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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第五十九話  面倒くさい弟子

 手紙を返そうと、ヴィヴィアンは立ち上がったユキノのもとへと歩いていく。そうするとユキノは嬉しそうにヴィヴィアンに駆け寄ってきた。

「これ、どうやって送るの?」

「紙飛行機折れるか」

「出来る」

 会話しながらヴィヴィアンは元のように椅子に座り、ユキノもヴィヴィアンの向かいに腰を下ろす。ヴィヴィアンは手紙をユキノに返した。

「これを折って紙飛行機を作れ。イリナギってどっち?」

「えーっと、東だからたぶんあっち」

 窓のない壁の方を指差しながらユキノは言い、言いながら丁寧に手紙を折りたたんで紙飛行機を作る。

「折ったらそっちに向かって投げろ。それを受け取る相手のことを思いながら」

「すぐ届く?」

「一瞬。北国にいる両親にも一瞬でついたから」

「わかった、やってみる」

 丁寧だが迅速に紙飛行機を折ったユキノは、折りあがった紙飛行機の全体をくまなく眺めてチェックして、羽の角度を調整しながらヴィヴィアンを見上げた。頷いてやると、彼は真面目な顔で頷き返した。

 そして、立ち上がって東の方角をまっすぐに見据える。まるでその目に遥か遠くのイリナギが映っているかのようだ。

「無事に届きますように」

 拝むように紙飛行機を掲げると、ユキノは勢いをつけて壁に向かって紙飛行機を投げた。飛行機は真っ直ぐに飛び、壁を抜けて飛んでいった。ユキノは壁をじっと眺め、やがてほっとしたように溜息をついた。

「つなげてみたらどうだ」

「うん」

 ユキノは興奮したように目を輝かせながら、白い紙に描いた魔法陣に呪文をかけた。すると、若い男の声が聞こえる。――なんだこれ、異国の字か? どっから来たんだか……

 ちらりとユキノを伺うと、ユキノは浮かぶ笑みを堪え切れずに頬を緩ませていた。これが彼のいう親友なのだろう。無事に届いたらしい。

「ヤヨイ!」

 ほとんど叫ぶような声だった。結果、それは通話の相手を非常に驚かせる結果になったらしい。

「うわああっ! 誰だ! うおっ」

 ヤヨイというのが若い男の名前らしい。彼の悲鳴じみた叫びと共に、何かがドサドサ落ちる音がする。むせる声がするということは、男がどこからか落ちたのか。

「ご、ごめん、驚かせた? 俺だよ」

「ユキノ? ユキノか! どこにいるんだよ!」

 ヤヨイの声が嬉しそうに弾む。衣擦れの音が聞こえ、彼が体勢を立て直しているのが解る。

「エンカンタリア、着いたよ! 俺、魔法を習ってる」

「……ひょっとしてこの変てこな紙飛行機、お前のまじないか?」

「えへへ。そんなところ」

 ユキノは本当に嬉しそうに笑い、無邪気に魔法陣を見つめる。そんな姿を見ていると、彼にこの魔法を教えることができて本当に良かったとヴィヴィアンは思った。

 魔法陣の向こうのヤヨイは、ユキノと同じぐらい嬉しそうだった。何しろ八ヶ月も連絡がなかったのだ、それは心配になるのも当然だろう。

「心配してたんだぞ。お前は絶対死んでないって自信はあったけどさ」

「死にそうだったよいろいろ。でも、無事に師匠にめぐり合ってこうして魔法を教えてもらってる」

 ユキノは嬉しそうに白い紙に向かって話しかけているが、魔法陣から聞こえる声はすぐ隣に人がいるかのようでとても明瞭だ。目を閉じていれば魔法陣を通して会話しているのではなく、ヤヨイがこの部屋にいるのだと思うほどだ。音質の良さは丁寧に書いた魔法陣の効果だ。

「へえ…… 感謝しないとな。ユキノを無事にエンカンタリアまで運んでくれた幸運にも、その道で出会った優しい人たちにも、最終的に受け入れてくれた師匠にも。お礼参りに行っとくよ、お前の代わりに」

 その落ち着いた低い声や、喋る言葉の選び方から考えて、ユキノのように思慮深い性格の男なのだろう。察するに、『自分と同じように目が茶色ではない』と言っていた親友が彼なのだ。

「ヤヨイ、刀は?」

「相変わらず俺のこと認めてないんだろ」

 ヤヨイは溜息混じりに返答し、ユキノは肩を落として仕方なさそうに笑った。

「すぐに慣れるよ、大丈夫」

「お前のこと恋しがってるんだよ、絶対。なんで置いていったんだよ」

「入国のときにとられることはわかってたから。知らない誰かに金に換えられて、もっと知らない誰かに粗末に扱われるぐらいだったら、せめて親友のお前に使って欲しかったんだ」

 どうやらユキノの刀についての会話らしい。入国管理の者に刀をとられたと言っていたが、あのときには管理者を襲って取り戻したいぐらいのことを言っていたはずだ。然るにそれ以上に大事なものは村から持ち出さず、おいてきていたということになるのだろう。

