その9・平和な午後 with 鳩
大変遅くなりました。
裏庭のベンチ。
鳩がバサバサと飛び去り、その向こうからアナスタシアさんが歩いて来た。
「ご機嫌ようヴィクター。お隣、いいかしら?」
「どうぞ。」
この前のクッキーは無事に昼食の席で出すことができ、その後も数回一緒にお昼を食べているのを確認した。
俺はその度、娘のはじめてのお遣いを尾行する父親の如く死角から様子を窺っていたが、大きな揉め事は無かった。
やはりレイモンドとアンバーはアナスタシアさんのクッキーを食わなかったようだが、概ね成功と言って良いだろう。
「また味見係の出番か?」
「ええ、今回はアップルパイに挑戦してみたの。」
「アップルパイか。作るの大変そうだな。」
バスケットの中から六つ切りにされた円形のパイが登場する。
ここ最近俺は、味見係という美味しい役どころを拝命した為、しょっちゅうアナスタシアさん作のお菓子を食べられるという幸運に見舞われている。
そろそろ体脂肪が心配な感じ。運動とか始めるべきだろうか。
殿下達の為と思うと憎たらしいが、そのお陰でもあるので複雑なところだ。
「メアリーに一から教わったから、ちゃんと出来ている筈よ。」
メアリーとは、彼女の専属侍女だ。
休暇の間はオブライエン家お抱えの料理人に教わっていたようだが、学園ではメアリーさんに教えてもらっているらしい。
「いただきます。」
美味しい。
初めの砂糖クッキーが嘘みたいに、本当にお菓子作りが趣味の人が作ったような美味しさ。
流石やればできる子、アナスタシアさん。
「よく出来てるぞ。美味しい。」
「良かったわ。」
微笑むアナスタシアさんに勧められ、二つ目に手をつける。
その顔、それ。
それを王子にぶちかますんだ!………無理だろうけど…。
「ひとつだけシロップをたくさんかけたのを入れておいたら楽しいと思ったのだけど、メアリーに止められたわ。」
危うくむせかけた。
アナスタシアさん、それはロシアンルーレットだ。
「甘過ぎると味を損ねるからやめなさい。」
「………だめかしら?」
「上目遣いしてもダメッ!」
メアリーさんが止めてくれて良かった………。
俺に当たったら食べきる自信がない。
「でも皆さんと食べる時は、当たりがあった方が楽しいのではないかしら?」
そんなところでお茶目心を出すんじゃないッ!
どこから仕入れて来たんだ、そんな庶民のパーティみたいなネタ!
「それが当たりなのはアナスタシアさんだけだぞ。」
良くて嫌がらせ、悪くて毒殺未遂事件に発展しそうだ。あの色見本のメンツなら、高確率で事件である。
糖尿病にさせて殺す気だとか───ちょっとボケだした、嫁に介護されてる意地悪な姑が言いそうなことを言いかねない。
そもそもアナスタシアさんがあの場でそんなパーティ的なことを出来るとも思えないが。
「ふふふ、冗談よ。」
「な、なっ………?!」
アナスタシアさんがクスクス笑っている。
「そんなに焦った顔をしなくても、まだ自然にお話もできない相手にそんなことしないわ。」
「心臓に悪い………。」
「やろうと思ったのは本当だけど、お友達だけよ。」
あ、俺のには入れる気だったんですね。
「これで十分美味しいんだから、変な隠し味とか入れるなよ。」
料理に慣れてない初心者に限って、恐ろしい隠し味をぶちかますと聞く。
アナスタシアさんなら、アップルパイのアップルをリンゴ型の砂糖菓子に飴のコーティングをしたやつとかに変えかねない。
もはやアップルパイじゃない。アップルジャナイパイだ。
そう思いながら釘を刺すと、アナスタシアさんは口元に手を添えて目を瞬かせた。
「ヴィクターって何だかお母様みたいだわ。」
「俺に母性を感じるのはやめてもらえませんかね。」
「いいじゃないの。だって、なんだか落ち着くもの。」
あっ、それは………ちょっと胸がフワッとした。
ヤバい。もう母になってもいいかもしれない。いや、なにを馬鹿な……。
「どうせなら、ときめいてくれてもいいんだけどな。」
ポワポワした気分を必死に振り払っていると、俺の声で色見本みたいなセリフが聞こえた。
というか実際俺の口が言った。
ん? ………………ん?!
何て?! 俺何て?!
こっわ! 無意識こっわ!!
乙女ゲームのキャラか!! 俺が言ってどうする!! 一般人が言うと寒いわ!!
