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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第三十三話  ブラッディ・ナイト

 痛みが激しくてぎゅっと目を閉じ、肩を押さえ込む。骨が邪魔で傷口がうまく握れなくて苛々する。

「ヴィヴィアン、あんたのもね。その外套お気に入りなんでしょ」

「頼む」

 短く言って目を閉じる。頭がふらついて、偏頭痛のような痛みを頭のそこかしこで感じるのだ。無意識に左肩に手をやると、その手の上からナタリアが軽く手を添えてきた。

 暖かいその手の感触に驚いて、彼女の方に顔を向ける。泣きそうな顔をしたナタリアが、目を伏せてヴィヴィアンの肩を見つめていた。

「どうして魔法が使えないのかしら、あたし」

 そこでナタリアが自分を責めることはないのに。ヴィヴィアンは少し考えてから、とりあえず無難そうな言葉を選んで気にするなと言いたい気持ちを伝える。

「そりゃ、生まれつきの問題」

「ねえ、魔法陣描いてちょうだい。動かすだけならあたしでもできるじゃない」

「面倒くさい」

「ヴィヴィアン!」

 責めるような声色だ。尚も続けてこようとするナタリアを、ヴィヴィアンは右手を弱弱しく持ち上げてさえぎる。

「面倒くさいっていうか、手を動かしてる気力がない」

「どうしたらいいのよ……」

「いいよお前は、部屋戻ってろ。しばらくしたら帰る」

「そんな血塗れの格好で外歩かせる訳にはいかないわよ! 魔物が寄ってくるじゃないっ」

「あー……」

 この格好で真夜中の街を歩いたら自殺行為だ。そんなことも考えられないぐらい、今の自分には余裕がないらしい。

「そっか。どっちにしろこれは脱がないとか」

 肩の部分が裂けて血塗れになった外套を見下ろし、ヴィヴィアンはため息をついた。

 この外套を脱ぐということは、止血帯になっているエストルのつる草を解かなければいけないということになる。解けた瞬間どうなるかなんて、想像に難くない。結局、ここで自分の肩を治癒してからでないと家に帰れないということだ。

「面倒くせー……」

 結論は出た。やるしかない。

 なんだか苛立ちすら生まれてきた。過去に戻って、魔物の攻撃を避けそこなった自分を呪いたくなる。痛いし血が止まらないし、疲れきっていて魔法どころではないのに。

「ナタリア、俺のポケットの中から万年筆出して」

「わかったわ」

 ナタリアはヴィヴィアンの外套の中に手を滑り込ませ、万年筆を捜した。いつもどこからペンを取り出すのか、ナタリアはちゃんと見ているのだろう。特に迷うこともなくペンを取り出し、ナタリアはそれをヴィヴィアンの右手に握らせる。

 魔法陣を描く際、ヴィヴィアンはいつも指先に込めた魔力を使う。しかし、そこまで余裕がない場合は物理的なものに頼るしかない。万年筆のインクに魔力を伝わせれば、いつもの半分くらいの力で魔法陣が描けるだろう。

 左肩の痛みに顔をしかめつつ、ヴィヴィアンはゆっくりと右手で魔法陣を描く。正方形の魔法陣にすることにして、直角を意識しながら一本ずつ正確に線を引いていく。

「呪文…… 面倒くさい」

「死んであたしに泣かれるのとどっちが面倒?」

「呪文書く方がマシ」

 即答してみたが、今回のナタリアはそのまま黙って頷いただけだった。いつもなら『なんでそんなこと言うのよ馬鹿、あたしは面倒くさくなんてないじゃない』と突っかかってくるくせに。

 細かく呪文を書き込んでいき、終わったところで大きくため息をついた。明日は店を休みにして、一日寝ていよう。

「はい。あとはお前の方で何とかして」

「任せて、絶対うまくいくわ」

 ソファの背もたれに力なく体をあずけ、ヴィヴィアンは目を閉じた。ナタリアが書いてある呪文の中から、一番たいせつな一言だけを選び取って囁くのが聞こえた。教えてもいないのにどうしてそんなことがわかったのだろう。

 やがて暖かい光が左肩を包み込んだ。同時にしゅるしゅるとつる草がはずれ、ヴィヴィアンの足元でクルミのような種子に戻っていった。途端に激痛が左肩を襲う。思わず体を翻しそうになるが、ナタリアに押さえつけられた。

