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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第四十九話  お前は無防備すぎるんだよ

 次に目を開けると、部屋の色調が暖色がかっていた。身体を起こしてみると、首筋や背中が痛くて思わず呻く。窓の外の景色はすっかり夕映えのオレンジ色で、家の前の通りを子供たちがはしゃぎながら帰っていく声が聞こえたりした。

 家の中がとても静かだ。神経を集中させれば、ユキノの魔力を手繰ることができた。彼はどうやら寝ているようだ。その魔力は、今のところ凪いだ海のように静かである。

 しばらくぼんやりしていると、階段を降りる音がした。振り返ると、ナタリアがヴィヴィアンの外套を抱えてこちらに向かってきているところだった。

「直ったわ」

「ずっとそれやっててくれたのか」

「ええ。だって、あんた仕事に行くときあれじゃこまるでしょ」

 温度調節機能のないジャケットを指差し、ナタリアは言った。まだ覚醒しきっていない頭を無理やり働かせて頷いて見せると、ナタリアはヴィヴィアンに外套を手渡した。

「広げてみてちょうだい、どうかしら」

 たたんであった重たい外套を広げると、破れた左肩のところに見事な赤い花のような刺繍がしてあった。花というか、よく見れば炎のようでもある。繊細な糸使いで、破れていた形跡はほとんど見当たらなくなっている。これを数時間でやってのけるナタリアは、本当にこういう方面においては天才だと思う。

「相変わらずすごい出来だな。誕生日プレゼントとして受け取るよ」

「だめよ、そんなのプレゼントにするなんて! あんたにはたくさん色んなことしてもらってるんだもの、もっといいものあげたいわ。このネックレスだってすごく嬉しかったもの」

「毎日のように飯つくらせて、部屋片付けさせて、最近じゃ怖い思いもさせてるし…… そんなの全部チャラだ。あんまり無理すんな」

「もう、ヴィヴィアン…… 時々優しいんだから」

 ナタリアはふわりと微笑んだ。不覚にもどきっとした。彼女は本当に可愛らしい。こういう笑い方をするナタリアは、とても女の子らしい感じがするので落ち着かない。

「何だよ時々って」

「普段は面倒くさがるくせに。まあいいわ、仕事はいつから始めるのかしら」

 隣に座って首をかしげるナタリアを見下ろし、ヴィヴィアンは特に考えることもせず口を開く。

「明日は一日何もしない。俺もユキノもだ。お前はローザと一緒に、念のためにうちに来い。結界がある場所にいたほうが、何かと都合がいいからな」

 気丈に振舞ってはいるが、ユキノのあの傷が一日で簡単に癒えるはずがないのだ。おそらく彼は、時折来ているはずの痛みを我慢している。施錠魔法のかかった空間では、比較的魔力や治癒力の回復が早いので、ゆっくり休むに越したことはない。

「ありがと、ヴィヴィアン。あんたって本当に頼りになるわ」

「とかいって、本当は家事手伝いの人員を増やしたいだけだったりして」

 まだ眠気が抜けきらない。目を閉じて少し眠気に負けそうになるが、隣でナタリアがヴィヴィアンの髪を編み始めるので意識は保ったままでいた。

「いいわよそれでも。あんたの家は常に散らかってるから、片付けがいがあるわ」

 楽しげだがちょっと失礼なナタリアに、ヴィヴィアンは顔を上げて反論する。同時に、軽く三つ編みにされかけた髪を離させた。

「失礼な言い方。時々片付いてるだろ」

「その時々ですら、あたしが片付けてるのよ」

「……おっしゃるとおりです」

 本当にそのとおりだ。もう反論する余地も見当たらない。素直に引き下がると、ナタリアは不満げに眉根を寄せる。

「あ、面倒くさくなったわね」

「お前って本当頼りになるな」

 棒読みで言ってみれば、ナタリアは腰に手をあててため息をつく。

「茶化さないの」

「ローザは?」

「さっき起きてきたわよ。部屋でおとなしくしてるみたい。ねえ、あの子どうしちゃったのかしら」

「不眠だろ。ストレスと緊張に極度に弱いし」

「ただの不眠ならいいんだけど…… しっかり寝たのに全然疲れが取れていないみたいなの」

「しっかり寝れてないんだろ、ローザは人んちで熟睡できるような子じゃないだろ?」

「まあ、それもそうね」

「どっかのガサツな女と違ってさ」

 横目で見ながらにやりと笑ってやれば、ナタリアは満面の笑みを浮かべる。

「あら、誰のことかしら」

「目の前にいるじゃん」

「ヴィヴィアン? このままあんたの胸の上に全体重で乗ってみたらどうなるかしらね?」

 満面の笑みなのに目が笑っていない。

「うわ、勘弁してくれ。お前最近重くなったから」

「……嘘。それ早く言いなさいよ」

 心持ちヴィヴィアンから距離をとると、ナタリアは俯いた。体重が増えたことを気にしているのだろうか? 彼女の体型は相変わらず見事だし、増えたとしたらそれは豊かな胸の部分だとヴィヴィアンは思う。

