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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第二十四話  修繕ツアー

 この家の依頼主は中肉中背の青年で、年齢はヴィヴィアンより一回り程度上に見えた。左手に銀色の結婚指輪が輝いているのが見える。

「窓ガラスと、あと、血の掃除をお願いします。この石畳、魔物が家内の足を食い散らかしたときに、こんな風に忌まわしい染みをつけられてしまって」

 悔しさが滲み出るような声で依頼主は言った。ヴィヴィアンは頷いて門をくぐり、中に入ってみる。夕陽に照らされた白と黒の綺麗な石畳には無残な血のあとがまだ乾ききらずに残っていた。血のついた何かを引きずったあとが玄関先まで続いている。

 ぱっと見たときに、石畳の色よりも血の色の面積の方が広く視界に飛び込んでくる気がした。こんなに大量の血が出たということは、ちょっとやそっとの傷でないことは明らかである。

 ヴィヴィアンは窓の傍の壁に魔法陣を描いて周り、ユキノが既にハドソン邸に到着していることを確認してから先に窓ガラスを直す魔法をかけた。

「奥様は大丈夫ですか」

 言いながら石畳に大量の水を流し、それを乾かす反対呪文の魔法をかけると血の染みはすっかり消えた。依頼主は力なく項垂れる。

「……ショックで口もきけない状態だ。どんどん弱っている」

「怪我の程度はどうですか。出血は?」

「片足がなくなってしまった。血はまだ止まらない、少しずつ流れ続けているんだ。このままでは死んでしまう」

 足が無い。それは大変な事態だ。きっと激痛に苦しんでいるだろうし、放っておけば化膿し、高熱が出始めてそのまま死に至るかもしれない。

「魔物は血の匂いを敏感にかぎ分けます。出血を止めて、血のついた包帯の類をすぐに家から遠い場所へ捨ててください。じきに日が暮れます」

 しかし、この調子では医者は皆往診に出かけているだろう。緊急の患者は他にもたくさんいるだろうし、かといって放っておくわけにもいかない。

「止血くらいなら魔法でできます。俺がやりましょうか」

 自然にそう言っていた。面倒くさいし時間もないが、そう思う気持ちよりもこの依頼主の妻を助けてやりたい気持ちの方が強かった。

「本当ですか。お願いです、家内を助けてやってください」

 深く深く頭を下げる依頼主を見て、ヴィヴィアンは依頼主と共に家に上がる。そして優雅に続く螺旋階段を上り、二階の寝室のドアをノックした。

「奥さん、コモディンのリリエンソールですが」

「ああ…… はいってちょうだい、ヴィヴィアン。あなたのこと、街でよくきくの」

 言葉はとても嬉しそうな調子でつむがれたが、かなり弱弱しい声だ。ヴィヴィアンはドアを開け、依頼主の妻の容体を見る。

 若く美しい妻だ。しかし、その顔はひどく青ざめている。依頼主は苦しそうに目を伏せた。

 ヴィヴィアンは依頼主の妻にちらりと目をやり、そっと血に塗れたタオルケットをめくる。右足の膝から下がなくなっていた。夫がやったのか、足の付け根あたりを何重にも紐で縛ってある。これで止血を試みたのだろう。

 結果的に、この応急処置がこの時間まで彼女を生かすことになったのだ。しかし、このままではあと何時間もつかわからない。

 ふと視線を下ろしたときに、ぼろぼろの傷跡をまともに見てしまって思わず息を呑んだ。

「……出血を止めます。失った足は元に戻す事ができませんが、傷口をある程度塞ぐことならできるので、手遅れにならないうちに魔法をかけます。いいですか」

「助けて…… ヴィヴィアン」

 そんな辛そうな声はもう聞きたくなかった。

 ヴィヴィアンは空中にほのかに輝く魔法陣を描き、長い治癒呪文を唱えた。治癒魔法は基本的にその人の自然治癒力を助長するためのものであることが多いし、ヴィヴィアンの知っている治癒魔法だって殆どがそうだ。この呪文も例外ではないから、依頼主の妻には負担をかけてしまっているに違いない。

 申し訳ないと思いながらも呪文をかけ終えた。出血は止まったし、傷口もあと少しで治るところまで回復させた。

「不完全だから、このまま安静にしていて下さいね」

「ヴィヴィアン…… ありがとう、ありがとう」

 依頼主の妻は相変わらず弱弱しい声で、何度もヴィヴィアンに礼を言った。泣きながら礼を言う妻を優しく抱きしめながら、依頼主が金貨を二枚くれた。ヴィヴィアンが受領のサインをすると、依頼書は領収書に変わった。

