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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第五十六話  定着する規則的な生活

 帰り道、ヴィヴィアンはユキノに刀を取り寄せる魔法を教えながら姉妹を家まで送っていった。ユキノは使えるようになった魔法が面白いのか、何度も刀を取り寄せたり戻したりしている。

「結界のせいで取り寄せに複雑な魔法使ってるんだ。無闇にやらないほうがいい」

「でもヴィヴィアン、刀が欲しいときにすぐ飛んで来るんだよ! すげえ!」

「ふう。ぶっ倒れたら運ぶの誰だよ」

「ごめん……」

 倒れられるのはごめんだが、そうやって嬉々として魔法を使っている彼を見ていると、自分にもそんな時代があったことを懐かしく思う。そうして、いまだに波立っている気持ちが少しだけ和ぐのを感じた。

 少し考えすぎているのだろうか。焦ってばかりでは大事なものを見落としてしまう。

「なあヴィヴィアン、今夜の献立どうする?」

「任せる。適当に作れ」

「うーん…… わかった、食材はまだたっぷりあるし」

 ユキノは黙り込み、真剣に夕飯のメニューを考え始めたようだ。彼は本当に、どんな小さなことにも一生懸命である。

 歩いていくと自宅についた。魔物の被害もあってすっかり暗くなった街に、一軒だけ門灯も街灯も灯っている我が家はやはり異質だった。ヴィヴィアンは切れていた周辺の街灯に火を灯すと、施錠を解いて家に入った。

 家に入るとヴィヴィアンは外套を脱ぎ、適当にソファに放った。後から入ってきたユキノが苦笑しながらそれを拾い、きれいに伸ばしてからコート掛けにかけてくれる。そして彼は、自分の懐に入っていた金貨を元のように隠し場所に戻した。

「飯よろしく。先に風呂入ってくるから」

「はーい」

 ユキノは袖をたくし上げてたすきで纏めると、手を洗って夕飯作りを開始した。階段を上がり、着替えを適当に用意して、ヴィヴィアンは風呂に入る。

 髪を洗い終わる頃には、夕飯の良い匂いが風呂場まで届いていた。ヴィヴィアンは魔法陣を触ってシャワーを止めると、久しぶりにバスタブに身を横たえた。最近はシャワーで済ますことが多く、あまり浴槽を使っていなかった気がする。熱心な弟子が毎回浴槽まできちんと洗ってくれているおかげで、湯を張る前に風呂掃除をしなくてもよかった。

「ふう……」

 全身の疲れが湯に溶けて消えていくような感覚だ。目を閉じていると眠気が襲ってくる。今日も一日色々なことがあった。

 しばらく使っているとだんだん湯がぬるくなってきて、ぬるすぎてだるくなってきた。暖めようかと思っていると、控えめに浴室のドアをノックする音がした。

「なんだ?」

「あ、よかった、生きてた…… 静かだし、もう一時間も出てこないから。溺れてるのかと思ったよ」

 ドアの向こうから聞こえた声に思わず笑った。心配性な弟子だ。

 しかし、よく考えたら確かに面倒くさがりの自分が一時間も丁寧に体を洗うわけがない。ユキノが心配するのも当然か。

「先に食ったか」

「ううん、まだ」

 ドアの向こうからユキノの明るい声が聞こえて、ヴィヴィアンは重い腰を上げた。彼はヴィヴィアンの言いつけどおりちゃんと夕食を作り、一時間も待っていてくれたのだ。これ以上待たせてはいけない。

「もう上がる」

「じゃ、味噌汁温めなおしてくるな!」

 真夏なのだから別にいいだろうと思ったが、止める気も起きずにヴィヴィアンはゆっくり浴室を出た。湯冷めした身体をぬるい真夏の空気が包む。あまりにも不快でヴィヴィアンは小声で呪文を唱えてバスローブに温度調整の魔法をかけた。さらりと羽織れば涼しい空気に身体を包まれる。

 階段を降りていくと、ユキノが食器を用意しながら苦笑する。

「その格好で飯にするの?」

「いいんだよ、終わったら寝るし」

 食卓に腰かけると、ユキノはヴィヴィアンの分の白米と味噌汁を置いてくれる。ナタリアが見たら『自分で動きなさいよ』と小言を垂れそうだが、何となく疲れていて動きたくない気分だった。

