第十六話 徹夜明けの発明家
ナタリアはかなりの美貌の持ち主だから、騎士団の連中に侍女候補として目をつけられている。まだ選抜の声はかからないが、今年あたりそろそろきそうだ。
エストルは視線でヴィヴィアンを非難し、眉間に皺を寄せてため息をつく。
「本当に女心を解ってない男だな。ナタリアは純粋にお前と踊りたいだけなんだよ」
「俺と踊ってなにが楽しいんだよ」
「さあ、俺には解んないけど。お前なんかより俺を誘った方が絶対楽しいよ。可愛い子ちゃんの扱いはちゃんと心得てるからさ」
依頼書を一枚一枚折りたたみ、テーブルの真ん中に積み上げながらエストルは笑う。山積みの依頼書は、全部で十五枚もあった。全ての区域で魔物を駆除すれば相当な額の報酬がもらえるだろうが、激しい疲労のことを考えると今は休んでいたい。それに、倒しても倒しても魔物は湧き出てくるのだ。
なら、魔物避けの結界でも販売してみようか。いいや、やめておこう。結界を張るのは自分自身なのだ。いかに面倒くさいことを回避して魔物を消すかということを、ヴィヴィアンは考え込んでいた。
「ところでエストル、今年はお前も出るのか?」
「いや、俺は逃げるよ。職を持ってる設定にしてある。お前も逃げれば? 依頼の山があるから無理って」
「あいつ許してくれないだろうから行くしかない。去年行かなかったらめちゃめちゃ怒って三日くらい口きいてくれなかったし」
「ふうん。それは新作ドレスをお披露目できなくて悔しかったと見た」
「何だそれ」
「知らないのか? あいつのドレスは毎回自作なんだぞ。去年は俺、途中参加だったけど。一緒に踊った時あいつめちゃめちゃ落ち込んでた」
「へえ…… 誰とも被らないデザインだと思ったら、そういうことか」
嬉しそうにドレスを見せびらかし、ヴィヴィアンの反応が薄いと『もっと褒めなさいよ! もっとこう、世界一可愛いぞ、とか言ってくれないの?』などと無茶なことを言い、少し寂しそうにしていたナタリアを思い出す。去年に至っては参加すらしなかった。ちょっと悪いことをしてしまったかもしれない。
もしかしたら、本当にもしかしたら、一昨年とその前とで借りた正装はナタリアの手製だったのかもしれない。だとすれば彼女は、相当器用な手先と正確な腕を持っているに違いない。
「じゃあ、ナタリアに頼めば着物も作ってもらえるかな」
ユキノがぽつりと呟いた言葉に、思考が転換される。そうか、ナタリアに頼めば服飾は問題ない。ユキノがここで暮らしていく上で、服装の問題は解決された。
「楽勝だろうな。その服、つくりが簡単だから」
「よし! じゃあちょっと頼みに」
「待てユキノ、依頼いっぱいあるだろ」
早速飛び出していこうとするユキノを引き止めると、ユキノはあからさまに残念そうな顔をする。
「えー」
「手紙書けば良いだろ? ほら、紙やるから。飛行機にして飛ばせばナタリアのところに行くようにしてやる」
「おっ、本当? やった!」
ユキノはヴィヴィアンから紙を受け取り、ペンでさらさらと手紙を書き始めた。だが。
「……おい」
「ん? 何、ヴィヴィアン」
「それ、何て書いてある」
「何てって、普通に手紙書いてるだけなんだけど」
きょとんとするユキノ。一体どうして自分が訝られているかわかっていない様子だった。
「俺には全く読めない。何語だそれ」
ユキノの字は太さが均一でなく、はらいが以上に長かった。こんな字を見たことが無くて、ヴィヴィアンは困惑する。
「よく読んでみろよヴィヴィアン、普通にこの国の言葉だから」
エストルに呆れたようにそういわれて、よく見れば確かにちゃんとこの国の言語で記述してあることは解った。だが、単語として読み取れたのは数箇所で、あとはやはり違う言語に見える。エストルは海外旅行をよくするから、イリナギの字にも見慣れているに違いない。
