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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第五十五話  そでのした

 気さくな雰囲気だが、喋り方からして部署の中でも立場が上のほうの人間だろう。ユキノが萎縮するのも頷ける。

 ヴィヴィアンはそれでも臆することなく、堂々とした態度で接した。

 魔道士はそれらしい風格を漂わせておけば大体優遇されるのだ。街で一番強い魔道士なのだし、ヴィヴィアンはここいらでは少しくらい威張っても問題ない。

 権力には興味がないのでいつもは普通の十八歳らしい態度をしているが、役所や騎士団と会話をするときは対等を心がけたほうが不利な状況にならずに済む。

「イリナギからだ」

「ふうむ、イリナギ…… 証明書の類はお持ちかな? 何でもいい」

「途中で失くしたらしい」

 ユキノが何か言いかける前に、ヴィヴィアンはそう言った。横目でちらりと見れば、彼は軽く頷いた。どうやらエンカンタリア人ではないユキノが口を開いたら、面倒なことになるのと理解してくれたらしい。

 ユキノはそっとヴィヴィアンに紙切れを差し出した。入国許可証だ。どうやらちゃんと保管していたらしい。雨のせいかインクが滲んでいたが、文字は読み取れる。

「おお、それは入国許可証かね」

「よく忘れずに持ってきたな」

 ユキノを小声で褒めてやり、ヴィヴィアンはそれを受け取った。

 雨でよれた紙を魔法でぴんと伸ばし、インクのにじみを綺麗にしてから役人に渡す。そうしながら口元に笑みを浮かべて見せると、役人は少し驚いた顔で入国許可証を受け取った。

