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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第四十七話  憂鬱な魔導師VS奔放な魔導師

 昼時の眩しい陽光に一瞬で視界をつぶされ、もわりと熱気が体中をつつみこんだ。遠くの景色は陽炎でゆらめいている。冷却効果のないジャケットは暑いだけだったが、怪我の防止には多少なりとも役に立つ。

「手加減したほうがいい? さっき魔法使いまくってただろ」

 思わず眼鏡を外して目蓋を押さえていたヴィヴィアンの肩をとんと叩きながら、エストルが言う。

 視力は利かないが、魔力でエストルが庭の手入れをしているのがわかった。木々の伸びる気配。花開く香り、草が芽吹きだす感覚。

 通常、こんなことは魔力だけでわかるものではない。今まで何度もエストルが目の前で植物を育てているところを目撃したので、魔力で何をやっているか大体わかるようになってしまったのだ。

 エストルが魔法を使うとき、その魔法の強度や種類によってまちまちだが、彼の魔力は香りとなって現れる。会うたび違う花の香りがするのは、彼の気分やテンションによって魔力が若干変化するからだ。

「いや、いい。今回のは遊んでるわけじゃないからな」

「ま、俺も手加減の仕方わかんねえし」

「なら言うな」

 半眼を向けてやればエストルは飄々とした笑みを浮かべ、そよ風にふわりと身を預けて数メートル先につま先から着地する。

 軽やかな身のこなし。風や草木と戯れる姿はまるで無垢な少年だ。しかし、知的で察しのいい彼は常に警戒すべき対象のことを頭に入れている。純粋な少年というイメージが彼と綺麗に結びつかないのは、そのせいだろうか。

「あれ。外套どうした?」

 少し遠くからそう声をかけられ、ヴィヴィアンは一瞬自分の服に視線を落とす。ジャケットの前は、やはりとめないでおこう。

「あのときボロボロになったからナタリアに直してもらってる」

「へえ、あえて魔法使わないのか」

「綺麗な外套着てたらきっとまた失敗するから」

「なるほど」

 エストルは何を思ったか、七分袖の外套を庭に脱ぎ捨てた。

 インナーには半袖のくたびれたシャツを着ていたが、だからといってエストルがださく見えることはない。くたびれているといっても過度ではないし、適度に締まった腕や腰が際立つような裁断のされ方だ。

「お前、『なるほど』で何で脱ぎだすんだよ」

 何故かは薄々分かっていたが、一応そう聞いてみた。エストルは半袖を更にめくり、肩を出しながら笑う。

「条件を一緒にするんだよ。要はハンデってやつ?」

「……別に、着てれば」

「あちーんだよ」

 嘘つけ、と心の中でつぶやく。そのアイボリーの外套にも、ヴィヴィアンのものと同じく温度調節機能をつけてあるではないか。

 ヴィヴィアンは適当にエストルから離れ、広い芝生の真ん中に立った。

「そんじゃ、行きますか」

 エストルは得意げな笑みを浮かべて見せると、芝生の地面を蹴って大きく宙返りした。着地する先にはすでに若い樹木の枝が伸びており、彼がその枝に着地すると同時に庭が表情を変えた。

 庭全体に襲われる、たとえるならそんな感覚。

 庭中の生えた何千という植物が、ヴィヴィアンを絡め取るために成長を始める。伸び行く樹木や植物が視界を阻み、エストルの亜麻色の髪や長い手足はすぐに見えなくなった。

 ヴィヴィアンも地面を蹴って飛び上がろうとし、外套がないことに気がついてすぐさま右に倒れこんだ。先ほどまでヴィヴィアンがいた場所を、すごい速さで伸びゆくつる草の大きな束が掠めていく。

「っ、呪文……」

 軽く呪文を唱え、仕事用の靴に跳躍力を強化する魔法をかけた。エストルの魔手となった植物の束を蹴り、ぐんと上の方まで飛び上がる。家の屋根が下の方に見えた。

 そのままエストルが乗っている若枝の元である大木に火を放つ。呪文を唱えない魔法などほぼ効果がないことを分かっていたが、エストルが火に気をとられているうちに屋根を蹴って逃げる。

 冷静に状況を分析する。エストルがいるのは庭のほぼ中心で、何年か前に彼が植えた若木を魔法で成長させてそこに陣取っている。

 芝生や細い雑草たちも驚異的な成長を遂げていて、それらは波のようにうねりながらヴィヴィアンのいる方向へと伸びつつあった。

 この波に足をとられたら終わりだ。

 この庭の中で、ヴィヴィアンが足をつくことができる場所は屋根の上やベランダだけだ。しかし、ベランダはすでに侵食されつつある。

「くそっ」

 地の利がないなどと思っている場合ではない。足場がないなら増やすだけだ。

 瞬間的に空気の塊を作り、それを足がかりにどんどん上の方へ駆け上がっていく。足場は作ったそばから消えるが、段階的に高さを変えて階段のように作っていけば、はるか上の方まで行くことができる。成長速度を増した植物はうごめきながらヴィヴィアンを追い上げた。

