第十五話 多量の依頼
ポケットの中でもぞもぞと手を動かしながら、エストルは荒廃した街を見回して歩いている。彼はとても手癖が悪いので、暇になると常に手の上で種子を発芽させたり、いたずら書きを始めたりするのだ。ユキノは全く気にしていない様子だが、ヴィヴィアンとしてはちょっと気になる。
「あ。そうそう、こいつタラシだから気をつけろ。好きな女ができたら傍を離れない方がいい」
手癖が悪いというワードで思い出した。何も、エストルの手癖の悪さは手いたずらの多さだけだということではない。
「あれ、俺お前の相手をとったことなんかないはずだけど。つか、その前にヴィヴィアンは、面倒臭いからって言って女の子を相手にしないだろ。一昨年のはエリザ=クロフトだったか? ヴィヴィアンには勿体無い可愛い子ちゃんだったのに」
「ほら、何か気持ち悪いだろユキノ。こいつのようにだけは絶対になるな。何だ、可愛い子ちゃんって……」
そんな話をしているうちに、ユキノとエストルはだんだん打ち解けてきた。二人で仲良く会話をしているのをみて、ユキノは本当に人付き合いの上手い奴だと感心する。初めての会話の時には、あまり良い印象は受けていなかったように感じたのに。
「じゃ、そろそろ本題を。この街は一体どうしたんだ?」
何でも屋へ帰る道を歩きながら、エストルはヴィヴィアンにそう問いかけた。答えようとして何か柔らかいものに躓き、何に躓いたのかは見ないことにしてヴィヴィアンはエストルをちらりと見やる。
「解らない。昨日大量の魔物が出て、それで」
「エンカンタリアの宮殿近辺も結構ひどかったぞ。二週間前にいたんだけど、俺も襲われた」
「国内みんなこんな感じなのか?」
世界を放浪しているエストルだから、きっとここ以外での魔物のこともよく知っているだろう。メディアが新聞くらいしかないこの町だから、情報交換は大切だ。後は魔法を使った遠隔通信も可能だが、魔方陣が複雑で面倒だし魔力をかなり使うので殆どやらない。
「エンカンタリアに安全な場所はもうないと思って良いだろう。城下町なんかは、夜でも明るいのに同じようなザマなんだからな。葬儀屋も大変だ、墓地が満杯で死体の上に死体を積むしかないんだから。あまり森のほうに行くと、魔物に荒らされるだろ? だったら火葬しろって思うけど、教会的にはそうもいかないんだ。教義に反するとかで」
エストルは無神論者だ。とにかく行動を邪魔されるのや束縛されるのが嫌いだから、神にも背くのだろう。神の教えよりも、自分で身につけた知識のほうが合理的だとエストルは言う。
「大規模な暴動も起こってる。教会や騎士団が鎮圧に忙しいよ、神や王の力をふりかざせば市民は黙ると思ってるが、市民にとっちゃ生きるか死ぬかの沙汰なんだからな」
「……そうか、そんなことになってるのか」
これは大変なことになってきたと思い始めた矢先、ユキノが焦ったような声を上げてエストルの七分袖の上着を引っ張った。
「なあ、イリナギの方は? 無事なのか? 殿やられたりしてない?」
「あっちは島だし、まだここに比べたらマトモだな。殿も無事だろ、まだ一国の領主が死んだっていう情報はひとつも聞いていない。けど、海沿いの町から順に被害が深刻化してるって聞いた。もう世界で何も被害が起きてない国は、北の果ての氷の世界くらいだろう。まあ、そんなところに人は住んじゃいないだろうが」
「っ、そんな」
一気に絶望的な表情になるユキノに、何だかヴィヴィアンまで焦る。
「何だよ、お前の故郷は海沿いか? その、里親だっけ。その人たちがそこにいるのか?」
「大丈夫、父さん達がいるのは海沿いじゃない。けど、港町に知り合いがいるんだ」
ユキノが人生で二度も両親との別れを経験しなくて良かったと思う。それと同時に、何故自分が知り合って間もないこの弟子のことをこんなに気にかけているのかと少し不思議に思った。
エストルはなにやら納得した様子でユキノを見下ろし、『へえ』と感心したような声を上げた。
「そうか。それでお前は、魔法を学びにここを訪れたと。長旅ご苦労だったな」
「ありがと。けど苦労したよ、エンカンタリアに来てから。俺の師匠は誰でも良かったわけじゃないんだ、ヴィヴィアン以外に魔道士を知らなくて」
「え、こいつそんなに有名? 何で。ただのものぐさじゃん」
ヴィヴィアンを指差しながらあからさまに驚くエストルに、ヴィヴィアンは少しむっとする。
「お前何気に失礼だな。ただのって何だよただのって」
半眼でエストルを見れば、エストルは飄々とした笑みを浮かべる。この男は自分が失礼な奴だとちゃんと理解していながら、わざとそんな言動を重ねていく。その軽さが彼の欠点であり美点だ。
「なんか、長老がヴィヴィアン=リリエンソールのところへ行けって」
神妙な顔で言うユキノに、相変わらずへらへらと笑みを返しながらエストルはこちらを向く。
「何、それってヴィヴィアンのじいちゃんとか?」
「違うわ馬鹿。言っとくけど俺に老人の知り合いは数えるきりしかいないぞ。イリナギ人の知り合いなんかこいつだけだからな」
