第五十二話 助っ人は委員長
時計塔まで行くと、街の喧騒になんだか落ち着いた。近頃の魔物の被害のせいか、ここに来るまでの間に普段ほど人をみかけなかった。
悪しき気配なども感じないが、魔力はいつもどおりの量を感じる。きっと魔法の使える魔法使いや魔道士たちは普段どおりに出歩いていて、魔法の使えない一般市民が一気に家の中に入ってしまったのだろう。
なんとなく懐かしい魔力を感じて顔を上げると、時計塔の下に黒髪の少女が居るのが見えた。
涼やかな視線を斜め下にやり、時計塔に背を預けてじっと立っている。彼女がマルグリッタ=デュバート、ヴィヴィアンのクラスでずっと委員長をやっていた少女だ。
細身の少女で、軽くウェーブした真っ黒な髪と意思の強そうな青い瞳が印象的だ。円形のフレームの眼鏡をかけている。
ナタリアとローザの中間ぐらいの背丈で、彼女は学生時代から黒いフリルのついたワンピースを好んで着ていた。今でもその好みは健在らしく、塔の日陰にもたれる細い身体は黒いフリルがたくさんついた丈の短いワンピースに包まれていた。
ワンピースの上からふわりと羽織ったボレロに、温度調整の魔法がかけられているようだ。この炎天下の中でずっと待っていただろうに、彼女は汗ひとつ流さず日陰で腕時計を見ていた。
「マルグリッタ」
声をかけると、彼女がすっと顔を上げた。腰まである黒髪がさらりと揺れ、知的な青い目がちらりとこちらを見る。
「久しぶりね、ヴィヴィアン」
日陰から出てくると、その白い肌はより一層眩しく見える。
彼女とは久しぶりに会うが、クラスではよく喋っていた。それ以外ではあまり関わっていないが、彼女も一応友達だといえる。ナタリアたちほどの幼馴染ではないにしろ、長い学校生活のうちで数年は世話になっていた。
「悪いな、急にダンスの相手なんか頼んで」
「気にしないで」
彼女が長い黒髪を纏め上げてまた下ろすと、ふわりと花の香りが届いた。エストルの魔力のような華やかなバラ系の香りではなく、ユリやスイセンのような清楚な香りだ。彼女の使う香水だろう。
特にそれらしいやりとりもせず、ヴィヴィアンとマルグリッタは歩き始めた。歩きながらマルグリッタは、優しく微笑みながら呟く。
「私の許婚は、一緒に踊れないのよ」
「許婚? ああ、マルグリッタは家柄からしてエリートだったな。貴族も大変だな、親に結婚を決められるとか」
そういえば彼女は貴族の家系だった。何年間もずっと委員長を任されていたのも、彼女が成績優秀で魔法も使えるエリートで、更に貴族だったから優遇されていたということに尽きる。もともとの素質もいいが、やはり家柄は学校においても重視されるのが日常だ。
「よく覚えていたわね」
「取り巻きの女の子がたくさんいたからな」
「正直ウザい時もあったわ、トイレにまでついてくるんだもの」
くすくすと笑いながら、マルグリッタはヴィヴィアンを見上げた。無表情でいることの多いマルグリッタだが、会話するときは普通に豊かな表情を見せる。
こんな風にはっきりものごとを口にしてしまうところがとても良い。ナタリアと同じサバサバした感じを受ける。
「結婚相手もウザかったのか?」
からかうように聞いてみると、彼女は肩をすくめた。
「そうね、最初は。ある日突然『未来の旦那よ』って紹介されたのが、ひょろひょろした魔法使いよ。私はあからさまに嫌な顔をしたと思うわ。顔は整っていたけど、頼りなさそうっていうか。そもそも私、色恋沙汰には興味なかったし」
彼女が色恋沙汰に興味がなさそうだというのは、実は学生時代からヴィヴィアンも思っていた。
整った容姿と凛としたいでたちに惹かれ、彼女に興味を持つ男は少なくなかっが、彼女の方は全く相手にしていなかったのだ。だから男子たちからは影で『鉄壁』と呼ばれていたのだが、本人は知らなくてもいいだろう。
「お前、理想高そうだしな」
「よく言われるわ。実際その通りだと思う」
自分はどうかとふと考えた。面倒くさくない女がいいなどとうそぶいてはいるが、彼女がまったく欲しくないのかといえばそうでもない。そこは健全な十八歳の若者だ、そろそろ久々に恋のひとつやふたつは経験したい。
ただ、やはり面倒くさい。そして弟子を引き受けた手前、脳内花畑でいるのは教育上よくない。というか、脳内花畑では彼女に気をとられてユキノに満足な教育ができない。
