第四十五話 休業中の突飛な依頼
着替えを終えたヴィヴィアンは、客人の前に出ても恥ずかしくないような格好で部屋を出た。
階段の傍までくると、依頼主がソファでくつろいでいるのが見える。
「どうも」
声をかけると、彼が振り返った。灰色のオールバックに細面、全体的に細いという形容詞の似合う容姿。小柄で青白い、外国人の男だ。
印象が強かったし、最近の客だから覚えている。しかし、名前は何と言っただろうか。
「ああ、リリエンソールさん。休業中にわざわざすみませんねえ」
外見的には冷たそうだが、気さくで人の良さそうな感じのする喋り方をする男だ。彼は前に見たときと同じ、鮮やかな青の布で作られた東国風の服を着ている。ユキノとはまた違った雰囲気の、東国らしい字を書く人だったことを思い出す。
「えっと…… ジーイェさん」
記憶の隅に引っかかっていた名前を思い出して呼んでみると、ジーイェは細面に柔らかく微笑を浮かべて首を横に振る。
「良いですよ、呼び捨てで。覚えていてくれていたのですね」
「それで、今日は何の依頼ですか」
「ただお話がしたかっただけなんですよ。魔物のおかげで、私の家の近くもすっかり寂しくなってしまった」
「あの辺はもともと人が少ないですからね」
「ヴィヴィアン、お茶は?」
ナタリアがそう言って、食器棚を開ける。ヴィヴィアンは首を横に振った。
「切らしてる。そんな高級品いつでも備わってるほどうちは潤ってない」
「持参していますよ。どうですか、ティータイム」
そう言われてジーイェの方を見る。ジーイェは持っていた小さな包みの中から、ガラス製の洒落た容器を取り出した。中には三分の二ほど茶葉が詰まっている。
「それじゃあ、お湯沸かしてきます」
ユキノがそう言ってすぐに立ち上がり、ジーイェに微笑みかけてから台所へ向かう。そんな彼の背中に向かって、ヴィヴィアンは声をかける。
「ポットは三段目」
すると、ジーイェがさらに続けて声をかけた。
「見たところ、あなたはイリナギの方ですね。イリナギ流に淹れて下さいな」
「茶葉の種類はなんですか」
「ホァリーウェイの高原種です。淹れ方にとくにコツは要りませんよ。いい香りがします」
「そうですね、瓶あけたとたんに香りが漂ってきましたから」
同じ東国地方の出身同士、彼らはすぐに打ち解けたのかもしれない。ユキノもジーイェも会うのが二度目だとは思えないぐらいに普通に会話をしていた。
もともとユキノは社交的だし、ジーイェのことは完全に親しいご近所さん扱いなのだろう。長い旅をしてたどり着いた異国で、自分の故郷と近い国の人間に出会うことなど確かにあまりないと思う。
「すっげー懐かしい! ヴィヴィアン、お茶!」
「はいはい」
様子からするとどうやら淹れ終わったらしい。適当に反応しておくと、ナタリアが軽く疑問の声をあげた。
「あら? お茶ってふつうもう少し茶色っていうか、紅色に近いものよね」
「え? ふつうこの色じゃない?」
また出た、東洋文化。
そう思いながらヴィヴィアンはユキノの方をちらりと見やる。ローザが盆(こんなものがうちにあったのかと思うような豪奢な細工がしてあった。どうやらどこかに仕舞いこまれていたらしい)にポットとティーカップを載せて運んできながら微笑む。
「知ってる。これ、緑茶って言うんでしょ。まえに和物堂のお姉さんが言ってたよ」
「そっか、こっちだと紅茶が主流なんだ」
「聡明ですね、ユキノ。貴方は色々なものごとを知っていらっしゃる」
「そんなことないですよ。人より書物に触れる機会が多かっただけです」
困ったように笑いながらユキノはソファの端のほうに腰を下ろす。ヴィヴィアンの座る二人掛けソファの右隣にはナタリアがいて、正面の広いソファの端にユキノ、真ん中にジーイェがいる。ローザは客人の隣に座ることに抵抗があるのか、少し戸惑っていた。
「ああ、すみません。お嬢さん」
ジーイェはそう言いながらユキノの方へ少しつめた。ローザはかなり困惑しているようだったが、空けられた席に素直に腰を下ろす。それでも袖が触れ合わないように、ソファからはみ出しそうな位置に彼女は座っていた。
あまり気にした様子もなく、ジーイェは会話を続ける。
「貴方のお店は面白い。いたるところに魔法のしかけがありますね」
「はあ、ありがとうございます」
「お庭も美しいですね」
「あれは友達が時々手入れしていくんです、植物が好きな奴がいて」
