宰相子息は信じる正義を振りかざす
久々の投稿なのに視点が脳内フラワーガーデンのレイモンド氏、前回から話が進まない、ツッコミ不在という苦の三重奏で申し訳ないです。
前話ヴィクターとの認識の格差にご注目ください。
「…何故貴女がここに?」
昼食を摂るため向かったテーブルにはアナスタシア・ローズレッド・オブライエンがいた。
「またシェリーに嫌味でも言いに来たのか?」
「……そんなわけないでしょう。」
思わず過敏になり後ろにシェリーを庇うと、あの鋭い、紅い瞳でこちらを睨み付けてくる。
「今日はアナスタシア様もご一緒することになったんだよ。」
何でもないように話しているが、ネイトは構わないのだろうか。
そう思っていると後ろから顔を出したシェリーが明るい声を上げた。
「そうなんですか? 今日はネイトもいるし賑やかね!」
「シェリー、いいのか?」
「どうしたの、レイモンド。早く座りましょう。」
シェリーは人が良すぎる。あれだけキツく当たられているというのに、何でもないようにその屈託のない笑顔を向けている。
「…君がいいならいいのだが。」
シェリーに促されるまま続けて席に着く。
アンバーも同様に仕方なく座ったようだ。
席に着くとシェリーはいつものように自然に話を始める。今まで殿下やアンバーといても世間話などはあまりすることが無かったのだが、シェリーが来てからは日常の些細な会話でも楽しいと感じるようになった。
彼女は変わっている。令嬢なのに自分で料理や家事など何でもこなすし、この学園の気位が高かったりただ大人しいだけの他の令嬢とはまるっきり違っていた。
だがそれ故に頭の固い者からはあまり良く思われないことも多いようだった。
特にこの、オブライエン。
名門オブライエン家の令嬢という自負もあってか、前から殿下にも愛想一つない女だと思っていたが、シェリーが俺たちと関わるようになってからは余計に刺々しくなった。
「シェリーは歌が上手いんだってね、アンバーから聞いたよ。」
「ちょっ………殿下!」
「私にも聴かせてほしいな。」
今も殿下がシェリーを褒めている間、憎々しげにテーブルを見つめている。
自分の婚約者が他の女性を褒めるのがそんなに気に食わないのか。それならば、もう少し可愛げのある態度を取るべきではないだろうか?
それでシェリーを恨むのはお門違いだ。
「やだ、そんな大したことないわ。それよりアンバーこそ、ピアノがすごく上手いのよ。」
シェリーは人の良いところを見てくれる。
俺も、彼女のそんなところに救われ、そして─────
「や、やめろよ………それよりレイモンドはどうなんだ?」
急に話を振られて少し言葉に詰まりかける。
「………別に、いつも通りだ。」
「私、レイモンドが書く詩が好きよ。また今度見せてね。」
その笑顔に心臓が跳ね上がる。
今までこんな言葉を俺に向けてくれた人がいただろうか。
「あ、あぁ。今度何か詩を贈ろう。」
彼女に向けての詩ならば星の数ほどもできる。
今この瞬間もシェリーを形容する言葉が俺の胸の内を駆け巡っていた。
「美術選択のみんなは何をしたの?」
「今日はずっと花の絵の色塗りだったな。ジフリート様の絵、凄かったぜ。」
「あまり褒めるな、普通だ。」
殿下。殿下もシェリーと話す時はいくらか気持ちが和らぐようだった。
全てにおいて常に優秀であろうとする彼はいつも張り詰めていて、俺たちといてもどこか気の休まらない様子だったが最近はこうして照れたり、年相応の反応も見せるようになった。
「アナスタシア様はどうだったんですか?」
「あ、わ、わたくしは……」
シェリーが声を掛けると今まで不機嫌そうに黙っていたオブライエンが弾かれるように顔を上げた。
わざわざ話し掛けてやることなどないのに。
「アナスタシア様の絵も見てみたいわ。」
「いえ、貴女に見せられるようなものではないわ………!」
優しいシェリーの声色に鋭い声が被さった。
なんて高飛車な、プライドの高い女なんだ。
「どういう意味だ、それは。」
位の高い者にしか見せる価値がないとでも言いたいのか?
どれ程のものだというのか。
会話をしようというシェリーの気遣いを無駄にするばかりか見下すような発言まで、流石に我慢がならない。
俺は怒りに任せてオブライエンを睨んだ。
それからしまった、と思った。この言い方ではシェリーが傷付く言葉が返ってくる可能性が高い。
しかし、彼女の返事は予想とは違っていた。
「………未完成の拙作ですから、お目汚しになるということですわ。」
返ってきたのはシェリーをこき下ろす苛烈な発言ではなかった。
その言葉通りに取れば、さっきの発言も「他人に見せられるレベルのものではない」というよくある謙遜になる。
俺が過剰に反応し過ぎたのだろうか。俺の勘違い………?