「本当に魔法が使えるのだな、ヴィヴィアン=リリエンソール君」

 どうやらこの役人はヴィヴィアンのことを、顔と名前が一致するくらいには知っているらしい。

 よかった。自分は会ったことがない貴族の役人にまで、ちゃんと名が知れている。きっと彼はユキノのことも悪いようにはしないだろう。

「ここでは大したものは使えないが、この程度であれば」

「いや、ここで魔法を使えること自体が特殊だよ。よほど強い魔力を持っていなければできないさ。さて、ユキノ=サクライ。君の名前であっているかな?」

「はい」

「エンカンタリア国籍を取得するかね? それとも身分証の発行だけで済ませるかい」

 役人は入国許可証とユキノを交互に見ながらたずねる。ユキノは困ったようにヴィヴィアンをみあげるので、ヴィヴィアンは代わりに口を開いた。

「国籍があれば何かと便利だ。ユキノ、どうする」

「入国審査をパスしただけでも驚きだがね。一体どうやって?」

 目を細め、ユキノをじろじろながめながら役人が言う。ユキノは背筋を伸ばし、毅然として役人を見据えながら返答する。

「身分証、持っていたんです。入国審査の時に、許可証の発行と引き換えに取られました」

「ああ、そういうことか。なるほど」

 役人は白い綺麗な羊皮紙に豪華な羽ペンで何かを書き綴りながら、ちらりとユキノを見る。

「国籍を取得すれば君の身分証をここに取り寄せる権限を得られる。外国人登録では年に一度見直しがあるのだが、国籍の場合それもない」

「わかった。国籍を取得しておけば後々が面倒臭くない」

 ヴィヴィアンが即答すると、役人は少し渋るような顔をして眉根を寄せた。

「しかし、多重国籍を持つには申請用の書類が要る。その書類を発行するには市長以上の権限が必要でね。市長も多忙だ、申請の書類を作るには高度な魔法も使わねばなるまい」

「ふむ」

 さっと横目で辺りを確認する。他の市民はこの部署にはいなかったし、役員たちは皆仕事で忙しそうだ。ヴィヴィアンは交渉を始めることにした。

「これでどうだろうか」

 ヴィヴィアンは、金貨を三枚受付のカウンターに積んだ。暗緑色の目で探るように相手を見つめれば、役人は無言で羽ペンを置いた。

「ほう。成人して悪知恵がついたか」

 役人は笑い、指を二本立ててみせる。もう二枚よこせということだろう。ヴィヴィアンは更に三枚積んだ。

「なるほど? 十日かかるが」

「今日中だ」

 意図して威圧的な声色で、更に金貨を二枚積んだ。役人は肩を揺らして静かに笑う。

「おやおや…… わかったよ、すぐ作ろう。一時間もあれば出来上がる、待っていてくれたまえ。サインしたらすぐ国籍ができるよ」

「礼を言う」

「ありがとうございます!」

 ユキノの顔は見ていないが、喜んでいるのが声色ですぐに解る。役人は手元で書類の向きを揃えていたが、ふと優しい顔をしてユキノを見た。

「どういういきさつか知らないが、彼に行き着いたのは正解だったようだね。許可証にも書いてあるが念のため。入国の目的は?」

「高度な魔法を学ぶためです」

「よろしい。ようこそ、エンカンタリアへ」

 役人は口元に笑みを浮かべて、書類を抱えて受付のカウンターから出てきた。ヴィヴィアンたちの背後にあった『職員専用』のドアから彼はどこかへ消えていく。肩の力が抜けた様子のユキノが小さく溜息を漏らすので、その頭を乱暴に撫でてやった。

「わ、うわっ」

「お前、予想以上によくやったよ。おかげで話が早かった。金だってこの倍は積む覚悟で来てたし」

「ヴィヴィアンもすごいよ、なんかちゃんとした偉い人みたいだった!」

「いつもの師匠がちゃんとした偉い人には見えないのか?」

 わざと冷たい目で見下ろしてやれば、ユキノは慌てて謝ってくる。

「ご、ごめんなさい師匠っ!」

「はは、その通りだから気にしてねえよ。とりあえず、俺とナタリアの成人登録を待つぞ」

 ほっとした様子のユキノは、ソファに腰掛けようとしてはたと動きを止めた。

「終わったらどうしよう? 俺だけ残ってヴィヴィアンは休んだ方がいいかもしれない」

「その心配はない。おそらく成人登録の方が終わるのが遅いから」

 カウンターで暇そうに役人たちの仕事の様子を見ていたナタリアが、くるりと振り向く。

「そうよ、この街の何百、いいえ何千っていう戸籍の中からあたしたちの戸籍を探し出すの。きっと彼女は魔法を使わずに……」

 ユキノが息を呑んだ。おそらく下っ端であろうあの女性は、今頃保管庫の中を走り回って名前を頼りに戸籍を探しているに違いない。こんな面倒臭い仕事など、ヴィヴィアンには絶対に出来ないから尊敬する。

 ちなみに補足すると、戸籍台帳は身分ごとに分けてあるらしい。数の少ない貴族や役人などの地位の高い人物は当然すぐに探し出せるが、街の半分くらいいる魔道士や、庶民の戸籍は探し出すのに時間がかかるのも頷ける。

 ヴィヴィアンは街で一番の魔道士だといえど、未成年なのでその他魔道士たちと同じくくりだ。リリエンソール家は魔法の強い一族ではあるものの、貴族ではない。ナタリアの家も教師の家系だから地位は庶民の中でも上のほうだが、戸籍台帳は職業ごとにソートされているわけではないだろう。

 受付の前の空間においてあるソファは、ふかふかしてすわり心地がいい。いくつも列を作るように置いてあるが、ヴィヴィアンは真ん中の列のソファに座った。ソファの前にはテーブルが置いてあり、近くに本棚もあった。ナタリアがごく自然にヴィヴィアンの隣にすわり、その横にユキノとローザも座った。

「折角ソファいっぱいあるのに何で一列なんだよ」

 思わず笑うと、ローザもくすくすと笑った。

「じゃあ俺が正面行く」

 ヴィヴィアンの座っているソファの、テーブルを挟んで向かいにユキノが腰を落ち着けた。ローザもちょこちょことその後をついていく。

「あ。新聞がある」

 少し離れた机の上に、筆記用具と新聞が設置してあるのを見てユキノが言った。受付が込んでいるときや持込の書類に不備があったときに使えるように開放された筆記スペースだ。新聞が置いてあるのは、本棚に押し込めないからだろう。あれは今朝の朝刊だろうか?

