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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第六十話   忍び寄る闇

 昼食を平らげてから、ヴィヴィアンはしばらく食卓から動く気が起きずに座ったままでいた。ユキノはせっせと洗い物をし、洗い終わった食器を魔法で乾かしている。何度かてこずっていたが、ようやく彼も乾かす呪文をまともに使えるようになったようだ。

 面倒くさくて手伝うと申し出なかったが、ユキノはヴィヴィアンが何もしないことを咎めるでもなく黙々と作業していた。

 やがて作業が終わると、ユキノは前掛けで手を拭きながら食卓のほうに歩いてくる。手は魔法で乾かさないらしい。

「なあヴィヴィアン、氷の魔法を練習したいんだけど付き合ってよ」

「え。俺を凍らすのか」

「違うよ! 何か凍らせてもいいものある?」

「うーん…… そうだな。水を出してやる、すぐ凍らせて見せろ」

「やってみる」

 そんな会話をしていたときだった。静かに店のドアが開いてドアチャイムが鳴り、薬草のような不思議な香りがふわりと漂う。振り返ると、店の入り口にジーイェがいた。相変わらず、この暑いのに長袖のリェンホアの民族衣装を着ている。

「いらっしゃいませ」

 言いながら立ち上がると、ジーイェは細面に笑みを浮かべた。やはりどうにも悪人らしく見える顔立ちだが、物腰も穏やかだし言葉遣いも丁寧だ。すでに何度も来訪してくれているこの人がこのまま常連になれば、隣の国あたりから来ているユキノも喜ぶかもしれない。

「今日もいい天気ですねえ」

 ジーイェが歩いてくるので、ヴィヴィアンはリビングのソファへ彼を案内した。気を利かせたユキノが冷たい水をグラスに入れ、人数分用意してテーブルに並べる。

「おや、これは冷たい。いいですねえ、魔法ですか」

「そうです、まだまだ練習中なんですけど。暑くないんですか? その服」

「私は汗をあまりかきませんから」

 氷水で絞った手ぬぐいを差し出そうとするユキノに穏やかなしぐさで首を横に振り、ジーイェは細長い足をゆったりと組む。確かに彼は涼しげで、あまり汗をかいているようには見えなかった。

「今日のご依頼は?」

 ユキノが用意した水に口をつけながら、ヴィヴィアンは尋ねた。ジーイェはにっこりと笑い、細い指先でズボンのポケットから何か小さなものを出した。

 テーブルの上に置かれたのは陶製のボタンのようだ。細い紅い線で花の絵が描いてある。おそらく、ジーイェが着ている東国風の衣服についているものだろう。

「服のボタンがひとつ欠けたんですが、同じものがなかなかなくて。魔法で複製することはできませんか?」

 口ぶりからすると、無くてもあまり困らないもののようである。報酬は安めに設定しておこうと思いながら、ヴィヴィアンは頷いた。

「お安い御用です」

「ふふ、助かります。綺麗な細工でしょう、母国から持ってきたものなんです」

 ジーイェは細い目を更に細め、テーブルに置いた陶製のボタンを摘み上げる。彼にしろユキノにしろ、東国人はエンカンタリアのスタイルが嫌いなのかもしれないとヴィヴィアンは思った。彼らのようにゆったりした過ごしやすそうな衣服を着慣れていると、エンカンタリアの服は窮屈なのだろう。

「ユキノ、裁縫箱どこだ。ナタリアのでもいい」

「持ってくる」

 ユキノは姿勢よく立ち上がると、きびきびした足取りで階段を登っていった。その後姿を眺めながら、ジーイェは機嫌よさそうに笑う。

「実に綺麗な姿勢ですねえ。王宮の衛兵でもあんなに美しくは歩けますまい」

「あいつはちょっとしっかりしすぎてるところがありますから」

「自慢のお弟子さんでしょう」

「……ええ、まあ」

 自慢の弟子。実際そうなのだが、なんだか照れくさい気分だ。口の端が上がるのを感じて慌てて真顔を繕う。そんなヴィヴィアンを見て、ジーイェは隠さずににやりとした。歳を感じさせない、少年のような笑みだ。

「本当に、よく気のつくいいお弟子さんです」

「ちょっと、からかってませんか」

 思わず半笑いで応じると、ジーイェは声を上げて笑う。しかしまだやめる気がないようで、組んだ細い指の上に顎を乗っけながら彼はなおも続ける。

「宝物でしょう」

「っ、そうです」

「彼を手放すのは惜しいですねえ。いつか一人立ちするんですから」

「ええ、本当に」

 本当のこととはいえ、何となく気恥ずかしい。耐えかねてジーイェから目をそらして笑い声を漏らせば、彼はやっと満足したのかユキノをべた褒めする攻撃をやめた。いや、単にユキノが階段から降りてくるのを見つけたからかもしれないのだが。

「お待たせ、ヴィヴィアン。白いボタンがまとめて箱に入れてあったから、そっちの方を持ってきたよ」

「冴えてるな。やろうとしたことが分かったのか」

「えへへ」

 ユキノは大切そうに抱えていた木の小箱を開けると、テーブルに置いた。白い陶製のボタンがたくさん入っているこの箱は、おそらくナタリアの裁縫道具の一部だろう。自分の部屋でこんなものを見た記憶は無い。