彼との会話を面倒くさいと思わないでもなかった。ヴィヴィアンはもともと人と会話をすることがそれほど好きなわけではない。特に営業トークは疲れるし、相手に気を遣うのが面倒だ。別に会話が嫌いだというわけではないが、できれば必要最低限に留めたいと思ってしまうのが本心だった。
ジーイェは楽しげに喋る。ユキノやナタリアがそんな彼に相槌をうち、会話を発展させていく。
「静かですよ、あの辺りは」
「静かすぎるんじゃないかしら。魔物も多いでしょ」
「私は平気ですよ。リリエンソールさんに家を直してもらいましたから」
「本当にあれだけで平気だったんですか。他にも色々直すべきところがあったような気がするんですが」
そもそもあんな場所に住むべきではないとやはり思う。無理にでも住むとしたら、あれは絶対に家を建て直した方がいいレベルだ。
ヴィヴィアンは足を組み、膝の上に肘を乗っけて頬杖をついた。ジーイェは相変わらず快活に笑いながら、顔の前で小さく手を振ってみせる。
「ええ、大丈夫です。小さい魔物なんてね、ハエたたきで撃退できるものですから。あの穴から入ってこられるような魔物となると話は別ですが」
「あはは、強いのねジーイェ」
「お前ほんとに馴れ馴れしいな」
「いいんですよ、リリエンソールさん」
ナタリアは本当にすぐに他人と打ち解ける。彼女のフレンドリーさは他に類を見ない。出会ってたった十分足らずの相手をもう友達と同程度に扱っている辺り、この子はやはり無防備すぎるとヴィヴィアンは思う。
別に警戒しているわけではないが、万が一のことだってありえるではないか。ジーイェはストーカーと内通していて、客という立場を利用して堂々とナタリアの様子を探りにきているとか。
「お嬢さんのお名前は?」
「あたし? ナタリア=アイアランドよ」
ジーイェはとても穏やかな笑みを浮かべた。そんな表情を見ていれば、最初に感じた神経質で冷たそうな印象はどんどんやわらいでいく。
「ナタリア。貴女は本当に美しい。リリエンソールさんが羨ましいですよ」
「なんで俺が羨ましいんですか」
ちらりと彼の方を見てみれば、ジーイェはにこやかな表情のままイタズラっぽく言う。
「え、だって貴方達、恋人同士じゃないんですか」
「違います」
九割予想できた問いだったので即答できた。ナタリアは不服そうにヴィヴィアンをちらりと見やり、ジーイェは声を上げて笑った。
「残念。美男美女の素敵なカップルだと思ったんですが。ということは、私にもチャンスはあるということですね?」
「意外とそいつ、誰にも靡かないところありますよ。だってお前彼氏いたことあった?」
「ないわ、一度も」
笑顔で答えるナタリアに、ジーイェが意外そうな表情を見せる。誰とでも話すフレンドリーな彼女がまだ誰とも恋仲になったことがないだなんて、ユキノも思わなかったらしい。彼もまた、驚いたような感心したような微妙な反応を見せていた。
「ナタリアらしいよ」
微笑みながらユキノが言った。ナタリアは綺麗な笑顔を浮かべて深く頷く。
「意外ですね。リリエンソールさんとは本当に仲が良さそうですから、てっきり付き合っているんだと思っていましたよ」
「ヴィヴィアンが彼氏だったら絶対ここに住み込んでるわ。だってこの人、放っておくと洗い物も洗濯物も溜まり放題なのよ」
「うっさい黙れ」
「あはは。良い奥さんじゃないですか」
「俺結婚とかしません。面倒くさいんで」
ちなみに、法律的には結婚は何歳からでもできる。両親の許諾さえあれば、生まれた瞬間から夫婦になることもできるのだ。役所に届け出る際に未成年なら親の許諾が必要だが、成人していれば本人達の合意のみで問題ない。親の同意すら得ずに結婚できるのだ。
「ジーイェは奥さんいないの?」
「いいえ、まだ一人身ですよ」
ナタリアは意外そうに頷きながら、ティーカップに口をつける。
「よく考えろよ、妻がいるのにさっきの発言はまずいだろ。チャンスはあるって」
「あはは、その通りです。私は一途ですよ、とてもね」
ジーイェはにこりと笑みを浮かべた。本当に人の良い笑みだ。
「いいことだわ! 浮気性ってどうなのかしら。あたしなら許せないわ」
くるくる変わるナタリアの表情が本当に面白い。けれど、こんなに感情表現がストレートなのだから絶対に悩みなどないだろうと言ってやると、彼女は決まって機嫌を悪くする。対照的にローザは考えたことを絶対に口に出さないし、女子の考えることは解らないとヴィヴィアンは常々思うのだった。
