第五十四話 口は災いのもと
昼食はユキノとアイアランド姉妹が中心になって作っていたが、マルグリッタも座っているだけでは落ち着かない性分なのかちょくちょく手伝いに行っていた。
毎回のことだがロジェがローザに纏わりつきたがるので、それを引き剥がすという名目でヴィヴィアンは食卓に腰を落ち着けてロジェと会話していた。
「ヴィヴィアン、それを世間はサボってるって言わないか」
「ローザに変な虫がつかないようにするのも俺の仕事だ」
「そんな仕事たのんでないわよー」
キッチンからナタリアがけらけら笑う声が聞こえてくる。ロジェは腰を浮かそうとするが、ヴィヴィアンが視線で制すと満面の笑みを返してきた。
「笑ってごまかしてもダメだ」
「何で! 折角一緒の空間にいるんだぞ、ローザと一緒に……」
「ロジェ! 昼のキッチンは戦場だ、不用意に近づくと火傷するぞ!」
ユキノがわざと緊迫感をこめてロジェに返答すると、そばの女子三人が爆笑する。もちろんロジェが簡単に黙るはずもなく、彼は勢い良く椅子から立ち上がった。
「何! 俺のローザが火傷するだと! ユキノそれは聞き捨てならない!」
この様子をそのまま見ているのも面白いが、ロジェを野放しにしてしまっては誰かが火傷をしたりすることもありうる。ヴィヴィアンは魔力をこめた指先で、ちょいと彼の肩を叩いた。とたんにロジェの膝から力が抜け、彼は座り込む。
「おいっ、何すんだヴィヴィアン俺には使命が!」
「はいはい、お座り。ロジェお座り」
「犬扱いすんな!」
噛み付いてきそうなロジェに、すかさず口笛を吹きながら手振りでお座りを指示する。すると彼は騒ぎながらも乱暴に椅子に腰掛けた。(おお、ちゃんと言うことを聞くぞ忠犬ロジェ)
「大丈夫よロジェ。ローザは台所においては貴方より戦闘能力が高いもの」
「ユキノは万能ね、刀の扱いも包丁の扱いも達人の域だわ」
お手、おかわり、とロジェを懐けて遊んでいると、マルグリッタとナタリアがくすくす笑いながらこちらをちらりと見た。かと思えば、二人はユキノに話しかけて料理の手順を聞いたり、火加減を相談したりしている。
ロジェは面白くなさそうに頬を膨らめた。
「おいヴィヴィアン、あいつモテてないか?」
「エストルのポジションが廃れるのも時間の問題かもな。あいつが放浪している間にユキノが下克上を図るっていうシナリオだ」
「おお。エストルのライバルに匹敵する男がまさか現れるとは……」
二人で会話していると、ローザに香草を渡しながらユキノがこちらを振り返り、困ったように笑う。
「なんだよ二人して俺を遊び人みたく」
「私、エストル=グルーバーのこと昔から苦手なのよね」
マルグリッタの冷めたつぶやきに、ロジェはくすくす笑った。
「フルネーム……!」
「誰にでも優しい男なんて、誰にでもつめたい男と一緒よ」
うわ、名言! とロジェが騒ぐ傍ら、調理器具を洗う手を休めてナタリアがマルグリッタにたずねた。
「そういえばジェイドとはどう? 今朝もしてくれた?」
「……ふふ。もうナタリアったら」
意味ありげな質問に、マルグリッタは微笑んで頷いた。色白な頬が微かに上気し、鍋を振る手が少し早くなっている。
「いいな、マルグリッタ」
野菜を切りながらローザがつぶやくと、マルグリッタは片手で赤らんだ頬を押さえながらローザの方をちらりと見る。
「ローザ、貴女ももうじきそういう相手ができるんじゃないかしら」
「俺俺! 俺だよローザ!」
「ガールズトークに首突っ込むなロジェ」
ユキノは空気を読んで黙ってスープ鍋をかき混ぜているというのに、ロジェは節操なくローザに構おうとする。この間の一件を教訓にして、もう少しローザを解放してやってほしいところだ。
「ヴィヴィアンったら紳士じゃない! さすがよ!」
ナタリアに褒められ、ヴィヴィアンは苦笑した。彼女も色々と自重して欲しい点はたくさんあるが、もうこのべた褒め攻撃にも慣れてきたところだ。とはいえやはり少し照れるので、口数が増える。
「苦手なんだよそーゆーの。女子の考えることよくわかんねえし」
「そうよね、男子は恥ずかしがるものね普通」
「あ? ガールズトークに入ることがか?」
「ちがうわ、おはようとおやすみといってらっしゃいのキスよ」
当たり前のようにそう言われて、一瞬無言になる。するとマルグリッタがさっと背中を向けて鍋を振り始めた。傍目に解るほど耳が真っ赤だ。
そこまで見てようやくヴィヴィアンは、先ほどのナタリアとマルグリッタがおはよう及びいってらっしゃいのキスをされたかどうかの会話をしていたのだと思い至った。
「わ、悪いマルグリッタ」
「そこで謝らなくてもいいのよヴィヴィアン、事故だわ。恥ずかしい……」
