第四十八話 戦士のまどろみ
屋内に入るなり、ユキノが駆け寄ってくる。
その懐いた子犬のようなアクションに、ヴィヴィアンは条件反射で足を止めた。
「すげえ、魔法の対決ってこんなにすげえんだな! 全身痺れたよ! 壁があっても二人が見えるみたいだった」
疲れを感じさせない笑顔で彼は言い、はしゃいだ様子でヴィヴィアンを見上げる。
「飯できたんだな。さんきゅ」
「けどさ、エストルの木がすごくて窓からほとんど見えなかったんだ。ヴィヴィアンが火を放って全部燃えたときは、家の中全然熱くなくてすごかったなあ。これも施錠魔法の効果?」
「庭は施錠範囲の中だ。魔力が外に漏れることはないが、施錠の中のもの…… つまり家は破壊し放題だ。だから家を燃やさないように、避ける呪文を含めて唱えた」
自分の魔法で自分の家を燃やしたらそれは究極の馬鹿だと思う。
植物を火で防げたとはいえ、エストルの魔力攻撃はかなり強いので、あれが当たったら本当に雨漏りする可能性はあった。いや、雨漏りではすまなかったに違いない。
家が壊れても、直すからいい。ただし、今この家の中には魔力をガードできない無防備な姉妹と見習いの魔導師しかいないのだ。
「最後の池のはびっくりした、落ちた瞬間池の水全部放出してるしさあ。でもあれ、どう考えても池の容積超えてたよね。どうやったの?」
ユキノは興味津々といった様子で、ヴィヴィアンに質問を重ねた。
「いつも水の壁作ったり水降らせたりするだろ。何もないところから水を出すこともできるんだよ。実際はどっか見えない地下水脈から吸い上げたり、空気中の水を集めたりしてるんだろうけどさ。その仕組みからいけば、近くに水があれば、水の魔法は増強しやすいだろ?」
彼はヴィヴィアンの説明を、少し考えて理解したようだった。彼は本当に飲み込みが早いと思う。
この分だと、発明家ロジェの奇想天外な思考回路にも楽々ついていけるのではないだろうか。
「そっか、そうなのか! すげえ! 植物があんなに急成長するところなんて、初めて見たし」
「お前、昨日戦ったとき一緒にいたじゃねえか」
呆れながら言ってやれば、ユキノはううんと唸る。
「けどあの時、エストルの方を気にしてる余裕はなかったし。俺、戦ってる時はそれしか考えられないんだ。雑念があるとやられるから」
「あー、それもそうか」
明らかに『戦士』としては自分より経験者であるユキノなのだから、その発言にも納得がいった。実際、とくに戦いの間における彼の集中力は尋常ではない。
ユキノはまだ興奮した様子で、軽やかな足取りのまま食事をテーブルに運び出す。ヴィヴィアンは手伝う気力もなくて、ソファに身を投げ出して丸くなった。疲れた。
上の方から階段を下りる音が聞こえてきたが、誰なのか確かめる気力も起きない。ナタリアならもう少しばたばた走るから、これはローザだと思う。
「ヴィヴィアン、寝てるの」
か細い声が聞こえた。顔を上げると、さかさまの視界に不安げな顔のローザが見えた。予想通りだ。
「ん、ローザ…… 起きたのか」
「ナタリアは?」
「知らない。けど、家んなかにはいるはずだ」
そっか、と小さく呟いたきりローザは黙った。ヴィヴィアンはじっと彼女の言葉を待つ。彼女を仰向いた状態でずっと見ていると、反った喉が痛いので起き上がる。そのタイミングで、ローザはヴィヴィアンを見て口を開いた。
「あのね、ヴィヴィアン」
何か言いたげに口を開いたローザだったが、すぐに口をつぐんで俯いた。
「どうした?」
「ごめんね、急に」
小さく呟いて、彼女はヴィヴィアンを見下ろす。ヴィヴィアンは首を横に振って見せた。彼女はもともとか弱そうな印象だ(いや、実際か弱い)し、今も少し顔色がよくないのでヴィヴィアンは心配になった。
「いや、それより平気なのか? やっぱ不眠が祟ったんだろ」
「そうみたい。ユキノさんを手伝ってくるね」
小走りでユキノの元へ向かう彼女を見送り、ヴィヴィアンは軽く目を閉じた。そして、再び身を横たえて丸くなった。
ユキノとローザが話す声と、料理の良い匂いが漂ってくる。エストルはまだ戻ってこない。ナタリアは何をしているのだろう。
「エストル! 何してるのよ、傷だらけじゃない!」
「ああナタリア、触らないでくれ。ごめんな、別にナタリアを避けたいわけじゃないってことは解ってくれよ……」
ああ、外にいるのか。護符のおかげで同極の磁石のようになったナタリアに、今の状態のエストルが触れたらどうなるかは想像に難くない。