 彼が本当にさまざまなことを考え抜いてこの国に来たことを、改めて思い知らされる。

「俺は受け取らない。生きて帰ってこいよ、こいつのためにも」

「まだ言ってるのかよ。一旦別れたのにまたそいつを使うなんて、それこそ怒られるって。斬られるよ、愛刀に」

「このままじゃ俺がお前の愛刀にやられる。本当に俺のこと嫌いみたいなんだ。だからさ…… 早く帰ってこいよ」

 それはきっと偽りのない、村に残された親友の本心だった。

 戦える人間が彼しかいないと、ユキノは前に話していた。毎日ユキノの刀で魔物を斬りながら、ヤヨイはどれだけユキノの帰りを待ち望んでいたことだろう。

 ヴィヴィアンとしても、その切実な呟きを聞いてしまっては早く彼を援護させにユキノを帰してやりたいと思う。もちろん多少は名残惜しいが、きっとヤヨイや村の人々にとっては命が懸かった問題だ。

「……うん、なるべく」

 ユキノは歯切れ悪くそう呟くと、それきり黙ってしまう。少しのあいだ、沈黙が下りた。風で木の葉がそよぐ音が聞こえる。ヤヨイは外にいるらしい。

「あのな。……お静のことなんだけど」

 しばらくの沈黙の後、ヤヨイは慎重にそう切り出した。少し困ったようだったユキノの表情が一変し、真顔になる。

「どんなに悪天候でも日の出前に山の天神さんにお参りしてるんだ。毎朝、毎朝、お前の無事を祈って」

 続く彼の言葉に、ユキノが固まった。瞬きも忘れたように魔法陣に見入っている。ヤヨイはまるでその表情が解っているかのように、尚も畳み掛ける。

「その帰り、村はずれの俺のとこまで来て『昨晩までにユキノ様からの便りはありましたか』って必ず聞いていく。本当は凄く申し訳ないんだ、俺みたいな村八分と関わっていることが知れたらお静の評判が落ちるから。けど、お静は何度言ったってやめようとしない」

 ユキノの恋人だろうか。それとも、恋人になる前の段階の人なのだろうか。何だか聞いてはいけない話題のような気がしたが、ヴィヴィアンは今更部屋を移るのも気まずくてその場に座ったままでいた。

 暫く何か考えていたユキノは、やがて引き結んでいた唇を開いて震えるような長い溜息をついた。

「こことそっち、時差はどれぐらいだっけ」

「あ? えっと、大体九時間ぐらいだったか? 悪い、忘れてるわ。お前が行ってから書物を借りられないから」

「……わかった。明日の朝、お静さんが来たら俺に繋げて。その紙に使い方書いてあるから、後で読んで」

「おう。やっと話してやるんだな」

 ヤヨイが嬉しそうにそう言ったが、ユキノの表情は沈んだままだ。

「そこまでされちゃ、申し訳ないよ。きっぱり俺のことを忘れてもらわなきゃ」

「は?! 違うだろ! なんでそうなるんだよ、お前はいつもそう! 申し訳ないから拒絶するって意味わかんねえよ。それまでのお静の苦労は? 想いは? 全部棄てんのか」

「俺みたいな村八分と関わっていることが知れたらお静さんの評判が落ちるから」

 冷たく言い切ったユキノの意志は固そうだった。詳しい事情はわからないが、首を突っ込んで良い話題でもなさそうだ。彼が魔法陣へと落とした視線は重く、瞬きすらしない。

 空気は完全に停滞し、ヴィヴィアンは温度のない寒天に固められたかのような気分でその場にたたずんでいた。沈黙が重苦しい。やがて、大きな溜息が魔法陣の向こうから聞こえた。

「……なあ、いいの? それで」

「いいんだよ、俺は。大事な人には笑顔でいてほしいから。お静さんには俺みたいなあやかしめいた混血の若造より、落ち着いた大人の男が似合いだろ」

「そうやっていつもいつも、自分の気持ちを殺して無理して笑って。バカなんじゃねーの、お前」

「そうだな、でもこういうときはバカでいい」

 吐き捨てるような呟きは自嘲の響きに満ちていた。ヴィヴィアンは本格的にいづらくなってきたが、二人の真剣な雰囲気に物音を立てることも憚られるように感じていた。ユキノから目をそらして、なるべく音を立てないように魔道書を捲る。

「いつも怖いくらい他人の気持ちを考えて動けるお前が、なんでお静のことになるととんちんかんなことしだすかな。そんなにお静を傷つけたいのか? 一年近くも待って、ようやくお前の声が聞けた瞬間に別れの言葉なんて残酷すぎる。やめろ。そんなことしてみろ、あの子はこの先一生笑えなくなるぞ」

「大げさな」

「お前への気持ちを貫くために、あの子は地主の息子との縁談も断ったんだ。言い寄る男も全員振って、親にも周りにも色んなこと言われて、それでもお前の帰りを待ち続けてる。そんだけあの子の意志は固い」

