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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第四十三話  おつかい終了

 ナタリアは重そうなトランクを階段に置き、ひと息ついてから実に綺麗な笑顔を浮かべる。

「場合によっては泊り込むわ、あんたたちの片方が急に体調を崩して寝込んだりしたら大変だし」

「いくら友達でも女の子を家に泊めるのは無理。送ってくからちゃんと帰れよ」

 開放的過ぎる彼女に頭痛を感じつつも、階段に置かれた荷物を持ってやる。

「解ってるわよ。あんたのそういうところ、紳士で良いわ」

 そういうところとは、家まで送ることを言っているのか、それとも今荷物を持ったことに対してなのか。どちらにせよ、ナタリアのヴィヴィアンに対する見方は今のところ紳士らしいのでため息をつく。

 これでもし、泊まっていけと言ってしまったところで彼女の反応は『紳士なのね』なのだ。彼女の中の紳士の定義はいささかおかしい。これでは危なっかしくて目が離せないとヴィヴィアンは思う。

「はいはい。お前はもうちょっとレディになれよ」

「大好きな人たちに愛情表現できなくなっちゃうのがレディになることなら、あたし少しくらいはしたなくても構わないわ」

「だからストーカーに絡まれるんだよお前は。隙がありすぎるんだ」

「ここまで解放的なのはヴィヴィアンに対してだけよ。だってあんた、小さい頃からずっとあたしの大親友だったんじゃない。あんたに支えられてきたから今のあたしがあるのよ。それが純粋に嬉しいだけ。あんたにはいつも感謝してるの」

