その11・自分で制御も効かないこんな身体じゃ
「で、結局ナシになったのか。」
昼休み、裏庭のベンチへ行くと既に先客──アナスタシアさんがいて、鳩に焼き菓子のカケラを撒いていた。
俺に報告をしにきてくれたらしく、教室を出た後のやりとりを話してくれた。
「劇をするから5人でないと足りないんですって。」
内容くらい人数に合わせて変更しろよとも思うが、二班に分ければシェリー嬢と組める確率が減って代わりにアナスタシアさんと一緒になる確率が浮上するもんな………。
黄色と緑は確実に反対するだろうな。
あと他の人を増やすにも、シェリー嬢や色見本は他に組むアテがないらしい。
確かにシェリー嬢はずっと色見本たちとくっついているので殆どの女子からは良く思われていないし、男子も色見本と対立したくないので手を出さない。残りは俺たちのような面倒そうだから関わりたくない勢と、シェリー嬢は割と敬遠されている。
同じく色見本も恐れ多いやら面倒やらが理由で増員は見込めない。
というか誰もシェリー嬢+色見本の班なんて入りたくない。胃が潰れるわ。
しかし敬遠されているのはアナスタシアさんも同じである。
先ほどキョロキョロしていた時も、目が合った大人しそうな女子グループは狙われた小動物のようにサッと目を逸らしていた。
権力と威圧感を兼ね備えているため、3人か4人のところに「入れて」と言えばどこも恐れおののきつつ入れてくれるだろうが、仲良し班では残りのメンバーと変な空気になり遠巻きにされること必至。成績狙い班ならそういうことはなさそうだが、成績を上げたいタイプは家格の低い家から成り上がりたい奴や家の為に地道に頑張る奴が多いので、見た目権力女王様のアナスタシアさんとは相性が悪い。粗相をして目をつけられたら大変なのもあり関わりたくないだろう。
「でもそのかわりに、芸術祭の準備期間にパイを差し入れする約束を取り付けたわ! 班で交流できないなら別に機会をとお願いしたの。」
「準備期間なら腹も減るし、バッチリだな。」
「そうなの! やっぱりアップルパイはお昼の後には重たいと思って。どうせならそういう時の方がいいでしょう?」
アナスタシアさんが目を輝かせながら成果報告をしてくる。
こう、フリスビーを取ってきたワンコみたいな………
「やったな。」
頭に手を乗せて軽く撫でると、アナスタシアさんは目をぱちくりさせた。
ん??! なんだこの左手?!
本当に、なんだ………この左手は…?
「わたくし小さい子供ではないわ。」
引き戻した左手を見つめて驚愕していると、アナスタシアさんに怒られた。
「あ、ごめん、あの、これは左手が勝手に…………いや、すみません。」
「許さないわ。わたくしの髪も崩されて怒っているわ。」
アナスタシアさんは自身の髪を指差すと、こちらに見せてきた。確かにちょっとバラついている。
「…これは整えれば機嫌を直してくれるのか?」
「そうね、貴方の左手が誠心誠意謝ってくれれば許すわ。」
これアナスタシアさん怒ってないな? ふざけてるな?
「申し訳ございません。………と、左手が申しております。」
左手をベンチの上で土下座させると、笑い声が漏れた。機嫌良さそうに笑ったアナスタシアさんが左手の甲をツンとつつく。
「ふふ、そうしていると可愛らしく見えてくるから不思議だわ。」
可愛いのはあんただよ。やめろ。
俺の左手を殺す気か。
「へへぇ、許していただけますかお嬢さん。」
このまま可愛がられる空気にいると左手が耐えきれなくなって爆発して死にそうなので、わざとダミ声で卑屈な銭ゲバ商人感を出しておく。
ふざけないとやってられん。
「許します。」
左手をへこへこさせていると、アナスタシアさんが摘まみ上げたコロネのような巻き髪をぴろぴろ動かしながら言った。
巻貝の如きその渦の中は暗く静まっていて、本当に中に何か住んでいて喋っていそうな、そんな感じがする。
「ハハァありがたき幸せ。」
渦の奥に返事をして、平身低頭する俺の左手。このまま続けていると頭が異次元にいってしまいそうだな。話を戻そう。
「ところでアナスタシアさん、班決めは大丈夫か? 入るところのアテはあるのか?」
なぜアナスタシアさんには悪役令嬢標準装備の取り巻きがいないんだ……あれ必須装備じゃないのか?