「それでは、失礼します」

「また頼むよ」

「あまり力になれなくてすみません。傷は完全に治っていませんから、あとからちゃんと医者に見てもらって下さい。お大事に」

 依頼主は頷き、小さく手を振った。ヴィヴィアンは彼に会釈して階段を降り、玄関を抜けて家を出た。

 外はもう暗くなりかけている。走って次の依頼先へ向かう。ユキノはすでについていて、依頼主の話を聞いているところだった。

 最後の依頼主は教会の牧師だった。滅茶苦茶に荒された礼拝堂を修復してほしいとのことだった。美しいステンドグラスが砕け散り、真っ白だったはずの座席は踏み倒され、ひび割れたり汚れたりしている。

「悪い、遅れた」

 依頼主との話を終え、ヴィヴィアンはまずそう言った。ユキノは気にした風もなく、にこりと笑って壁際に歩み寄る。

「いいんだよヴィヴィアン。それよりこれ、どうしたらいい?」

 砕けたステンドグラスの欠片をひとつ拾い上げ、ユキノは上の方を見上げた。三階分くらいは余裕である高さの天井には、魔物がつけたらしい血の染みがついていた。おそらく、獲物を食べた後そのまま天上にはりついたりしたのだろう。

「ステンドグラスにかける魔法は難しいから俺がやる。お前は席を直せ。床も修復しろ、出来るはずだ」

 言いながら、壁に魔法陣をひとつ描く。ユキノにこの魔法陣を使わせ、床や席を直す魂胆だ。

「俺、まだ魔法陣が解らないんだけど」

「描いてみろ、これを真似れば問題ない。意味と解説は後」

「わかった!」

 ちょっと適当な指導の仕方かもしれないが、今は仕方ない。ヴィヴィアンは砕けたステンドグラスの枠の前に立つと、目を閉じて気分を落ち着かせる。そして空中に淡く留まる光の線で魔法陣を描くと、呪文を呟いた。

 魔法陣がひときわ大きく光って空気に融けると、無残に砕けた極彩色のガラスの欠片は、淡い光を纏って宙に浮かび上がる。そして、ジグソーパズルのように一つずつもとあった場所へとはまっていく。

 やがて、全てのかけらが窓枠に揃った。淡く輝いていた光がすうっと消えると、ステンドグラスはすっかり元に戻っている。

「ふう…… 骨の折れる作業だ」

 特に意味を考えて呪文を紡いだわけではなかった。直したい、元に戻したい、そういう意味の言葉を連ねた結果がこうだったのだ。単に割れたガラスを元に戻すならいつもどおりの方法でいいが、ヴィヴィアンはステンドグラスの図案や色の配置を暗記していなかったのでその方法は使わないほうが良かった。

 完成品のイメージがしっかりできるものでなければ、魔法は使えない。大体そうだ。

 仮にこのステンドグラスに普通の窓ガラスを直す魔法をかけたとしたら、いまこうして天使と女神の図案がある場所に、魚や鳥などのまったく教会らしくない図案が登場したかもしれない。

 あるいは、天使のはずが神だったり、女神のはずが罪人だったりするようなことも起こり得た。

「すげえ! ヴィヴィアンお疲れ様!」

「どこまでやった?」

「あとはあれ」

 指差され、上を見上げる。天井の血の痕がまだ残っていた。

「あー、解った。消す」

 言いながら空中に魔法陣を描いた。

「水降って来るぞ、下がれ」

「あ、うん」

 慌ててユキノが後ろに下がる。それを確認し、ヴィヴィアンは呪文を唱えた。魔法陣から水が噴き出し、天井の血痕を流し去る。あとは水を乾かして依頼は完了した。

「お疲れ様」

 教会の外から見守っていた牧師は、にこやかに笑いながらヴィヴィアンとユキノに二枚ずつ金貨を握らせてくれた。

「お布施の一部だよ。大事に使ってね」

「ありがとうございます」

 教会なのだから無償奉仕でもよかったが、何せ大掛かりな依頼だったのだ。金は使えばなくなってしまうものだから、貰うにこしたことはない。

「領収書になります」

 ユキノがサインをした紙を牧師に渡すと、牧師の手の中で依頼書が領収書に変わった。

「おお、すごいね」

「凄いのは俺じゃなくて師匠です。それじゃ、魔物にお気をつけて」

 ぺこりと礼をし、牧師に別れを告げるユキノ。すっかり弟子らしくなった。

「それでは失礼します。また何かあったら、依頼書を送って下さい。足りなくなったらまた作りますので」

「わかったよ。ありがとうヴィヴィアン」

 牧師と別れると、ヴィヴィアンはユキノを連れて真っ直ぐ家に帰った。

 本当は二十三話の一部でしたが、長いので切ってみたら半々くらいになりました。書くごとにだんだん一話が長くなっています。

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