 ユキノは苦しげに目を伏せる。ヴィヴィアンはどうしていいかわからず、ひたすら空気になろうとすることに徹した。今日はなんだか空気にならなければいけない状況が多い。

「誰になんていわれようと、あの子は他の男の所へなんか絶対に行かないぞ。どうするんだよ、お前に嫌われたと思ってお静が身投げでもしたら」

 部屋に下りた沈黙のなか、ヴィヴィアンは大昔に何度も何度も読み返した魔道書の文字を追いながらユキノの次の言葉を待っていた。

 会話の内容の続きが気になるわけではない。とにかく沈黙を破って欲しいのだ。無論、こんな状況では魔道書の内容など頭に入ってこない。呼吸の音を立てることすら憚られるのだ。完全にこの場を離れるタイミングを失ってしまった。

 ユキノは思いつめたように目を伏せ、眉を寄せ、何かを飲み込むようにぐっと俯いた。そうしてゆっくりと顔を上げ、弱弱しい声で呟いた。

「説得するよ。あの村で俺といて良いことなんて何も無い。でも、もしそれでもあの人の気持ちが変わらなかったら…… そのときは、俺も死ぬ気でお静さんと幸せでいるための努力をする。あの人を幸せにすることに、全てをかける。俺だって中途半端にお静さんを想ってるんじゃない…… だから俺のせいで悲しまないように、色々してきたつもりだったんだけど」

 魔法陣の向こうで、ヤヨイが小さく『そっか』と呟く声が聞こえた。ヴィヴィアンは魔道書のページを捲ろうとし、音がしそうなのでやめた。ずっと同じページばかり眺めているのは飽きたのだが、だからといって椅子から立ち上がったら音がする。そのためだけに消音の魔法を使うのも馬鹿らしかったし、今更動くのもユキノにとってはどうなのだろう。

「やっとユキノらしくなったな。お前が簡単に物事を諦めるなんて、らしくないぞ」

「簡単じゃないよ、お静さんを諦めることは。剣を捨てることに等しいから」

「……もっと素直になれよ。お前は幸せになっていいんだ。誰かに悪いからとか、あの人がこうだから、って理由で我慢するのは違うぞ」

「こういう性分なんだ、大目に見て」

 呆れたような笑い声が魔法陣の向こうから聞こえた。ユキノは釣られてくすくす笑った。

「話したいことはまだたくさんあるんだが、夕飯がまだなんだ。米を分けてもらいにいかなきゃな」

「……あんまり無理するなよ」

「わかってるって」

「ありがとう。お前がいてくれて助かるよ」

「へへ。そんじゃ、また連絡する」

 ふっ、と魔法陣の淡い燐光が消えた。ユキノは暫く名残惜しそうに魔法陣を見つめていたが、やがて我に返ってこちらを向いた。

「恥ずかしい話を聞かせちゃったな、ごめん」

 照れたように笑って、ユキノは椅子に座った。ヴィヴィアンは黙って自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻き回し、何と言っていいか解らずに正直な気持ちを漏らす。

「いや…… 悪いな、出て行くタイミングを失った」

「いいんだよ、俺がはしゃぎすぎてこんなところで話し始めたのが悪い」

「今の奴が、お前の親友か」

 とりあえず会話の方向をずらそうと思って、ヤヨイのことを聞いてみることにした。ユキノは微笑んで、魔法陣に目をやる。

「そう、俺がいない間魔物や賊から村を護ってくれてる。その腕を買われて、地主からほんのちょっとだけお金をもらえるから、それで生活してるんだ」

「そうなのか」

「けど、ほら。俺と同じように、イリナギらしくない外見だから……」

 言葉をぼかしてはいるが、彼もまた、ユキノと同等かそれ以上に避けられているということなのだろう。思わず黙ると、ユキノは少し笑って続けた。

「ほんとうの村八分だったら石を投げつけられて住処にも火を放たれるんだけど、剣の才能があるからそこまでされないよ。まあせいぜい、ボロ雑巾みたいな扱いだね。食材を売ってもらえなかったり罵倒されたり、大風で家が壊れたときの修理を手伝ってもらえなかったり、田畑の仕事を手伝ってもらえなかったりするぐらいかな」

「それって、結構ひどくないか」

 ユキノは曖昧に微笑んだが、何も言わなかった。それを見たヴィヴィアンは改めて、この優しい東国人のふるさとを思った。話を聞くとかなり荒んでいるように思えるのに、彼はどうしてこんなに嫌味の無い性格に育ったのだろう。

「さてと、昼飯の支度をするよ。終わったら続き、お願いします」

「おう」

 ユキノは袂からたすきを取り出すと、鮮やかなしぐさであっという間に袖を纏め上げた。そして、台所へと歩いていった。その後姿をぼんやり眺めながら、ヴィヴィアンは長らく開いたままだった魔道書を閉じる。

 この短時間に色々と考え込んでしまったが、ヴィヴィアンにとっては炎を凍らせたときのユキノの反応が、それを見た自分の心の動きがすべてであるように思えた。

 モノに対しては無頓着な自分も、周りにいる人たちは全員大事なのだ。それを改めて意識できたことは大きな収穫だったかもしれない。

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