「癖が強いな」
「イリナギじゃあペンじゃなくて筆を使うからな。だからエンカンタリアとは筆記体がかなり違う。ついでに、文法とかそういうのも微妙に。だろ? ユキノ」
「そうなのか」
ポケットの中から種を出して掌で発芽させながら、エストルは笑った。ユキノは頷き、少し困ったような顔をする。
「俺は筆記体のほうが読みやすいと思ったんだけど…… イリナギではそうだから」
しょげるユキノを見て苦笑し、ヴィヴィアンは新しい紙にユキノが着物を欲しがっているということを書き、作ってくれるかどうかを訊ねてみた。手紙を紙飛行機にして適当に投げれば、ほどなくして返事が返ってくる。ヴィヴィアンが送った紙の余白に、綺麗な文字で返事が書いてあった。
「任せて! 寸法を計ったらすぐ作るから、明日にでもうちに来て。ヴィヴィアンもよ、強制!」
どうやらナタリアは、ヴィヴィアンの分の着物まで作るつもりらしい。返事を見たユキノは嬉しそうに歓声をあげ、懐から一枚の紙を出した。それには、どうやら着物の型や寸法らしいものが書いてある。
「これね、近所のばあちゃんが持たせてくれたんだ。仕立て屋さんにこれを見せなさい、って」
「ふうん」
「ナタリアに送ってくれる?」
「自分で送ってみろよ。魔法陣の描きかたはエストルに習え。俺はもう疲れたから寝る。エストル、十時になったら起こして」
エストルは不満を垂れつつも、そこら辺に落ちていた紙の裏を使って魔法陣の解説を始めた。その様子を見て、ヴィヴィアンは外套を脱ぎながら微笑する。ヴィヴィアンは寝室のとなりにあるシャワールームで軽くシャワーを浴びた後、バスローブに着替えてそのままベッドに飛び込んだ。久しぶりにベッドで寝る気がする。眼鏡を外すのも面倒で、ヴィヴィアンはそのまま寝入ってしまった。
そして次に目が覚めたのは、エストルが声をかけたからではなかった。甘い花の香りにむせ返りそうになりながら、ヴィヴィアンは目を覚ます。気づくと枕元には芳香の強い大振りの花が咲いていて、その花はベッドの柵に根を張っていた。どうやらエストルは、十時に開花する魔法をかけた種子をベッドに撒いたらしい。
「……趣味悪い起こし方するなよ」
ヴィヴィアンが甘い香りを苦手としていることを知っているからこそできた技だろう。こんな風にからかいを帯びた彼の行動はしょっちゅうだ。
気まぐれなエストルのことだ、もう帰ったに違いない。帰ったといっても、自宅かどうかはわからない。もう他の国へ行ったかもしれないし、もしかしたらアイアランド家を訪問しているかもしれない。
起き上がってみて、自分がバスローブで寝ていたことを思い出した。適当に脱ぎ捨てた服は洗濯したかったので、風呂場の隅にある樽に入れておく。魔法を発動させるのが面倒なので洗濯物は溜まるまで放置だ。
ヴィヴィアンはベッドサイドの引き出しを開け、まずは下着を穿いた。そして、一番上に重なっていたジーンズとフェイクレイヤードシャツを選び取って着た。どちらもナタリアの勧めで買ったものだ。
傍目に見ればストライプシャツの上から黒のベストを着ているように見えるが、実際に着ているトップスは一枚という優れものだ。いちいちコーディネイトするのが面倒臭いので、ヴィヴィアンはフェイクレイヤードをよく使う。
今のトレンドはハイネックの革製タンクトップらしいが、ヴィヴィアンの好みのスタイルではないので着ない。基本的にヴィヴィアンは流行を気にしないで、自分が過ごしやすい服装をしている。
「あ。そういえば、待ち合わせ十時なのに十時に起きたらまずいよな」
