第二話 厄介の種、増殖
常々思っているのだが、感情的で活発な人間は苦手だ。ヴィヴィアンにとって一番かかわりたくない人間というのが、まさしくこの男のような面倒くさい奴にあたる。
「ヴィヴィアンすげー! これが本当の魔法かあ、俺見たことなかったんだよ魔法とか! すっげえ」
一人で興奮している彼は、果たしてヴィヴィアンの話をどこまで真面目に聞いたのだろう。ため息をつく。
「なれなれしく呼ぶな」
「じゃあ師匠」
「弟子取る気なんかないって言ったろ、しつこい」
もう早速面倒くささがピークに達している。早く店に入ろう。そう思っていたけれど、タイミングの悪いことに石畳の向こうから厄介な奴らがやってくるのが見えてしまった。
「げっ」
……終わった。確信した。
奴らはヴィヴィアンが店に入っても、中まで絶対追いかけてくる。貴重な魔道書を読み散らかして床に放置している今、奴らを店にあげたくない。大切な本を不要な古本だと思われて捨てられたなんて事が、前にも二度ほどあったのだ。
「ヴィヴィアーン!」
長い髪を揺らしながら走ってくる、ハイテンションなほうが姉。
「こんにちは、ヴィヴィアン」
小走りで姉を追ってくる、姉に比べたら大分おしとやかな方が妹。ことしで十六、ヴィヴィアンよりふたつ年下だ。ちなみに姉のほうは十八で、ヴィヴィアンと同い年である。
二人は物心つく前から近所に住んでいたために、かなり長いつきあいがある。彼女らは厄介で面倒くさい奴ら(特に姉)だが、ヴィヴィアンの数少ない友人だ。
長い金髪をなびかせながら走ってきて、姉・ナタリアはヴィヴィアンに勢いよく飛び掛ってくる。
綺麗な言い方をすれば、抱きついてきたという風にとっても間違いはない。だがヴィヴィアンにしてみれば、百七十センチちかい身長で助走つきで抱きついてこられたら技でもかけられているのかと思ってしまう。
割と長身で百八十九センチもあるヴィヴィアンだが、ナタリアはヒールの高い靴で元々高い身長を更に高くしているので身長差は十センチ程度にまで縮まってしまうのだ。
ナタリアはすらっとした細身で、出るところは出て締まるところは締まった、綺麗な体型をしている。この性格さえなければほぼ完璧なのに、ナタリアは『格好良い男の子』に目がない。ヴィヴィアンもその枠に入れられているようで、何だかよく抱きつかれたり腰に腕を回されたりする。その過剰なスキンシップのせいで周囲からカップル扱いされ、面倒くさいことになって怒ったこともしばしばある。
「久しぶりな気がするわ、昨日来たら寝てたんだもん! 鍵の魔法なかったら圧死させてたわよ上から乗って」
笑いながら言われても、冗談に聞こえない。
「……鍵、強化する」
「何よヴィヴィアン、あたしが来るの不満?」
「不満。めんどくさい。離れろ暑苦しい」
「あんたっていつもそればっか!」
「ナタリア、そろそろ離れてあげたほうが」
妹・ローザの優しい忠告でぎゅっと抱きついていた腕を放し、ナタリアは長い髪を翻して背後を振り返る。ヴィヴィアンは彼女の圧迫から解放され、密かに深呼吸した。
背後を向いた彼女の正面はつまりヴィヴィアンの正面でもあり、そこにはあの男がいる。ああ、面倒くさいことになる。
「あら? この子、お友達?」
「違う。俺に弟子入りしたいんだとさ。面倒くさくて頭足りない奴。お前んとこの塾で何とかできない? 知識さえ教えてやれば、素質はあるから」
とたんに、正面にいた厄介な外国人の表情がぱっと明るくなる。
「素質ある? やった! 俺はユキノ=サクライ。よろしくヴィヴィアン、そっちの子は?」
そういえば名前を聞いていなかったことを、名乗られてから思い出した。特に気にもしていなかったが、聞いてみて名前も変な奴だと思った。外国人であることは外見からわかるが、顔立ちやこの語感から考えて、ユキノの出身地はおそらく東のイリナギ国あたりだと思う。
