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「俺の客人は貧乏人が多いからな。血の気の多い奴も。けんかを売ったとか買ったとか巻き込まれたとか、そんな連中も多い。それに食うや食わずで体を壊したりする奴も。ジュードの魔術で治せるが、かすり傷程度なら魔術を使うのはもったいない。俺が適当にやる」
「適当は適切に、という意味ですよね」
テキトーでは怖すぎると思いながらアーシュラは続けた。
「でもどうしてそんな方々とご友人なのですか」
「連中は金持ちや貴族じゃない奴らばかりだからな。しかも自分のやりたいことに邁進しているからさらに金がない」
「どういうことですか?」
アーシュラは自分の傷のことも忘れて横のサイファの顔を見上げた。サイファはしまった口を滑らせた、という顔をしていたが。やがて壁にかかる一枚の絵を示した。それは歴史から題材をとったと思われる油絵だった。赤い髪と黒い目の建国王が、暗い背景の中剣を下げて立っている。しかし背後の一点には黄金の夜明けの光の差込が見える。そんな希望を感じさせる絵だった。人間の顔の書き方に独特のくせがあり、最近一気に名が売れてきた画家の絵と言うことはアーシュラも知っていた。
「最近有名になりつつある方ではありませんか」
「そうだ。あいつとの付き合いは五年になる」
「五年?」
「流されるままに侯爵となった頃からの付き合いだ。あいつもその頃は信じられないくらい貧乏な画家の卵だった。あれはなんだったかな……。誰かからかなり面白い絵を描くが売れていないという話を聞いて屋敷に呼んだんだ。一目見てこれはいつか評価されると思ったから少し援助をしていた」
「そのお陰で彼が画家活動を諦めずにすんだのですね」
「そういう連中と言うのが、なんとなく紹介しあって、うちにやってくるようになった。この間の深夜の客もそういう連中だ。俺もまたなぜか、これは実になりそうだとか、こいつはだめだなというのがなんとなくわかるんだ」
「先見の明というか人を見る目があるんですね」
「どうだろう」
サイファは苦笑した。
「俺自身に才がないせいかもしれない。人がうらやましくてたまらないのだろう。だからわかるのかもしれないな」
「サイファ様」
「冗談だ」
彼の言葉が冗談ではないことはさすがのアーシュラにもわかる。彼はこれほど高い爵位を持ち、確かな剣の腕と屋敷を回す財産管理の確かさを得ている。でも魔術が使えないということは彼にとって、屋敷に閉じ込められている現実以上に劣等感を抱かせるものなのだろう。
「……でもサイファ様は優しいです」
「なんだ?」
「わたしにもそうですが、才ある者にはできるかぎりの協力をしようとしてくださいます。普通は貴族で資産があってもそれを目減りさせてまで助けようとは思いません。だって将来ちゃんと形になって貸しが返ってくるとは限りませんから。どうしてそんなに親切なのですか?」
アーシュラの問にサイファは最初黙っていた。黙っていたらやり過ごせるだろうかとでも思ったかのように。
しかし続いた沈黙の果て、彼は一つため息をついてからアーシュラを見た。
「おかしいとは思わないか?」
サイファはいつもどおりの軽い口調だ。そして表情は感情を見せない薄笑いでそこからは何かを感じとることはできない。彼の感情の抑制は極められていた。
しかし、それでもいつもと違う彼がまとう熱さはアーシュラをじわりとあぶるようだった。よく観察すれば声にある情熱に、瞳にある強い意思に気がついたかもしれない。
「どうして、貴族というだけで、これほどに優遇される?」
「それは……『かつて魔術に秀でた者達が建国した』から?」
アーシュラの答えはこの国の歴史書にも記されているものだ。小国が小競り合いを繰り返している時代に、それらをまとめ一つの国とした王、そしてその側近の七人の魔術師。建国の功を湛えられて彼らは貴族となった。そして子々孫々にいたるまで王に仕え国を栄えさせることを誓った。
「そうだ『かつて』な」
サイファはその一言をみっともない子ねずみのように摘み上げ、そして放り出すように次の言葉を放った。
「魔力のない人間が生まれる可能性は貴族にも当然ありうる、まあ俺だ。そして庶民に高位の魔術師が生まれる可能性だってある。それなのに、庶民は十分な魔術への教育を受けられるとは限らない。これはおかしいことだと思わないか?魔力に限らず、さまざまな才能を持つ庶民がいるはずなのに、十分な教育を受けられず、また地位を与えられる機会も貴族に比べて圧倒的に少ない。これは長期的な視点に立てば間違いなく国家の損失だ」
