その12・男は頼られてなんぼ
「うぅおぉぉ………」
言った………! 言ってしまった………!
めちゃくちゃ恥ずかしい。何あれ。何あれ?
誰かいないかな~って何だ? 誘うなら普通に誘えよ!
「ぐぬぅ……!」
班決めの翌日、あの白々しい茶番が勝手に口から吐き出された記憶に苛まれつつ、俺は頭を抱えていた。
今思い出しても白目を剥きそうだ。
「大丈夫かヴィクター。」
「…そう見えるなら目が機能してないな。」
自分の机で一人頭を抱える俺の隣に、ベンのでかい影が差した。
ニックも一緒だ。
「なぁ、何で急にアナスタシア嬢を誘ったんだ?」
「………そんなの俺が聞きたい。」
よくよく思い出すと、昨日は左手が勝手に動き出したあたりから既におかしかった。
やばい。確実にやばい。
そのうち、手が勝手に……とか言いつつ盗んだり触ったり、そういう犯罪を起こすんじゃなかろうか。
自分が信用ならない。なにこれすごい怖い。
一番の味方であるはずの自分自身が信じられないという、ある種人間不信より恐ろしい事態である。
「どうするんだよ、今日の放課後も出し物の話し合いだぞ………オブライエンさんも呼ばなきゃまずいよな? そもそも来てくれるのか?」
そう、芸術祭の話し合いや準備は授業時間内に枠が設けられることもあるが、それだけでは足りないため放課後に各自で時間を取る。
前世でやった文化祭の規模縮小版のようなもの……クラスが班になった程度の差だ。
「来る来ないは別として、連絡は入れなきゃマズいだろ。」
「誰が言うんだよ……ヴィクター、誘ったのお前だろ。」
ベンが押し付けるように目を向けてくる。
アナスタシアさんと顔を合わせるのはどことなく気恥ずかしいが、逃げてもいられないしな。昼休憩の時にでも言うか。
「あぁ、放課後までに適当に伝えておく。」
「え?」
「は?」
押し付けを受け入れたのに聞き返された。何故だ。
「いや………だいぶあっさり引き受けるなと思って。」
あー……そうか。
世論は「殿下に断られ激おこ状態のアナスタシアさん、不服ながらも班員不足の班で妥協説」に落ち着いたんだった。
「あー、まぁ、その……なんだ。」
しかしベンとニックにも悪いことをしたな。俺が勝手にアナスタシアさんを誘うような真似をしたことで、無駄に動揺させてしまった。
誘った俺がこんなに動揺しているんだから、友人が突然爆弾案件に対して不器用なツンデレ女のような誘いを敢行するという奇行に走るのを目撃した二人の動揺は計り知れない。
ネイトのようなコミュ力限界突破野郎ならともかく、確実に血迷っている。
そうこう考えている間に「あー、その、なんだ」で適当に納得して話を流してくれないかなとか期待したが、目の前の二人は全然流してくれる素振りがない。
とりあえず俺の奇行は置いておくとして、アナスタシアさんがマジギレ5秒前ではないことは伝えておくべきか。
「……あの人別に怒ってないぞ。…と思うぞ。」
「そうかぁ? お前のこと凄い剣幕で見下ろしてたけど。」
「キリッとしてただけだろ。」
「なにを根拠に。」
根拠は、アナスタシアさんの性格が怒りっぽいのではなく泣き虫でクソ真面目だという点だが………性格を知っていると言うにはアナスタシアさんとお友達であることを公表する必要があり、友達になったことを話せば成り行きも聞かれるわけで、アナスタシアさんのあれこれがバレてしまう。
そもそも唐突に友達宣言するとかおかしい。
今までずっと素知らぬふりしといて実は仲良しでしたとか不気味だわ。
「勘だ。フィーリング。」
とりあえずで答えると、突っ込まれない代わりに、ニックからは「なんじゃそりゃ」と言いたげな表情を、ベンからはアホを見る目をいただいた。
仕方ない、既に定着したイメージを変えるのが難しいのは分かっていたことだ。
ただでさえ地獄の閻魔扱いな上、人見知りで初対面の人や大人数が苦手なアナスタシアさんだが────昨日は、予想通りド緊張のアナスタシアさんが炸裂したのだ。
