第三十九話 ついてくる厄介の種
なんだか一気に頭痛の種が増えた気がする。ヴィヴィアンは包帯をいじくりながら、ソファの肘掛に腕を投げ出す。ナタリアはまだ顔色が優れず、時折怯えたように窓の外を見る。
そんな姿を見ていると、どうにかその不安を拭えないものかと真剣に考え出してしまう自分がいてため息が出た。面倒くさいといいつつも、身内に対しては割と献身的になる傾向にあるということは自覚していた。
「ごめんなさい、ヴィヴィアン。面倒ごと、押し付けて」
先ほどのため息をナタリアに対しての苛立ちか呆れだと勘違いしたらしく、彼女はしょげたように俯いた。ヴィヴィアンは首を横に振る。
「確かに面倒。最悪に厄介。けど、それはストーカーに対してでお前に対してじゃない」
「あんたにまた頼みごと増やしちゃったわ。またお礼するわね」
「いいよ別に、いつも掃除洗濯食事で世話になってるしお互い様。依頼されて雇われてるわけでもないし、礼とかいらないよ」
そう言ってみれば、ナタリアは嬉しそうに笑った。その飾らない笑顔が可愛いと思う男は多いだろうし、友達として近くにいれば外見だけでなく中身も魅力的だと気づくだろう。そして、彼女とつりあうような男はそう簡単には現れないに違いない。
「ありがとう、ヴィヴィアン」
「買出しは全部ユキノとローザに頼む。一体どうしたんだ、あれは? 置いてあったのか?」
とりあえず真相に迫ろうと思う。状況が把握できていれば、対策もきちんとできるかもしれない。
あんな気色の悪いメッセージを、犯人はどうやってナタリアにだけ届くよう仕向けたのだろう。ローザが出かけるときにあったなら、その時点でナタリアの部屋から連絡が来たはずだ。
「そうなの。家を出て、足元にあんな鮮やかな赤い花があったでしょ? 嫌でも目に留まるじゃない。玄関、出てすぐのところに置いてあって、気持ち悪いメッセージが書いてあって、怖くなったのよ。質感はお花そのものだったけど、匂いがしなくて妙だったし」
肩幅に開いた腿に右肘だけを乗せ、前のめりになるような姿勢で頷きながら聞いてやる。ナタリアは少しだけ落ち着きを取り戻したようで、話を続けた。
「怖くてあんたに見せようと思って、それを持ったままパン屋さんに行ったわ。そこまでは何もなかったの。でも、あんたの家に近づいてきたら、急に花が温くなってきて、血の臭いがしてきて」
怖くなったらヴィヴィアンに見せようと思うところがナタリアらしい。ローザだったら真っ先にナタリアを頼るだろうし、エストルやロジェは置いてある花が花でないことをちらりと見ただけで見破ったはずだ。そして自力でなんとかしてしまうだろう。
「魔法が解けたんだと思う。元々人か動物の血か何かを元に魔法で形作られていたものが、俺の家の結界に近づくに連れて形をとどめておく効果を失ったんだ。俺んち全体が魔よけみたいな感じだからな。持ってきてよかったな、いずれは形がなくなるように作られてたと思うし、部屋なんかに持っていってたらたぶん」
びくりと体を竦めるナタリアに、今の推測を言わなければ良かったと後悔した。たぶん、部屋中血塗れになって自分ととユキノが昨日つけた血痕が可愛く思えるぐらい汚れたに違いない。そんなことを続けようとしていたが、もう言えなくなった。
「悪い、あんまり考えたくない内容だったな。それで?」
「……ローザが、それどうしたの? って言ったの。玄関に置いてあったじゃない、あんた気づかなかったの? って答えた瞬間、花が少しずつ溶けてきたの。チョコレートが溶けるみたいに、あたしの腕にかかってる場所だけが」
「それでローザがあんな顔で固まってたのか」
最初はローザも信じられなかったに違いない。花が溶けるなんて普通に暮らしていたらまず出くわさない現象だ。
「ええ、そこにあんたが来たのよ」
「ローザは知らなかったってことは、昨日からあったわけじゃないんだな。お前の言うとおり、あんなのが置いてあったら嫌でも気づく」
犯人はまだ近くに潜んでいるのかもしれない。不安げに花束を抱きしめてヴィヴィアンの家に向かうナタリアを、そっと尾行してきて路地裏に隠れていたりするのかもしれない。