「だめよ! 動いたら、治癒が終わらないわ」

「っ、離せ! ああっ!」

 しばらくもみあっていたが、やがてナタリアがヴィヴィアンを押さえつける腕から力を抜いた。その瞬間突き飛ばしてしまって、ヴィヴィアンは咄嗟に抜けた声を上げる。

「あ」

 ナタリアは絨毯の敷かれた床に長い金髪を投げ打って倒れていた。思わず呼吸が止まる。心臓も止まるかと思った。しかし、すぐに彼女は起き上がってその場に座る。

「痛ぁ……」

 絨毯で擦った膝が痛いようで、彼女は立膝になって膝を摩っている。ヴィヴィアンはようやく息をするのを思い出して、止めていた息を吐く。

「悪い、大丈夫か」

「もう、元気になったらたっぷりお礼してやるわ」

「ごめん。今の、本当に悪かった。痛かったとはいえ、突き飛ばすなんて」

 いつもの軽口にも軽口で応じられる気分ではなかった。悪気がなかったとはいえ、ヴィヴィアンは怪我の治癒を手伝ってくれたナタリアを突き飛ばしてしまったのだ。今日の自分は色々と最低だと思う。

「なんでそんなに謝るのよ、これじゃあたしが怪我人いじめてるみたいじゃない。……傷はどうなの?」

「痛みが激しい。むしろ治る前より痛い」

「とりあえず脱ぎなさい、それ。怪我の程度がわからないわ」

 大人しく従う。外套を脱いで、インナーのシャツも脱いで半裸になってみると、肩の傷口は抉れた痕をうっすらと残して塞がっていた。服を脱ぐ際に右手も血塗れになったが、とりあえず外套の血がついていないところででぞんざいに拭う。

「傷はふさがったわね! 良かったわ」

「ああ、ほんとに。助かったよ」

 かなり深い傷だったようだから、よく塞がったと思って感心した。ほっとすると同時に眩暈がきて、ヴィヴィアンはソファに倒れこむ。

「ちょっと、ヴィヴィアン!」

 うつぶせに倒れこむヴィヴィアンをナタリアが仰向かせる。彼女の長い金髪が首筋や頬に当たってくすぐったいが、抵抗する気力もなかった。真っ青な顔で覗き込んでくるナタリアに、そんなに心配しなくてもと思いながら目を閉じる。

「自然治癒力を、無理矢理強くする魔法なんだ。……さすがに疲れた。たぶん、回復力を年単位で早めたから」

「もう、先に言いなさいよ馬鹿! いきなり倒れるなんてっ」

「その外套、もし迷惑じゃなかったら洗ってくれると助かる」

「当たり前よ、こんな血塗れのまま縫わないわ。一日借りるわね」

 ソファの隅に綺麗に畳んでおいてあったユキノの着物と一緒に、ナタリアはヴィヴィアンの外套とシャツも畳んで床に置いた。

「ユキノ、大丈夫?」

「ん、大丈夫」

「ふたりとも、流石にその格好のまま放置ってわけにもいかないわね。部屋に行って服取ってくるから、その場から動いちゃだめよ」

「うごけねえよ」

 ナタリアは駆け足で階段を上っていったが、半分くらい上ったところで肩越しにこちらを振り返った。

「ねえ、ユキノの分、あんたの服貸してあげていい? サイズがちょうどいいの、他にないかもしれないから」

 頷きながら、少し妙に思ってナタリアを呼び止める。

「いいけど、その前に何で俺の服がお前んちにあるんだよ」

「何年か前に依頼で庭仕事してくれたとき、汚れたからお父さんの服を着て帰ったことあったでしょ。あのときのシャツが一枚。それから、あたしが作った紳士物の服がいくつか」

「あー、自作」

 それがどうしてヴィヴィアンの服なのか。おそらく誕生日プレゼントで貰った服の試作なのだろう。去年の誕生日には、上下セットで服を貰ったのだ。あれには非常に驚いた。

「寝ないでよ。お願い」

「解ってる、寝たら起きれなくなる」

 ナタリアが駆け足で階段を上っていくのを見ながら、ヴィヴィアンはため息をついた。もう今夜は他の依頼を片付けるどころではない。

 しばらく激痛に目を閉じていると、階段を降りる足音がした。そして、悲鳴を飲み込むような声。

「ヴィヴィアン! ユキノ!」

 戻ってきたのはナタリアではなくロジェらしい。

「……おう」

「死んでるかと思った、よかった、ちゃんと生きてるじゃん! そこに血塗れの服あるし、お前血塗れだから」

 確かに、傷は塞がったが左半身に乾きかけた血がこびりついている。特に左手が血塗れで、肩から伝い落ちた血がまだ滴っていた。

「そういえばお前、ナタリアと喧嘩してたな」

 血を適当に外套で拭いて、ヴィヴィアンはロジェに尋ねる。ロジェは一瞬固まったあと、ヴィヴィアンからさっと目をそらした。

「……今も気まずい」

「良いだろ、俺もユキノも生きてたんだから」

「そうなんだけど、向こうがまだ怒ってるから。でもさ、しょうがないだろ? あんなでっけー魔物が襲ってきて、しかもヴィヴィアンがそこの扉に鍵かけたりしたから。絶対あっち行かせちゃ駄目だと思って、俺必死で止めたんだよ? でもナタリアは、ヴィヴィアンのところに行きたいって言ってきかなくて」

