10
アーシュラはドレスをたくし上げた。そのままくるりと方向を変える。
不審者であれば話は早い。殺意まで感じるので実にわかりやすい相手達だ、逃げろ!である。アーシュラとしてはなぜ禍石を部屋に置きっぱなしにしてしまったのかと反省するところだ。
アーシュラが逃げ出したのを見て、その影はいっそう足を速めた。しかし暗がりのなかアーシュラは足を滑らせてしまった。渡ってきた回廊が雨に濡れていたせいかもしれない。そのまま廊下をすべる。
起き上がって顔を上げた時には、その怪しい人影は目前だった。フードと覆面で覆っていて顔が見えない。見えるのは殺意だけだ。しかも一人ではなく二人に増えていた。
「アーシュラ!」
暗がりにも鋭く輝くその切っ先が振り下ろされようとした瞬間、相手に向かって体当たりをしてきたのはサイファだった。そのままアーシュラを抱きかかえ、床に転がる。アーシュラがすぐに立ち上がれずもたもたと裾を手繰っている時には、すでにサイファは立ち上がっていた。体当たりからの動作はすべて一連で流れるような滑らかさだ。それだけで、彼の身体能力の高さが伺える。
十分距離をとったサイファは手にした剣の鞘を投げ捨てた。
普段のあの自堕落な姿からはとても剣など似合うようには思えなかったが、鋭く光る剣は彼の手の中でしっくりと収まっていた。
「サイファ様、危ないですよ」
「大丈夫だ」
「いけません!ほら……えーと、年寄りの冷や水っていうじゃないですか」
「お前は俺を何歳だと思っているんだ」
サイファはアーシュラをあしらうと、目の前の二人をにらみつけた。
「なるほど、お前らが、ここ最近の『バージェス屋敷の怪異』の正体か。今ジュードがもう一人と戦っているが。三人という数はあれか?」
サイファの目には珍しく怒りがあった。彼が普段、いい加減な様子に隠して本心をあまり見せないのはアーシュラも理解できてきたことだった。だからこそいっそう驚く。彼の屋敷に来るさまざま客人にはこんな表情はけして見せないだろう。仮に無礼な言動をしたとしても、ここに招かれた時点で、サイファが認めた人間だ。
この侵入者は、彼が招かなかった久しぶりの来訪者と言うことか。だから彼は礼儀をただす必要がない。
そして怒りの理由は。
「二人の兄と叔父を模しているのか?」
サイファは静かな声で言った。
「邪魔な使用人たちを怯えさせて追い払って……人気のないこの屋敷でしているのは探しものか?」
その瞬間二人の侵入者は一気にサイファに襲い掛かってきた。アーシュラは息を飲んで身を小さくする。禍石がなければアーシュラにできることなどない。ただの非力な娘だ。
サイファは一人目の剣を難なく横に払った。まるで決められた動作のようにスムーズだ。そのまま相手の開いたわき腹に柄を叩きつけた。深い打撲に相手は濁ったうめき声を上げる。しかしそのときにはサイファはすでにもう一人のほうを見ていた。
もう一人が踏み出しながら下ろした剣をサイファは自分の剣で受け止める。動作には軽やかさがあったというのに、ぶつかり合った刃は重い音を立てた。そこに剣そのものの重量を感じてアーシュラはサイファの力量を知った。
二度、三度、お互いに打ち付けあった後一瞬二人は引くも、また激しい斬り合いに踏み出した。サイファの技量も確かだが、この侵入者もまたかなりの腕前だ。
アーシュラはしゃがみこんだまま手を握り締める。集中を削ぐことが怖く、声をかけることもできない。
激しい打ち合いを見つめていたアーシュラだがある瞬間ふっとなにかがよぎった。
「サイファ様、下です!」
とっさの言葉にサイファは反応した。剣を下に向けた瞬間、相手の剣を受け止めることになる。用意していた力で思い切り振り払うと相手の剣がついに手から離れて飛び、そのまま床に浮き刺さった。
しびれる手を押さえて侵入者がサイファを見た。その目になぜか余裕が浮かんだのをみてアーシュラは気がついた。
たくし上げたドレスから足も露わに立ち上がると、それに体当たりする。
最初にサイファから一撃もらって今まで呻いていた相手が、いつの間にか回復して立ち上がりサイファに襲い掛かろうとしていたところだった。飛びかかったアーシュラは相手の腰に両手を回した。いくらやせぎすとはいえ人間一人がぶつかったことで重心を崩し、相手も押し倒される。手から放り出された剣が床板を削りながら滑っていった。
「アーシュラ!」
サイファが怒鳴り数歩で近づくとアーシュラの襟首を引っつかんで引き剥がし、そのまま倒れた相手の腹を蹴飛ばした。
「サイファ様!」