「大丈夫よ。交流のある家の方に声を掛けるから、心配しないで。」
まぁ、ちょっとギクシャクするだろうが、オブライエンの頼みを断る奴はそう居ないだろうからな。
「では、授業を終わります。」
5限目の後、教室は戦々恐々とした空気に包まれた。
原因はアナスタシアさんの放つ殺気、もとい締め切り前の漫画家のような鬼気迫るオーラである。
おいアナスタシアさん、全然大丈夫じゃないぞ。なんでさっきの休み時間にご令嬢グループに声を掛けた時、一瞬固まられただけで引き下がったんだ。そりゃ空気は重いだろうけど、断られはしないはず………ん? だからか? 無理させるのが悪いからとかか?
「なぁヴィクター、まずくないか? 誰か誘わないと人死にが出るぞ。」
気を遣って大丈夫と言ったんだろうかと考える俺をよそに、俺を除くクラスメートのその他モブ共はなぜか「アナスタシアさんは自分が声を掛けられるべきだと思って待っておりこのまま誰も声を掛けなければ怒りが爆発する派」と「殿下の班に入れなかったので機嫌がMAX悪くどうしようもない派」に分かれている。
前者は誰かが誘わなければ事態が悪化すると考えてはいるが、恐れからなかなか手が上がらない。
後者はそもそも触れる気がない。
よって、このままだとアナスタシアさんが誘われる確率はないに等しい。
「ならお前が誘えよ。」
「いや、俺みたいな三下貴族が誘っても不快にさせるだけだろ。」
ニックとベンも後ろでごちゃごちゃ言っている。
もはや教室の中で無言の押し付け合いが始まっているが、それを察してかアナスタシアさんがついに立ち上がった。
そりゃそうか。もうすぐ先生が来て、班決めの聞き取りが始まってしまう。
やっぱり、立場のある家の人が班決めで余るのはマズいはず。世間体的によろしくない気がする。人前で弱みを見せるのを良しとしないアナスタシアさんが、この社交界の縮図みたいな学園で自由班を組めずに平気なはずない。
となると、今誰かに声をかけるしかない。相手に無理させたら悪いとか考えている場合ではない。
その死地に赴く兵士のような表情で声をかけて、それでも頷かれるだろうが、不興を買うまいとめちゃくちゃ気を遣われる芸術祭期間を迎える羽目になる。
絶対に居心地が悪い。全く楽しくない。楽しさのかけらもない。
「……あ、まずいな~。よく考えたら準備するのに3人じゃキツいな。大変だな~。」
唐突に大きめの声で一人芝居を始めた俺に、ベンとニックが驚いたように視線を向けた。
立ち上がったばかりのアナスタシアさんも机に手をついたままこちらを見ているのが分かった。
「あと一人くらいいた方が良くないか? 誰かまだ決めてない奴がいればな~。」
俺は何を口走っているんだ?
なんだか良く分からない。アナスタシアさんが出兵してタイムリミットが迫っているとか考えていたらいつの間にかこうなっていた。
慌てると人間おかしな行動をすることがあるが、それだろうか。
クラス中の視線が集まっている気がする。すごい、いたたまれない。
軽く汗をかきつつアナスタシアさんをチラ見すると、真紅の瞳と目が合った。
「……あ、えっと………誰もいない…か……?」
さっきまで勝手に滑らかに喋っていた俺の口は急に活動をやめ、猛烈ないたたまれなさだけが残っている。
よく考えたら、俺とこう、公然と交流を持つのってアナスタシアさん的にはOKなのか?
家の人に友達は選べとか言われたり……なかなか余計なお世話………
「わたくしでお力になれるかしら。」
弱気になっていく俺の思考に、頭上から涼やかな声が降ってきた。
声の主は言わずもがな、眉間に力を込めたアナスタシアさんその人である。