そして、ナタリアが男の家に上がりこんだことに腹を立てて攻撃準備をしているのかもしれない。そうしたら自分が出向くからいいが、うかつに彼女を外に出せないと思う。ユキノにも十分気をつけるように言わなければ。彼も一応この家に住んでいる男であり、ストーカーからしてみたら滅すべき敵なのだ。
「あたしたちが家を出たの、たった五分差だったわ。ローザが家をでてから五分以内に、誰かが来て置いていったのよ」
「そうすると近所に住んでるとか、森からお前の家を見張ってるとか」
そして、今も家の窓からこちらを窺っているとか。さすがにこれ以上怖がらせたくなくて口には出さなかったが、ヴィヴィアンはカーテンを閉めたままの窓の方をちらりと見やる。警戒しておくに越したことはない。
「やめてちょうだい、怖くて帰れなくなるわ」
「放っておいてローザやウィル先生やおばさんに被害が無いといいけど」
犯人は近くにいるのだ。こんな早朝からナタリアに気色悪いプレゼントを用意し、彼女の様子を窺っている。そうなれば、彼女の家族だって危険に決まっていた。
「そうよ、新聞で読んだわ。若い女の子をストーカーして、靡いてくれないことに癇癪を起こした男が、女の子の家族を……」
消え入るナタリアの声に続くヴィヴィアンの返事はなく、二人の間に沈黙が下りる。
絶対に避けなければいけない事態だが、こんなことがありえそうだと推測してしまえるのが恐ろしい。最近は魔物の増殖と同時に物騒な事件が増えているらしいし、特に美貌のアイアランド姉妹は気をつけて見張っていないと取り返しのつかないことになるだろう。ローザは基本的に男性すべてを警戒しているし、ロジェがついているので安心だと思うが、ナタリアは自分がしっかり護衛しないと悪い男にひっかかりそうである。
「ど、どうしましょうっ」
パニックになるナタリアに、とりあえず落ち着けと冷静に声を飛ばす。
「平気だから。大丈夫だから、いざとなったら俺がなんとかしてやる」
「本当?」
泣きそうな声でそう言われ、ヴィヴィアンは即座に頷いた。とりあえず頷いておくしかなかった。
「当たり前だろ。小さい頃からお前んちには色々世話になってる。必ず全員、無傷で守る」
「ねえヴィヴィアン、昨日の魔物も、そいつが仕向けたのかしら」
あれだけ強い魔物を操れるような魔道士はこの街にいないだろうが、魔物が自発的に人の少ないアイアランド家を襲いにきたと考えるのも不自然である。近所に八人家族や十二人家族の家がちらほらあるのに、あえて四人家族の、それも一人欠けて三人しか住人のいない家を襲うなんて、何か理由があったに違いない。そして今のところ、魔道士に操られていたという考えが一番しっくりくる気がした。
「可能性はあるな」
「嫌よ…… 誰なのよこの男、ヴィヴィアンにもユキノにも、大怪我させてっ! 許せないわ、最低よ」
「落ち着けって。大丈夫だから」
再び泣きそうになって両手で耳を塞ぐナタリアに、これ以上何と声をかけていいか解らなくなる。とりあえずナタリアの隣に移動して、ぽんぽんと頭を撫でてやれば彼女は少し落ち着いた。
「ヴィヴィアン、風呂あいた」
上のほうから声がして、見ると階段の辺りでユキノが手を振っていた。
「今はいい」
答えると、ユキノは頷いて首に巻いていたタオルを外す。濡れ髪を一つにまとめながら、彼は螺旋階段を降り始める。
「おはよ、ナタリア」
「おはよう、ユキノ」
「どうした? 元気ないじゃん。ローザ寝てるし」
ぱたぱたと急いで階段を降りきり、ユキノは簡素な着物の合わせ目を手で直しながらナタリアを覗き込む。ユキノに場所を譲るような形で、ヴィヴィアンは二人掛けソファの方に戻った。
「おきてるよ」
ナタリアの腹側に顔を向けているローザだが、とっくに意識を取り戻していたらしい。ゆっくりと起き上がり、ナタリアの肩に頭を預ける。そんなローザの肩を抱き、ナタリアは再び目を伏せた。
「寝ててもいいのに、徹夜だろ」
不思議そうに訊ね、ナタリアの横顔を覗き込むユキノ。ナタリアは少しだけ顔を上げ、ユキノを見て弱弱しい笑みを見せた。
「寝てもいられない事件が起きたのよ」
「どうした?」