「あたしはナタリアよ、よろしくユキノ。……あら、ヴィヴィアン。この子あんたと同じだわ」
「何がだよどの辺がだよ」
変な共通点を見つけられては困る。ユキノは絶対に楽しそうな笑いを浮かべつつ、共通点があるから弟子にはもってこいだとか、そんなことを言うだろうから。
「名前よ」
早速変な共通点を見つけられてしまったようで困った。名前? 語感もイニシャルも全然違うではないか。ナタリアは一体何を言っているのだろう。
彼女はユキノに向き直り、にこりと笑った。ユキノは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに真顔に戻る。
「あんたもよく女の子に間違われるでしょ。ユキノって、一般的に女性名だから」
「え、当たり。よく解ったな」
ちょっと笑うユキノに、ナタリアはとびきりのスマイルを送っている。間違いない、この瞬間ナタリアの『格好良い男の子』データの中に、ユキノの存在もインプットされた。彼女がはじけるような笑みを浮かべた後は、必ず「ヴィヴィアン今の男の子は誰! 住所調べて!」と、遂行不可能な(というより遂行したくない)依頼をされる。
「それにしても…… 変わった髪形ね。どこからきたの?」
「イリナギ。髪型なんて、あっちではこれが普通だよ。もとは女性がやる髪型だったらしいけど、手軽にできるからって長髪の男はみんなやるようになった。勿論、女と男でアレンジの仕方はかなり違うんだけど」
「このアクセサリーは? 黒い棒みたいな」
「かんざしって言うんだ。髪まとめるのに使う。一本でも留められないことはないけど、俺よく動くからズレないように三本使ってる。女の子たちはこれに花とかガラス球とかいっぱいつけて、とにかく派手にしようとするんだよな」
「へえー、ユキノの国にはおしゃれさんが多いのね」
「短髪でもアレンジの仕方は独特だからな。まあ、異人からしてみれば俺たちの髪型は奇妙に映るんだろうけど」
二人の話が髪型の談議にうつったところで、ローザがそっとヴィヴィアンの服の袖を引いた。彼女は姉と反対に内向的な性格で、髪の長さも肩に届かないほど短い。比べるのも可哀想だが、ナタリアに比べれば身長も胸もない。彼女は目立つのが嫌いだし露出するのも嫌いだから、夏でもロングスカートを履いているのは珍しいことではない。露出魔(というと怒るが)の姉とは対照的だ。
「何だ、ローザ」
「依頼、受けてほしいの」
それでも彼女の素朴な可愛さはヴィヴィアンも認めている美点だ。この姉妹はでこぼこだからこそ、一緒にいて楽しいと思えるのかもしれない。それぞれ違った方向に面倒くさい性格であることは間違いないのだが。
「どんな依頼?」
訊ねると、ユキノと話していたナタリアがぐっとこちらを振り返って会話に首をつっこんできた。
「魔物退治よヴィヴィアン! 血が騒ぐと思わない?」
「思わない。めんどくさい。でも金は要るから依頼は受ける」
「つまんないわね。もっと『可愛いナタリアのために俺頑張るよ』とか言ってくれないわけ? 怖くて夜も眠れないのよ?」
「いわねえよアホ。どんな状況だよそれ。っつーか、お前なら蹴り一発で魔物くらい倒せるんじゃねえの? 魔物隣にいても熟睡してそうだし」
「ひっどい! だからモテないのよ。……場所はうちの裏庭から森へ続く道。十時にきてちょうだい」
ああ面倒くさい。そういおうと思ったが踏みとどまった。ユキノがこちらを見ていたからだった。
澄んだ空色の目が自分をじっと見ているので、何だか妙な感覚を覚えて何もいえなくなる。何というか、ユキノに真顔で見つめられると黙らなければならない気がするのだ。
「今、魔物って言った?」