そんなことを考えながら、そういえば会話が止まっていることに気がついた。
「許婚って何してる人?」
尋ねてみると、マルグリッタは少し寂しそうにため息をついた。
「頭脳労働よ。役所づとめでダンスパーティどころじゃないわ。頼りなさそうに見えるけど、あの人とても頭がいいの。だから、職場でも重宝されている」
「へえ、仲良いんだな」
思わず微笑んで言うと、マルグリッタは少し照れたように微笑み返してくれた。許婚のことを語る彼女は、寂しそうでいながらもやはり幸せそうだった。
「一度大喧嘩して、そこからよ。お互い、相手のことを全く知ろうとしていなかったことに気がついたの。今では彼は最高の恋人で、毎日彼のところに帰れるのが幸せなのよ」
「尚更悪いな、ダンスの相手」
「ちょっと彼も妬いてたわ。いらなくなった書類の束を魔法で無闇に燃やしながら、揺り椅子を高速で揺らしてるの。『いっておいで』って言ってるのに声が硬いし」
その光景を想像して少し笑ってしまった。マルグリッタもつられて笑いながら、小さくため息をついた。
「ダンスの夜はあまり遅くならないうちに抜けるわ。魔物も出るし」
ヴィヴィアンとしても、彼女には早く帰ってもらって恋人との時間を過ごしてもらいたい。もともと突然無理な願いを申し出たのだから、あまり拘束したくなかった。
「ユキノに家まで送らせる。あいつは腕が立つから問題ない」
「もうそんなに育てたの? 貴方の弟子」
「いや、あいつはもともと剣が使える」
「物理的攻撃では魔物は倒せないじゃない」
呆れたように言うマルグリッタだが、それはユキノの剣を知らないから言えることだとヴィヴィアンは思う。
「あいつの剣さばきを見ているとそうも言えないぞ。実戦で何度も活躍しているからな」
「ふうん。気になるわ、ユキノ」
彼女の場合はロジェと同じく、知的好奇心からユキノのことを気にしているのだろう。出会った奴が皆友達になりうるナタリアと違い、マルグリッタは人間関係にワンクッション置くタイプだ。何となくマスターに通じるところもあるかもしれない。
「礼儀正しくて主婦みたいな奴だぞ」
「ふふ、何よそれ。主婦って」
「色々あってだな……」
会話をしていると、何でも屋の前についていた。待ちくたびれたのか、ナタリアが玄関先に食卓の椅子を持ってきて座っていた。
風通しのいい店の入り口で、ナタリアは暑そうに服をつまみ上げ、ばたばたと胸元へ風を送り込んでいる。あまり品のいいしぐさとはいえないので頭を抱えたくなった。
「あっヴィヴィアン! 遅かったわね」
ああ、気がつかれた。むしろ気が疲れた。ヴィヴィアンは眉根を寄せ、何も言わずに小さくため息だけついて彼女の横をすり抜けた。
家の中に入ってすぐに、淡く輝く魔法陣を描いて室温を下げる魔法をかけた。もちろん、これ以上彼女が人目につく玄関先で品のない行動をしないようにするためだ。
部屋の温度が下がったので外套を脱ぐと、マルグリッタとナタリアの会話が聞こえた。
「マリー! よく来てくれたわ、ありがとう」
「すっかり若奥様ね、ナタリア」
まったくその通りだ。なぜ他人の家に友達を呼んでおいて、『よく来てくれた』なんて言葉が出てくるのだ。ここはヴィヴィアンの家だというのに。
「ヴィヴィアン! おかえり」
そう言いながら階段から降りてきたユキノは、ナタリアと談笑するマルグリッタにすぐ気がついた。
朝見かけたときはいつもの足首まである着物だったが、ダンスに備えて彼は足を動かしやすいように短い上衣に着替え、七分丈の股引をはいていた。丈の短い上衣は、例のロングスカートに見えるズボンを着るときに着ていたものだ。
ユキノが隣に来るのを見計らって、ヴィヴィアンはマルグリッタに向き直った。
「紹介する。こいつがユキノ=サクライ、イリナギから来た俺の弟子だ」
「よろしくお願いします」
ユキノは丁寧に礼をすると、マルグリッタに微笑みかけた。マルグリッタも丁寧にスカートのすそをつまんで礼をする。
「マルグリッタ=デュバート。お会いできて光栄だわ、ユキノ。ようこそエンカンタリアへ」
「俺のダンスの相手になってくれると聞きました。ありがたいです」
人懐こい笑顔でユキノは礼を言い、再び軽く礼をした。マルグリッタは顔の前で手を振って見せ、知的な顔に和やかな微笑を浮かべた。
