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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第五話    意地っ張り一点張り

 筆記用具や依頼書を適当に棚の上に載せれば、もともとアイアランド姉妹に片付けてもらってあったテーブルの上には何もなくなった。適当にテーブルの上を拭けば、なんだかとても仕事をしたような気になる。

「ふぅ」

「ヴィヴィアンどいてー」

 背後からユキノに言われ、さっとよけるとテーブルの中央に煮物を入れた器が置かれた。そして、人数分の焼き魚と、味噌汁というらしいスープが置かれた。ローザとナタリアがスープ用の小鉢にご飯を入れて持ってきて、食事のセッティングは終わった。視覚と嗅覚をダイレクトにさらっていった料理を前にし、一気に食欲が倍増する。

「……普通そういうのって皿にいれないか?」

「俺の国では茶碗を使うんだ。持ってきたかったけど割れちゃうからやめといた。さてと、箸は……」

「箸?」

「うん、箸。どこ?」

 耳慣れない単語だ。ヴィヴィアンは首を捻り、とりあえずリピートしてみる。

「箸って何?」

「え」

 豪華な食事を目の前にして何も食べられない状況にそろそろ耐えられなくなってきたので、ヴィヴィアンは正面に座るナタリアの背後を指差した。

「ナタリア、二段目の引き出し」

「もう、自分で動きなさいよ」

 ナタリアはヴィヴィアンを横目でみつつも、食器棚の引き出しから人数分のナイフとフォークを出してくる。

「えええっ。嘘、この家って箸ないの?」

「だから箸ってなんだよ」

 もう反応するのも面倒くさいと思い始めたヴィヴィアンに、ユキノは懐から何か取り出してみせる。

「何って、普通みんな家に箸あるだろ?」

 麻で出来ているらしい布の中から現れたのは、長い二本の棒だった。それはユキノが髪に挿しているかんざしによく似ている。

「イリナギ人って本当に細長い棒が好きなんだな。刀も棒っぽいし」

 思ったとおりのことを言ってみると、ユキノはフォークを握ったヴィヴィアンを不思議そうに見つめる。

「エンカンタリアでは食事にナイフとフォークを使うんだな…… 初めて知った。ナイフとフォークを使ってるのは首都だけで、あとはみんな箸なんだと思ってた」

 意外に博識なのか、ユキノはナイフとフォークの存在は知っていたらしい。箸の存在を知らなかったヴィヴィアンとは大きな違いだ。

「でも、お箸使ってるユキノってカッコいいわよ。イリナギは不思議な魅力のある国ね」

「本当に? ありがとナタリア」

「ユキノさん」

 ためらいがちに声をかけるローザに、ユキノがきょとんとする。珍しい言動だ。ヴィヴィアンも食事の手を止め、ローザを注視する。

「何でさん付け?」

 ……そうきたか。ヴィヴィアンは呆れるが、ローザが黙ってしまったのを見て、面倒くさいと思いながらも助け舟を出す。

「言ったろ、ローザは人見知りが激しいんだ。お前はまだまだこいつにとっては他人なんだよ」

「えー、結構仲良くなったと思ったのに……」

 がっかりするユキノの肩を、ナタリアが嬉しそうにぽんと叩く。

「でも珍しいのよ、会って一日も経ってない人にローザから話しかけるなんて。ほら、どうしたのローザ。言ってみなさいよ」

 ローザは姉にそう言われたら、ほぼ逆らわずに言葉をつむぐ。強制されているというよりは、ナタリアがいればローザは安心できるのだろうとヴィヴィアンは思う。

「あのね、私、お箸売ってるお店知ってるの。着物はなかったけど、今ユキノさんが履いてるわらじとか、下駄もあったよ。学校の課題で、外国の研究をしてるときに偶然みつけたの」

「え、本当か!? 助かるなそれ、連れてってくれるか?」

「うん。今度案内するね」

「やった! ありがとローザ!」

 時々会話に混ざりながら、ユキノの料理を食べる。空腹のために通常より早く多く平らげたので、食事はすぐに終わった。空腹は満たされ、雰囲気はかなり和やかだ。

「ごちそうさま」

「どうだった?」

「普通にいける」

 ユキノは嬉しそうにした。そして、懐からまたも細長い物体を取り出す。竹の棒をいくつかまとめ、上半分くらいに渋い色合いの紙を張ったものだ。エンカンタリアでも王妃や姫が使っている扇に似ているが、王妃たちの扇はもっと色鮮やかで羽や絹糸の豪華な刺繍が施してある。ユキノはそれで首筋あたりを仰ぎ、小さくためいきをついた。