ヴィヴィアンに張り詰めていた緊張感が、その一言で一気に解ける。彼は口を開けば煩くて面倒くさい奴になるが、黙っていれば無駄に真剣で、接しているこちらは無駄に緊張してしまう。
「ああ。この近くの森には魔物が潜んでる。時々、っていうか最近増えてきたけど、森から出てきて人間を食らったりするような獰猛なやつ。大きいのになれば熊くらいにもなるけど、その形質の特徴は総じて黄色い目をしているということだけだ。奴らは常に何かに擬態してる」
ユキノは感心したように頷いた。続けてくれといわれたから、まだ知っている魔物についての知識を教えてやる。
「光を嫌う傾向があって、朝はそんなに出ないけど夜になると急に色んなとこから出てくる。だから黒いやつが多いけど、稀に黒じゃないのもいる。血のにおいに敏感で、ほんのちょっとでも怪我してるとにおいを頼りに追ってくる」
魔道書に書いてある、魔物の定義を教えてやった。ユキノはぱっちりした青い眼をしばたかせ、何かを考え込むように黙る。
世界中で、魔物はどんどん増え続けている。新聞には毎日のように魔物による人間への被害が報じられているし、それはこの国をも侵食しつつあるようだった。事実、最近ではナタリアたちだけでなく方々から魔物退治の依頼を受けるようになった。倒しても倒しても魔物が出てくるのは、薄気味悪いことでもある。一体どうやって増殖しているのか解らないが、この増え方は異常だと思う。ヴィヴィアンの住んでいるこの街は平和だが、それもいつ壊れるか解らない。
「俺のいる国では、いままで魔物なんか出なかった。でも最近になって近隣の国から渡ってくる魔物が増えたから、村を守るために俺が魔道士にならないといけないんだ。俺、まだ魔物見たことないんだけどさ。でも、魔道士にならないと退治できないって聞いて」
「そうだ。言ったろ、形質の特徴は黄色い目をしてることだけだ。素人目にはどれが魔物かなんかすぐには解らない。魔物は低級だけど魔法で攻撃をしてくるから、王宮騎士団とかいても殆ど意味ないのが現状だし」
ふうんとナタリアが言う。ナタリアもこの辺の知識については詳しくないらしく、今はじっと黙ったまま立っているローザも時々意外そうに小さな声をあげていた。
「ヴィヴィアンは倒せる? 魔物」
ユキノに訊ねられた。頷いた。
もういちいち、馴れ馴れしく呼ぶなと注意する気も失せてきた。面倒くさいから勝手に呼ばせておこう。
「勿論」
「俺にはできるかな」
これには頷けなかった。素質はあるといえど、魔法を使いこなせるかどうかは本人の技量にかかっている。ちゃんと魔道士の素質があるとしても、今のユキノだったら即座に魔物の餌食になるということだけは確信できた。
「なんともいえない。お前、何か武術とかやってる?」
「剣術なら。けど、入国管理の騎士に刀を没収された」
「へえ。剣ねえ」
意外だったし、興味がないわけではなかった。ちょっと見て見たいと思った。本の世界に出てくる東の剣士は、細い串のような剣を使った王国騎士団の洒落た連中よりも何倍も強そうだったし、ヴィヴィアンとしてはこちらのほうが好みなのだ。東国出身のユキノだから、きっと剣術も東国流だろう。だとすれば、やっぱりちょっとユキノの剣術を見てみたい。
「この国で、刀売ってるとこない?」
言いながらユキノは辺りを見回す。金物屋はこの近くにあるが、本格的な刀剣が欲しいなら街の中央に近い商店街に向かわなければならない。そこには確か、東洋の刀も置いていたと思う。
「あるけど高いよ。金貨五枚くらい」
「そっか…… 入国管理の奴を襲撃して取り返そうかなあ」
「おいおい、冗談でも言うなそういうのは。どこで誰が聞いてるか解んねえよ」
真剣に考え込みはじめるユキノに苦笑してみせれば、ユキノは襟の合わせ目から懐に手を入れた。中から出てきたのは一本の小刀だ。黒い漆塗りの鞘に納まったそれを、ヴィヴィアンが見るのは初めてだった。
