第十四話 放浪癖
「今回の報酬はいくらにする?」
ローザの声に顔を上げると、彼女はすぐ隣にある自分のベッドに腰掛けていた。そして、ちゃっかりユキノも隣に座っている。あいつは一体何をしているんだと思いつつ、とりあえず聞きたいことを聞いておく。
「上限は」
「金貨八枚」
「そこまでふんだくる気はない」
今まで二人から受けた依頼は、銀貨二枚ですむ程度の仕事が多かった。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨五十枚で金貨一枚の計算だ。金貨より価値が上の貨幣はない。銅貨が十枚あれば向かいの酒屋で安酒を一杯のめる。あるいは、青果店でりんごをひとつ買える。税金は平均で銀貨十枚ほどだから、一月につき金貨二枚もあれば余裕のある生活が成り立つのだ。金貨八枚なんていったら、一年の三分の一を遊んで暮らせる金である。
「そうね、じゃあ決めさせてもらうわ。金貨六枚でいいかしら」
「お前、それでも多いって。物価の高騰と税を考えたとしても、三ヶ月くらい余裕で暮らしていける」
「魔物と戦ってくれたユキノの分も含めてよ。今日のディナーは豪華にできるわね」
「いいのかよ、そんなに」
「いいのよ、今日はゆっくり休んで。もともとこれくらい払うつもりでいたから」
ナタリアはドレッサーの引き出しから可愛らしいレースのついた巾着袋を出してきて、ヴィヴィアンに手を出すように言った。言われたとおりにすると、ナタリアはヴィヴィアンの手の上に金貨を六枚数えて置いた。礼を言って報酬を内ポケットに仕舞う。
「……お母さん、大丈夫かしら」
「どこ行ったんだ? 遊びに行ったわけじゃないだろ」
「会合よ。街の商工会のひとたちと、新しい議事堂で」
ああ、と思う。魔物は多人数をあまり襲おうとしないし、人の笑い声や怒鳴り声が聞こえる空間にはあまり近寄ろうとしない。奴らは群れからはぐれた人間を捕まえて食らうのだ。ならば安心だろう。街の商工会には屈強な鍛冶屋や肉屋の店主もいるし、ヴィヴィアンから見てそれなりに強いと思う魔道士も五人くらいいる。
「あそこなら魔道士のおっちゃんがいっぱいいるから平気だろ。明るいし」
「ならよかったわ。お父さん、怪我大丈夫なの?」
「俺が出てくる頃はまだ寝てた。でも酷い怪我だし魔物にやられた傷だから、早く処置しないと」
首を回し、ぱきぱきと音を立てる。まだ一仕事残っているのだ、これで終りではない。ぼろぼろになった塾を掃除しなければならないし、窓だって直さなければならない。家中ぐちゃぐちゃなのだ、ロジェとの待ち合わせに間に合うかどうかは不明だ。
「ウィル先生のとこ行く。ユキノ、お前ついてこい」
「解った!」
「あたしたちも行くわ」
「とりあえずお前らはその部屋を片付けてから来い」
廊下ほどではないが、部屋の中はバリケードを作ったときにかき回したせいで散らかっていた。二人のベッドの位置が近いのもそのせいかもしれない。アイアランド姉妹を部屋に残し、ヴィヴィアンはユキノと一緒に廊下を歩く。
「ユキノ、まだ魔法使えるか?」
「平気」
「ならいい。治癒魔法を教えるから」
「本当に!? すげえ! 俺どんどん凄くなってく」
「うるせえよお前、朝からテンション高いな……」
書斎の扉を一応ノックしてから、返事を待たずに中へ入った。ウィルフレッドは疲れ果てているのか、痩せた頬を机にべったりつけて寝ていた。後ろから朝日に照らされているおかげで、最近になって少しずつ目立ってきた薄毛が余計にひどく見えた。
「ウィル先生」
「……ん、ああ、ヴィヴィアン。怪我はなかったかね? 昨夜はご苦労だった」
「俺は平気です。歩けますか」
ウィルフレッドはゆらりと立ち上がり、部屋の真ん中にきた。ユキノが椅子を持ってきて、ウィルフレッドを座らせる。机のところにいられると、書類が邪魔で処置ができない。だから部屋の真ん中の広いところを使って怪我を処置しようという魂胆だ。
ぼろぼろになった背広を脱ぎ、ウィルフレッドは小さくうめき声を漏らした。腕や腰にのこる魔物の爪痕が痛々しい。血に染まったシャツを脱いで貰い、ヴィヴィアンは空中に小さく魔法陣を描いた。
「洗いますよ。しみるかもしれません」