 箱の中から欠けても汚れてもいないものをひとつ選び取り、ジーイェが持ってきた細工入りのボタンと並べて置く。興味深げにヴィヴィアンの挙動を窺いながら、ユキノはやっとソファに座った。

「同じものへと変化させます」

 そう言いながら白いボタンを摘み上げると、ヴィヴィアンはゆったりと呪文を紡ぐ。空いた右手で花の模様が入ったほうのボタンを撫でながら、丁寧に魔法をかける。そうするとやがて、無地のボタンの大きさが微妙に変化し、徐々に紅い線も浮かんできた。

「……リエル・ティル・ノウツ。はい、完成」

 完成したボタンをテーブルに置くと、今まで息をひそめてじっとしていたユキノが弾かれたようにソファから立ち上がった。ジーイェは細い目をさらに細め、小さく息を吐きながら感心したように手を叩く。

「うわあ! 同じのが二つになった!」

「本当ですねえ、まったく同じだ。これは嬉しい」

 ジーイェは満足そうに二つのボタンを見比べ、深い笑みを浮かべる。

「よかった。よそ行きの服をまたあつらえるのは大変ですから」

 彼はそう言いながら、懐に手を入れて紙の包みを取り出した。彼はその中から、銀色の貨幣を数枚選んでヴィヴィアンに差し出した。

「リェンホアの銀貨ですが、受け取ってもらえますか。お近づきの印に。お代は別に支払います」

「いや、これでいいですよ。確かに受け取りました」

 ヴィヴィアンは銀貨を両手で受取ると、テーブルに据えてあるメモ(要らなくなった依頼書の端をナタリアが切って置いておいてくれたものだ)を一枚取った。そこに受領証としてサインを加えてジーイェに渡すと、ジーイェは楽しげに笑った。サインの文字が揺らめくようにして紙に定着していく様子が面白いのだろうか。

「これからも足繁く通わせていただきますね」

 ボタンを仕舞い、受領証も懐に入れるとジーイェは立ち上がった。どうやら彼はこの店が気に入ったらしい。それは嬉しいことだ。

「お待ちしています」

「それでは」

 軽く頭を下げるジーイェに、ソファから立ったままだったユキノが声をかける。

「玄関までお送りします」

 弟子にだけやらせるわけにはいかない。ヴィヴィアンも立ち上がり、ジーイェを送り出す。

「また私の家でお茶をしませんか、お弟子さん。あなたの淹れたお茶は美味しかったですから」

「そうですか、それは是非とも。茶菓子を持参します」

「楽しみにしていますよ」

 二人がそんな会話をしている。ジーイェはユキノのことをかなり気に入っているようだったから、この先何度もお茶会をするのだろうとヴィヴィアンは思った。家のなかで自分とだけ顔を付き合わせる毎日はきっと退屈だろうから、ユキノにも彼独自の人間関係を築いてもらえたらいい。

「ああ、いい天気だ。この調子なら今夜も月が明るいでしょう」

「魔物が出なくなるといいですね」

 ヴィヴィアンがそう言うと、ジーイェは難しそうな顔で首をかしげた。

「どうでしょう。月光で力が強くなる魔物もいるとリェンホアでは言い伝えられていますからねえ」

「イリナギでもですよ。お気をつけて」

「ええ、お弟子さん。あなたも」

 ジーイェはユキノと握手をすると、機嫌よさそうに何度か振り返りながら、陽炎のゆらめく昼下がりの街へと歩き出す。そうして、相変わらず人通りの減ったままの通りの向こうへとゆっくり消えていった。

「……いたた」

 去っていくジーイェの後姿をぼんやり眺めていると、隣の弟子が突然小さく声を上げた。

「どうした? 傷が痛むのか」

「なんだろう…… 突然手首が痛くなったんだ。痛めたかな」

 右手首をさすりながら、ユキノは首を傾げた。彼の利き腕は右だ。刀を握っているのも基本的には右だし、家事の際に重いものを持ち上げようとして痛めたりすることは十分考えられる。

「お前は自然治癒力を前借りしているから、ちょっとのことでも体を傷めやすいんだ。注意して生活しとけよ、結界のある空間なら治癒力の回復も早いはずだ」

 彼は命あるかぎり無理をし続けそうな男なのだ。課せられた仕事はどんな難題でもやり遂げるまで責任感を持ち続けるし、それは家事などの日常生活においても例外ではない。たぶん言ってもあまり効果はないだろうと思いながら、忠告せずにはいられなかった。

「気をつける。そうだ、日が傾く前に夕飯の買出しに行くよ。最近じゃ夕方五時には店が全部閉まっちゃうから。何か食べたいものは?」

「あっさりしたものがいい」

「わかった。じゃ、行ってくる。終わったら魔法の指導をお願いします」

「うむ」

 ユキノは微笑んで、まだ強い日差しの注ぐ街へと姿勢良く歩いていった。彼の背筋はいつも真っ直ぐだし、歩いている姿にブレがないので良い意味で目立つとヴィヴィアンは思う。