「これだけは死守した。方法は秘密」
「それ、お前の?」
「うん。父さんが…… あ、里親のほうな。一生懸命働いて、誕生日に買ってくれたんだ」
ユキノは黒い鞘を左手で掴み、柄を右で握ったまま鞘を外した。きらりと光を跳ね返す白刃に目を奪われる。切れ味の良さそうな刀だということは、素人目にもすぐわかった。
「それ実戦でも使えるのか?」
「勿論。金ないから裏山行って、猪とか熊狩ったりしてたしな」
「サバイバーなのね」
ナタリアが楽しそうに笑う。彼女は常に前向きで楽しそうだから、きっと悩み事なんて何も無いんじゃないかとヴィヴィアンは思っている。
「まあな。じゃ、調子に乗って実演もしちゃう」
ユキノは照れ笑いして刀を鞘に戻し、ヴィヴィアンやユキノのいる場所から少し離れて地面に膝をついた。そして、目を閉じて小さく深呼吸する。そして目を開けた刹那、目の前の何もない空間を、ユキノは刀を鞘から出す勢いで切り裂いた。
ひゅん、というような空気を裂く音。太刀筋は真一文字。一点のぶれもない。
更にその刀を振り上げると、垂直に振り下ろすユキノ。一連の動作には何の迷いもなく、そのうえ寸分の狂いもなかった。
張り詰めていた緊迫感はユキノが刀を振り下ろすと同時に霧散し、ナタリアから歓声が、ローザからは怯えたような声が聞こえる。ユキノはなめらかな動作で刀を鞘に収め、膝を払いながら立ち上がった。
「怖がらせちゃったかな。ごめんね」
焦ったように言い、ユキノはローザの目線にあわせて屈む。ローザは驚いたようにナタリアの服の裾に縋りつき、それを見たユキノはちょっとショックを受けたような顔をした。
「ヴィヴィアン! どーしよっ? 俺嫌われちゃった?」
「そんなこと俺に聞くな。ローザは人見知り激しいからそっとしといてやれ」
普段はこんなに頼りない男なのに、刀を握らせると豹変するらしい。素直に感心するが、魔物退治は魔法を使わないと困難だ。ユキノの意外な特技を目にしても、彼が魔物と戦ってすぐに食われそうだという印象は拭えなかった。
「物理的攻撃で魔物を倒すのは一匹でもキツいからな。お前のその刀が魔法で保護されてるとかいうなら話は別だけど、そうでもない限り食われるぞ」
「これは緊急用の短刀だから、長いのが欲しいんだよ。長刀だったらどんな動物だって一撃必殺だ。剣術の腕は村一番だったから」
この細身で? そう思うが口にはしない。真顔の彼が何となく緊張感を相手に持たせるのは、この剣術によるものなのかもしれないとちらりと思う。
「お前、魔道士やめて剣士になればいいだろ。その方が向いてるんじゃねえの」
「嫌だ。人は斬りたくない。剣士を生業にすれば人斬りの依頼だって来るようになるって、父さんが死ぬ前言ってたから」
ふうんと相槌を打って、ヴィヴィアンは左のこめかみの辺りを軽くかいた。
「そうか。お前の家族面倒くさい構成になってるな」
「弟子にしてくれるなら全部話すよ」
「面倒くさいからいい」
斬り捨てると、ユキノはちょっと悲しそうにした。そんな彼を見ためざといナタリアは、ヴィヴィアンを見て眉根を寄せる。感情が顔に出やすい彼女だから、これからどんなことを言うかは大体予想がついた。多分、怒られるだろうと思う。
「ひどいわねヴィヴィアン、貴方の力を認めてくれてるってことでしょ? どうして面倒くさいとか言うのよ」
「面倒くさいもんは面倒くさいの。教育するってことはそいつの将来に責任持たなきゃならないってことで、もし魔道士として不適合な奴に育てちまったらそれ俺の責任になって、面倒くさいことになって」
「いいじゃない。面倒くさい反面楽しめるのよ、こういうのは」
「じゃあお前がやれよナタリア」
簡単に言うが、人間を育てるとはそう簡単なことではない。自分は面倒くさがりで放任主義だから弟子なんか責任を持って育てられない。それは確実だ。