「だからサイファ様はジュードのような庶民を重用するのですか?」
「そうだ。でも貴族だからあえてそれらを排除するというのもおかしい。君は誰と比べても優秀だった。だから俺は君を支援すべきだと思ったんだ」
アーシュラはサイファの異国の特徴を強く残す顔立ちを見つめた。
サイファの冷静な判断は、この貴族社会にはとても珍しいものである。でも彼は正しいと信じてその思いを行動に移している。
わたしはおそらく人より魔術の才は豊かだ。でもそれは目的をもってこそ意味があることなのかもしれないわ。
アーシュラは初めて自分の才能の意味を考えた。
そのことを気がつかせたサイファに対して他の人間には抱かぬ気持ちの種子が綻んだが、それが芽を出す前にサイファは次の会話をはじめてしまった。
「俺は変わるものがみたいのかもしれない」
「変わるものですか?」
「一つの町から一人の貴族以外の人間が、その能力を十分発揮できる立場につく……最初は大変だろう、貴族から仇のように見られるかもしれない。でも一人が二人、二人が四人、そうやって徐々に増えていけば世間は変わる。いつか加速度がついて世の中は変わっていくのではないかと思う。俺はここで変われないが、だからこそ変わるものを見たいんだ」
そしてサイファはアーシュラを見つめた。
「これに対してお前がどう思うかは俺の興味の及ぶところではない。ただ、これが俺の願いだ」
「どうしてサイファ様が……『バージェス侯爵』様がそう思ったのかはとても気になります。侯爵様にとっては変わらない世の中のほうが生きやすいのではありませんか?」
「俺には魔力がない」
サイファは真顔であった。だが続く言葉は悲劇に酔うものではない。
「いいか、本当に歴史に準拠するなら、魔力の無い俺が当主だなんてことはありえない。だがそれがありえていることが問題なんだよ」
「サイファ様」
「貴族がいたっていい。だが既得権益を守るばかりとなって、その影で不利益をこうむっている有能な人間がいるのなら、それはおかしいことだと思うんだ」
「上に立つものは貴族しかいないって思っている貴族は多いです」
「おまえもそう思うのか?」
サイファは静かに問う。しかしそれはもうアーシュラの答えを知っていた。
「いいえ」
「いずれ皆もそう思う。禍石の魔力を効率よく使う呪文もどんどん見つかっている。魔術は一部の特権階級のものではなくなるだろう。それは俺がどうするかに関わらない自然な流れだ。俺は……そうだな、それを少し早めたいだけかもしれないな」
「サイファ様は自分が不利益をこうむってもいいんですか?」
「魔術が一般的なものになれば、俺もそれほど損はしないだろう」
そういったサイファには嘘を感じだ。
禍石からは魔力を引き出せる。それは魔力の根幹だ。今まではその種類が限られていた。たとえば水の精霊ウンディーネの禍石からは水にまつわる魔術しか引き出せない。力のあった巨人族の禍石からは爆発力のある魔術が引き出せるが、治癒系には力を及ぼせない。そういった方向性だ。しかし今や、方向性を問わず魔力のみを純粋に抽出し、自由に方向性を定めることが可能になりつつある。ウンディーネやオーガの魔力で夜の街をすべて照らす光を取り出すことができるようになるのだ。そうなれば爆発的に魔力の使用量は増加し、汎用化が始まる。
それらを手にしたとき、今の明確な身分差に疑問を感じるものも増えるのだろう。サイファはそれを望んでいる。
「どうしてサイファ様はそんな風に考えるのですか?」
「人と違うことをか?」
サイファはしばらく考えていた。それは答えるかどうかを考えていたのではなく、心に沿う言葉を捜す時間だったようだ。
「そうだなあ……」
やがて答えは出てきた。
「結局のところ、自分がズルをしてこの場にいるような気がしているからだな。俺は魔力も無いまま侯爵なんておかしいと思っている」
「……それじゃあサイファ様は普通ですね」
「え?」
「本当に自由なら、魔術を操る平民も当然ですが、逆に魔力がない貴族がいたっていいと思います。魔道が一般的なものになれば、魔力よりも大事なのは領地や資産を管理して運用する能力じゃありませんか?わたし、サイファ様はきっとそういったことはとてもきちんとしていらっしゃると思います。魔力が無ければ貴族じゃないなんて思い悩むのも、縛られているんじゃないですか?」