廊下の向こうでジュードの声がした。ばたばたと走ってくる彼の剣には血がついていた。アーシュラは数に含めないとはいえ、三対二という分の悪さを悟ったのか、侵入者達は態勢を立て直す。
そのまま二人そろって一目散に走って逃げ出した。
「まて!」
「やめろジュード!」
追いかけようとしたジュードをサイファは止めた。
「追うな、危険だ」
「ですが」
ジュードは急く身を押さえるように顔だけ向けて不満を漏らした。しかしサイファの言葉はいつになく厳しかった。
「やめろ」
強く断定する。いつもはジュードの無礼な言葉を笑って受け入れ、また自分自身も彼の友人のように振舞っている彼には珍しい強さだ。
「お前には怪我をしてもらいたくない」
重ねて言われた言葉にしぶしぶジュードはゆっくりとこちらに戻ってきた。
「こちらの一人には逃げられました。怪我は負わせたのですが……申し訳ありません」
「怪我もないし、盗られたものもない。結果としては悪くない」
「彼らは」
「何か欲しいものがあったのだろうよ」
こともなげにサイファは言った。
「しかし、張り巡らされた防犯用の魔術を打ち消し、ここまで入り込めたあたり、ただの無計画な強盗では無いな。腕のいい魔術師が奴らの背後にいそうだ」
「そんなことより自分に向けられた剣をご心配ください。まちがいなく彼らはサイファ様の命をとってもいいというくらいの勢いでした。私が間に合わなければどうなっていたか」
「アーシュラが助太刀してくれた」
サイファはアーシュラに向かってそういえばと続けた。
「あの時どうして剣が下から来るとわかった?」
「……そうですね?どうしてでしょう?」
アーシュラ自身にもわからない。しかしそのぼんやりとした自分の返事にアーシュラは慌てた。
「あ、あのっ、こんな返事ですが、わたしが奴らの味方とか、引き込んだとかそういうことはないんです!」
「わかっている」
サイファは肩をすくめた。
「お前がいるなら魔術でもっと大きくやるだろう。お前はためらいがなさそうだからな」
「ええそうですね。わたしだったら、この屋敷ごとドカンとふっ飛ばします。ああよかった、サイファ様に信じてもらって。しかもわたしを理解してくださって嬉しいです」
「嫌味くらい理解してください」
相変わらず冷ややかなのはジュードである。
「それでもアーシュラが関係してはいないだろう。あれが多分、出て行った使用人たちが見た『幽霊』の正体だな」
サイファは予想していたらしく、それほど驚きも見せていなかった。
「いままでも忍び込んでは屋敷の中を探っていたのだろう」
「私の落ち度です」
ジュードが渋い顔で言う。もちろんサイファはそれを否定した。
「お前は多忙すぎるんだ」
「そうよ、魔術の保持はとっても大変ですもの」
一緒に励まそうとしたアーシュラはジュードに睨まれた。
「そうですね、お客様のお世話もそれなりの仕事量になりますから」
だいたい、とジュードはアーシュラに続けた。
「どうしてお客さまがこんな時間にふらふら歩いているのですか」
さすがのアーシュラも「おなかが減ったので、食い物を探しておりました」とは言えない。口ごもってしまったがそれを意気消沈しているのだととったのか、サイファが助け舟を出してくれた。
「まあそう叱らなくても。それよりアーシュラ、手から血が出ているぞ」
「え?」
言われて痛みに気がついた。さきほど転んだ時に床ですってしまったらしくアーシュラの手の甲には血が滲んでいた。出ているというほどではない。
「ああ、でも少しです。大丈夫ですから」
「まあいいや、ちょっと来い。ジュードは戸締りだけよく見てくれ。結界のほころびがあったら直してくれ。終わったら俺の部屋に来い。今日は皆まとまって過ごしたほうが良いだろう」
「承知しました」
ジュードも簡単な呪文を唱えて他のものより一段明るい光を灯すと、屋敷内の見回りに出て行った。
「アーシュラはこっちだ」
サイファはアーシュラをつれて自室に戻った。引き出しから出したものはなにかと思えば簡易の治療道具だった。おとなしくソファに座っているアーシュラの脇に座り、濡らした布で傷を拭う。その無言に堪えられず、アーシュラは話しかけた。
「サイファ様は剣もお強いのですね」
「出られないから練習の時間はいくらでもある」
サイファはつまらなさそうに言った。そして包帯まで巻いてくれる。
「まあサイファ様、そんなことまでなさらなくても」
「別に、慣れている。もっとひどいのもいっぱい見た」
「慣れている?」
アーシュラは目を見開く。怪我の手当てに慣れているなど一体どんな公爵様なのだ。