「ふふ、ヴィクターもそんな風に思うのね。女の子だけかと思っていたわ。」
俺が自身の失言と寒さに身悶えしている間に、アナスタシアさんは微笑ましいものを見る目で俺を眺めていた。
あ、これ全然俺のこと意識してませんね。
女の子と比較されてますからね。
「さっきのはナシです、ナシ。忘れてくれ。」
恐らく顔が赤くなっているので、隠すように手を前にかざしながら訂正する。
「可愛らしいのに。ほら、……ふふっ…」
かざした俺の手を掴んで、ガードを無力化させたアナスタシアさんが堪えるように笑う。
俺の赤面を見て楽しんでいるな?!
「それ以上は見たら死ぬ! 俺が!」
「それは困ったわ。」
そう言いつつも手を離してくれない。
俺が振り払えないと知っての所業か。
「さてはアナスタシアさん、この前の仕返しだな……?」
「あらバレてしまったわね。」
この前照れてるアナスタシアさんの顔を見たことを、まだ根に持っている。ここは俺もアナスタシアさん風般若フェイスを繰り出すべきか。
「………っ、やめてちょうだい……そ、そんな面白い顔、反則よ。」
俺の手首を掴んでいた手で今度は自分の口許を抑え、向こうを向いて笑い出した。失敗である。
俺は面白い顔などしていない。心外だ。
結果的に手は離れたのでそこに関しては成功だが。
「アナスタシアさん、そんなに笑いの沸点低かったか?」
教室では笑ったところなんて見たことがない。
そもそも声を上げて笑うなんてはしたないとか言いそうなタイプだった。
「わたくしが特別に笑い上戸な訳ではなくってよ。」
「………そうか?」
なら何故そんなに笑っていたのか。解せぬ。
アナスタシアさんは、解せぬのが顔に出ていたであろう俺を放置してアップルパイの入ったバスケットを閉じる。
あ、あ………それ残りはくれないのか?
「ヴィクターのお墨付きももらえたことだから、隙を突いてアップルパイもお出ししてみるわ。」
そうだな、いいと思う。十分合格点だろう。
その悪役のような自信満々顔で隙を突くという表現をするのは、悪いことをしようとしているように聞こえるので少し気になるが、別にいい。隙を突いて色見本どものハートをガンガンぶっ刺していこう。
「あぁ。」
それより気になるのは目の前のパイの行方である。あと4切れ残っている筈だが、もう片付けたし引っ込めてしまうのか?
確かに、ベンじゃあるまいし俺が一人でワンホール食べきるつもりだとはアナスタシアさんも思っていないだろう。俺だって無理だと思う。
だが俺は貰えるつもりだったのだ。
よく考えたらすごく欲張りだな。意地汚いとも言う。
「ヴィクター?」
無意識にバスケットへと伸びていた俺の手に、アナスタシアさんが視線を落とす。
「あ、いや………」
手を引っ込めようとした俺を見て不思議そうにしている。
それから、引っ込みつつあるその手にバスケットを渡してきた。
「よかったら、残りはお友達とでも食べて。」
俺は心の中でガッツポーズをした。
「アナスタシアさんは食べないのか?」
「わたくしは試作をメアリーと食べたから、今日はもう食べられそうにないわ。」
「ではありがたくいただきます。」
今日は寮に帰ったら一人でパイ祭りだな。
なかなか胃に重そうだが運動すれば大丈夫大丈夫。
「それにしてもヴィクターはよく鳩に囲まれているわね。」
アナスタシアさんが不思議そうに呟く。
見ると、先ほど散った鳩が再びじわじわ戻ってきつつあった。
「よく余ったパンをやってるからな。」
鳩にパンをやるのはあまり良くなかったような気がするが、恐らく前世かそこらの話だろう。
学園では特に禁止されていないので、俺はパンが余ったら決まった場所で撒くようにしている。
初めは捨てるのも勿体ないし……という理由からだったのだが、妙にハマってしまいやめられず、わざと少し残している日もある。
「お祖父様みたいね。」
「お母様の次はお祖父様か。」
「うふふ、冗談よ。」
いやまあ、俺も公園にいるじいさんみたいだなとは思っていた。
ボーッと鳩を眺めていると心が無になって安らぐんだよな。疲れてるのか俺は?
「鳩にあげてはダメよ。」
一緒になって鳩の様子を眺めていたアナスタシアさんが、俺の手の中にあるバスケットを見ながら釘を刺す。
余ったパンはやるがアナスタシアさんのアップルパイは残さないし言われなくてもやらないぞ。
「そんな勿体ないことしないよ。」
「あら、今のはちょっとときめいたわ。」
びっくり!といった様子で大げさに口許を手で覆う仕草に、近づいていた鳩が一羽、驚いてバサバサと飛んだ。
本当にときめいたら、そんな風に言えませんよ。