 こんな風に植物の成長が速すぎて風が生まれるなどという現象に、今まで遭遇したことはない。この植物に絡めとられたら、一気に養分にされるだろう。知らず、冷や汗が背中を伝う。

 上へ上へと逃げながら、ヴィヴィアンは長い呪文を唱え始めた。空中に魔法陣が描けないので、自分の右手に描きながら足場を作って逃げる。

「ヴィ・ファルノウ・エク・フィリエ……」

 狂ったようにうねる植物の束が、すごい速さで耳元をかすめる。一瞬だけ熱を感じたが、その直後から熱は痛みに変わった。即座に空気の塊を作り、真上へ避ける。

 先ほどからヴィヴィアンの足元を的確に狙って、植物がつるを伸ばしてきている。生ぬるい粘性の液体が首筋を伝う。舌打ちでもしたい気分だが、呪文が終わらない。

「ウェロウ・ジェ・ヴェス・イェルラ・フィリオ……」

 空気の塊を蹴って身を翻し、背後に迫ってきた植物を後方宙返りの要領で避ける。逆さまになった世界に、そこにはびこる太さのまちまちな植物の束の間に、楽しそうなエストルの姿が見えた。

「……フィエス・ティス・ヴェスパイア・フィアス・リヴィエッタ」

 最後の単語をつむぐと同時に、空気の塊をもう一度蹴って宙に浮かぶ。同時に庭に背中を向け、右の手のひらを背後に向かって突き出した。

 激しい閃光が放たれ、熱風が身体をかすめる前に、庭に背を向けて目を閉じた。そうしている間にも落下していく自分の身体を止めるため、ある程度の高度からは落下速度を緩め、自宅の緑の屋根にそっと着地する。

 肩越しに振り返ると、エストルの植物たちが庭先で無残に焼け焦げているのがわかった。焼け野原の真ん中に立った亜麻色の男は、わざとらしくため息をつくと、ゆっくり顔を上げた。

 冷たく怒りを孕んだ、空色の瞳。彼の相棒たちは、立派に彼を守って炭と化したようだ。

「全滅かあー、やってくれるじゃん」

 冷たい声色だ。いつもの軽さが感じられない。楽天的なエストルも、この仕打ちにとうとうキレたらしい。ヴィヴィアンは無言で耳元の生ぬるい血を拭いながら、相変わらず肩越しにエストルを見下ろしていた。

 刹那、寒気のするような風が吹いた。冷たい風に乗り、エストルはヴィヴィアンのいる屋根の上と同じ高さまであがってくる。後ろに飛びのき、左手で魔法陣を描く構えをとりながら彼の挙動をうかがった。

「あーあ」

 言いながらエストルは早口で呪文を唱えた。とっさに右に避けると、左肩を掠めて空気の塊が飛んでいく。屋根からはかろうじてそれた攻撃だが、あたっていたら雨漏りでは済まなかっただろう。

「容赦しねえ」

 彼の低い声が耳元で聞こえた。反射的に一言の呪文で防護壁を作る。とっさの防護壁は自分との間に適度な距離をとって作ることができなかったので、鼻先に触れるか触れないかという距離を白くつめたい空気の塊が掠めていった。

 後ろに飛びのくと、エストルが放った空気の塊は、剣の形に固められた彼の魔力だということが分かる。淡く白い光を放つその冷たい塊は、怒りのオーラに満ちていた。

 植物相手に炎の魔法を使うと、必ず彼は怒った。燃やしてしまった植物は、当然ながら死んでしまう。今回の場合、長い呪文で大技を使い、植物を全滅させてしまったのがよくなかったのだろう。

 屋根を蹴り、足場をつくらず地上を目指す。

「逃げんなよ」

 エストルに道を阻まれ、再び屋根の上に舞い戻る。内心で舌打ちしながらも、ヴィヴィアンは頭の中で呪文を唱え始める。エストルは顔にかかる前髪を払いもせず、白い魔力の剣でヴィヴィアンを狙う。

 騎士団の姉がいるエストルは、幼少の頃から剣の扱いが普通の人より上手かった。優雅に流れるような動きで、相手をやりこめる。体育の授業でエストルと組まされたときには、勝てたためしがなかったのだ。

 ひらりと飛び上がり、空気の塊を作ってまた上の方へ向かう。

「戦えって」

 エストルも同じように足場を作り、的確にヴィヴィアンを狙って攻めてくる。安定しない足場の上で、どうしてこうも軽やかなのだろうと関心するくらいにエストルは華麗だった。しかし、そんなことを思っている場合ではない。

