第四十四話 足掻く魔道士
店に戻る途中も、警戒は怠らずにいた。しかし、特に何事も起こらずに店についた。少し妙だと思う。
「何の気配も視線も感じない」
「さっきあんたがストーカーひとりやっつけたところ、見てたんじゃないかしら」
それにしてもおかしい。大体、そのストーカーをやっつける前に他の気配は感じなかったのだし。
「とにかく気をつけろよ。俺が離れたらすぐ狙いにくるかもしれないし」
「大丈夫よ意地でも離れないから」
「何かそれ怖いぞ」
軽口を叩きつつ、店に足を踏み入れる。ドアにローザの字で『本日休業』と書いてある紙が貼ってあった。木箱にも蓋をしてある。
「おかえり! ヴィヴィアン、ナタリア」
「ただいま、ユキノ! ローザは?」
ナタリアとユキノが会話するのを横目に見ながら、ヴィヴィアンはソファにどっかり腰を下ろして外套を脱いだ。ユキノはひらひらした袖を肩までたくしあげ、箒を片手に持った状態だった。
「掃除手伝ってくれてるんだ。書斎を含めていくつかの部屋が物置状態だったから、上の部屋をやってもらってる」
「動けるのかお前は」
訊ねてみると、ユキノは頷いて額を手で拭った。この部屋は少し蒸し暑い。ヴィヴィアンは温度調節の魔法をかけようかと思ったが、面倒臭いのでやめた。
「疲れたら休むよ。俺の着物持ってきてくれたんだ」
「ああ」
「ひでえな、染み」
「魔法陣消すみたいにやってみろよ、結構とれるぞ。ほら」
ヴィヴィアンは言いながら、ボロボロになった外套の特に染みが濃い部分に手を当てた。そして、ゆっくり右に撫でるように手をどかせば、染みは最初からなかったかのように綺麗な布地が現れる。
元々が黒い布地だったのに、染みが目だった原因は色落ちにあった。完全な漆黒ではないから赤黒い染みが際立っていたのだ。また新品同様に染め上げて、汚れを目立たなくしたいと思う。
「すっげー!」
「後でこれ、もっと黒く染める」
「そうだ。これってさ、窓を修理したときの呪文で元にもどるかな」
「あー。その方が確実かもしれないな」
「やってみる! 物質名がわかんないな。魔道書は、っと」
ユキノは楽しそうに魔道書を開き、自分の衣類で魔法を試し始めた。ヴィヴィアンは(おそらく外套を繕う役目が無くなったことに対して)微妙に残念そうにしているナタリアをちらりとみて、欠伸しながら外套を渡す。
重たい外套を急に手渡され、ナタリアはきょとんとしながらヴィヴィアンの方を見た。
「直して。新品みたいな外套だったら、多分俺はまた油断する」
袖が破れた形跡は、しっかり戒めとして残しておきたかった。またこうなりたくなかったら集中して戦えと、そう自分に言い聞かせたいのだ。
ナタリアは一瞬置いて頷いて、嬉しそうに笑った。そして、すっかり染みの消えた外套を小脇に抱えて荷物を開けはじめる。
「いいわ、赤い糸で直してあげる」
「好きにやってくれ」
楽しそうな彼女の様子からすると、直すついでに刺繍でも入れられそうだ。出来上がりが少し恐ろしい気がするが、彼女の腕は信頼している。絶対に着たくないデザインにはされないと思うので、任せておこうと思う。
ヴィヴィアンは階段を上り、自室のドアをあけた。それと同時に、隣の部屋からローザが出てきた。大量の本を抱え、埃で咽ている。
「……大丈夫か?」
「何年も放ったらかしだったでしょ、この部屋。ナタリアがヴィヴィアンの部屋で鍵をみつけたから、入ってみたら凄いことになってたよ」
放ったらかしというか、鍵を失くして入るのが面倒臭くなって忘れていたのだ。そう反論しようとして、それこそ放ったらかし状態の極みなのだと気づく。
そこはヴィヴィアンに与えられた勉強部屋のはずだった。寝室として与えられた部屋ですべてこなしてしまうので、メインの部屋以外にもいくつかある部屋は、どれも本と埃に埋もれているのが現状だ。リリエンソール家における開かずの間は、おそらく片手で数え切れないほどあると思う。
「ありがとな」
「ううん、いいの。折角たくさん部屋があるのに使わないなんてもったいないよ」