「暑いなぁ」

「氷飴があるわよ。食べる?」

 ナタリアはポケットから可愛らしい半透明の包みを出し、ユキノに渡した。

 氷飴はイリナギの素朴な甘味のある飴に、魔法で細工をしたものだ。飴はイリナギの職人が作り、細工はエンカンタリアの魔導士たちがする。なかなか噛めない氷を口に含んでいる感覚だが、独特の甘い味がするのだ。

「懐かしい! 飴なんか何年ぶりだろう?」

 ユキノは包みを解いて、大粒の赤い飴を口にいれる。

「……ん?」

「冷たいでしょ。魔法で冷やしているのよ。包み紙は少しすると溶けて空気に戻る仕組みなの。便利よね」

「へー、ありがと!」

 氷飴にかける魔法ならヴィヴィアンもわかる。時々ナタリアたちに頼まれて作ってやることもある。飴を作ることはできないが、氷飴にするための手順はそこまで難しいものではない。

「ヴィヴィアンも手伝いなさい」

「えー」

 ユキノは席を立ち、ナタリアとローザを手伝いに行った。

「ほら早くしなさいよっ」

「うっ、頭痛くなってきた」

 言ってみたものの、ローザの白けた視線を受けてすぐ立ち上がる。

「……わりい」

 彼女なりのからかいのつもりだったらしく、ローザはふっと小さく吹き出した。可愛らしい行動だとは思ったが、あの白けた視線は本当に痛かった。

「いいよ、休んでいても。だって久しぶりのご飯だったもんね」

「でも動かないと太るわよー」

 ローザの優しい言葉に続けてナタリアにそう言われ、ヴィヴィアンは渋々立ち上がる。確かに、食後にすぐ休むのはよくない。特に今はまともに食べ物を摂っていなかった身体にいきなり養分が流れ込んだのだから、脂肪への変換率が高くなっているはずだ。……友人の一人がそういっていた。

 数ヵ月後くらいに脇腹の肉が気になりだす自分を想像し、それは嫌だと全力で思う。

「喜んで働かせていただきましょう、はいはい」

「可愛くないわね」

 からかうようなナタリアの声に、ヴィヴィアンはテーブルの食器を持ち上げながら少しむっとする。

「じゃあどうすりゃいいんだよ?」

「その素敵なプロポーションを心配して言ってあげてるのよ? ……何よその目。いいじゃない褒められてるんだから。もう少し嬉しそうにしたら?」

「何言ってんだよ馬鹿。てめえただ俺をからかいたいだけじゃねえか」

「そんな照れ隠ししなくていいのよ。ヴィヴィアンはあたしのこと大好きなんだもの」

 ナタリアはヴィヴィアンをからかうとき、本当に楽しそうにする。

「その根拠のない過剰な自信は一体どこからくるんだよ」

「ヴィヴィアンあたしのこと嫌い?」

「嫌いじゃない」

 真っ直ぐに見つめられたら本当のことを言うしかない。こういう時に嘘をつくことほど、無駄なことはないのだ。

「ほら!」

 ナタリアは嬉しそうに駆け寄ってきて、ヴィヴィアンの頬をつつく。思わず仰け反ろうとして、食器棚の扉に激突する。背中の痛みに顔をしかめると、ナタリアはヴィヴィアンを見つめながら実に楽しそうに笑った。

「あんたは絶対嫌いって言わないの、あたしのこと。嫌いじゃないイコール好きってことじゃない! これを根拠といわずになんていうのよ」

「果てしなく面倒くさい思考回路だ。何だその理論…… 嫌いじゃないけど好きでもないってこともあるかもしれないって可能性は寸分も考えないのか?」

「ナタリア暴走してるよー」

 ローザの一言でナタリアは仕方なさそうな笑みを浮かべ、食器洗いに参戦する。持っていた食器をユキノにパスし、ヴィヴィアンも台拭きを片手にテーブルに戻る。片付けは四人で共同すればあっという間に終わった。

