その2・泣き顔は可愛かった
確かに真紅の瞳からボロボロと涙を零していたのを目撃した俺はそっぽを向くアナスタシア嬢に食い下がった。
「何でもないって、そうは見えませんけど……」
今までの、俺の知っているアナスタシア嬢じゃない。入学して三ケ月程しか経っていないが、それでもアナスタシア嬢が泣くところなんて想像出来なかったし、目にしなければ俺だってウッソだぁ~と否定していたことだろう。
「わたくしが良いと言っているのです、早く立ち去りなさい……!」
威勢のいいことを言っているが一向にこちらを向かない。背中で揺れる彼女の縦ロールと対話しているかと錯覚しそうである。何かの生き物にすら見えてきた。
「もう授業が始まりますよ。」
今度は声を掛けても返事が無かった。
三角座りのような体勢でずっと向こうを向いている。時折隠れてハンカチを当てる仕草をしていたが、しばらくボーッと見ていると急に彼女が振り向いた。
「まだいらしたの、何かご用なのかしら。」
先ほどのカフェテリアの時と同じような眉間に皺を寄せた表情で向き直った彼女は怒ったようにそう言ったが、その目は赤くなっていた。
「いや、オブライエン様が泣いてらっしゃるので………」
女子が一人で泣いてるところに出くわしたのは初めてである。紳士としてはどうしたらいいか全くわからない。そういえばさっきシェリー嬢が涙ぐんでいた時は緑が肩を抱いていたっけ?
いや、イケメンで宰相子息の緑ならともかく、ただのクラスメートの俺が話したこともない公爵令嬢の肩なんて抱いたら痴漢にならないか?犯罪行為だ。
「わたくしが泣くだなんて面白い冗談ですわ。」
「え………」
いや、泣いてたよね?
睨みつけられても過去は変わりませんよ。
「何も見てはいないでしょう?」
あまりにも凛々しく言い放つので思わず頷いてしまった。
「わたくしは何ともありませんので他言は無用です。トライセン様は授業にお戻りになって。もう遅れているわ。」
さあさあ、と肩を押されて茂みから出される。
「オブライエン様は戻らないんですか?」
「わたくしは体調が優れないと伝えてくださる? 貴方はわたくしに付き添って遅れたとでも言っておけば良いわ。」
「でも次の授業大事なところですよ。」
「後で先生のところへ伺うから大丈夫、お気遣いありがとう。」
これ以上続けるのも変なので、俺は仕方なく一人で教室に戻ることにした。
道すがら、彼女の泣き顔が頭に浮かぶ。
頑なに泣いてないことにしようとした辺り、彼女は泣いていると思われるのが嫌なのだろうか。
まぁ確かに余程のことがない限りこの歳で泣くというのも恥ずかしい話だ。公爵令嬢ともなると周りにそんな姿は見せたくないというのもある話だろう。
しかしアナスタシア嬢の泣き顔は結構可愛かった。さっきまで鬼のような表情をしていた彼女がボロボロ泣く様は、他は誰も見たことがないのではという優越感もあり、なかなかそそるものがあった。俺は変態かもしれない。
教室に戻ると授業が始まっていたので、俺は教師に謝罪をしアナスタシア嬢のことを伝えた。
自動的に付き添っていたような話になり、俺が遅れたことは咎められなかった。
「よう親友、あのご令嬢を介抱したんだって?」
授業が終わるとベンが来た。
ベンには話してもいいかなとも思うが、もう少し様子を見てからにしよう。
「いや、ただちょっと話しただけ。」
次の授業まで軽く話をしていると、色見本達の会話が聞こえてきた。
「オブライエン様は次の授業も出ないつもりですかね?」
「昼のことで機嫌を損ねてるんだろう、いつものことだよ。」
そう言えばアナスタシア嬢はシェリー嬢や色見本と揉め事を起こした後は大抵授業を休んでいる。サボリ魔のようだが、教師からの評判が悪い訳ではなく俺にも関係ないので今まで気にも留めていなかった。
でも今日の感じだと機嫌を損ねて、ではないよな? めちゃくちゃ泣いてたけど…
もしかして、揉めたから泣いてたのか……?
「あの人は気性が荒いですからね。………失言でした。」
「いや、いい。私もアナスタシアの我儘には困ったものだ。」
第一王子は婚約者のことを見限ってはいないようだが、良くも思っていない様子だ。
流石に軽率に婚約破棄なんかはしないだろうが、このままいっても噛み合ってない感は否めない。
「先程はご迷惑をお掛けしました。」
考える俺に滑舌良くハッキリと告げられた声に我に帰って振り向くと噂のアナスタシア嬢が立っていた。
「……いえ、とんでもない。体調は良くなりましたか。」
「お陰様で。礼を言います。」
上品に礼をした彼女の顔は赤みが引いていつもの通りだった。
この人が揉め事の後授業に出ないのって、泣いて目が赤くなったりしたのが治るのを待ってるんじゃないだろうな………
いや今回は確実にそれ。他も全部それなら確実に誤解されまくってるぞこの人。
…………そもそもそれなら毎回泣きじゃくってることになる訳で…
突然の情報量に混乱してきた俺は処理が追いつかないまま、席に戻る彼女を見送った。