだった。芝生の上を歩いてそちらに向かう。
「でも気持ちのいい場所だわ」
アーシュラはもうすでに売却してしまったウィルクスランド家の別荘を思い出した。そこは都から離れた小さな町にあって、屋敷こそ小ぢんまりとしていたが広い敷地を所有していた。馬のほかに牛や羊達も居たのだった。
両親と一緒に敷地内でピクニックをしたことを思い出す。
ありがとう、と父親が母親に言っていた。それを聞いた母親がとても嬉しそうにしていたのだった。しかし何についての感謝の言葉だったのか思い出せない。
高低あわせてすばらしい景観を持っている十本ほどの潅木の前にたどり着いた。ジュードは茂みの間に確か立っていた。
「このあたりかしら」
アーシュラは潅木の間に入り込んだ。低い木にちょうどこの季節の白い花がついている。アーシュラの服が当たって、花はちらちらと落ちた。その動きを見送ったアーシュラはふと地面の色が違う場所を見つけた。明りを近づけて確認する。目立たないが広範囲にわたって堀り起こされたような形跡があった。
「なにかしら」
しゃがみこんで地面に触れてみれば土は柔らかい。この辺りが掘りこされたのは最近のようだった。
アーシュラは試しに手で土を掘り起こしてみた。すぐに爪に土が入って痛みを覚える。こまったわと呟いた後、アーシュラは自分のポケットに無造作にはいっている禍石から一つをつまみ出した。
「『ドワーフ、ラディニア。地の下の賢者、暗がりの羊飼いよ、暴露を許したまえ』」
アーシュラは呪文を唱えた。禍石が淡く光りはじめると、その光が当たった場所の土がもこもこと動き始めた。それは次第に盛り上がり形を作っていく。やがてそれは土人形の形を成し、ごそごとを動き始めた。それは自ら周囲を掘り返しにかかる。アーシュラはしゃがみこんだままその風景を眺めていた。
と、彼らの動きが急に何かに当たったかのように止まった。すぐに作業を再開しようとしたがアーシュラは一端停止させる。
「……なにかしら」
埋められたものが彼らの作業の妨げになったようだった。地面から少し顔をだしたその部分をアーシュラは覗き込む。そして息を飲んで飛びのいた。
白くてなにか短く細いものだと思ったが、
「指?」
それは握られた手のように見えた。よくみればそれは手首、そして腕がついていて……その先に何があるのかを予想した時アーシュラは息を飲んだ。
「アーシュラ様」
急に声をかけられてアーシュラは本気で飛び上がった。その目の前でアーシュラの呪文が停止させられた。土人形が一瞬で崩れる。
そのまま腕をつかまれる。
「ご無礼申し訳ありません」
そう言ったのはジュードだった。彼もまた小さな明りを灯していた。
「しかし、深夜にこのように屋敷内を無断でさ迷われますと、私共の管理の問題になりかねません。申し訳ありませんがお控え頂けますでしょうか」
「ジュード!」
アーシュラは振り返り、彼をにらみつけた。まったく怯むことはなくジュードはアーシュラを見つめら。
「わたし、なにか凄いものを見てしまった気が……」
「さあ」
彼の反応は冷淡だった。アーシュラは苛立ちを感じる。足元が気になってならないのだ。
「ジュード、わたしね、あそこに人が埋まっているんじゃないかと思うのだけど!」
「何か悪い夢でもごらんになられましたか?」
「夢じゃないのよ。見てください」
ジュードは付き合い程度、とばかりにそちらに視線を投げつける、しかし反応もなにもなかった。
「私にはなにも見えません」
「そんな。ねえ、ちゃんと見て」
再びそちらに行こうとしたアーシュラの腕をジュードは強く引いた。
「いい加減にしろ」
低く怒りのこめられた声だった。
「こちらの事情に首を突っ込むな」
「……ジュード……?」
「客人は客人らしくしていろ」
これまでのひんやりとしてはいるものの、節度を保っていた言葉が聞いたことのないような乱暴なものに変わる。しかしアーシュラも自分の好奇心には忠実だ。
「だって……本当に死体だったら……。ああもしかしたら生きているのかもしれないけど、多分死んでいるわ。だって人は土の中では生きられないですものね、だとしたら、敷地内に死体が埋まっているのはあまりよくないと思うわ。ちゃんと掘り返したほうがいいんじゃないかしら。サイファ様にわたしご報告します?」
「余計なことをしないで頂きたい」
ジュードはアーシュラの言葉を途中で切るような激しさで言った。
「あれは、あなたが見るものではない」
言葉こそ冷静なものに戻ったが、手首の締め付けは強さを増した。
「ジュード、痛いわ」
「いいですか」
口調は丁寧だがさすがのアーシュラにも有無を言わせないものがあった。
「この件に関しては、私がすべて必要なことを行います。あなたは何もしないで頂きたい」
「でも」
「貴女はこの屋敷へなんのためにいらっしゃったのですか?」
ジュードのまなざしは酷くつめたい。まるで侮蔑のようだ。
「サイファ様によけいなことを言わないでいただきたい。あなたにはそんな権利はないはずだ」
「……そ、そうだけど」
権利、を持ち出されれば現状無為徒食居候のアーシュラは返す言葉がない。
アーシュラの勢いが弱くなった隙をみて、ジュードは彼女手を強く引いて歩き出す。芝生の上を足早に屋敷に向かった。
「とにかく」
ジュードは鋭くにらみつけた。夜の光の中だというのに焼け付く眼光が見えるようだ。
「おとなしくしていてください。あれは女子供の見るものではありません」
そして彼は離れに向かう回廊にアーシュラを放り込んだ。




