第九話 新しい日常
ユキノは急に真顔になって、姿勢を正す。それまでは平紐をサスペンダーのように使って、長くてゆったりした袖を捲り上げて固定していたが、彼はそれを解いて袖を下ろすと両手を膝に乗せた。
ヴィヴィアンはそんなユキノをまっすぐ見据えながら、まずは質問をぶつけた。
「とりあえず、お前は今のところどう思ってる? これからどうするか、あては見つかったのか」
「……あては何にもない。このままじゃ帰るしかないけど、でも俺は魔法を学んで帰らないと意味がないんだ」
こちらを見つめるユキノの瞳は真剣そのものだった。ヴィヴィアンは軽く頭をかきながら、ちらちらと辺りを見回して彼に告げる。
「俺んちは見たとおり収入が安定しない上に、俺はまだ人に何か教えられるほど完成した魔道士じゃない。偉そうに胸張って師匠だなんて言えるレベルじゃない。だから師匠としては不適合で、弟子なんか取れるほど余裕はない」
「俺はそれでもいい。別に世界一強くなろうとしてるわけじゃないから。村ひとつ護れる力があれば、それ以上は望まない」
ヴィヴィアンが一人いたところで、彼の村が救われるかどうかは危うい。たとえユキノがヴィヴィアンと同列に並んだところで、彼が村を救えるかどうかはわからない。ならばもっと確実に力をつけてくれるほかの師匠の門下に入ったほうが良いのではないだろうか。
「もし要望があれば、無償で首都圏の魔道士を探してやれないこともないけど」
「俺はここがいい」
「何で? もっと完成したスキルが手に入るとしてもか?」
この街にだって、ヴィヴィアンしか魔道士がいないわけではない。ヴィヴィアンには少し劣るかもしれないが、他にももっと年齢層の高い荘厳な魔道士たちがいるのだ。教会の神父あたりなら、教えるのも上手そうだと思うが。
「うん。ヴィヴィアンは素質があるって言ってくれたけど、首都の人がそうとは限らないし。折角認めてもらえたんだし」
「俺は別に」
認めたわけじゃない、と言い訳しようとした。しかし、ユキノが割り込んでくる。
「だってヴィヴィアンは俺のこと、ちゃんと名前で呼んでくれるから。俺はふつう、知らない人にはバケモノとしか呼ばれない。ヴィヴィアンは初対面なのに俺と話してくれた。その気があれば魔法で遠ざける事だってできるくせに」
確かに、思ってみれば。そんな呪文をしらないわけではなかった。
けれど、ヴィヴィアンはユキノを拒絶しきれなかった。モノ扱いして遠ざけることもできたはずだったのに、最初からそんな選択肢には思考が至らなかった。
ユキノの母国に興味があるとか、ユキノが同年代だからとか、そいういうことは関係ない気がした。ただ、放っておけなかった。疲れ果てた旅人を無下にできなかった。きっとそれだけだ。
自分にそんな世話焼きな一面があることをヴィヴィアンは意外に思っていた。面倒くさいことは嫌いだし、責任がつきまとうことは嫌いだ。しかし、引き受けなければいけない問題なら、どんなに面倒でも責任が重大だとしても、ヴィヴィアンは途中でそれを放り出すことはしない。だから面倒くさい仕事なら、それなりに相手にも本気さと責任を求めるのだ。
「俺、真面目にやるよ。聞いたことは忘れない。学習能力は割と高いほうなんだ。だから読み方さえ教われば、エンカンタリアの文法にもきっとすぐ慣れる」
ユキノはヴィヴィアンを相変わらず真っ直ぐ見つめていた。彼は信念や求める理想をはっきりとさせている。抽象的に『強くなりたい』というだけの男ではないのだ。ならば、教えるほうとしても少しはやりやすそうだ。
「絶対にここじゃなきゃ嫌か」
「嫌」
「後悔しないか」
「絶対しない」
何を訊ねても、答えは全て最初から解っている。それでもヴィヴィアンは、彼にひとつひとつ確認していった。
「後から文句言うなよ」
「うん」
「途中で逃げるなよ」
「逃げない」
「途中で死ぬなよ」
「死なないよ絶対」
「ちゃんと教えたこと守れ」
「うん。師匠は絶対だ」
「……やばい、他にも思いつく。あとから色々規約作るわ」
断ることもできる依頼だった。けれど、断ってしまえるほど他人のことを考えられない思考回路は持ち合わせていない。もしもここで断って、またユキノが路地裏で倒れていたら、ヴィヴィアンは絶対に後悔する。
「空き部屋あるけど自分で掃除しろよ」
「うん、あたりま…… え? あれ、いいの? それって、ヴィヴィアンの弟子にしてくれるってこと?」