肩をすくめて小さな声で呟くマルグリッタ。ナタリアは慌てて後ろから抱きつこうとしたが、ヴィヴィアンが与えた護符の効果が発動して弾かれた。しかしめげずに、彼女は両手を合わせてみたり何度も頭を下げてみたりしている。
「ああマリー、マリー本当にごめんなさいっ」
「どうするのよナタリア、私ここの男子たちの顔まともに見れないわ」
それを聞いたユキノはその横顔にとても気まずそうな表情を浮かべた。彼にとってはとばっちりもいいところだろう。
ヴィヴィアンはなんとかフォローしようと、まだ続くナタリアの謝罪をさえぎってマルグリッタに声をかける。
「大丈夫だマルグリッタ、こいつ半裸の俺に抱きつくから。そっちのほうが十分恥ずかしい。問題ない」
「あっちょっとヴィヴィアン!」
マルグリッタは頬が熱いのか片手でひらひらと顔を仰ぎながらナタリアを見上げる。見上げられたナタリアも、ヴィヴィアンの発言のせいで顔を赤くしていた。二人の隣ではユキノとローザが黙々と料理を作っている。ちょっぴりシュールな光景だ。
「ナタリア…… 前々から思ってたけど、貴女って過激派よね」
「もう、ヴィヴィアン……」
「おい、そういうしおらしい反応すんな。俺がいじめてるみたいだろ」
会話を聞いていたロジェが軽く吹き出した。ローザもくすくす笑っている。二人に和まされたのか、マルグリッタも肩の力を抜いて溜息をついた。
「いいわ、もしこの件を蒸し返すようなら記憶を消してあげるから」
いたずらっぽく笑って肩越しに振り返るマルグリッタは、まだ少し紅潮したままの頬に手を当てながらすぐに恥ずかしそうに前に向き直った。ヴィヴィアンはにやりと笑い、ロジェを横目で見やる。
「みんな肝に銘じとけ。特にロジェ」
「そうだな、すごく銘じとく。めっちゃ銘じとく」
何度も頷いてみせるロジェに頷き返していると、ユキノが魔法陣に手をかざして火を止めたのが視界に入った。
「ところで料理ができたよ皆」
「お皿を準備しなくちゃね。ロジェ、ヴィヴィアン、テーブル拭いておいて」
面倒くさいというために口を開いた瞬間、ロジェが勢い込んで返事をして台拭きを取るためにキッチンへ向かった。どうやら彼は、ローザのそばに行くための口実が欲しかったようだ。
昼食を終えると、マルグリッタは家に帰った。次に会うのはダンスパーティーの本番になるが、ユキノは問題なくワルツを踊るだろう。ロジェも発明の続きをしたいらしく、マルグリッタに続いて帰っていった。
急に人が減って、静かになる。
「成人証明と外国人登録に行こうか。ユキノ、いざとなったら役人に金を積んでお前の身分証を作る。無いとは思うが、もしも俺の手持ちで足りなかった場合のために金貨を懐に入れとけ。掏られるなよ」
魔道士というのは便利で、地位が高いため金があれば大体何でも認可される。役所の人間たちも魔道士を押さえつける条例を出したりしないし、魔道士も地位が保障されていれば文句はないので無闇に力を行使して役所や行政を困らせる真似はしない。
公には認められていないことだが、金を積めば戸籍や人間を金で買えるというのは暗黙の常識だ。
「ええっ本当に?」
ユキノの国でもおそらくそういうことはあるだろう。しかし、まさかヴィヴィアンがそういう黒いことをすると思っていなかったのか、ユキノはあからさまに驚いていた。
「ああ、本当に。あと刀は今回置いていけ、怪しまれるから」
腰に刀を佩こうとしていたユキノを静止し、ヴィヴィアンは外套を羽織った。ナタリアが嬉しそうに微笑む。
きっと、彼女が刺繍した外套を使っている所を確認できたからだろう。そういう反応をされると何だかくすぐったい。
「ナタリア、ローザ、お前らも一緒に来てくれないか。なるべく離れないほうがいい」
ナタリアは最初からついてくる気満々だったようで、当然という顔で頷いた。ローザは少し不安げに表情を曇らせ、姉の側に心なしか寄り添っている。
「ローザ、あんたにはお守りがないわ。気をつけるのよ」
「うん、気をつける」
四人で家を出て、ヴィヴィアンが外から施錠魔法をかけた。ほかの三人は焼け付くような暑さを感じているだろうが、ヴィヴィアンは外套の魔法で一人だけ涼しかった。
時計塔までたどり着いたら、あとは市街へ足を進めればいい。役所の立派な建物はかなり大げさなので、公設の施設だということが否応にもわかる。
周囲の貴族や役人の邸宅などもそうだが、豪華な家は大体が頑丈なレンガ造りだ。市長の家は灰色の石造りの豪邸で、庭も広ければ建物の高さも高い。この付近では役所と並ぶくらいの高さである。
「でっけえ……」
「市長の屋敷。クラスメイトが卒業後何人かここのメイドになった」