「冗談だから。お前もともと重いもん」

「もう、失礼ね!」

「つーか、そんだけデカけりゃ重くても当然だろ。逆にそれでローザ並に軽かったら病気なんじゃねえの?」

 ちらりと胸元に視線を向けてやれば、即座に顔面へとクッションがヒットした。眼鏡を直しながら彼女を見れば、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている様子が目に入る。

「っへ、変態魔道士っ!」

 久々にナタリアがこんなに恥ずかしがるところを見た。

 クッションは効いたが、反応がちょっと面白いので言ってみてよかったと思う。彼女の中で、ヴィヴィアンの紳士ランクがガクンと落ちたことは間違いないのだが。

「よく言うよ、あれだけ人をむっつりとか言っといて。ていうか見たままの客観的事実を述べただけで俺は変態なのか?」

「その顔で変態発言をされるとどうも調子が狂うのよ。事実だろうがそうじゃなかろうが、そもそもそういう話題に触れないのがあんたでしょ」

「ひでえな、顔にまでケチつけんのか」

 自分はそんなに変態さのにじみ出た顔立ちだっただろうか。ヴィヴィアンは少し考えるが、ナタリアは相変わらず頬が赤いままでなおも続ける。ヴィヴィアンは笑いそうになるのを堪えるのに必死だ。

「かっこいい男の子は変な発言を慎むべきよ! その流し目で、セクシーな口元で、どうして胸のサイズなの? 紳士はそんなこと言わないわ。ユキノを見習いなさい、あの子ストイックで素敵だわ。だからローザも安心するのよ」

 どうしてそこでユキノが出てくるんだ。ヴィヴィアンはそういいかけてやめ、持論を展開する。

「だから、客観的な事実だって。俺はただ、『胸デカいな』しか言ってないだろ。別に触りたいとか揉ませろとか言って……」

 クッションがもうひとつ胸にヒット、

「ってえな。だから、俺はそういう個人的な意見は何ひとつ、」

「もう! 知らない!」

 ナタリアが足音を荒げて去っていこうとするので、引き止めるつもりでその背中に声をかける。

「お前さ、あんまり男にべたべたすんなよ」

「は? 何言い出すのよ」

 足を止めて振り返ったナタリアは、複雑な表情でヴィヴィアンを見やる。ヴィヴィアンはナタリアの視線を受け止め、少し真面目に話しかける。

「っていうか、男作ったらどうだ? そうしたら少しは落ち着くんじゃないのか、その行動が」

「エストルやあんたに抱き付くこと?」

「それもそうだし、お前はいろいろ無防備なんだよ」

 知らない人間と親しくなったり、誰にでも優しかったりするのはナタリアのいいところだ。けれどそれは、時として彼女を危険に追いやる要素でもある。面倒ごとを起こされては困るし、何より面倒ごとですまなかった場合のことなど考えたくもない。

「彼氏作ったらあんたの世話できないじゃない」

 ナタリアはそう言って笑った。ちょっと待ってほしい。

「俺は要介護の老人かっ!」

「似たようなもんよ」

 食事の支度すらまともにできない男なのだから、老人扱いでも仕方ないといえば仕方ない。けれど、あまりにも彼女を頼りすぎている自分に気づかされた気がして、軽くへこんだ。

「そこまでお荷物じゃねえよ。つうか、俺のせいで彼氏できないならなんか悪いし」

 老人扱いのショックを若干ひきずりつつも、ヴィヴィアンは床に落ちたクッションを拾い上げて意味もなく腕を乗っけてみる。ナタリアはいつもの調子で明るく笑い、ヴィヴィアンの髪をぐしゃぐしゃ撫でた。

「あんたのせいじゃないわ。だって彼氏作らなくてもカッコいい男の子と一緒にいられるって最高じゃない! わざわざ探さなくてもカッコいい子はすぐそばにいるのよ。あんたを含め現在三人。現状で満足なのよ」

 本当に頭の痛くなる返答だ。ナタリアは根本的に何かを履き違えている。その考え方で言えば、三人ともナタリアの彼氏代理ということになるではないか。

「……それは、俺とエストルとユキノか?」

「そのとおりよ!」

 ますます頭が痛い。なんとなくナタリアのタイプの男子が分かってきている自分に対しても呆れる。ナタリアとヴィヴィアンの共通の男友達なら他にもいるし、更にそのいとこや親戚、兄弟等の知り合いもいる。学生時代から考えれば減ったものの、ナタリアの知り合いの男性は結構多いのだ。

「ロジェは?」

「あー、眼中にないわ」

 その返答に、思わずくすりと笑いが漏れた。やはり聞くまでもない反応だった。(あー、ご愁傷さん)

「あいつそんなにまずくないと思うけど」

「顔は綺麗よ。でもほら、あの子もあたしが眼中にないから」

「まあな」

「とにかく、彼氏なんて必要がないの。恋なんてしたいときにするわ。そういうあんたはどうなのよ、彼女作らないの?」

 ほしい気持ちはあるが、面倒くさいほうが勝っている。しかも、彼女には主に部屋の片づけを頼みたいなどと思ってしまうため、結局はヴィヴィアンだってナタリアのことを言えないということに気がついた。