 だからといって。そう反論しようと思ったが、不意に言葉に詰まった。

 幼いままの友愛感情をストレートにぶつけてくるナタリアの存在は、いつだって眩しい。お互いに何でも知り合っているからこそ、彼女はこんなに無防備でいられるのだ。

 ナタリアにとってヴィヴィアンは最も信頼のおける人物の一人であり、ヴィヴィアンにとってもそうだという、当たり前の事実が急に見出せた気がした。

「……何よ。何か言いなさいよ」

「やっぱ、ズレてるよな」

 普通はそれでも、どこか遠慮がちになったり壁をつくったりして、他人同士という感覚を維持してしまうものだ。どこまで信頼していても、所詮は違う人間なのだから。

 しかし、彼女にその考え方は通用しないらしい。それでもし裏切られたらどうするつもりなのか。再起不能なほど傷つくのは目に見えている。

「あたし、可笑しいのかしら」

「いや、そういうこと思えるのって大事だと思う」

 自分がそこまで信頼されていることを、少し照れくさく思った。口に出してありがとうと言うのは恥ずかしいので、何となく言葉を濁す。

「あんたは? あんたにとって、あたしって何?」

「すっげー微妙な質問」

 答えは決まっている、ヴィヴィアンにとってナタリアはなくてはならない友人だ。しかしそんなことは、恥ずかしくて答えづらい。

 まさかこんな質問が来るとは思っていなかったから、彼女の真意が純粋な興味なのか、何か悪戯心を含んでいるのか、それすら判断できなくなった。

「お前が俺のことさっきみたいな風に思ってるなら、俺にとっても同じようなもんだと思う」

「何よー! 濁してない? その答え方」

「ばれたか」

 言ってやると、ナタリアはくすくす笑った。ヴィヴィアンは重いトランクを左手で持ってみて、本当に何も痛みがないことに感動しながらナタリアの一歩先を歩く。

「あたしにとってあんたは凄く大事な人よ」

「おう」

「毎日あんたに会うのが楽しみで仕方ないわ」

「そっか」

「本当に、いつも一緒にいられて嬉しいの」

「ふうん」

 何やら嬉しそうなナタリアだが、ヴィヴィアンは半分くらい聞き流している。言葉のひとつひとつが非常に熱烈だが、こんな言動にももう慣れている。

「ちゃんと聞いてる?」

「ああ」

「とにかくね、あんたに出会えてよかったっていつも思うのよ」

「……ふうん」

 どうして彼女はこうもストレートな感情表現ができるのだろう。これではまるで愛の告白だ。慣れているとはいえ、どう反応して良いか解らなくなる時は往々にしてある。

 ナタリアは一旦言葉を切り、ヴィヴィアンの横顔を見上げている。頬に視線を感じてそれがわかった。

「……何だよ?」

「『お前が俺のことさっきみたいな風に思ってるなら、俺にとっても同じようなもんだと思う』、ね。最高に嬉しいわ」

 ヴィヴィアンの口調を真似してナタリアはにこりと笑った。一瞬何のことか分からなかったが、すぐにその笑みの意味するところに気がついて、ヴィヴィアンはしまったと心の中で叫ぶ。

「あんたにとってあたしは凄く大事で、毎日会うのが楽しみで仕方なくて、いつも一緒にいられて嬉しい女の子よ! さっきの質問の答えって、こういうことね! やったわ、相思相愛!」

 一気に恥ずかしくなって、視線を斜めに逃がしながらナタリアの背中を軽く叩いた。

「痛いじゃない! 何するのよ」

「何が『痛い』だ調子乗んな馬鹿、お前は発言が痛いんだよ全部」

 そう吐き捨てるとナタリアはくすくす笑い出す。

「なんだよ」

「ほっぺ赤いわよ」

「うるさい黙れ」

 照れ隠しにナタリアの柔らかな金髪をぐしゃぐしゃに掻き乱してやった。ナタリアは文句をいいつつも嬉しそうにヴィヴィアンに寄り添う。

「ねえ、寄り道しない?」

 長い綺麗な金髪を手櫛で梳きながらナタリアは言う。新緑色の瞳が嬉しそうに輝いていた。彼女は非常に楽しんでいるのだろうが、ヴィヴィアンとしては面倒くさい。

「お前忘れてるだろ、今ストーカーに狙われてるんだぞ」

「あんたがいるから大丈夫よ」

「あのなあ」

「だって久々じゃない、あんたが仕事以外で家から出てきてくれるの」

「店でローザとユキノが留守番してんのにか」

 うっと言葉に詰まるナタリアに、ヴィヴィアンは少し勝った気分になった。

「外套貸して」

「生乾きよ?」

「だからだろ」

 じっとりと湿気た、重たい外套を肩に羽織る。羽織りながら小さく呪文を唱え、水を乾かした。血の色が微妙に抜け切っていなかったが、家に帰ってから消そうと思う。外套の襟の裏に描いておいた魔法陣が温度調節の魔法を担っているのだが、これはなんとか消えずに留まっていた。

 ヴィヴィアンは居間の奥にある扉を開け、教室を覗き込んだ。塾生たちが振り返り、楽しそうに手を振ってくる。男子も女子も全員が半ズボンに裸足で掃除をしていた。床には水がまかれ、泡がそこらじゅうに散っている。

「おお、ヴィヴィアン。傷は平気かね」

 ウィルフレッドがこちらにやってきた。仕立ての良い上品なスーツのズボンを膝までたくし上げ、彼もまた裸足でモップをかついでいる。

「カフェ・アルティールのマスターに治してもらいました。今はもうなんともありません」

「それでも疲れているだろう。少し休んでいったらどうだね?」

「いえ、ユキノとローザを店においたままなので。居間の血痕を消しに来たんです。とりあえず、綺麗になったことを報告したくて」

「そうか、ありがとう。妻がそろそろ帰ってきてしまうんだ、それまでに塾の方も片づけを終わらせなければ…… レイガン! モップで人叩いて遊ぶんじゃない!」

 すっかり先生の顔に戻ってきたウィルフレッドを見て、ヴィヴィアンは少し安心した。最近は疲弊しきった顔や焦ったような姿しか見ていなかったような気がするから、朗々と響く彼らしい声が懐かしく思えた。

 彼に別れを告げてアイアランド家を出る。すると、門を出てすぐのところでアイアランド夫人に会った。

「あら、ヴィヴィアン。遊びに来てくれていたのね、久しぶりじゃない」

 波打った髪を肩の辺りでまとめ、スカーフで巻いて留めている髪型はナタリアがすすめたという。彼女は十八歳と十六歳の娘をもつ母親でありながら、若く美しい婦人である。ナタリアはその均等のとれた体型を、ローザはあどけない目元をしっかり受け継いでいる。