 買出しに行ったユキノを待ちながら、ヴィヴィアンはソファに深く腰掛けて欠伸をする。魔力も治癒力も完全に戻ってはいないので、休めるうちに休んでおくのがいいだろう。とはいえ今日はまだアイアランド姉妹の様子を確認していないので、ヴィヴィアンは欠伸で滲んだ涙を拭いながら空中に小さく魔法陣を描いた。

「ナタリア、いるか」

「ヴィヴィアン、今起きたのかしら?」

こころなしかナタリアの声が暗い。思わず反応が一拍遅れた。昼寝の前に軽く声をかけておこうかというぐらいの気持ちだったから、まさかナタリアやローザに深刻な何らかの問題が発生しているとは予想していなかったのだ。

「……いや、ユキノに魔法教えてた。何かあったのか、暗いぞ」

「大丈夫よ。さっきまでお葬式に出ていたの、叔母さんといとこの」

「そうだったのか」

 とっさに気の利いた反応ができず、ヴィヴィアンは黙り込む。

 あれだけたくさんの人が死んでいたのだ。そこに知り合いが全く含まれていない確率はかなり低いのではないかと思う。知らせを受けていないだけで、ヴィヴィアンの身近な友人ももしかしたらすでにこの世にいないかもしれない。そんなことを考えると、胸がつまったようになる。

 言葉が何もでてこない。何を言っても軽くなってしまう気がした。明らかに自分は平和ボケしていたのだ。自分の居住空間と親しい友人だけ安全だったら、外があれほどひどい状態でも結局は他人事という認識だったのだろう。どす黒い感情が胸の中を汚していく。自分の甘さに反吐が出そうだ。

「今日は家から出ないわ」

 長らくの沈黙を破り、ナタリアは消え入りそうな声で呟いた。ヴィヴィアンは黙って頷き、そういえば声しか相手に届いていないことを思い出して魔法陣に話しかける。

「そうしろ。ローザはどうしたんだ」

「ふさぎ込んでいるわ。叔母さんもいとこも、とても良くしてくれていた人たちなのよ」

「辛かったな、本当に。何もできなくてごめんな」

 ナタリアの叔母といとこは、話に聞いたことはあったが面識はない。アイアランド家の四人は全員無事でほっとしていたというのに、まさかこんな形で被害を認識するとは思っていなかった。ナタリアにとっては大事な人たちのうちの一部である親戚をこんな残酷な形で亡くし、自分の魔物に対する対応の甘さと周囲の状況をやっと突きつけられた気がする。

 ヴィヴィアンだけが気をつける問題ではない。肝心の騎士団の話をまったく聞かないということは彼らは全然働いてくれていないのだろうし、街の人たちの魔力はひとところに留まっている感じがしない。きっとそれぞれが自分の家族や友人を護るために家に結界を張り、息をひそめているのだ。数日前に商工会議所の警護をした魔導師たちだって、そこに自分の仲間がいるから引き受けたに違いない。

 誰もボランティアでヒーローになってくれるわけではない。どの魔道士たちもヴィヴィアンと同じく、ごく親しい人たちを護るので精一杯なのだということを認めざるを得なかった。

 必ず護りの手が届かない人がいる。真面目に仕事をして食い殺された配管工のように、ほんの少し気をそらしている間に奪われてしまう命がある。

「……本当に、俺は何もできなかった」

「あんたまで落ち込まなくていいのよ。心配してくれてありがとう」

「明日、なんか予定入ってるか?」

 他にも親戚が死んだなんて答えが返ってこないといいと思いながら、ヴィヴィアンはそう尋ねた。できれば目の届くところに友人を置いておきたい。

 エストルは心配ないし、ロジェだって発明品があるから魔物を撃退できる。それに、ダンスパーティーの時期には王宮からティエール家のお抱え魔道士が邸宅を警護にくるはずなのだ。そうなると、心配なのは戦うすべを持たないアイアランド姉妹だった。

「ずっと家にいるつもりだったわ。ねえ、迎えにきてくれないかしら。あんたの顔見たら、きっと落ち着くもの」

 そういうナタリアの声のトーンが本格的に暗いので、ヴィヴィアンは反射的に頷いた。

「行くよ。家出る前に連絡する」

「嬉しいわ。それじゃ、また明日」

 今すぐ会いたいから迎えに来いと言われることも予測していたのに、彼女は誰にも会わずに部屋に閉じこもることを選んだ。相当参っているようだ。

 声すら聞こえてこなかったローザの方に関しては、完全にダウンしている状態なのだろう。それでなくとも二人には最近心労をかけっぱなしだったから、その非は自分にもあるような気がしてヴィヴィアンまでなんだかへこむ。

 ため息をついて天井を見上げ、ユキノの帰りを待つ。次第にうつらうつらしてきたのでまずいと思うが、どうせユキノが起こしてくれるだろうという気持ちに負けてヴィヴィアンは寝付いた。

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