「読みたいのか?」

「ちょっと気になるかな。でもあれ、勝手に取ってきていいの?」

 ヴィヴィアンは無言で人差し指と中指を揃えて立てると、すっと孤を描くように手を上げる。手首を使って勢いをつけたから、新聞も勢い良くテーブルまで飛んできた。

「ほら」

「……すげえ! ヴィヴィアンすげえ!」

「はいはい」

 適当にあしらうと、ユキノはこの格調高い役所の中で少々はしゃぎすぎたことを自覚したのか、照れ笑いして新聞を読み始めた。

「魔物の被害ばかりだ」

 ぽつりと呟く声に顔を上げると、ユキノは真剣な眼差しで新聞の活字を追っていた。彼は新聞を開いて内側の記事を読んでいたので、一面の記事がしっかり見えた。

「エンカンタリア王宮に魔物が侵入? 結界張ってた魔道士は何やってんだよ」

 見出ししか読めなかったが、壊滅したエンカンタリア王宮周辺の写真が一面に載っていたのでなんだか胸の奥がざわめいた。この国の一大事がもしかしたらすぐそこまで迫っているのかもしれない。

「食われたみたいだよ。三人いたうちの、二人は頭」

 そこまで言ってユキノは言葉を止めた。何と続けようとしたのかは、ユキノがさりげなく隣のローザに目をやったので想像がついた。彼女に聞かせたらショッキングすぎる方法でその二人は食われたのだろう。

「なあヴィヴィアン、第一王子が亡くなってる。第二王子はかろうじて生きてるけど重傷、第三王子が事件の夜から行方不明だって。これって深刻だよね?」

 ソファの背もたれに深くうずめていた体を思わず跳ね上げる。王族が亡くなったら国民全員で喪章をつけて一日を過ごすぐらいの一大事だ。したがって、王族が亡くなるニュースがこんなに小さく扱われているこの状況が一番深刻だとヴィヴィアンは思う。今の今まで知らなかったし、知っているであろう人々も平然としている。王族の存続よりも自分の家が心配なのだろう。

「……この国そろそろ危ないぞ。王は無事なのか?」

「無事みたいだ、魔道士じゃない大臣たちの大半は食われたみたいなことが書いてあるけど、王は無傷って書いてある。エンカンタリア国王って魔法使えるの?」

 ユキノは新聞から顔を上げずに答えた。一面のニュースに関連する記事が二面以降も続いているのかもしれない。

「そりゃあ国王だからな。だけど、学校の魔術科の教師と互角ぐらいの力らしい。それでも国王やってられるのは、王族の家系にもともと魔力をはじく特別な血が流れているからだって聞いた。逆賊に魔法で殺されそうになっても、体そのものが結界になっているようなもんだからな」

「魔法じゃない何かで殺されそうになったら?」

「死ぬだろ、国王とはいえ一応は同じ人間だから。そういう輩を寄せ付けないための結界も、王の広間には何重にも張ってる」

 そんな結界が張られていながら、この国で一番強い魔法がかかった王宮に侵入される。それはつまり、ヴィヴィアンたち一般市民や魔道士たちでは到底太刀打ちできないほどの強力な魔物たちが迫っているということだ。

 どれだけ甚大な被害だったかは想像もつかない。これから魔物たちが人間を食い散らかし、魔物の王国が築き上げられるまでそう長くはかからないだろう。

「考えたくないが、俺の施錠魔法も効果を成さなくなってくるかもしれないな…… ユキノ、寝るとき用心しとけよ」

「うん、わかった」

 しっかり頷いたユキノはきっと枕元に刀を置いて眠るのだろう。些細な物音ですぐ目を覚ます彼だから、彼が魔物にやられることはないかもしれない。そう思ってから、この街に、この国に、もう安全などという概念は存在しない事実に思い至って胸の奥がすっと冷たくなった。

「お前らも、何かあったらすぐ魔法陣つなげろ」

「ええ、気をつけるわ」

 ヴィヴィアンが硬い声で告げると、ナタリアは微笑みながら優しく答えた。なんだかその様子に焦りが生まれて、ヴィヴィアンはさらに硬い声で続けた。

「いや、繋げっぱなしにしとけ」

「あはは、だめよ。寝言が聞こえちゃうじゃない」

――能天気な!