昨日、班の申請をした後すぐの班ごとの話し合いの様子を特別に本邦初公開、邦じゃないな……まぁいいか。回想する。
「お仲間に加えていただきありがとうございます。せいぜい皆様の足を引っ張らないよう、尽力させていただきますわ。」
班が決まって、とりあえず出し物の概要だけ決めるべくテーブルを囲もうという時。着席する前に、アナスタシアさんが一礼して挨拶した。
恐らくもうさっきほぼ泣きかけていたのと、安心して気が緩んで泣きかけたのとで目元の引き締めが凄いことになっている。
例えるなら、ど近眼の人がどうしても見なければいけない字があって悪戦苦闘している時の眉間に、老眼の人の目の細め具合を合わせた感じである。自分で言ってて分からなくなってきたが多分そんな感じだ。
もっと砕けた感じで、入れてくれてありがとう、頑張ります! とか言って微笑んでおけば良いのだが、この人にそんな芸当は無理である。
言い方と表情のせいで、セリフが「私が入ってやったんだから足を引っ張らないよう馬車馬のように働け」辺りの逆の意味に聞こえる始末だ。
ベンとニックにも幻聴の副音声の方が聞こえたらしく、テーブルの下では何かを訴えるように足を蹴りあっている。
「どのような出し物にするか、既にお決まりなの?」
この時の俺はというと、自分の痴態に半分放心状態だったので、この質問にはニックが答えた。
「あ、えっと……ありきたりですけど、楽器体験にしようかと。」
それを聞いて、アナスタシアさんが固まった。
顔面蒼白である。
「……全員が講師役をやるということ?」
「そうなりますね。」
剣呑な雰囲気に、いつも飄々とした感じのニックにも汗が見える。
「子供に楽器を教えるなんて、わたくしに務まるかしら………」
この世の終わりのような表情で震える手を口元に添えて呟く。
確かに、子供が恐怖で固まるか逃げ出してしまう可能性が高い。この人は子供相手でも緊張するのだ。
「………申し訳ありません、少し時間をいただけるかしら。本日は失礼させていただきます。」
顔色の悪いアナスタシアさんは、そう言うとそそくさと立ち上がった。
ちなみに俺はアナスタシアさんが退席するまで放心状態のままだったので、とんだ役立たずである。
回想終わり。
「絶対怒ってるって。子供に楽器教えさせようとしたのがマズかったかな。」
「いや、でもそれが無理なら何するんだ? 子供と触れ合うイベントなんだから、アナスタシア嬢もその辺は分かってるだろ。」
ベンはともかく、ニックは思ったより普通に接してくれそうな感じだ。
同じ班になったことだし、芸術祭まで時間はある。準備期間に打ち解けてもらう─────のは無理としても、出来るだけ楽しくやってほしい。
せめて他の班に行くよりはまだ楽しかったぐらいには思って貰わないとな………。せっかくアナスタシアさんが俺の下手すぎる誘いを受けてくれたんだから。
「それもちょっと聞いてみる。とにかく、放課後連れてくるから。」
さて、運命の昼休み。
昨日の中途半端すぎる失態を挽回するべく覚悟を決めて裏庭へ向かう。
今日は特に味見の約束もしていないので居ないかとも思ったが、既にベンチにちょこんと座っていた。
「ごめんなさい、ヴィクター。」
昨日フォロー出来なかったことを謝ろうとしたら、目ざとく俺を見つけたアナスタシアさんに先に謝られた。
「心配しないでと言ったのに、結局迷惑をかけてしまったわ。」
「そんなこと………俺の方こそ誘ったりして迷惑じゃなかったか? あの時、どこかの班に声を掛けようとしてただろ。」
変に募集をかけて、俺のとこに来ないと悪いみたいな流れを作ってしまったからな。
なんかこう、もっと高貴な家柄の奴らと付き合わないと家の人に怒られたり………その辺大丈夫だろうか。
「そんなことないわ! 助けてくれてありがとう………ヴィクターと一緒の班になれるなんて思っていなかったから、すごく嬉しかったわ。」
いや、アナスタシアさん、それはどういう意味で……?