「それであんな会話か」

 ロジェもナタリアも必死だったのだろう。特にロジェは使命感が強い男だから、やれといわれて引き受けたことは絶対にやりとげようとする。

「理解できるよ、ナタリアの気持ちだって。でも、俺らがいたところで何も力になれないって、お互い解ってるはずなのに。女って原理がわかってても、どういうわけか納得しようとしないから解んない。原理がおかしい」

「ははは」

 思わず軽く笑い声を立てる。

「笑い事じゃないし。どう納得させるかめちゃめちゃ考えたんだぞ」

 ロジェはちらりと階段の方を見る。ナタリアとローザが気になるのだろうか。

「お前はよくやってくれたよ、止めてくれなかったらあいつも巻き添え食らってた。正直、自分のことで精一杯で守ってやれなかっただろうから」

 重くてなかなか持ち上がらない腕を持ち上げ、右手でロジェの灰色の髪をぐしゃぐしゃ撫でてやった。

「……そっか。よかった、俺、ついてきても邪魔なだけだったかなって来る時から思ってたから」

「いや、助かったよマジで。ありがと」

 そう言ってやるとロジェはほっとしたように頷いた。そして、ソファを半分使って寝転がっているヴィヴィアンと、隅の方でじっとしているユキノの間辺りに座る。

「家まで送るよ」

「助かる。ユキノもいるから」

「任せとけ! マグネ弾の威力はすさまじいぞ」

 黒衣の袖をまくって見せるロジェ。さっそく帰る気でいるのか、ひらりとソファから立ち上がってウエストポーチの位置を直したりしている。しかし、ヴィヴィアンはさすがに半裸で帰るわけにはいかない。

「ローザのところ、戻らなくて良いのか」

「……ナタリアと気まずいということはローザとも気まずい。解るだろ、この図式」

「あー」

 納得すると、今まで黙っていたユキノが小さく笑い声を漏らした。

「なんだよユキノ!」

「ローザも気まずいみたいだよ、ロジェがそんなこというから」

 がばっと階段を振り仰ぐロジェの視線の先に、もの言いたげにこちらを見下ろしているローザがいた。きっとユキノやヴィヴィアンに駆け寄りたかったのだろうが、ロジェがこんな感じなのだ。ナイーブなローザは、ロジェに気まずいと思われていることで近寄りづらくなったのだろう。

「あ、あの、ローザ?」

 ロジェが慌てて声をかけるが、ローザはどう反応して良いか解らないようで救いを求めるようにヴィヴィアンの方を向いた。

「ナタリアは?」

 訊ねると、ローザは背後のほうを指差す。

「すぐ来るよ。今着替えてて、それから、ユキノさんに合いそうな服探してるの」

 少し青ざめた顔色なのは、ナタリアの白い服にべっとりと付着したヴィヴィアンの鮮血を見てしまったからに違いない。申し訳ないと思った。

「そういえば、西の服は初めてだ」

 ユキノはそう言って、相変わらず血色の良くない頬に少し笑みを浮かべた。ローザの言うとおり、本当にすぐ廊下をばたばた走る足音が聞こえて、階段の前にナタリアが立つ。

「ヴィヴィアン! 生きてるわよね!」

「でけえ声出すな、頭に響く」

 呟いてみたが二階のナタリアに聞こえるはずもなく、彼女は再び階段降りの妙技を披露する。ローザが彼女に続いて、慌てて階段を降りてくる。ナタリアは真っ白だった服を、黒に近い臙脂色のシャツに替えていた。

「はい、これで血を拭いて」

 ナタリアに濡らしたタオルを渡され、ヴィヴィアンはそれを適当に肩の傷に乗っけながらため息をついた。

「面倒くさい」

「解った、あたしがやるわ」

「あー、それもやだ。いい、触んな。折角着替えたのにまた汚れるだろ」

 何が悲しくて、友達の女の子にそんな介護じみたことをさせなければならないのか。体が重いが、ヴィヴィアンは肩の傷や腕を伝う血を少しずつ拭いていった。ローザがヴィヴィアンの血塗れの半身を見て、ふらりとよろめく。

「苦手だろこういうの、あんまり見るなよ」

「でも、私、何か…… 何か、できないかなって」

 青ざめた顔でそんなことを言われてしまっては、邪険にもできない。ヴィヴィアンは少し考えてから、ローザの方をちらりと見やる。

「それじゃ、服取って。どっちが俺の?」

 ナタリアがそこらの床に放置したヴィヴィアンとユキノの着替えを指差して言えば、ローザはそれを広げて大きさを見て、大きいほうを取って持ってきた。受け取ってそれを着る。

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