ローザは笑顔で古書を廊下に積み上げ、再び埃まみれの部屋に突入していった。ヴィヴィアンも自分の部屋に入ろうとして、そこでようやくまともに部屋の内部を見た。
「あー」
床に散らかっているはずのものがない。机の上に適当に積んであった本がない。見れば見覚えのない本棚がベッドサイドにひとつ出現していて、そこに本がしまわれていた。古さからすると、おそらく父や母の部屋にあった本棚だ。
綺麗すぎる部屋にほんの少し居心地の悪さを感じながら、ヴィヴィアンは椅子に腰掛けた。軽く木の軋む音が耳に心地良い。
適当に本棚から引っ張り出した魔道書を開く。あまり読まない魔道書だ。とりあえずその本の中で一番難しい呪文を読む。
意味はだいたい把握できる。それでも、面倒くささが勝っていつも途中で逃げてしまう。他にもやり方があるし、そんなに難しいことをしなくてもやっていける。そう考えてしまうのだ。
だから成長しないのだ。自分がこの微妙な位置に留まっている理由は、たぶんそこにある。成長することを拒んでいるのだ。
今のままでも安定しているし、最低限何とかなると、そう根底で思っている。
机に肘をつき、前髪をぐしゃりと掴んだ。不甲斐ない自分に対して苛立ちが生まれる。
「何が安定だ、結局自分ひとり守れやしねえ。このままじゃ誰かが死んでくの、指くわえて見てるだけになるじゃねえか……」
だから、強くなれ。
今のままではどうしようもないということを、思い知ったではないか。
「誰が魔物なんかに、あいつらをくれてやるかよ」
失いたくないという気持ちだけ持って、自分は安全な場所へ逃げる道を選ぶのは卑怯だ。失いたくないのなら守れば良い。単純明快でいちばん面倒臭くない答えだ。
ヴィヴィアンは横目に窓の外を睨む。教会のとんがり屋根やロジェの屋敷の土地や、牧場、畑、学校が見える。皆が暮らす、当たり前に平和な街の景色が、ここからなら毎日見えた。
屋根の剥がれ落ちた家や、崩壊した家屋が目立ってきている現在は異常だ。この街全体を守ろうなどという、大それたことは思わない。『街で一番』などという中途半端なプライドも要らない。自分の守りたい人たちを、完全に無傷で守れる強さがあればそれでいいのだ。
ヴィヴィアンは椅子からゆらりと立ち上がり、古びた魔道書から空中へと複雑な魔法陣を模写する。長い長い呪文を唱え、魔法陣に魔力を注ぎ込む。魔法陣から黒い炎が轟音を伴って噴き出した。自分自身の生み出した炎の熱が、肌を焦がしていくように思える。
まだ足りない、これは違う。そう唐突に思った。
炎がしだいに意味のある形を成していく。しかしそこで集中力が途切れ、張り詰めていた熱は全て急速に掻き消える。その場に膝をついて息を荒げ、ヴィヴィアンは俯いた。
無駄なことを考えなかったら、この魔法は上手く行ったと思う。けれど、闇雲に強い魔法を発動するという行為が無意味だと気づいてしまった。
違うのだ。
強くなるというのは、単にこういう魔法が発動できるということではない。それならば、現にこうして初めて使う複雑な魔法を上手く制御できているヴィヴィアンが、あんな惨めな姿をさらすことなど無かったはずだ。
集中すれば大体の呪文が一発で使えるというのは、自惚れではなく実際にヴィヴィアンが戦力にしていける潜在力だ。
理解力はある。それは解っている。だから魔道士として、この街で一番の『秀才』でいられた。
問題は別にあるのだ。型どおりの優等生が実戦で役に立たないことは、身をもってわかってきたはずだった。
どうやって訓練するのがいちばん賢く強くなれるのか、ヴィヴィアンは床に寝転がって考え込んだ。
戦術の立て方を鍛えるにはどうしたらいいか。動く敵に狙いを定めるにはどうしたらいいか。俊敏な反応が求められるのに、大事なところで集中力を切らす事が多いのもどうにかしなくてはならない。
自分はたくさんの良い素質を持って生まれてきたはずだった。今でもそれらを持ち続けているはずだった。伸ばせばそれらはもっと光るはずなのだ。
「……あー」