 ユキノは自分の分も食事を用意すると、きっちり姿勢を正して手を合わせてから食べ始める。ヴィヴィアンもフォークを取り、食事を始める。相変わらずこの男の作る食事は美味い。

「魔道書で分からないところがあったから聞こうと思ってたんだけど、明日にしたほうがいい?」

 茶碗を手にもった姿勢でユキノが尋ねてくるが、ヴィヴィアンは黙り込む。今日したほうが面倒くさくないか、明日にしても面倒くさくないか、たっぷり考え込んでから頷く。

「……明日にしろ」

「わかった」

 ユキノは仕方なさそうに微笑んだ。彼は早く勉強したいのだろう。その熱意が続いているうちにヴィヴィアンもちゃんと師としての責任を果たすべきなのだろうが、いかんせん面倒くさい。今日はもう動きたくないのだ。

「ごちそうさま」

「足りた?」

 姿勢良く食事をしていたユキノは、箸をとめてヴィヴィアンを見る。ヴィヴィアンは頷き、グラスに注いだ水を凍らせる寸前の温度にまで下げて呷る。

「十分だ。怪我の具合は?」

「疼く程度」

「休んでおけ。完全に直るにはまだ時間がかかると思う」

 ユキノは頷いて、食べ終わった食器を流しに持っていって洗い始める。彼は本当によく働く、と他人事のように思ったが、本来なら食事をした自分がすべきことだ。

「保冷箱の中、フルーツがいくつか入ったままだよ」

 何となく突っ立ったままのヴィヴィアンに、ユキノが振り返らずにそういった。ヴィヴィアンはキッチンまで歩いていき、箱の中身を覗く。

「食べようかな」

 リンゴを手に取り、その場で齧る。冷えたリンゴは心地よく喉を通り、すっきりした甘みが余韻を残す。

「生ごみこっちね」

 ユキノは手についた泡を流しながら、台所の隅にある金属製の缶を指差した。麻袋がかぶせてあり、そこに食材の皮や骨やらが捨ててあった。そういえばヴィヴィアンは台所に生ごみ用のごみ箱を用意したことがない。いつも出す傍から消してしまうか、魔法で細かくしてから花壇に撒くからだ。庭に出たくないから、撒くのにすら移動の魔法を使う。

「後で分解する」

「分解?」

 すすいだ皿の水を切りながら、ユキノは顔を上げてこちらを見る。ヴィヴィアンはリンゴを咀嚼していたので、急いで飲み込んでから喋る。

「捨てに行くの面倒臭いから」

「ごみ出しぐらい俺がやるよ」

 呆れたようにユキノは言って、水切り棚に食器を立てていく。その手際のいい洗い物の様子を見ながら、ヴィヴィアンは尚もリンゴを齧った。程よい甘みだ。

「どうせ集めたごみは魔法で分解されて土に還るんだ。だったらわざわざ外出るより家んなかでやっちまったほうが楽。分解したやつは庭の肥料にしたらいい」

「あ、そうか。それいいアイデアだね」

 布巾で食器の水をふき取りながらユキノは笑った。ユキノが全て終えてしまうより先に、ヴィヴィアンはリンゴの種とへたの部分をゴミ箱に投げ入れた。面倒くさいから魔法をかけるのは明日にしよう。手を洗い、適当に水を切ってバスローブの腰の辺りで吹いてから、ヴィヴィアンはユキノに背を向けた。

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 何だか、挨拶を交わす相手が常に家に居るというのは相変わらず変な感じだ。両親が旅立ってから家に人がいない状態が続いていたから、なんだかくすぐったいように思う。

 ヴィヴィアンはベッドに寝転び、薄手のタオルケットに包まった。暫くするとユキノが階段を上がってきて、風呂の扉を開ける音がした。シャワーの音を聴覚の隅で捉えながら、ヴィヴィアンは寝てしまう。

 窓辺に止まる小鳥の鳴き声で目を覚ます頃には、一階から美味しそうな朝食の匂いが漂ってきていた。ユキノは本当に早起きだ。

 しっかり寝たから昨日のように寝ぼけたりはしなかったが、なんとなくぼーっとして天井を見上げる。寝汗で肌がほんのり湿っぽいのが不快で、ヴィヴィアンは呪文を唱えて涼しい風を吹かせた。

