その7・彼女の一粒の価値は
「なぁ、それ食べないのか?」
昼休み、カフェテリアの二階の隅の席から中央の大きなテーブルを囲む色見本たちを観察しながら、俺は昼飯を食べていた。
今席に着いているのは殿下とネイト、紫とアナスタシアさんだ。
「なぁってば。すごい良い匂いするんだけど。」
伸びるベンの魔の手からチョコレートの箱を避難させつつも目は中央のテーブルから外さない。
今のところアナスタシアさんが居づらそうにしているだけで厄介ごとは起きていないが、そろそろ緑と黄色が来るので気は抜けない。
「お、何これ美味そう。」
綺麗な箱の中に上品に3粒並んだそれに新たに別の手が伸びてきたのではたき落とす。
「デ…食いしん坊キャラのベンならともかく、お前もか。お前ら貴族のくせに揃って他人のもん盗ろうとすんなよ………。」
「……今、デブって言おうとしたな?」
「するわけないだろ親友。」
騒ぐベンをなだめつつもう一人の友人、ニックに向き直る。
「食うな、触るな。」
「はいはい。」
大人しく座ったニックの横では、まだベンが物欲しそうに例のブツを見ている。
「腹が減ったならもう一品頼んで来いよ。これはお前の胃に収めていいような代物じゃないんだよ。」
「酷い! 食べないのに出してるから欲しくなるんだろ?!」
「しばらくは観賞用だ。」
「デブキャラの前にチョコレートは罪作りだぞ!」
自分で言っちゃったよ。
「…何故貴女がここに?」
そうこうしてるうちに中央テーブルから新たな人物の声がした。
このいけ好かない声は………やっぱり緑か。
「またシェリーに嫌味でも言いに来たのか?」
嫌味なのはお前だろ。
「……そんなわけないでしょう。」
「今日はアナスタシア様もご一緒することになったんだよ。」
さっきよりもさらに緊張した面持ちのアナスタシアさんの横からネイトが説明を入れる。
それに対し、こんなキツイ女と食べたら飯が不味くなる、とかぬかした黄色のぼやきをかき消すようにシェリー嬢が明るい声を上げた。
「そうなんですか? 今日はネイトもいるし賑やかね!」
この人はアナスタシアさん歓迎派なのか………?
「シェリー、いいのか?」
「どうしたの、レイモンド。早く座りましょう。」
「…君がいいならいいのだが。」
この緑はシェリー嬢とアナスタシアさんとで、イエスマンから姑へと態度が変わり過ぎではないだろうか。家の躾が厳し過ぎて人格分裂してるとか。
「───それでね、アンバーったら歌が嫌だからピアノをやるって……」
シェリー嬢が楽しそうに芸術の授業の話をしている。シェリー嬢と黄色が音楽、緑は詩の選択のようだ。
「シェリーは歌が上手いんだってね、アンバーから聞いたよ。」
「ちょっ………殿下!」
「私にも聴かせてほしいな。」
「やだ、そんな大したことないわ。それよりアンバーこそ、ピアノがすごく上手いのよ。」
嘘だろ、あんなガサツそうな奴がピアノ弾けんのかよ………。さすが色見本、ハイスペックめ。
「や、やめろよ………それよりレイモンドはどうなんだ?」
「………別に、いつも通りだ。」
「私、レイモンドが書く詩が好きよ。また今度見せてね。」
緑がトゥンク………と効果音が現れそうなトキメキ顔になっている。
「あ、あぁ。今度何か詩を贈ろう。」
やめとけ、絶対黒歴史になるぞ。
面白いから止めねーけど。
「美術選択のみんなは何をしたの?」
「今日はずっと花の絵の色塗りだったな。ジフリート様の絵、凄かったぜ。」
「あまり褒めるな、普通だ。」
こいつもハイスペックだからどうせ名画みたいなやつ描くんだろ?
殿下もそのうちシェリー嬢の似顔絵とか描き出しそうで怖いな。
「アナスタシア様はどうだったんですか?」
ここでシェリー嬢がアナスタシアさんに話を振った。今まで黙って空気に徹していたアナスタシアさんが挙動不審になる。
「あ、わ、わたくしは……」
「アナスタシア様の絵も見てみたいわ。」
「いえ、貴女に見せられるようなものではないわ………!」
言い方!!
さては既に限界まで緊張してるな?!
「どういう意味だ、それは。」
緑が般若のような顔をしている。
恐らく緑の中では「私の高貴な絵を男爵令嬢風情に見せられるかこのボケ」に変換されている。まずいぞ………。
「………未完成の拙作ですから、お目汚しになるということですわ。」
なんとか普通に弁解したな。
だがここで問題なのはアナスタシアさんが絵に関してはかなりの凝り性だということ。
俺も美術の時間覗き見したが既に完成してるように見えるし、あれが拙作なら俺のは酔っ払いの書いた地図みたいなレベルである。
「ふん、どうだか。」
色見本ズはアナスタシアさんの作品を見ていないようだな。
「………っておいコラ!」
アナスタシアさんの方に集中していたら、危うく悪友どもにチョッコレートを掻っ攫われるところだった。
危ねーな、ったく。
「さっきからこの過剰な反応………な~んか怪しいな?」
「俺もそう思う。」
二人が要らん勘繰りを始めた。
「さては誰かの贈り物だな?」
「誰だ?! クラスの子?! 可愛い?!」
確かにクラスの子だし可愛いが!