放っておくとユキノの肉親か何かだと勘違いされそうなので、慌てて訂正を入れておく。
「へえ。何でヴィヴィアンが海の向こうの国で人気なんだろうな」
「たぶん、同い年くらいの魔道士で強い人を探してくれたんだと思う。なんか、何でも屋だし引き受けてくれるんじゃね? 依頼したら向こうも断れないだろ! ってノリで」
おいおい、と思う。まあ、確かにイリナギの国民の考えたことは八割がた正解だった。ヴィヴィアンの強さはそこそこだと思うが、向こうの目論見どおり依頼は断れなかった。
「親父が骨董好きでイリナギによく旅行してたからな。それで知名度が若干あったのかもしれない」
そんな話をしながらようやくたどり着いたヴィヴィアンの店の近辺に、死人がごろごろ転がっていたりはしなかった。ほっとすると同時に、施錠を解いて自宅に上がる。依頼書受けの木箱の中身をユキノがチェックし、束になった依頼の紙を運んで持ってくる。
全てがヴィヴィアンの魔法を使って自動的にこちらに飛んでくるようにした、緊急用の依頼書だ。馴染み深い自筆の魔法陣があちらこちらに見える。ロジェに渡した紙飛行機とおなじ原理だ。しかしロジェに渡したタイプとは違い、飛んでくる先を玄関先の木箱の中に指定しているため、気づいたら箱の中に入っているのだ。
「エストル、読み上げろ」
「はいはい。まず一つ目。依頼主は向かいの酒場のおやじさん。魔物を退治してくれだって」
「はい次」
「二つ目ー。依頼主は時計塔の管理人。魔物やっつけろだって」
「はい次」
「三つ目。依頼主は八百屋のミリアン兄弟。魔物を駆除しろだって」
「次」
「依頼主は町長」
「マジか。あれ? 俺、町長にこの紙渡したかな……」
記憶があやふやだ。まあ、入手ルートは幾らでもあるから、別に不思議ではないが。
「書店のじいさんからも来てるぞ」
「うん。いつも世話になってる」
「あとは纏めて読む。連名だから」
エストルはすらりと長い腕で紙の束をテーブルの中央へ寄せながら、一枚だけ手元に残しておいた依頼書を読み上げる。
「パーティーまでに魔物の不安から解放してください、だとよ。おっと、これはすごい。最高で金貨百枚くれるって。依頼主は大通りのご令嬢。小学校の先生。小鳥屋の主人。魔術科の恩師。肉屋の夫妻。羊飼いの一家。木靴職人。商工会。その他諸々」
ご令嬢の依頼は美味しい。何せ金持ちだから、ほんの少しの魔法を使うだけでも金貨単位で報酬をくれる。前に執事からの依頼で庭に噴水を作ってやったら、報酬に金貨二十枚をよこしたのだ。それにヴィヴィアンは、ご令嬢に若干気に入られているらしいので更に美味しい。
「パーティーか。まあ、確かにあんな沢山人が集まるところに魔物が出たら終りだろうけど。けど、倒しても倒しても出てくるもんは仕方ないし」
「パーティーって?」
ユキノが声を上げた。そういえば彼はイリナギ人だから、この国の伝統については知らないに違いない。
「毎年一度、ご令嬢の家でパーティーがあるんだ。可愛い子は王宮に連れていかれて侍女になれる。どこの街でも必ずやらなきゃいけなくて、逆に言えばどこの田舎町でも王宮行きのチャンスがあるってこと」
説明してやると、ユキノはふうんと呟いた。
「それって出世?」
「ああ。王宮で暮らせるんだからな」
頷いてやれば、ユキノは感心したように声を上げる。
「じゃあ男子は? 召使?」
「まあ、それもあるな。けど、男子はだいたい騎士団に選抜されるんだ。そこそこ顔が整ってて腕っ節が強いと、声をかけられて選抜される。このパーティー、女子は十三歳から強制。男子は十五歳からな」
これにはエストルが答えてくれた。エストルは依頼書を折ってなにやら形作っているので、すっと手を伸ばして依頼書を取り上げた。暇になると手いたずらが多くなるエストルの癖は学生時代から変わっていないようで、人と話をしている最中に彼の手の中では、箱やら猫やら兎やら色々な折り紙が折られていくのだ。今回は何を折ろうとしていたのだろう。
エストルはつまらなそうに両手を頭の後ろで組む。ヴィヴィアンは小さくため息をついて、彼の説明に補足をつけた。
「ただし、職を持っている場合はこの限りではない。だから俺は十五歳と十六歳の時には行ったけど、去年の今頃はちょうど店を持てた頃だったからサボった」
「え、行かなかったの?」
「だってパーティーとか面倒くさいし。まあ、ナタリアが煩いから今年は行くことになるだろうけど」
今年もまたナタリアは煌びやかなドレスを見せ付けて、あんたも正装しなさいとかなんとかいいながらヴィヴィアンを着せ替え人形にするのだろう。一昨年までの二回ではオールバックを推奨され、渋ったら勝手にヘアスタイルをセットされた。スーツもどこからかヴィヴィアンのサイズに合うものを用意してきてくれたが、今年は自分の物を持っているので着替えだけは自分でしたい。
身体のサイズがもうこれ以上大きくならないという予想ができたので、思い切って金のある時に仕立て屋へ行って作ってもらったのだ。