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 ウィルクスランド伯爵家は先代当主グレッグの浪費が原因で没落した。


 爵位は第三位とはいえ、広く豊かな領地を持ち、先祖代々の歴史価値のあるような装飾品や美術品、好事家が喉から手が出るほど欲しがる古書、幾多の別荘……人がうらやむ多くを所有していた。そのほぼ全てを、グレッグは売り払ってしまったのだ。

 彼が死んだとき、普段住んでいる首都にあった屋敷だけはそれでもまだウィルクスランド家のものだったが、それも死後一ヵ月後には他人の手に渡る予定になっていた。病床にあった彼を哀れんでの買い手の配慮である。


 グレッグ・ウィルクスランドは生前天才魔術師として名を馳せていたが、そのために凡人には見えぬものが見え、なにか道を踏み外してしまったのではないか……あるいは彼は二十以上も年が違う美しい娘と結婚したが、その彼女が早逝したせいで心を病んでしまったのではないか、そんな怪しい噂がでまわるほどに、完膚なきまでの没落であった。


 したがって、彼のわずか十六歳の一人娘は、その爵位以外のなにも相続しなかったと言って良いだろう。


「お父様は立派です」

 現当主アーシュラ・ウィルクスランドは今日追い出された屋敷の前で、あまり悲壮感も無く呟いた。

「ぽっきり支払って、わたしに借金は残さなかったんですから」


 まだ顔立ちに幼さはのこるが、その態度は落ち着いている。アーシュラの母親は低い爵位の貧乏貴族だったが美貌で有名であった。それは確かにアーシュラに受け継がれており、あと数年したら間違いなく人目を引く面立ちになりそうだが、多くの人間がそれに気がつくのは一瞬遅れる。顔立ちの品のよさが地味さと紙一重のせいもあるが、原因はもう一つ。

 アーシュラの髪は赤くふわふわと大きく広がっていた。なんとかまとめようと顔の両側に三つ編みとして垂れているが、その量の多さでまるで太い綱が垂れ下がっているようだった。瞳の聡明さを湛えた漆黒も、綱の迫力には負ける。


 赤い髪と黒の瞳、それぞれならば持ち合わせている人間は多い。しかし両方を備えた人間はこの国ではあまり見かけないものである。そして稀少と言うだけでなく、その組み合わせはもっと大きな意味を持つ。


 三百年前に乱世の続くこの大陸を統一し建国した初代の王は、夕日のごときまばゆい赤い髪と、夜のように静かな黒い瞳を持っていたという。アーシュラの特徴はそのまま建国王の特徴と一致している。

 まあ趣はずいぶん違うけどね、と自分の髪の扱いづらさと地味な外見をよく理解しているアーシュラは苦笑いだが。しかしその特徴は国民にいまだ愛される建国王を確かにしのばせるものであり、アーシュラを見た人間は皆そこに気がとられ、アーシュラ自身を把握することを一瞬忘れるほどだった。


 顔に落ちてきたその紅の一房をかきあげて、アーシュラは去る屋敷を特に執着の無い目でみつめた。まだ金属製の分厚い門は閉ざされていないが、すでに屋敷の鍵はアーシュラの手にはない。屋敷の売買の仲介人が中で作業をしていて彼が預かっている。アーシュラが持っているものは、大きめのトランク二つと革の手鞄だけだ。少しの服と多くの書籍が詰め込まれたそれが彼女の持つ全てなのだ。今、着ている物は、貴族の子弟が多く通う学校の制服であるが、この先もその学校に通えるかは微妙なところだ。

 ちょうど今は春の学年末の休暇中であるのだが、制服を着ているというあたりにアーシュラの持つ衣類の少なさが垣間見える。


 グレッグの『天才だが変人だった』という風評ばかりが大きく流れ、あまりアーシュラのことは話題にならない。そもそも相続するものが無いのだから、親戚縁者も相続争いにすらならない。グレッグが死んだ当初は押し寄せた自称親戚縁者も、本当に財産は無い、無いものは無いのだとわかると、さっと波が引くように消えていった。

 社交界でもしばらくは噂になっていたが、一ヶ月もたてば徐々に人の口には上らなくなる。

 アーシュラ自身はいまや忘却された存在だった。


「アーシュラ様」

 忘れていないのは、きっと今一緒にいる二人ぐらいだろう。

 門のむこう、まだ屋敷側にいるウィルクスランド家執事のオーガストと、父の弟子であり、アーシュラにとっては兄のような存在であったカイル・オルセンである。


「本当は私もお供したいところでありますが」

 父のグレッグよりいくらか年上であるオーガストはその老いた目に悲しみを満たして呟いた。母は早くに亡くなり、父は研究ばかりで家によりつくことも少なかったため、オーガストはアーシュラにとって祖父のような存在であった。またオーガストも孫のように感じているはずだ。