「そんなんじゃない。ただのお裾分けだ。」
二人に邪魔をされている間に、向こうのテーブルでは食事が終わり丁度シェリー嬢が手作りのお菓子を出したところだった。
「今日はマドレーヌか。」
「ええ、結構上手く出来たと思うの。」
「美味そうだな!」
「こらアンバー、いきなり手を伸ばすな。」
続いてアナスタシアさんも持って来ていた箱を手に取る。このアウェーな空気に割って入ることができるのか………。
「わたくしも今日はこれを。シェリー様が焼き菓子をよく手作りされると聞いたので、趣向の違うものにしました。」
緊張しすぎて一周回って設定された機械のようにスラスラと話しながらチョコレートを出す。
俺にくれたものと同じデザインの、大きめの紙箱に綺麗なチョコレートが並ぶ。
「まぁ、これって高級店のものではないですか?」
「わたくしのお気に入りなの。わたくしは甘いのが好きなのだけど、貴女とは味覚が違うものね…お口に合えば良いのだけど。」
目を輝かせるシェリー嬢に、無表情で扇子を開き口元に添えながら答える。
「じゃあ俺とアンタも味覚が違うな。俺は遠慮しておく。」
黄色がチョコレートを素通りしてマドレーヌを摘んで口に入れた。
………こいつ、味覚が違う、を貧乏舌とかの話だと思ってやがるな?
違うわ! アナスタシアさんはただ甘党なんだよ、バカ!!
そもそもシェリー嬢も令嬢なんだから買おうと思えばチョコレートくらい買えるしな!
にしてもこいつらは何故こうも被害妄想のように誤解するんだ?!
確かにアナスタシアさんも声のトーンや表情が冷たく感じさせるが………
よく言う乙女ゲームの強制力とかいうやつか………?
この世界が乙女ゲームかどうかは知らんけど…
「すごく美味しいです。ここのチョコレート評判で、一度食べてみたかったんです。」
「良かったわ。たくさんあるから、お好きなだけどうぞ。」
シェリー嬢の方はチョコレートを美味しそうに摘んでおり、アナスタシアさんも少しホッとした様子だ。
「皆さまも是非召し上がって。シェリー様のような手作りでなくて申し訳ないのですけど。」
アナスタシアさんが色見本にもチョコレートを勧める。
それに対し何か気に障った様子の緑が2個目のマドレーヌに手を伸ばしながら口を開いた。
「そう言うのなら貴女もシェリーを見習って、高級店や使用人に頼るのではなく自分で作ったらどうだ。」
ほんとにこいつの中身は姑じゃなかろうか。
「わたくしは手作りなんてとてもお出しできませんわ。」
「なんだと?」
緑の目がさらに吊り上がる。
「彼女の作るものはどこに出しても恥ずかしくないものだし、高級店にも劣らない。それにシェリーのことは信用している。」
こいつはもうダメだな。完全にアナスタシアさんを敵だという前提で見ている。
アナスタシアさんの方を見ると、もしや何か誤解させたか、と狼狽えている。
「そうですね、わたくしもいずれ、お出ししても差支えないレベルになったらお持ちします。」
「結構だ、毒でも入っていたら堪ったものじゃない。」
なんだと?!
アナスタシアさんのお菓子には砂糖しか入ってねーわ!!
「おいレイモンド、失礼だぞ。」
扇子を持つ手に力を込めるアナスタシアさんが
体を強張らせていると、ネイトが緑を咎めた。
それにアナスタシアさんがくるりと振り返る。
「落ち着け、言い過ぎだ。」
殿下の方も今回は庇ってくれたようだ。
いや当然だけどな?
「アナスタシア様は別に彼女の作ったものを貶めるつもりじゃないんだから、だよな?」
「…ええ、ええ。もちろん。」
ネイトが味方、というかフォローをしてくれることに安心する。
だけど、なんか……モヤモヤするな。
「………すまない、早とちりを、言い過ぎた。」
今度ばかりは緑も周りの視線に促され、渋々に見えるが謝った。
しかしこいつは何が悪いかわかってんのか?
「アナスタシア様もお菓子を作られるんですか?」
緊張した空気を裂くように優しく高い声が響いた。シェリー嬢だ。
「練習中ですの。」
「そうなんですね。あ、私のも良かったら……」
先程チョコレートを一通り堪能したシェリー嬢が残り一つになったマドレーヌを差し出す。
黄色が残念そうな顔をし、シェリー嬢はまた作ってくるからと子供を宥めるように言った。
「ありがとう、いただくわ。…わたくしこういった手作りのお菓子をいただくのは初めてよ。」
そこからはアナスタシアさんも少し緊張が解けた様子で、笑顔とはいかないまでも落ち着いた表情だった。
彼女がわざわざ用意してくれた、俺の、お裾分けの物より数倍大きい箱の中にはぽつぽつとチョコレートが残っている。
「ヴィクター、そろそろ行こうぜ。」
「あぁ。」
立ち上がる前に、悪友から守りきった、同じ綺麗なそれのうち一粒を口に入れる。
チョコレートの香りとともに上品な甘さが口の中で広がっていった。