いや、しかしオブライエンがシェリーに良くない感情を持っているのは確かだ。
あの噂も本当だったし、実際シェリーの他にも被害者はいるのだ。
「ふん、どうだか。」
特にシェリーは、敵意を向けられてもやり返したりしないし、周囲に相談したり泣き言を言うこともしない。
しかし傷つかない訳はない。そんな彼女だからこそ、俺がシェリーを守っていこうと思ったのだ。
「今日は何かあるのかな?」
食事が終わると、ネイトがテーブルに肘をつきシェリーの方を見た。
シェリーはよく菓子を作ってくるので、その催促だろう。
「ふふ、食べたばかりなのに、ネイトってば食いしん坊ね。」
そう言いながら出した籠には形の良い焼き菓子が並んでいる。
「今日はマドレーヌか。」
「ええ、結構上手く出来たと思うの。」
初めの頃はおずおずと差し出していた彼女も、最近は特にアンバーが喜んで食べるので気後れする様子はない。
「美味そうだな!」
「こらアンバー、いきなり手を伸ばすな。」
全て掻っ攫う勢いのアンバーの手を軽く叩くとシェリーから笑い声が漏れる。
陽だまりのような優しい声だ。
直後、それを遮るように置かれたのは大きな平たい紙の箱だった。
「わたくしも今日はこれを。シェリー様が焼き菓子をよく手作りされると聞いたので、趣向の違うものにしました。」
冷たい機械のような声で言い切ると箱を開ける。甘い香りとともに美しいチョコレートが現れた。
「まぁ、これって高級店のものではないですか?」
それを見てシェリーは目を輝かせる。
淡い桃色の頰が紅潮していた。
「わたくしのお気に入りなの。わたくしは甘いのが好きなのだけど、貴女とは味覚が違うものね…お口に合えば良いのだけど。」
それを見たオブライエンは開いた扇子で口元を隠し、見下すようにそう言った。その扇子の下で下卑た笑みでも浮かべているのか、隠せていない瞳からは侮蔑の色が見て取れる。
「じゃあ俺とアンタも味覚が違うな。俺は遠慮しておく。」
俺が彼女の物言いを咎めるよりも前に、アンバーがぶっきらぼうに言い放ち、二つ目のマドレーヌを手に取った。
オブライエンは一瞬眉をピクリと動かしたが何も言わなかった。
その傍らで、シェリーは悪意になど気も付かぬ様子でチョコレートを摘んでいる。
「すごく美味しいです。ここのチョコレート評判で、一度食べてみたかったんです。」
「良かったわ。たくさんあるから、お好きなだけどうぞ。」
純粋なシェリーは嬉しそうに別のチョコレートに手を出すが、この女の事だ。しばらくすればそんなに食べて卑しい、などと言いかねない。
どうせその為に勧めているのだろう。
「皆さまも是非召し上がって。シェリー様のような手作りでなくて申し訳ないのですけど。」
……手作りでなくて申し訳ない、だと?
「そう言うのなら貴女もシェリーを見習って、高級店や使用人に頼るのではなく自分で作ったらどうだ。」
自分で作ればシェリーに敵わないからと、これ見よがしに高級店のものを持ち出して。
菓子一つ取っても自分がシェリーより上であると誇示したいのか。
「わたくしは手作りなんてとてもお出しできませんわ。」
「なんだと?」
前々からシェリーが菓子を作るのを良く思っていないのは知っていたが、我々の前でも言及するとは……
「彼女の作るものはどこに出しても恥ずかしくないものだし、高級店にも劣らない。それにシェリーのことは信用している。」
この毒婦のような女が作ったものならともかく、これまで共に過ごしシェリーの人柄は分かっている。彼女の心を、踏み躙ろうというのなら─────
「そうですね、わたくしもいずれ、お出ししても差支えないレベルになったらお持ちします。」
「結構だ、毒でも入っていたら堪ったものじゃない。」
彼女を否定しながら、自分は高みにあると思っているこの女に対し怒りのままにするりと漏れ出た言葉は自分でも思いの外冷たく響いた。
「おいレイモンド、失礼だぞ。」
ネイトの声に我に帰ると、オブライエンは目を見開いて俺を見ていた。
すぐにネイトの方を向いたので表情は読めなかった。
「落ち着け、言い過ぎだ。」
「アナスタシア様は別に彼女の作ったものを貶めるつもりじゃないんだから、だよな?」
「…ええ、ええ。もちろん。」
殿下が困ったように俺を見て、ネイトはオブライエンにそう訊くと、どうしたんだと問いかけるような目をこちらに向けてきた。
テーブルの全員の目がこちらに向き、シェリーも不安そうに瞳を揺らしている。
俺は何を、こんな事を言うつもりではなかった。感情的になりすぎた。
オブライエンは今回、殿下や我々に出すには不釣り合いだと言っただけで、以前のように食中毒や異物混入が心配だから控えろと嫌味を言った訳ではない。俺が一方的に暴言を吐いた形になっている。
流石に、オブライエン家の娘に、あれはまずい。
「………すまない、早とちりを、言い過ぎた。」
謝罪しオブライエンを見ると、俺を睨む真紅の瞳と目が合った。いつもより幾分かはマシだが、あの瞳を見るとどうも身が竦む。
オブライエンは怒りからか肩を震わせていたが俺に罵声を浴びせる事は無かった。
「アナスタシア様もお菓子を作られるんですか?」
何も言わないのかと身構えているとシェリーが空気を変えた。
「練習中ですの。」
「そうなんですね。あ、私のも良かったら……」
先程の緊張した空気が一転、シェリーとオブライエンが会話を始める。
「ありがとう、いただくわ。…わたくしこういった手作りのお菓子をいただくのは初めてよ。」
オブライエンはシェリーを目の敵にしているのではないのか?
いや、殿下もいるからと取り繕っているに過ぎない。…しかし、では何故、殿下の前でシェリーに突っかかる………?
「レイモンド、どうかした?」
「………いや。」
わからない。オブライエンがそのつもりでなかったのなら、俺の言葉は彼女を傷付けたのか?
……違う、俺は間違っていない。
確かにオブライエンはシェリーを疎んでいる。自分の思い通りにならないことは我慢ならない性質なのだ。
今回とて俺の言葉に傷付くよりも怒りが勝っていた。そもそもそんなタマではない。
もしそれでオブライエンが傷付こうが、俺は俺の正義を、シェリーを守るだけだ。