「じゃあ私たち、帰るね」

 ローザはそういって店の外に一歩踏み出したが、ひさしの下ですぐに足を止めた。見れば、街には小雨が降り始めている。

「あっ、雨じゃない! ヴィヴィアン、傘借りるわよ」

「いいけど、穴あいてるかも」

 夏の天候は変わりやすい。この雨も数時間、いや数分でやむかもしれないし、明日まで延々と降り続けるかもしれない。

 ローザは傘立ての中から、前にヴィヴィアンの母が使っていた傘を取り出した。ナタリアはヴィヴィアンの傘を使うようだ。二つとも微妙に穴があいていたが、ごく小さいものだった。もしも酷いようだったら魔法で直してやろうかとも思っていたが、必要なさそうだ。

「じゃ、明日にでも返しにくるわ!」

 ヴィヴィアンに向かって大きく手を振って、ナタリアは弾むような足取りで石畳を歩いていった。その後を、ローザが追いかけていく。雨はだんだん強くなってきていた。

「……どうせ毎日のようにうちに来るだろお前らは」

 遅れて呟いた声は、姉妹には届いていないだろうが。

「で、お前はどうするんだ」

 隣で姉妹を見送って手を振っていたユキノに目をやれば、ユキノはヴィヴィアンを真っ直ぐに見つめて口を開く。

「ここに」

 いたい、と言うであろう彼の言葉を、ヴィヴィアンはぶち切った。

「うちにいたって、もうやることないぞ」

「だって俺」

「言ったろ、俺は面倒臭いことが嫌いなんだ」

 弟子を取るならば責任を持って一人前にしてやりたい。完璧にやらなければいけないから面倒臭いのだ。適当でいいならこれほど美味しい依頼はないが。

 そういえば、依頼主に断る旨を伝えなければいけない。ヴィヴィアンは頭一つ分くらい下にあるユキノの顔を見下ろした。

「依頼主と、今連絡つくのか」

 力なく首を横に振るユキノに、ヴィヴィアンは少し困る。

「じゃあどうするんだよ。これじゃ了承も拒否もできない」

「……わかんない。旅費は片道分しかないし」

 ユキノの青い瞳は不安げに曇っていた。少し可哀想になったが、もしもこれからずっと一緒に暮らしていくことになったらと思うと、優しい言葉のひとつもかけてやれなかった。

「持ってきた金貨、使えばいいだろ」

「ヴィヴィアンとナタリアとローザは、俺のこと気持ち悪いって言わなかった」

「は?」

 いきなりずれたことを言い出すユキノに、ヴィヴィアンは思わず不信感をあらわにした反応をしてしまった。ユキノは少しだけ笑った。苦し紛れの笑みだった。

「ちょっと嬉しかったんだけどな。俺のこと認めてくれる人が、こんな遠い異国で見つかるなんて思ってなかったから」

 そう言って店の奥に引っ込むユキノを目で追えば、彼は自分の荷物をまとめていた。胸の奥で何かつかえるものを感じるが、ヴィヴィアンは彼を止めることができなかった。

「ありがとう」

 ユキノは荷物を抱えたまま、ヴィヴィアンに向き直って深々と礼をした。ヴィヴィアンは何も言えず、ただ気まずくなる。良心が疼く。

 こんな冷たい雨の降りしきる中、彼を追い出すという自分は心の狭い人間だ。

「また俺みたいな弟子入り志願者が来たら、そのときはもっと優しくしてやってね。お世話になりました」

 そう言い置くと、ユキノは激しくなってきた雨の中を駆け出していった。

 行くあてなんて、どこにもないくせに。帰る場所は果てしなく遠い異国で、そこにすら戻る手立てがないくせに。彼は持参した金貨も置いていってしまったのだ。

「おい、ユキノ! 待て!」

 叫んだ声は絶対に彼に届いているはずだったのに、彼は止まらずに走り続けていった。ヴィヴィアンはどうしようもなくもやもやした気持ちを抱え、玄関前に座り込む。

 仕事がらみでここまで後味の悪い思いをしたのは初めてだった。

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