屋敷を見上げて呆然としているユキノの脇をすり抜けながら、ヴィヴィアンはそう言ってまっすぐ前を目指す。目指す役所はもうすぐそこだ。市長の屋敷のひとつ隣にある。
「そうか、村とくらべたら単位がでかいもんな」
「市長っていったって、一昔前の領主と一緒よ。この街はオールドリッジ家が動かしてるの。オールドリッジ家の長男が代々市長になるってもう決まってることなのよ。特に文句はないしこのままでいいわ」
何やら一人で納得しているユキノに向かって、ナタリアが明るく言った。ほんとうにその通りだ、特に文句はないしこのままでいい。
この市長の政策は庶民受けする。税金は他の街と同じぐらいだが、労働や医療制度は他よりも優れているだろうとヴィヴィアンは思う。
たとえば役所で働けるのは、普通は貴族か魔道士だけだ。しかし、この街では実力さえあれば庶民でも役所勤めが可能になる。
医療も、他の街ならば貴族を優先的に診るのが普通だが、この街では平等だ。まあ、多少は貴族がひいきされることもあるが、基本的には庶民に優しい街なのだ。だから庶民であるアイアランド家の姉妹も不自由なく暮らせる。
教師も一応特権階級に近い身分ではあるので他の庶民たちとは待遇が違うのだが、やはり貴族かそうでないかという身分制度に縛られるのが常識である。
「そうなんだ…… なら市長は、よほど民の声を聞ける人でなかったらつとまらないな。俺の故郷じゃ、小さい国ならこれぐらいだし」
「メルチスは恵まれてるほうの街だよ。他の市長はもっとわがまま放題だから。それこそ、小さい国の王様みたい」
感心するユキノにローザが苦笑して返す。二人の会話を聞きながら、ヴィヴィアンは役所の入り口に立った。
役所のような公共の設備では、乱闘や略奪防止のために魔力を抑える魔法陣が描いてある。タバコに火を灯したり靴を磨いたりする程度の小さな魔法ならば使えるが、炎を吹き上げたり水の壁を作ったりはできない仕組みだ。もっとも、このメルチスは誰もそんなことをしようとは思わない平和な街なのだが。
「ナタリア、成人証明は」
「まだよ」
「一緒に済ますぞ」
彼女たちを置いて役所に入るわけにはいかないし、役所は安全だと解っているが、用のない彼女たちが追い出されないようにするための口実がほしかった。ナタリアに用事を作っておけばローザも追い出されないで済むだろう。
「ユキノ、来い」
言いながら扉の前にさっと手をかざすと、シックな色合いの木で出来た上質なドアがゆっくりと開いた。魔道士はこうして手をかざすだけで扉が開くし、一般の来客はドアの前に立つと内側の役人(魔法使い)がそれを感知してドアを開ける。
天井まで届く本棚、採光用の天窓から漏れる光。カウンターの側に据えられた椅子は新緑の色をしたスウェード生地で、テーブルの材質はドアと同じくシックなこげ茶色の木である。
せわしなく行きかう役人の中には見知った顔もいくつかあった。同じ学校を卒業した若手の貴族や魔道士(の、はしくれ)たちは、今日も雑用に追われている様子だ。
「ようこそ、メルチス市役所へ」
ドア脇に立つ、背の高い白ひげの男が頭を下げる。案内人らしい。
高価なスーツの胸元に真っ白なスカーフを巻いているのが、いかにも上流階級らしい優雅さを漂わせている。スカーフには、さりげなくアクセントになる位置にエンカンタリア王国の象徴である蓮の紋様を刺繍してあるのが見て取れた。
「成人証明と外国人登録をしたい」
「かしこまりました。ご案内いたします」
背の高い男に続いて、濃紺の絨毯が敷かれた大理石の床を歩いた。廊下を曲がるたびに、職務中の役人たちの様子が見えた。市民と何らかのやりとりをしている者もいれば、必死に書き物をしている者もいる。
「こちらです」
市民課と書かれたドアプレートが、ドアののぞき窓のすぐ下にかけられている。案内人がドアをノックし、開いてからドアを押さえて一礼した。ヴィヴィアンも会釈しかえして、部屋に入った。後ろからユキノやナタリアが案内人に礼を言っている声が聞こえた。
「ご用件を伺います」
「成人証明を二件と、外国人登録を一件」
「かしこまりました。お名前をどうぞ」
おっとりした感じの若い女の役人だった。魔力を感じないのでおそらく底辺の貴族か、庶民の女性だろう。
ヴィヴィアンとナタリアは、手渡された紙に二人で名前と住所を書いた。役員はヴィヴィアンから紙を受け取ると、受付の奥のほうにある扉を開いて中に入っていった。それを見て、中年の男がヴィヴィアンに声をかけてくる。
「時間がかかるだろう。先に外国人登録のほうを伺おうか」
一瞬ユキノがひるんだような態度になる。
それもそうだろう、彼はどう見ても貴族風の権力者然とした男だったのだ。