 中断しかけた呪文を、脳内で再び唱えなおす。魔力をこめた指先でエストルの剣を払い、彼と対峙したまま足場を蹴って後方に飛びのいた。

 背中を下にして落下する感覚は、すこし怖い。けれど、計算はしてあるのだ。

「自滅か?」

 エストルがこっちに向かって降ってきながら白い光を握り、ヴィヴィアンめがけて振り下ろそうとする。

 それより一瞬早く、ヴィヴィアンは庭の噴水が流れ込む小さな池に背中から着水した。

 着水の瞬間、小さな池の許容量をはるかに上回る大量の水が、ヴィヴィアンの背後からエストルに向かって叩きつける。水圧にはじかれたエストルが白い喉をさらして吹っ飛ばされていくのを見届けないうちに、ヴィヴィアンの身体も水底に沈んだ。

 仰向けに沈み、思わず水を吸い込んだ。むせながら起き上がると、水深がヴィヴィアンのふくらはぎほどしかないような池の周りが一面水浸しになっていた。

「頭んなかで呪文唱えてみるっていうのも、案外効果あったな」

 ひとつ学習できた。どっと疲れたので、すこし歩いて噴水の縁に腰掛けた。エストルは焼け焦げた庭の隅で、丸くなってむせている。長く形のいい腕には、地面に叩きつけられたときにこしらえたのであろう傷が見えた。

「あー、効いた」

 緩慢な動作で家の壁に身体を預けながら、エストルはため息混じりにつぶやいた。彼が右腕を自分の左腕でさするのを見て、声をかける。

「折ったか?」

「いや、たいしたことない。とっさに受身とれなかっただけ」

 そうか。なら良い。

 いくら実戦向きの練習がしたいとはいえ、親友に大怪我はさせたくない。ほっとすると、日差しの熱が急に強く感じられた。

「疲れた……」

 結局のところ、いつもとあまり変わっていない。

 ヴィヴィアンは強くそう思った。

 何か大きく機転を利かせられたわけでも、多数の敵を一網打尽にできそうな魔法を使えたわけでもなかった。

 こうしてエストルと戦ってみて、変わろうとしたのに結局どこも変わっていない自分に気づき、あまりにいつもどおりで嫌気がさした。

「この程度じゃ疲れたとか言ってられないぞ、俺もお前も」

「まあな」

 もっと頑張らなければいけない。適当に積んだ修練で力が手に入るなら、ヴィヴィアンは今こんなに悩んでいないはずだった。エストルは軽く微笑み、濡れて張り付いた服の胸元を掴んで広げて風を送っている。

「お前は家入ってろよ。俺は相棒や可愛い子ちゃんを労わるから」

「入ってろって、ここ俺んちだけど」

「細かいこと気にすんな」

 すっかりいつもどおりの機嫌にもどった彼だが、彼から感じる魔力はまだ荒立っている。割と本気で相手をしてくれていたらしいが、ヴィヴィアンはといえば別段いつもと違う心がけをしていたわけでもない。

「なあエストル、総評くれ」

 部屋にもどってからでも良かったが、戦った直後に聞いたほうがいいだろう。エストルはこちらに横目でちらりと視線を向ける。

「あ? んー…… そうだなあ、いまひとつ」

 エストルはこちらを向き直ると、空色の瞳でヴィヴィアンを見つめた。

「まだほかの事考えてる余裕があるだろ。戦いながら」

「……まあ、な」

 さすが親友だ、見透かされている。

 エストルは少し目を伏せると、びしょびしょに濡れた髪を指でかきあげながら、腕の傷に治癒呪文を唱えた。そして傷が治るか治らないかのうちに、もう一度ヴィヴィアンを見つめた。

「結構隙だらけだったぜ、あえて突っ込まなかっただけで」

「苦戦したよ、この程度で」

「まあ、戦い方が少し変わったのは分かった。相手に悟らせないような呪文の唱え方は効いたしな。あれだろ、あのでっかい魔物にやられてから考えついた戦法じゃないか?」

「ああ」

 少しは成長していて安心した。けれど、この生暖かい安心感が良くないのだ。また気を抜く元になる。

 親友が自分を本気で殺そうとするわけがないのだ。自分も親友を本気で殺そうと思えるはずがないのだ。

 この訓練は、だからこそ余計に本気で取り組まないとまったく意味がない。むしろ中途半端にやれば、勝てると安心してしまって逆効果なのではないか。

「分かってるだろうけど、俺がお前を殺す気で戦ってたら、この勝負は最初からお前に勝ち目がなかった。魔物だろうと変な魔導師だろうと、お前を殺しにくるってことを忘れないほうがいいぜ」

「おう」

 エストルはそれきりヴィヴィアンの方を見ずに、地面に膝をついて何か呪文を唱えた。そしてそのまま、両手も地面につく。

 焼け焦げた木々や雑草のところから、新たな緑が芽吹いていく。これはエストルなりの、戦いに使った植物への礼儀だ。自分が倒れるくらいの力で、彼は植物を極力元に戻そうとする。

 元に戻すとはいえ、いったん死んでしまった植物たちは生き返らない。せめてその植物たちの子孫を育てることで、乱暴な扱いを詫びると前に聞いた。

 邪魔をしてはいけないと思い、ヴィヴィアンは店の中にもどった。

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