ジーイェはこんなにテンションの高いナタリアの話に全く疲れた様子も見せず、すするようにして茶を飲んでいる。初対面のくせに馴れ馴れしいナタリアを全く害とは思わないようで、むしろ関わりあうことに積極的だとすらいえた。神経質そうに見える外見からは想像がつかなかったが、心の広い人なのだろうとヴィヴィアンは思う。もしくは、女子の扱いが得意なのか。
「そういえば知っていますか。この街にも塩樽を持った王宮騎士団が来るそうですよ」
「ああ、噂には聞きました」
「俺も、ヴィヴィアンと別行動してるときに聞いた」
ユキノの耳にも入るぐらいなのだからかなりの噂なのだろう。そう思いながらナタリアの方をちらりと見ると、彼女は首を傾げた。
「何よそれ、聞いたことないわ」
意外といえば意外だが、あまりナタリアの興味を引きそうな話題でもないので知らない方が当たり前かもしれない。彼女は何をさせても両極端なので、興味を持たないときはとことん無関心のままなのだ。
ヴィヴィアンは首の後ろに髪をまとめ、服の中に入っていた髪を引っ張り出してからまた髪を下ろす。
「正味百キロの塩樽を持って、王宮騎士団が色んな街を徘徊してるらしい。エストルの姉貴が戻ってきたのもそのせいかもな」
先ほどから少し蒸し暑い。魔法で部屋を冷やそうかとも思ったが、何となく面倒くさいのでやめた。
「忘れたの、ヴィヴィアン? エミリアは毎年この時期になると戻ってくるじゃない。ダンスパーティーの前後の一週間ずつの間はここにいるわ」
「あー、全然覚えてねえ」
そう言いながらも、思えばダンスパーティーの前後に必ずあの放浪癖が街に戻ってくることを思い出した。おそらく姉が定期的にここに戻ってくるから、エストルもその時期を狙って帰ってくるのだろう。
「その塩樽、何に使うんですか?」
来ると言った割には遅いエストルの魔力をまだ遠くの方で感じながら、ヴィヴィアンはユキノの方を向く。ユキノは澄んだ青い目で、隣のジーイェをじっと見ていた。
「あれはですね、秤に使うんですよ。秤の片方に載せて、もう片方に人間を載せる」
「体重を量るにしては重すぎませんか? 俺たちよりしっかりした体格の、エンカンタリア人を量って回るっていうのを差し引いても」
塩樽を越える体重の者など、東国には存在しないに違いないとヴィヴィアンは思った。エンカンタリアでも貧富の差が激しいために裕福な階級の者達以外は皆やせ細っているが、元々の体格がジーイェたちほど華奢ではない。
「だからですよ。塩樽一つを越える重さの人間を探し出すんです」
「……何故ですか」
思わず口を挟んでいた。美しいものばかりを好み、優雅なものを追い求める気障な騎士たちが何故巨漢を探し出すのだろう。騎士団にいるのは貧しい市民達の髪の色や体型をからかい、自分達は良い香りの整髪料でいつでも綺麗な髪形をキープしているような連中ばかりなのだ。
まさか探し出した塩樽並みの体重の者を、醜いという理由だけで処刑したりするのだろうか。奴らならやりかねないとヴィヴィアンは思う。
「あくまで全部噂ですがね。何でも騎士団の連中は、その塩樽より重たい人間を城に連れ帰り…… 魔物の餌にするそうです」
ジーイェは呟くように言った。ナタリアが悲鳴を飲み込むような声を出し、ローザが固まる。
想像とまったく違う言葉にヴィヴィアンは一瞬息をのんだ。ユキノがその青い目に嫌悪感のようなものを浮かべ、ジーイェをちらりと見やる。
「つまり、城で魔物を飼っているってことですか」
「ええ。酒場の連中がその話題で持ちきりでしたよ」
ジーイェは細い目をこちらに向けた。ヴィヴィアンはそうなんですかと適当に相槌を打ち、少し考えた。
城で魔物を飼う? ついにエンカンタリア国王も頭がいかれたのか。
「怖いわ、それが本当だとしたら、王様は魔物をどうするつもりなのかしら」
「飼いならす事が可能だったら兵器にするのかもな」
思いつきで言ってみたが、そもそもそんな危険なことを王のいる城でできるはずがない。だとしたらやはり、塩樽を持って徘徊する理由は別にあるのだろう。
「何よそれ、残酷じゃない!」
「ああ、人の道に背いてるよ」
ナタリアの悲鳴に似た叫びに頷き、ユキノが憤慨したように呟く。