ユキノの声色が一変し、事によっては加害者を斬りかねないと思うほどの緊迫した空気が生まれる。ナタリアはちらりとヴィヴィアンを見た。あの薔薇のことは口に出したくないらしい。仕方なくヴィヴィアンが口を開く。
「こいつ、ストーカーにつけられてるみたいなんだ」
「あの声、やっぱり!」
憤慨したように言いながら、ユキノはまだ湿ったままの髪を簡単に結い上げた。後れ毛の感じがちょっと芸術的だ。
「ということで、昼飯の買出しはお前とローザに頼む。お前一人じゃ色々不安だし、ローザ一人じゃもっと不安だ。本当は俺も行きたいところだが、ナタリアを一人にしとくわけにもいかないし、施錠が薄まったら困る」
「わかった! 任しといて」
ユキノは貧血で倒れても自力ですぐ帰ってくるだろうが、一人で行かせては店の場所を見失って帰ってこられなくなるかもしれない。ローザがいればいつも利用する店の場所がしっかりわかるが、彼女を一人で行かせたら悪漢に絡まれそうで怖い。それなら二人で行かせれば、道案内をローザがして、ローザの護衛はユキノがするという形で完璧に収まる。
「ユキノ、お前も気をつけろ。今現在、ナタリアに接触してる男は全員危険だ。この家から出てくるところを見られたら、お前も標的になる可能性が十分にある」
「わかった、気をつける」
ストーカーは今もこの家の外から、どう侵入しようか考えているのかもしれない。施錠魔法で守られているから手出しされないが、この家から出たときが問題だった。
「ローザは女の子だし妹だから大丈夫かもしれないけど、お前を人質にとって『ナタリアをよこせ』って脅しをかける戦略を使ってくるかもしれない。ユキノから離れるな」
「うん、わかった。ユキノさん、お願いします」
ぺこりと頭を下げるローザに、ユキノは微笑んで頷く。
「任しといて! あ、けどヴィヴィアン、刀どうしよう」
そう言われて、一瞬何のことか解らなかった。そして一拍置いてから、ユキノが魔物との闘いで刀を失ったことを思い出した。
「……あー。焦げたのか」
「焦げたあと炭になっちゃった。直せるかな」
あれは酷い損傷の仕方だったから、たぶん修復の呪文も完璧に効果を成さない。加えて今はあまり上級な魔法は使えないから、どうしようもないと思う。
「たぶん無理」
ユキノはがっくりと肩を落とした。気の毒だが仕方ない。むしろ、骨董品の刀がよくここまでもったと思う。ユキノの扱いが良かったからなのか、イリナギの刀が元々強く作られているからなのかは解らないが、大したものだ。
「急あつらえだけど仕方ないか…… ローザ、この街で刀売ってる店があったら教えて」
「う、うん。わかった」
二人の間で約束が成立したのを見計らって、ヴィヴィアンは三人に声をかける。
「それじゃ、朝飯にするか。飯終わったら薬もらうぞ、ローザ」
「うん」
そこでふと気になって、ナタリアの方に視線を送る。
「お前らの分はあるのか?」
「ええ、アルラッドのおじさんがサービスしてくれたわ」
「良かった。それじゃ、焼きたてを貰おうか」
幾分か冷めてはいたが、ほんのりと温かいパンからは良い香りがした。昨日貰ったのと同じサラミを練りこんだパンと、クルミを練りこんだパンの二種類が入っている。
ヴィヴィアンは昨日と同じサラミ入りを選んだ。ユキノは一番最後に選ぶようで、女の子二人の挙動を窺っている。ローザがクルミ入りを、ナタリアがサラミ入りを選ぶ。最後に残ったクルミ入りを手にとって、ユキノは優しい笑顔で姉妹の方を見た。
「ここは安全だから、安心していいよ。俺の師匠が魔法で色んな侵入者を弾いてるから」
そういってユキノがヴィヴィアンの方を向いてコメントを待っているので、とりあえず未だに顔色が悪いままの二人に視線を送る。
「安心しろ。俺が守る」
嘘ではないが、言ったことを後悔した。言ってしまってからなんだか無性に恥ずかしくなってきて、視線を明後日の方に逃がす。
「カッコいい! カッコいいわ今の! もう一回言ってちょうだいっ」
ナタリアが黄色い声を上げる。ますます恥ずかしくなってヴィヴィアンは乱暴に頭を掻く。
「やだよ恥ずかしい」
「もう一回聞いてみたい」
「ローザまでそういうこと言うのかよ」
とりあえず、怯えた様子の二人が安心してよかった。面倒くさい状況にはなったが、とりあえず朝食を済まそうと思う。