「……面倒くさい」

「そう。もうしばらくは、あたしが世話焼いてあげてもよさそうね」

「頼むよ」

 そう言いながら笑って見せれば、ナタリアは頷いて微笑んだ。

「日が沈む前に帰りましょ! 明日も来るから道具はほとんど置いていくわ」

「わかった。ユキノ起こしてくる」

 ユキノの部屋をノックする。返事がなかったのでドアを開けてみる。いつでも気を張っている彼にしては珍しく、熟睡しているようだった。

「ユキノ」

 声をかけると、彼はしなやかな身のこなしでベッドから上体を起こした。軽く波打った黒髪が、するりと肩から滑り落ちる。彼は二枚ほど重なっていたはずの上衣のうち、一枚だけ脱いだ姿で寝ていたようだ。

 まだ眠そうに目をしばたいているものの、動きは完全に覚醒していた。相変わらず凄い男だ。

「そろそろナタリアたちを送るぞ。家にいたいならいてもいいけど、ナタリアんちの両親がお前に会うの楽しみにしてる」

「もちろん一緒に行くよ。それにさ、護衛は多いほうがいいだろ」

「まあ、それもそうだな」

「着替えるから待ってて」

「おう」

 ユキノは濃紺の着物を羽織ると、襟の合わせ目を正して帯を巻き始める。ヴィヴィアンは彼の部屋を出て行き、またリビングのソファに座った。暑くてやる気が起きなくて寝転がり、欠伸をしながら階段を見上げると姉妹が降りてくるところだった。ぼんやり彼女たちを見ていると、ユキノの部屋のドアが開く。

「お待たせ」

「おはようユキノ。起きたばかりなのに悪いわね」

 ナタリアと会話しているユキノを見れば、例の両足が筒状に固定された動きづらそうな着物を着て、更に腰に新しい刀を携えている。

「全然。気にしないで」

「ユキノさん、ありがとう」

「いいんだよ」

 ユキノはローザに微笑んで見せると、明後日の方を向いて小さな欠伸をした。ヴィヴィアンは面倒くさいとおもいつつも起き上がり、ナタリアに直してもらった外套をさっと羽織った。

「うお、ヴィヴィアンそれすげえ! 模様カッコいいな! ナタリアがやったのか? 器用だなぁ…… 全然破れたように見えないや」

 外套の肩部分を目にするなり、ユキノは目を輝かせる。近寄ってきてようやく破れたところを直したのだと納得してもなお、しげしげとヴィヴィアンの左肩を見つめている。

「こいつの腕は本当にすごいぞ。将来的に店を持つんだろ?」

「ええ、夢なの。でも今はお父さんの塾を手伝ったり、いろいろすることがあるし。成年したら考えようと思うの」

 ナタリアほどしっかりした女の子でも、店を経営するとなると話は違ってくる。女の子一人では、治安の面から見て不安が大きいし、同様の理由で一人で暮らすのも賛成しかねる。

 常にナタリアを守れる男の従業員(なるべく強い魔道士が好ましい)がいたほうが安全だし、そうすると服を作ることができて、なおかつナタリア好みの美男というハイスペックな男性が必要になってくるだろう。それも複数。

 断言しよう、不可能だ。

「この国じゃ、女性がひとりで店を経営するのなんて不可能に近いしな。一人暮らしの未婚女性なんてゼロだろ」

「そうね、怖いもの。それに資金が要るわ」

 しかし、ナタリアの服作りの腕は本当にすばらしい。店を出せば瞬く間に流行を生むだろう。環境を整えてやれば、彼女の夢は必ず叶うと思う。

「……ナタリアさ、将来的にコイツがイリナギに帰って家事担当がいなくなったら、俺んち店舗を一部貸すから掃除手伝ってくれないか」

 そうすればユキノがいなくなって散らかり放題になるだろうリリエンソール家も、店舗としてふさわしい状態を保てるし一石二鳥だ。我ながら名案だとヴィヴィアンは思う。

 ナタリアは眉根を寄せ、わざとらしく大きなため息をついた。

「あんたねえ…… それじゃまるで、ユキノを家政婦だとしか思っていないように聞こえるわよ」

「……あー」

 そう言われても仕方のない扱いでユキノを弟子にしているため、返す言葉もない。更に追い討ちをかけるように、ローザも口を開く。

「ユキノさんがいなくても一人でやっていかなきゃだめだよ。いつまでもナタリアを頼ってられないんだから」

 たまに出るローザの発言は、的確でダメージが大きい。つくづくそう思う。ヴィヴィアンは頭をかきながら、軽く頷いてみせる。

「まあそうだよな。うん。面倒くさいから実際俺が一人になってから考える」

「あはは。旅立つ日まで頑張り続けるから、教育よろしくな」

 満面の笑みを浮かべるこの東国人が、頑張って成長しようとしている姿はとても感心だ。面倒くさいが、引き受けてしまったのだから全力で彼を育てていかなければ。

 そんなことを思いながら、ヴィヴィアンはアイアランド姉妹を送るために家を出た。

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