 彼女は笑いながらヴィヴィアンの顔を覗き込み、頭を撫でてくる。ヴィヴィアンはさりげなくその手を外させると、ソファの背もたれに身体を預けて天井を見上げた。

 胃がきりきりと痛む。こうなってしまっては、目の前で彼女たちに死なれることもあり得ないことではないのだ。

 ユキノと二人であの巨大な魔物を倒そうとしたときの絶望感がフラッシュバックする。いつもそう都合よくエストルのような助っ人が現れてくれるわけではない。

「ヴィヴァン、顔色が悪いよ」

 心配そうにローザが覗き込んでくるので、ヴィヴィアンは慌てて笑みを取り繕う。

「なんでもない、早く家に帰りたいな」

 ユキノの国籍もヴィヴィアンたちの成人登録もまだ終わる気配がない。しばらくはここにいなければ。今は待つことだけに集中しよう。

「ダンスパーティーって中止になったりしないのか?」

 ふとユキノがたずねてきた。ヴィヴィアンは再び俯きかけていた顔を上げ、ユキノを見て頷いた。ダンスパーティーは市町村単位で勝手に開催を取りやめたりできないのだ。

「あれの主催は国家だ。国家の判断なしに勝手に中止には出来ない」

「王様はまだ中止のお触れを出していないわね」

 ヴィヴィアンの言葉に、ナタリアが神妙な顔で付け加えた。どうやらユキノの持っている新聞にも、ダンスパーティーの中止の知らせは書かれていないらしい。

「じゃあこんな状態でも続行するんだ…… 怖いね」

 呟いたローザの方を見ると、彼女はきっちり揃えた膝の上で両手を握り締め、もともと小柄な身体を余計に小さくさせている。

 ヴィヴィアンは弟子のほうに目をやる。彼は新聞から顔を上げ、神妙な面持ちでローザを見やっていた。

「ユキノ、刀を家から取り寄せる呪文を教えておいてやる。もしものときはマルグリッタや他の魔道士たちと協力して市民を守れ」

「もちろん!」

 凛とした表情でユキノは頷いた。ヴィヴィアンは頷き返し、その隣のローザを見やる。

「ローザはロジェから離れるな。エストルの応援もそっちに行かせるようにする、大丈夫だ」

「うん、わかった」

 頷きながらもローザは不安そうにナタリアを見上げる。そんな妹の様子に気づいたナタリアは、ひらりと席を立つと彼女のところまで歩いていって隣に座った。

「心配いらないわよ、誰もローザを独りにしたりしないから。もちろん発明家と二人きりにもしないわ」

「も、もうっ」

 やさしくローザの髪を撫でながら、ナタリアはいたずらっぽく笑っている。ヴィヴィアンもその様子を見て、少しだけほっとした。

 まだナタリアがこうして平静を保っていてくれるのなら、ローザも無駄に不安がらずにすむ。それに自分だって、ローザを元気付けようと相変わらずのしぐさで振舞うナタリアに安心しているのだ。思わず溜息をつく。

「無理するんじゃないわよ、ヴィヴィアン」

 注意してちゃんと見ていれば、不安そうな様子を見せないように気を使っているのがわかる笑みである。彼女はこの状況下で自分がどうあるべきかをよく解って動いてくれている。

 さっきの能天気な対応だって、ヴィヴィアンが硬い声で不安を露にしていることを気づいていてあんな態度をとったのだ。皆で落ち込んだところで何も解決しないと彼女は分かっているにちがいない。ヴィヴィアンにはそれがありがたかった。

 しばらくするとユキノが新聞を元に戻して欲しいと言ってきたので、ヴィヴィアンは持ってきたときと同じように新聞を元にもどした。

 ようやく全ての登録作業が完了した頃にはもう日が傾いていた。ユキノのエンカンタリア国籍も取得し、ひとまずは騎士団に捕らえられる心配もなさそうだ。深呼吸をひとつすると、ヴィヴィアンはすわり心地の良いソファから腰を上げて役所を後にした。


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