こうして考え込むことこそがいけないのだろうか。真に強い魔道士は本能的に全てを瞬時に判断し、的確な行動ができるものなのかもしれない。それでは一体、自分はどうしたらいいのか。ヴィヴィアンは考え込み、無意識に指先に炎を絡めながらため息をついた。
「そういうことならさ、ヴィヴィアン」
不意に声をかけられ、体を起こす。エストルの声だ。声は自分のすぐ近くからしているようだったが、彼と会話するための魔法陣は描いた覚えが無い。
「何だよ、急に話しかけてきて」
とりあえず返事をすると、エストルは笑いを含んだ声で言った。
「お前があんまりにも殺気立ってるからさ」
「あー」
幼馴染の魔力ぐらい、同じ町にいればすぐに解る。エストルが魔法を使う感じは何度か捉えていたが、いちいち反応するのが面倒で意識の隅に流していた。向こうもそうだと思っていたが、少し事情が違うようだ。
こちらが不意に破壊力の高い難しい魔法を発動しかけたことで、エストルは驚いたらしい。そこから魔力の流れを追って、ヴィヴィアンが何をしようとしていたか探っていたのだろう。
彼なりに心配してくれているから、こうして魔法陣も描かずに声をかけてきたに違いない。魔法陣も呪文も使わないで会話をするなんて、かなり集中力の要ることなのだ。
「とりあえず何か追い詰められてるっぽいってことはわかった。どう? エストル様が相手してやるけど」
互角の魔道士と戦うことほどいい練習方法はないだろう。そうは思ったものの、何故エストルが急に声をかけてきたのか理由がつかめない。
「どういう風の吹き回しだよ」
「だって暇なんだもん。姉貴も仕事で忙しいし。あとちょっとでダンスパーティなのに、旅に出るのもなんかなあって」
「はいはい。どうせそんなことだろうと思った」
向こうも暇なら利害が一致する。ヴィヴィアンは早速彼を呼ぶことにして会話を終えると、再び床に寝転がった。あまり遠くの町にいるとエストルの気配も魔力も希薄にしか感じられなくなるが、近くにいるとすぐに解る。
魔法陣も使わずに会話をしていたので、魔力を多く使って疲れた。それでなくとも自棄を起こして難しい魔法を使った後なのだ。ヴィヴィアンは天井を見上げたまま、暫く無心で体の力を抜いていた。
「ヴィヴィアン!」
「うわ」
いきなり大声と同時にドアが開き、すねに扉がぶち当たった。こうやってナタリアがノックもなしに扉を開けたことはこれが初めてではないが、今回はこちらが完全に油断していた。
思わず体を丸めて悶絶し、ヴィヴィアンはドアを開けた張本人に苛立ちをぶつける。
「痛ってえ! ノックくらいしろ馬鹿が、痣しばらく消えねえんだぞ!」
「ごめんなさい、でも、お客さんよ。ていうか、あんた何してたのよ」
床に寝転がるヴィヴィアンを不審げに見ながらナタリアは言った。ヴィヴィアンは起き上がり、髪を手で適当に直しながら首を鳴らす。
「今日は休業だろ」
「そうなんだけど…… 話し相手になって欲しいんですって」
「は?」
ここを何屋だと思っているんだ、と言いかけたところで、自分が何でも屋をやっていることを思い出した。しかし、何でも屋だからといって話し相手になって欲しいなどという依頼をされたことは一度も無い。
「いいじゃないあんた何でも屋なんだから。嫌ならあたしが引き受けるわ」
「馬鹿言うなよ、お前は今あんまり外部の知らない人間と関わらないほうが良いんだから」
話好きなナタリアなのだ。本来なら喜んで引き受けてもらって、自分は寝ていたかった。しかし今それをやってしまうと、犯罪者に友人をくれてやることになりかねない。
「ていうか、もうユキノが半分引き受けてるわ」
その一言で、一気に肩が重くなった。
「おい」
「だってとてもフレンドリーな人なのよ。無下に追い返せないわ」
「……面倒くせ」
仕方ないので薬草の匂いが染み付いた服を着替えることにする。気分は色々と良くないが、依頼の内容が特殊なので、勝手に引き受けてしまったユキノを責める気にはならなかった。
ボタンに手をかけると、ナタリアは笑みを浮かべて手を振った。
「じゃ、あたしは先に降りてるわね」
「おう」
楽しそうなナタリアを見送りつつ、ヴィヴィアンは大きなため息をついたのだった。