「えっと、同じ班に入りたかったの?」
問い掛けると、アナスタシアさんはキッとこちらを睨んだ。照れ隠しだろうか。
「だって、ヴィクターはお友達と班を組んでいたでしょう。わたくしが入ると気まずい空気にしてしまうから………。」
ベンとニックが気まずかろうがどうでもいい。俺は全然ウェルカムだ。
しかし、アナスタシアさんは気にするよな。
「アナスタシアさんだって、その、お友達なんだから……そんなこと気にしなくても、誘っていいなら全然気兼ねなく誘ったぞ。あいつらは俺がどうにかするし。」
昨日全くどうにもできなかった口で、何を言っているのか。
言葉から少々誘いたかった感が滲み出ているが、アナスタシアさんは気づいてない……な?よし。
「だからよ。」
様子を窺っていると、ムッとしながらこちらに目線を合わせてきた。
口を引き結び、少し頰を膨らませている。かわいいな。
「ヴィクターはお人好しだから、わたくしが困っていたら気にして助けてくれようとするでしょう? 無理はさせたくなかったのよ。でも、本当に嬉しくて………つい甘えてしまったわ。」
行き場なさげに両手を絡み合わせながら、こちらを見てくる。
もうどしどし甘えてくれて差し支えないのですが………。
「別に、普通だろ。」
アナスタシアさんの俺への評価が不当に高い。
やっぱり昨日のアレは俺に気を遣って大丈夫と言ったんだな。
「………というか、あれだ。俺はアナスタシアさんのお友達なんだから、気を遣わなくて良い。もっと頼ってくれ。」
「ヴィクター……」
真剣な瞳でアナスタシアさんが見つめてくる。
視線で穴が空きそうである。
大丈夫? 空いてない? 制服のこの辺に穴空いてない?
「昨日は………誘ったのに何もフォロー出来なかっただろ? 今日はそれを謝ろうと思ってたんだ。頼りなかったと思うが、頼ってほしい。全然迷惑じゃないから困ったら何でも言ってくれ。もしかすると俺でも役に立つかもしれないし。」
言ってて落ち込んできた。
俺が女だったらこんな中途半端な上に金も権力もない卑屈な野郎を頼ったりしない。
しかし、物好きなアナスタシアさんはその挑発するような微笑みを俺に向けた。
「前から頼りにしているわ。」
もうこれは完全に穴が空いている。
制服の上着を新調しなければ。
アナスタシアさんは目からビームの使い手なのかもしれない。
射抜かれている俺をよそに、アナスタシアさんはクリティカル確定技の笑顔を収め、腕を組んでキリッとした顔つきになった。
「だけど、お友達は支え合うものよ。わたくしばかり助けてもらえないわ。」
めちゃくちゃクソ真面目……!
「安心して。昨日は子供たちに対応できる自信がなくって、態度が変に思われたかもしれないけれど…………今日は覚悟してきたから大丈夫よ。子供たちには避けられるでしょうけど、ヴィクターやアスター様たちの負担にならないように頑張るわ!」
こういう生真面目に頑張るアナスタシアさんも好きだ、好きだが……!
「でも、俺は、アナスタシアさんにも楽しいと思って欲しい。」
俺が誘ったのは頑張って欲しいからではないのだ。
「ベンやニックに合わせさせるのも違うと思うが、アナスタシアさんが無理をするなら楽器体験の出し物は変えたい。」
「……わたくしの顔と性格では何をしたって同じよ。子供が逃げてしまうわ。」
「何か、考えよう。準備期間も楽しいヤツがいいな。時間もないし、あいつらにも考えさせよう。」
芸術的な方面で子供の注意を惹きつけるとか………俺の貧弱な脳で絞り出すには時間が足りない。
「いいわよ、ヴィクター。わたくし一人のために時間を無駄にできないわ。」
「俺は楽しそうなアナスタシアさんが見たいんだ。………ダメか?」
アナスタシアさんに制止するように袖を引かれ、欲望が口から漏れた。
……もはや個人的なお願いだな。
アナスタシアさんも驚いたのか固まっている。
「…ヴィクター、貴方相当モテるでしょう。」
「へ?!」
変な声が出た。
唐突に何だ………死角から攻撃するみたいなのやめてくれ。
さっきのフリーズタイムはその攻撃呪文を考えていたんじゃないだろうな。
「…それは初めて言われたな。」
「嘘だわ、こんなに優しくて気が利くのに。」
それは好きな人には頑張って気を回してるからで、他の人にはボーッとして気の利かない地味な男ですからね。
「グリーンウッド様であれだけモテるのだもの。モテないなんておかしいわ。」
アナスタシアさんがまじまじと俺の顔を見る。
まさか超絶美形の色見本と比べてるのか?
そんなに見つめないでくれ……心臓が死ぬ上に顔の粗が見える。ヤツらとは解像度が違うんだから。
「あんまりからかわないでくれ。」
「本当に不思議ね……」
俺の身体をひとしきり、まじまじと眺めたアナスタシアさんは、目からビームが出ていたら今ごろチーズ並みに穴だらけになっているであろう俺の気持ちなど知りもせず、思いついたように手を打った。
それから自信なさげに、ちらりと上目遣いで見てくる。
「そうだわ! 芸術祭の出し物…………少し、頼ってもいいかしら?」
なんか分からんが、即答である。