まあ、ヴィヴィアンがこない時は自分から店に来てくれるだろうが。彼のことだから、また新しい発明を自慢したくてうずうずしているに違いないのだ。
気付けば鮮やかな赤だった花は枯れ、しゅるしゅると元の種子へ戻っていくところだった。彼の種子は何度でも芽を出すから便利だ。ベッドに転がった種子を拾い、ポケットに入れる。
階段を降りていくと、ユキノがテーブルに突っ伏して寝入っていた。あどけない寝顔は幼い少年のようだ。たくさん戦ってくれたのだ、寝かしておいてやろう。
その辺りに落ちていた要らない紙を使って書き置きをし、外套を羽織らずに外に出た。施錠を終えて、時計塔まで歩く。
この蒸し暑いのに長袖を着てきたことを後悔した。いつもは外套で温度調節をするから良いが、ヴィヴィアンは暑いのが苦手である。
待ち合わせ場所につくと、灰色の髪をした小柄な男(一瞬学生に見えた)がふてくされていた。ヴィヴィアンを捕らえる灰褐色の瞳は、少し眠たそうだった。何だ、彼も徹夜明けではないか。
「ヴィヴィアン! お前いつも遅いっ」
彼は本当は黒髪で生まれてきたはずだったが、自宅で危険な実験ばかりしているために髪の色素が抜けたらしい。だから、見る位置によっては雨雲のような色合いだし、上から覗けば根元はほぼ黒に近い。長さはヴィヴィアンよりも短いが、耳が全部出るほど短いわけでもない。彼は美容院になど行かず、自分の手で髪を切っているというから驚きだ。
「十時とっくに過ぎてるし」
「仕事してたんだよ仕事」
「どうせ寝起きの癖に。髪型変だっつーの!」
「仕事に疲れて寝てた。依頼で夜寝てなくて、さっきようやく三時間くらい寝れたとこ。……これでも俺を責める?」
言ってみれば、ロジェは小さく笑う。
「いや、何となく解ってたけど。地味に頑張ってるな、相変わらず」
「とりあえずうちに来いよ。寝足りないから話の途中で寝るかもだけど」
「おいおい」
ロジェは灰色の髪をくしゃくしゃ掻き回しながら、背後から何やら木製の板を取り出した。板はロジェの好きなオレンジ色に塗られている。角の取れた細い長方形のその板には、こぶし大の車輪らしきものが全部で三つついていた。
「何それ」
「名称未設定。移動が長いとき便利だよ。坂は上がれないけど」
「……危なくないか」
坂道をそのまま転がり続けたら、止まれなさそうだ。通行人にぶつかりそうになったら魔法で阻止しなければ。
「バランス感覚さえよければ、最高の相棒!」
「ふうん、また新しい発明か」
「そ!」
どうでもいいような発明から時々すごい物まで、ロジェは色々なものを作り続けている。職人の血筋だからか、彼は昔から何でも自分で作ろうとするのだ。
ちなみにロジェの父は陶器職人で、祖父は楽器職人だった。その前の代は忘れたが、遡っていくと本当に色々な職人の血がロジェに流れていることになる。殆どが王宮に仕え、王のためだけに最上級の逸品を献上していたというから凄い。
「今回は魔物に閃光を浴びせる発明をしたんだ」
「おお、すごいな」
それは大いに役立つだろう。閃光の魔法にはかなり労力を使うから、連続で発動できないのがとても痛いところなのだ。ロジェの発明で魔法を使わずに閃光を放てば、閃光から逃れた魔物を他の些細な魔法で倒す事だって可能ではないか。
「ただ、それだと俺も目が眩むから困ってるところ」
深刻な顔をするロジェだが、ヴィヴィアンにとってそれは大した問題ではない。
「俺が魔法かけてやるけど」
「駄目。なるべく魔法に頼らずに完成させたいから」
「はいはい、出たないつもの」
そんな頑固な職人気質がロジェの気に入っているところだ。どうしても加工が人間業では不可能な機械などはヴィヴィアンが協力してやったこともあったが、それだって過去にたったの一度だ。