「こんにちは」

 ウィルフレッドはこの美しい妻に、今でもときめいている。だからアイアランド夫妻が二人で一緒にいるところを見ると、ヴィヴィアンは逃げ出したくなる。

 ウィルフレッドは、夫人の方をなかなか向けない。しかも、手が触れ合っただけで硬直して瞬きが多くなる。それでも平静を装い、咳払いして無駄にネクタイや襟元を直し始めるウィルフレッド。そんな彼を見ていると、片想いの少年を見ているようでむずがゆい気持ちになるのだ。

「お母さん、おかえりなさい」

「ただいま、ナタリア。ローザは一緒じゃないのね」

「ええ、ヴィヴィアンのお店にいるの。あたしたちは裁縫道具とヴィヴィアンの上着を取りに来たのよ。日が暮れる頃には帰ってくるわ」

 ナタリアが言うと、夫人はさっとヴィヴィアンの外套に目を走らせる。

「ウィルが私に帰ってくるなって言った時点で、半分くらい予想はついていたけど。……魔物がきたのね。それで、あなたはその服を。血がついてるじゃない」

「今は魔物よりストーカーが心配です。ナタリアに嫌がらせする魔道士が現れたんで」

 答えてやると、夫人は目をしばたいて固まった。

「ストーカーですって? 人間の」

「そうよ、お母さんも気をつけて。複数いるみたいなの」

「狙われてるのはあなたなのよ、ナタリア。カッコいい男の子についていっちゃ駄目よ」

 さすが母親というか、指摘する点は的確だ。ナタリアは優しく微笑んでいる母に対し、少し唇を尖らせてそっぽ向いた。

「失礼ね。いかないわよ、だってここに世界一素敵な男の子がいるもの」

 思わずナタリアの方を向くと、いたずらっぽく微笑む彼女と目が合った。

「世界一っていうほど世界知らないだろお前は」

「見て、お母さん。ヴィヴィアンにお守り作ってもらったの」

「恥ずかしいからあんまり人に見せるなよ」

 そんなヴィヴィアンとナタリアのやりとりを見て、アイアランド夫人はくすくす笑った。

「いいわね、若くて」

「どういう意味ですかそれ」

「あ、お母さん! 今日は私もローザもヴィヴィアンの家で食べるから、ご飯はいいわ」

「夕飯はどうするの?」

「暗くなってから移動するのは危険よね…… あ、ヴィヴィアン、うちに来てちょうだい。送ってくれるついでにご飯も食べていけば良いわ」

「助かる。うちの炊事係は要静養だからな」

 アイアランド家の食事は美味しい。ナタリアもローザも夫人もとても料理が上手なのだ。だからこうして呼ばれる際には、ヴィヴィアンはほぼ断らない。

「ユキノのことね。夕飯の時に聞いたわ」

「あいつが家事ぜんぶやってるんで打撃です」

「それまであなたが一人でやっていたじゃない」

 そういえばそうだと思いかけたが、実際はそうでもない。放っておけば洗い物は溜まる一方だし、食材も買いにいかないことが多かった。掃除や洗濯など論外で、ナタリアが来てくれない日が三日続くと部屋は壊滅的なことになっていた。

「あら、八割あたしが手伝いに行っていたわよ」

「そうだったわね」

 返す言葉も無い。思わず苦笑すると、夫人は綺麗な笑みを浮かべて笑い声を漏らした。

「ユキノが待ってるわ、ヴィヴィアン。早く帰りましょう」

 ナタリアにそう言われ、ヴィヴィアンは早急に帰らなければいけないことを思い出した。

「そうだな、あんまり外にいると危ないし」

「ナタリアとローザのこと、頼んだわよ。ヴィヴィアン」

「はい。それじゃ、失礼します」

 アイアランド家を後にし、ヴィヴィアンはナタリアの重い荷物を片手に提げながら店を目指すのだった。

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