「その、村の人だっけ。そいつ、俺しか候補挙げなかったんだろ」
「うん」
「俺しか頼りがいないんだったら、俺だってまかされた責任を全うするべきだと思うから。お前には村人全員の期待が乗っかってるわけだろ。そう言うとすげー慈善活動じみてて嫌なんだけど、お前がいればたぶん俺の生活は楽になるだろうから」
「やった!」
ユキノは満面の笑みを浮かべて飛び跳ねる。ヴィヴィアンは少し呆れながら、はしゃぐユキノを見て苦笑する。
「とりあえず飯作れ。俺は誓約書作る」
「了解です師匠!」
肩の荷が下りたようにすっきりした笑顔で魚を焼き始めるユキノに、ヴィヴィアンは少しだけ安心した。はしゃぎすぎる点は良くないが、ユキノの性格は嫌ではない。なかなか骨のある男ではないか。
さて、誓約書には何を書けばいいだろう。市長への請求に使うような上質な紙に羽ペンで第一条、と記しながらヴィヴィアンは考える。
「なあなあヴィヴィアン、昼飯は何が良い?」
「お前のその金貨あるだろ。あれは半分くらい生活費に回すから、あれで何か適当に買ってこい」
答えながら、思いついたことを紙に書いていく。第一条、掃除と炊飯は義務とする。第二条、勝手に出歩かない。
「ヴィヴィアーン! ユキノの具合は……」
突然入ってきた声にびくりとする。背後を振り返ると戸口にナタリアがいた。ドアを開けてやると、ナタリアが料理をしているユキノを見つけて大絶叫する。そしてヴィヴィアンそっちのけでユキノの方へ飛んでいった。
「きゃー! ちゃんと元気になったじゃないのユキノ! 良かったわ、具合はどう?」
ユキノはナタリアを振り返り、清清しい笑顔で朝の挨拶をしている。そんな二人を戸口でじっと窺っているローザを見つけて、ヴィヴィアンは手招いてやった。彼女はおずおずと店に入ってきて、ヴィヴィアンの隣に座った。
「おはよう」
「おはよ」
交わしたのは挨拶だけだったが、ぎこちなかったり冷たかったりするわけではなかった。ヴィヴィアンは誓約書の続きを書いていく。第三条、勝手に施錠呪文を使わないこと。解かないこと。
「あれ、俺が熱出してぶっ倒れてたのヴィヴィアンに聞いた?」
「そうよ、それで依頼がキャンセルになったの。今夜きてくれるかしらヴィヴィアン」
話を振られたので、向こうを見ずに答える。
「問題ない」
このタイミングでようやく話に入れるようになったローザは、席を立ってユキノの方へ歩いていく。
「ユキノさん、良かった」
「ありがと、心配してくれたんだ」
ローザとユキノが会話を始めたところで、ナタリアがヴィヴィアンの元に入れ替わりでやってきた。
「それ、何書いてるの?」
「誓約書。これで契約したら俺とこいつは師弟になる」
そういうと、楽しそうに料理をしているユキノ以外の二人が固まった。
「し、てい?」
「何だ、反対なのか?」
半眼で答えてやると、ナタリアとローザは顔を見合わせた。
「ち、違うわよ! あんた、ユキノを弟子にすることに決めたのね?」
「悪いか」
またしばらく沈黙があった。しかし、ナタリアは次第に表情を明るくさせ、ついにはユキノの方へ走っていった。
「ユキノぉお! 良かったじゃない、おめでとう!」
ナタリアは再びすっ飛んでいってユキノに抱きついたが、その拍子にフライパンに触れてしまったらしいユキノはすさまじい叫び声を上げた。
「熱っ! あっつ! ごめ、ナタリア、今はやめて!」
「きゃっ、ごめんなさいユキノ! すぐ冷やすわ」
「ゆ、ユキノさん大丈夫?」
「うわあ焦げる、魚焦げる! ナタリア、フライパン頼む!」
「私がやるよっ」
騒々しい彼らの声を聞いたヴィヴィアンは、羽ペンを持つ手を休めて白けた視線を向こうに送ってみた。しかし誰も気づかない。空しくなってきてため息をついてみたが、やはり台所でどたばたやっている彼らは気づいていない。
「……何やってんだあいつら」
しかし、この空気が新鮮で、少し楽しいのも事実だ。
「ユキノ、飯はたけたのか」
「あっ、今度は飯が焦げる! ナタリアー!」
更に忙しくなる台所の様子に、ヴィヴィアンは仕方なく出向いていった。水で腕を冷やしているユキノを止め、魔法でやけどを治してやる。そうすると今度は戸口の方で声がしたので、今度は仕事着を羽織って外へ出る。
慌しいが、悪くない。リリエンソール家のあたらしい一日は、まだ始まったばかりだ。