 オーガストはしばらく屋敷に残って内部の整理をするように仲介人から依頼されている。その後は、小さな田舎町に住む娘夫婦のところに身を寄せるそうだ。十歳の時からここで働き、この屋敷で生涯を閉じたかった彼にしてみれば悲しみも極みであろう。


「お力になれず本当に残念です。アーシュラ様のことだけが心配です、こんなお若いのに」

「大丈夫よ、オーガスト。お母様がお父様と結婚したのは、わたしと同じ年だったのだから。結婚と没落と言うことではまあちょっと種類は違うかもしれないけど、大きく人生の境目と言うことでは変わらないわ。お母様は幸せそうだったからきっと何もかも努力と気持ちの持ちようだと思うの」

 自分でも無理やりなことを言っているな、という自覚は多少アーシュラにはある。しかし年老いたオーガストにこれ以上心配かけるのも気が引けた。それに鼓舞しなければ、世界の明るい面を見なければ、くじけそうになってしまいそうなのは自分のほうだ。


 アーシュラの母親ステラがグレッグと結婚したのは彼女が十六歳、グレッグが四十歳の時だ。そのころからすでにグレッグは研究にばかり心血を注いで、常識を知らない魔術師という評判を得ていた。ただ、まだ自家の資産に手をだしてはいなかったので、相当裕福だったようだ。裕福な変人男性と美貌の貧乏貴族娘とあればどこからどうみても政略結婚にしか見えない。社交界でもそれ以外ありえないだろうと話されていたようだがアーシュラの知る限り真実は違う。


 ステラがグレッグにベタ惚れしていたとしか思えない。なによりステラ自身が娘にそう語っていた。

 娘からみても、父親が一目惚れに値する人物だったとは到底思えないが、母親が自分の夫を心の底から愛していたのは間違いなさそうだった。そして父親自身、まんざらでもなかったように思う。魔術研究ばかりであまり屋敷に帰ってこない父親ではあったが、夫婦がそろっている時の親密な空気から、間違いない愛情の存在をアーシュラは感じ取っていた。


 アーシュラは母親の形見である首飾りを無意識に触れた。細いが丈夫な銀の鎖に一つ、磨かれた貝のような白い破片がついている。それは、物の価値を知る者が見ればぎょっとするような高価な品である。


「バージェス侯爵が親切な方であればいいのですが」

 オーガストはアーシュラの脇に立つカイルに目を向けた。

「どうぞ、お嬢様をよろしくお願いします」

「僕にできることであれば」

 カイルはアーシュラより十歳ほど年上の青年魔術師だ。ウィルクスランド家の凋落が徐々に公になり、多くの弟子達が離れていく中で、最後まで父に付き添った弟子だった。濃く、艶のある茶色の髪に柔らかい緑色の瞳をしたハンサムな青年である。しかしグレッグに最後まで付き添った当たり、彼も魔術研究に身を投じているのであろう、この年になってもまだ浮いた話は無い。


「アーシュラ、そろそろ行こうか」

 待たせておいた馬車に目をやって、カイルは言いにくそうにそう切り出す。そしてトランクを馬車に積み始めた。悲しげなオーガストにアーシュラはかける言葉を捜す。オーガストの背後にはウィルクスランドの屋敷がある。

 ウィルクスランド邸はそれほど広い敷地ではないが、門の向こうは丁寧に剪定された潅木や花で満たされている。それに芝生の庭、そしてポーチに続いて見える広い玄関。美しい屋敷の全てに両親の記憶がある。


 変わった父、あまり長く一緒には過ごせなかった母、それでもアーシュラは彼らが好きだったし、彼らもアーシュラを愛していたはずなのだ。父がなぜ、あれほどの浪費に走ってしまったのかアーシュラにはいまだ理由がわからずにいる。

 ただ、記憶は信じようと思う。十六歳で四十男と結婚する度胸をもっていた母親にならってアーシュラも比較的楽天家なのだ。


「オーガスト」

 アーシュラは微笑んだ。

「もし、またこの屋敷がウィルクスランドのものになったら、オーガストは戻ってきてくれるかしら?」

 愛しい孫を見る目だった老年の執事の目に、深く冴え冴えとした光が一瞬だけ戻った。いつでも再び輝く力を持っている。

「もちろん喜んで…いいえ、この屋敷のみならず、アーシュラ様が居られるところならどこにでも」

 彼は深く頭を下げた。

「それじゃあオーガスト、元気でね」

「アーシュラ様も」

「ええ、大丈夫。まかせて」

 アーシュラは微笑む。そろそろ行かなければならない。今後の自分の生活と人生がかかった勝負の時間だ。


「しっかりバージェス侯爵を口説き落として、嫁に貰って頂くから!」


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