 足で反動をつけて勢い良く起き上がり、クローゼットから適当に服を出して着る。木綿のパンツと薄手の半袖シャツを着て、匂いに釣られるようにして階段を降りた。

「あ、おはようヴィヴィアン。今日は早起きだね」

「どう考えてもお前のほうが早起きだろ。よく眠れたか」

「うん、バッチリ。傷の痛みもだいぶマシになってる」

「そうか」

 マスターにすっかり治してもらえた自分とは違って、ユキノは自分の治癒力を前借りする形で傷を治したのだ。簡単には治りきらないはずだ。

「アルティールのマスターなら、異国の魔法で完全に治癒してくれる。お前、今日はカフェで一日働く代わりにマスターに治癒してもらえばいいんじゃないか」

 提案してみたが、ユキノは首を横に振った。そうして、焼きたてのタフタを皿に載せる。ハーブで焼いたクロツバメが実にいい香りだ。

 今日はデザートもつけてくれているようで、彼は白い団子のような物体とフルーツが浮いたグラスをヴィヴィアンの前に置いた。

「いいよ、現状なんとかなってる。それより、今日は仕事するの?」

「今日は出張はナシ。緊急じゃない限り」

「なんで?」

「面倒くさいから」

 ユキノは小さく吹き出した。ヴィヴィアンもにやりと口角を上げる。面倒くさいかそうでないかで仕事が選べるほど今のヴィヴィアンは潤っているのだ。そうして、手負いの弟子を気遣えるほどの精神的な余力もある。

「ところで、これ何」

 テーブルに置かれたグラスを指して言えば、ユキノは楽しそうに笑った。

「ローザが教えてくれた。フルーツポンチっていうんだって。白玉は俺のふるさとでもよく食べてたけど、果物を入れるなんて斬新だな」

「へえ」

 規則正しく起き、朝から栄養たっぷりの食事をして、誰かと共に過ごす。最近堕落しきった生活を送っていたヴィヴィアンには、微妙に窮屈に思えることもある生活スタイルだ。

 しかし、黙っていれば食事を用意してくれて、適当に脱いだ服は洗ってくれて、散らかした部屋は掃除してくれる非常に優秀な弟子がついているのは悪いことではない。

「さて、それじゃ食べようか」

 色の薄いスープ(コンソメだろうか)をマグカップに入れて二人分もってくると、ユキノは席についてその片方をヴィヴィアンに差し出した。目線で礼を言って受け取ると、ユキノは手を合わせてお辞儀をした。

「いただきます」

 食前のあいさつらしい。何となくヴィヴィアンも真似してみる。

「いただきます」

「うん、ヴィヴィアンもそれ習慣にしたほうがいい」

 ユキノは無邪気に笑った。そうして、この慣れない言葉の意味を教えてくれる。

 食事を作った人、食材を揃えてくれた人、食材を作った人。それから、食材自体に対しても、それを育てるにあたって不可欠だった天候や水などの恵みにも感謝し、敬意を示すことば。

 たった六音節のこの言葉に、料理人や商人や農家へのねぎらいも、自分のために犠牲になった命への祈りもこもっている。そして、ありがとうに匹敵する感謝の言葉でもある。

 なんだか凄いとヴィヴィアンは思った。

「俺を生かすために、差し出してくれた他の命があるんだ。そういうことをちゃんと意識して過ごすと、背筋が伸びるよ」

 誇らしげに自国の話をするユキノは決して押し付けがましくなくて、ヴィヴィアンも嫌な気にならなかった。どころか、今まで食をないがしろにしていたのが少し申し訳なくなった。

「お前の国ってつくづくストイックだな」

「そうかな。小さい頃からこれが当たり前だと思ってたから、あんまり気にしたことないんだけど」

「飯を面倒臭いなんて言う人初めてだって言われたときから思ってた、お前の食事に関する観念っていうのは本当にしっかりしているよ」

「えへへ。ありがと」

 ユキノは照れたように笑い、マグカップに口をつける。彼が焼いたタフタはさくさくとした食感が非常に良くて、いつも自分が焼いているものと原料が同じだと思えないほどだった。まだここにきて間もない彼が地元民を感激させられる料理を作ることができるのは、才能も感性もあるからに違いない。

「うまいぞ」

「本当? よし、じゃあ次からもこの焼き方でいく。俺の好みで味つけたから気に入ってもらえないかとおもったけど」

「この国の料理は他にもまだまだたくさんある。時間があるときに、カフェとかレストランで食べてみるといいぞ」

「贅沢だなあ」

 そう言って笑うユキノはとても晴れやかだ。和やかな朝の時間は、ゆったりと過ぎていく。


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