「ローザ?」
真っ青な顔のローザが少しふらつき、ソファの肘掛にしなだれかかる。ヴィヴィアンは咄嗟に立ち上がったが、ソファから崩れ落ちるように倒れたローザを抱きとめたのはユキノの方が早かった。
「ごめんなさい、ユキノさん……」
こちらには聞き取れないような声で、ローザはユキノの耳元に何か囁いた。ユキノは小さく頷くと、ローザを支えて立ち上がる。そのまま何処かへ行こうとするので、ヴィヴィアンは彼に歩み寄り、呼び止めようとした。
「おい、ユキノ」
「ヴィヴィアン、ちょっと行ってくる。お客さんのおもてなしを続けていて」
ユキノに間髪いれずにそう言われ、なおかつローザが弱弱しい表情でこちらを一瞥するのでヴィヴィアンも頷くしかなかった。
「すみませんジーイェさん、少し体調が優れないようですから。失礼します」
やはり二の句を継がさずそういうと、ユキノはローザの細い体をひょいと抱き上げて階段を上っていった。
「お大事に」
ユキノの背中に向かって、ジーイェが心配そうに呟いた。見上げれば、階段を上りきったユキノの緊迫した横顔がちらりと見えた。
「どうしたのかしら」
ナタリアがすっとソファに腰を降ろす。ヴィヴィアンが咄嗟に動いた時、ナタリアも席を立っていたらしい。ユキノの剣幕やぐったりしたローザのおかげで周りが目に入っていなかった。
「おそらく、俺たちが無理させたせいだ。ここのところずっと心配かけてばかりだったし」
「夏風邪かもしれませんね。私の友人もかかってしまったと手紙をよこしました。数日で治るそうですが、栄養の多いものをたくさん摂らなければ良くなりません」
「そうなんですか」
「私もそろそろ帰ったほうがよいですね。あの優しいお嬢さんには、安静にしていただきたいですから」
ジーイェはソファから立ち上がり、鮮やかな青の衣類を少し整える。そして、ソファから離れて玄関の方へ向かっていく。
「すみません、何だか」
「いえいえ。お代です、楽しいひと時をありがとうございました」
「はあ、ありがとうございます」
ジーイェはヴィヴィアンの手に銀貨を四枚握らせて、軽く手を振って去る。テーブルに置きっぱなしの茶葉の瓶も、彼は『あのお嬢さんに栄養をつけてあげて下さいな』などと言って置いて行った。
早足で背中を丸めるようにして歩いていく姿は、昼時の雑踏に紛れて消えていく。
ヴィヴィアンは途中まで送ろうかとも思ったが、見送るだけに留まった。まだナタリアのストーカー問題が片付いてないのだ。おまけにローザが不調で、ユキノは彼女につきっきりだ。もし何かあったら困る。
「ヴィヴィアン」
声をかけられて振り返ると、ユキノが少し離れたところに立っていた。
「ローザの具合は?」
「寝てるよ。今、ナタリアが様子を見に行ってる」
「どうしたんだよ、何か切羽詰った顔してたけど」
そう問いかければ、ユキノは少しうろたえた。
「そりゃ、だってローザ、死にそうな声で言うんだもん」
「なんだよ」
「とにかくお客さんから離れたい、ってさ」
思えば最初から、ローザはとても居心地が悪そうにしていた。相手があのジーイェなのだ。失礼な言い方だが、彼は人相が悪い。そのうえ見知らぬ外国人なのだから、人見知りの激しいローザは緊張しどおしだったに違いない。
「……あいつ本当にダメだな、知らない人」
「知らない人の前で倒れたりとか、ローザには耐えられなかったんだよ。不眠の疲れも溜まってただろうし、ゆっくり休ませてやろう」
「そうだな。お前とナタリアがいれば安心だ。俺はエストルが来るまでここで待ってるよ」
「エストル来るの?」
「ああ。魔法の練習に付き合ってくれる」
何気なくそういうと、ユキノがにわかに目を輝かせる。
「俺も一緒に練習したい!」
「だめだ、お前はまだ本調子じゃないだろ。まあ、それ言ったら俺もだけど」
「師匠ー」
取りすがってくるユキノに苦笑しながら、ヴィヴィアンは首を横に振る。
「倒れても運んでやらないし、魔力が枯れたら完全復帰までかなり時間かかるぞ。休んでろ」
ユキノはまだ何か言いたそうにしていたが、小さくため息をついてうなずいた。
「……わかった。じゃあ、窓から見学してる」
「そうしとけ。あ、飯よろしく」
「わかった」
ユキノは踵を返してキッチンへ向かい、ヴィヴィアンはソファにどさりと腰を下ろした。あの放浪癖は数分もしないうちにここにくるだろう。魔力で解る。