サイファはアーシュラの言葉をしばらく考えていた。
そして彼はふっと笑った。いつもの薄笑いではない、それはどこか安堵の気持ちを保っていた。
「かもしれないな。魔力が満ち渡れば、逆に魔力の有無などそれほど問題じゃないのか」
「と思います」
「なるほどなあ、グレッグの娘はさすがに面白いことを言う」
「……お父様ともこんな会話を?」
「ああ。グレッグは魔力汎用化についてもずいぶん研究していた」
「そうですか……サイファ様は父とは親しかったのですね」
「そうだな。俺の都合に合わせて深夜を選んで彼はよく来てくれた」
父親は、サイファにはそのように時間を割いてくれた。でも自分にはそうしなかった。アーシュラにはその寂しさがじわりと滲む。心だけに留めたつもりだったが思わず表情に出てしまったらしい。
「……あまりグレッグは家には帰らなかったようだな。な、なあ俺のところに来たのは俺が彼に少しばかり協力していたからだぞ。彼は別にお前をないがしろにしていたわけじゃ……ないと思うが……まあ父親らしくないというか」
なんとかアーシュラを励まし、グレッグの名誉を取り戻したいと思ったようだが、彼もグレッグの研究馬鹿っぷりについては聞き及び、そして実際見ている。サイファはグレッグをアーシュラにとっての立派な父親であるとは口が裂けても言えない。
「……それでも彼はきっとアーシュラを大事にしていた。でもその気持ちを届けるのがうまいとは言えなかったのが彼の欠点だ」
これがグレッグの性格を知るサイファにできる精一杯だろう。
「でもアーシュラはとてもまっとうに育ったと思うんだ。俺がこんなだろう、それに比べたらアーシュラはだらけもせず、悪い道に走りもせず立派だ」
「悪いことくらいわたしも考えました」
「へえ?」
「でも人と話すのが苦手なので、悪い仲間とお知り合いになるのは面倒でしたし、お酒も飲んだら一口でひっくり返ってしまいました。だからできた悪いことなんてちょっとです」
サイファはその話を聞いて笑った。青年として相応しい明るい声だった。
「器用な娘じゃないな。でもそれがいい」
「あら、褒めてくださったんですか?」
「俺はいつだってアーシュラを褒めているよ」
「だって、最初にあったときに不細工といいました」
サイファが目を見開いた。
「そんなこと言ってない。ああ、もしかしてグレッグに似ているといったことか?」
「わたしだって母の美貌を受け継ぎたかったです。あまりはっきり言われれば傷つきます」
「アーシュラはとても可愛いと思うがなあ」
サイファははっきりと、照れもしないで言った。
「俺はグレッグを尊敬している。だから彼に似ているというのは俺が嬉しくて言った褒め言葉なんだけどな。母親の顔を知らないから似ているのかどうかは知らないが、アーシュラは可愛いと思うぞ」
「だって髪の毛が……」
「いいじゃないか。ふわふわだ」
サイファはひょいと手を伸ばした。そのまあアーシュラの激しく膨らむ不恰好な髪に指を入れくしゃくしゃとかき回す。
「グレッグもいつも研究に行き詰るとこんなふうにかき回していた」
「ちょ」
サイファがどんな気持ちかはわからない。しかしあまり人に慣れていないアーシュラには衝撃的だった。ぴょんと飛び上がって、そのまま後方に一歩ひく。
「アーシュラ?」
「あ、あのっ、すみません、ちょっとびっくりしちゃって」
顔が赤くなるのがわかるが、それほどに動揺するのは初めてだ。しかしその対象のサイファもアーシュラの動揺にぎょっとしたようだった。二人して困惑を顔に出してしまいそれがまたためらいに繋がる。
「アーシュラ」
おそらく彼も次に発するべき言葉を用意していなかったのであろう、サイファの声は途中で途切れる。このままであれば次の瞬間には気まずさが湧き出す。だがなぜかアーシュラは、相手がサイファであれば気まずさすら愛しいような気がした。
しかしその時に見回りを終えたジュードが戻ってきたのだった。ジュードは室内の妙な空気に気がついたのか気がつかなかったのか、ただいつもどおりの表情で異常がなかったことを告げる。
いつもなら、彼がきて相手に踏み込んだ会話が終わることは人付き合いの苦手なアーシュラにとってありがたいことなのだが、なぜか今日はジュードが戻ってきたことをなんとなく残念に思ったのだった。