「堅苦しくしなくていいのよ。あなたの師匠とは学生時代からの友人なんだから。あなた、踊るのは好きかしら」
「あんまり踊ったことないんだ。特に西洋のは」
「そう、それじゃあ音楽を聴くところから始めましょう。ナタリア、もう始めていいわよね?」
「ロジェとローザがいないわ。呼んでくる」
そう言って駆け出そうとしたナタリアが一瞬躊躇したのに気がついたのか、ユキノが彼らの居場所をナタリアに告げた。
「二階で本を読んでいるはずだよ、ロジェが新しい研究について、意気込んでローザに話していたから」
「もう。そんな難しい話、ローザが退屈するじゃない」
ナタリアは仕方なさそうにぼやきながら軽やかに階段を駆け上がっていった。その背中を見送り、ヴィヴィアンはソファやテーブルを部屋の隅に避けて広いスペースを作った。ユキノも手伝ってくれたので作業はすぐに終わった。
「マルグリッタ、再生機は要るか」
動かしたソファを壁に完全にくっつけようと押しながら、肩越しに振り返って尋ねる。
「必要ないわ、持ってきたから」
マルグリッタはちらりとこちらを見て微笑むと、スカートのポケットに手を入れて小さな貝殻を取り出した。白い巻貝で、長さはマルグリッタの小指ほどしかない。さほど音質はよくないだろうなと思っていると、ユキノが隣で首をかしげた。
「貝殻? 何に使うの?」
「この貝の中には、小さく呪文と魔法陣を描いてあるのよ。だからこうしてテーブルにおいて発動の呪文を使ったら、ほら」
マルグリッタはワンフレーズの短い呪文を囁く。次の瞬間、小さな巻貝からゆるやかなワルツが聞こえ始めた。
音量は控えめだが、増幅の呪文を加えれば練習中に聞こえなくなることもないだろう。思ったよりも綺麗な音に驚き、彼女の器用な手先に感心する。
こうして物体を媒体にして魔法を使うとき、何よりも問われるのが呪文や魔法陣の正確さと丁寧さだ。ヴィヴィアンは面倒臭がるので、こうやって永久的に使う物に呪文を書いたりする魔法はあまり好んで使わない。
「すげー…… これって、カフェのマスターが使ってる魔法?」
「そうだ。記憶にある音を再び流す装置。もっともマスターの場合は、あの人が頭で思い出してる曲をそのまま流しているんだけどな。マルグリッタの場合、思い出さなくていいように貝殻に曲を縫い付けている。この方が安定するといえばするんだが、縫い付ける時にすさまじい集中力が要る」
解説してやると、マルグリッタは満足げに頷いた。彼女が言いたかったことは全て自分が代弁でいたようだ。
「だから巻貝なの。二枚貝じゃだめなのよ、音楽を溜めておける空間がないとね」
「すごいな、魔法って本当になんでもできる」
「そうよ、だって魔法だもの」
おかしそうに笑いながらユキノに微笑んで見せるマルグリッタの隣で、ヴィヴィアンは白い貝殻に手をかざした。小さく呪文を呟いて音を増幅させると、すぐそばにオーケストラがいて演奏してくれているような臨場感のある音楽が空間を満たした。音を大きくしたのに全く荒さは目立たず、つくづくマルグリッタの器用さに感心する。
ふと顔を上げると、ナタリアが無言で階段を降りてきた。いつものせわしない足音を極力殺したような足さばきで、まっすぐにヴィヴィアンのところまで走ってきて微笑む。
「どうした?」
「ドアが少し開いていて、隙間から二人が見えたのよ」
それでどうしたんだよ、と言いかけて納得する。二人が見えて、思わず微笑むような事態に発展していて、ナタリアは声をかけずに戻ってきたのだろう。
察しのいいユキノもその一言で理解したようで、少しだけ階段の方を見てからすぐに視線を前に戻した。
「始めましょ、マルグリッタ」
「いいのかしら、大事な妹を発明家にとられて」
「いくらお姉ちゃんだからって、妹の恋愛沙汰にまで首を突っ込むほどあたしは図太くないわ」
からかうようなマルグリッタに、ナタリアは微笑み返す。そしてヴィヴィアンの隣にきて優しくその左腕を絡めてくる。
「じゃあ、まずエスコートの仕方から」
隣ではじけるような笑顔を見せるナタリアに、ヴィヴィアンは少しため息をついた。
「あのな。さすがに俺でもエスコートくらいは出来る」
「違うわ、ヴィヴィアン。これはユキノに見せるためよ」
ユキノはきょとんとする。ナタリアは彼に向かってやはり満面の笑みを浮かべる。こいつ、実はこの状況を楽しんでいるだけなのではないのか。