耳だけで状況を把握しながら、ヴィヴィアンはソファの背もたれの方を向いて丸まった。しばらくすると、庭に向かう扉が開く音がした。
「ヴィヴィアン、そこにいたのね」
「おう」
「疲れきってるじゃない、二人とも」
「お嬢ちゃん、男の戦いってのは甘くないんだぜ」
軽い口調でエストルが言うが、その声には明らかに疲労の色が濃く伺える。ナタリアが何か反論しかける気配があったが、それよりもはやくユキノの楽しげな声が聞こえた。
「じゃ、飯にしよう! 体力つけたほうが回復も早いだろ」
それは自分にも向けられた明るい声色だが、ヴィヴィアンは一向に起き上がる気になれない。エストルが椅子を引き、座る音が聞こえる。エストルの足元はショートブーツなので、足音が他の人たちよりも軽やかで比較的聞きわけがつく。床をこするような足音はユキノだろう、彼はまだ歩き回っている。
ヒールの高い靴で歩く音が近づいてくる。ああ、起こされる。
「ヴィヴィアン、食べるわよ」
「え。俺を?」
咄嗟にぼけてみる。ナタリアの大きなため息が聞こえた。
「お好みとあらばそうしてもいいわ、馬鹿なこと言ってないで起きてちょうだい」
面倒くさい、と思っていると手を引かれ、上体を軽く持ち上げられる。ただしヴィヴィアンは重いらしく、ほんの少ししか上がらなかった。仕方ないので自力で身体を起こすと、ナタリアはにこりと微笑む。
「早くしないとエストルに全部食べられるわよ」
彼女に手を引っ張られて立ち上がると、少し立ちくらみでふらついた。予想以上に魔力の消耗が激しいらしい。椅子に座ると、すでに食事を始めていたエストルが、ヴィヴィアンの正面でにやりと口角を上げた。
「なんだ、二人分いけると思ったのに」
「てめえ、人んちなのに遠慮なさすぎなんだよ」
「ユキノの料理うめえもん」
にべもなく言い切る彼に、ため息が漏れた。同時に、それもそうかと思い直す。この家の主はヴィヴィアンだが、料理を作っているのはユキノだ。
「ユキノ、先食ってるぞ」
「どうぞ、召し上がれ」
スプーンを手に、まずはスープを飲む。冷たい。季節に合わせて冷製スープにしたらしい。そしておそらく、これは魔法を使って冷やしたのだろう。
「ユキノ、スープは魔法で冷やしたか」
「上手くいきそうになかったから、まずは水を半分にして濃いスープを作ったんだ。そこに、魔法で作った氷を入れた。けど」
「けど、なんだ」
彼に言われることは八割ぐらい予想がついた。大方、魔法の制御ができなくて台所が凍ったとかそういうことだろう。なんとなく台所から冷気を感じる。
「凍らせすぎて台所が大変なことになってるんだ…… もし俺がなんとかできなかったら、元に戻してください師匠」
「……わかった、飯終わったらな」
予想通りのことを言われたので、パンを咀嚼しながら頷いた。ローザはやはり元気がなさそうにしていたが、ナタリアに話しかけられて少しずつ笑顔を取り戻していった。
昼食を終えると、エストルは颯爽と(ちゃっかりデザートも平らげてから)帰っていった。
後片付けをするユキノの背後に立ち、凍りついた台所を解凍するとヴィヴィアンはジャケットを脱ぎ捨ててソファに飛び込んだ。
「ありがとうヴィヴィアン」
「気にすんな。お前も休んどけ」
洗い物の手を休め、ユキノはこちらを振り返る。
ローザは先ほどまで寝ていた二階の空き部屋で再び眠りにつき、ナタリアは暇をもてあまして被服製作に励んでいるので、居間には現在二人しかいない。
「やることないの?」
洗い物を再開しながらユキノは言う。流れる水の音を聞きながら、ヴィヴィアンは目を閉じる。
「あとは外国人登録と成人証明。面倒くさいから明日行く。たぶん、それが済んだらナタリアがダンスのレッスンを始めるような気がする」
「そっか。わかった」
「あ。やっぱ今夜ナタリアたち送った帰りにする」
「うん。明日にするほうが面倒くさいよ」
再開した洗い物はもう終わったらしく、ヴィヴィアンが目を開けてみるとユキノは水をとめて濡れた手を拭いていた。タオルをきちんと整えてから、ユキノは袖を止めていた平紐を解いて懐にしまう。
「それじゃあ、ちょっと休む」
「ああ」
「部屋に行ったら?」
「面倒くさい」
「そう言うと思った」
笑いながら、ユキノは部屋の扉を開けて中に入っていった。ぱたん、と軽く音を立てて扉が閉まり、それきり無音になる。壁を通してかすかに庭の噴水の音が聞こえる程度で、静かな部屋がまた睡魔を誘った。