ここにくるまでにユキノにやった方法と同じように、ヴィヴィアンはウィルフレッドの頭からつま先までを一旦濡らし、それから反対呪文を唱えて乾かした。まだ血が止まらない傷もあり、ウィルフレッドは痛そうに目をぎゅっと閉じる。
できればヴィヴィアンも目をとじていたかった。魔力を使う量が少ないとはいえ、疲れきった状態で魔法を使ったのだ。少し目が眩んだ。
「ユキノ、呪文教えるからやってみろ」
真摯に頷くユキノに、治癒呪文を教えてやる。ヴィヴィアンはあまり多用しないが、魔物に襲われた傷は放っておくと酷く化膿するのだ。早く直すに越したことはない。
「いいか? やってみろ、魔法陣は俺が描く」
ウィルフレッドの背後に回り、二本の指を使って大きめの魔法陣を描く。空中に描いた魔法陣は、薄く緑がかった淡い光を放ちながらその場に留まっている。呪文を書き込み終え、ヴィヴィアンはユキノを魔方陣の正面に立たせた。
そして呪文を教え、ユキノに唱えさせる。
「ヘク・アルア・ウィアン」
後から呪文の単語の意味について解説しなければいけないと思いながら、ヴィヴィアンはその場に座り込んだ。魔方陣の淡い光は徐々に広がり、やがてウィルフレッドの背中の傷を全て治して消えた。傷が治っても疲労が取れるわけではないので、ウィルフレッドは少しよろけながらユキノとヴィヴィアンに交互に礼を言った。
「あとは、片付けです」
「いいんだよヴィヴィアン、寝ていてくれたまえ。まともに休んでいないだろう? おそらく近所はみんなこうなっているだろうから、皆で協力して片付けるよ」
「……すみません」
きっと荒らされることなどなく鎮座している自宅を思い浮かべて申し訳なくなる。けれど、この状態で手伝ったら逆に迷惑になりかねないと思い、素直に帰ることにした。
「報酬はいくらだったかな」
「あ、もうナタリアから受け取りました。本当は最初に決めておかなきゃいけないんですけどね」
普通の客を相手にする場合には、契約書を毎回書いて報酬や仕事の内容も最初に決めておくのだ。ナタリアたちの場合は信用しているから、面倒くさいことはなるべく省きたくて報酬も内容もその場の空気に任せてアバウトになる。時々は無償奉仕になったりもするが、まあ友人なので特別だ。
「しかし、朝食くらい食べていったらどうかね。冷蔵庫が無事なら、隣町から送られてきた瑞々しいメロンがあるのだよ」
そういわれるとちょっと空腹を感じたが、今は早く帰って寝たかった。書斎を出て玄関に向かうところでナタリアたちに呼び止められ、何度も礼を言われて送り出された。
家の前で見知った人が死んでいることは知っていたから、あえて遠回りをして帰ることにした。街はどこも混乱状態で、誰もが走り回ったり泣き叫んだりしていた。知っている顔もちらほら見かけた。
「ひでえな……」
人の死体を四体くらいみかけた。麻布がかけられて隠されたものもおそらくそうだろうから、昨日だけでかなりの人が襲われたらしいことが解った。
何故こんなにも短期間に、異常なほど魔物が増殖しているのか。魔物の生態については明かされていないことが多く、研究者も少なく苦労していると聞いた。それに、首都から近くはないこの街に、最新の情報が回ってくるのには時間がかかる。王宮のあるエンカンタリアの城下町は現在どうなっているのだろう。
「ヴィヴィアン! ここにいたのか」
背後から声をかけられ、振り返ると目に入ったのは亜麻色の髪をした背の高い男だった。ヴィヴィアンと同じくらいの身長だが、彼の方が少し低いかもしれない。瞳は薄い水色で、好む服の色合いはアイボリー系なので、彼は何となく全体的な色合いのまとまりがいいと思う。
「ああ、エストル。久々だな。何、里帰り?」
エストル=グルーバーとは昔から仲が良い。魔法の腕は互角かヴィヴィアンの方が少し上をいく程度だったので、どちらかがどちらかを挑発してよく喧嘩になったりもした。魔法を使った喧嘩をして教師から厳しく叱られ、二人で全校を掃除するとか、庭の草むしりを一晩かけてやるとか、そういう罰則もよく与えられた。
ヴィヴィアンはどちらかといえば焔系統の魔法が得意だが、エストルは植物の魔法を使う。ポケットによく植物の種を入れていて、攻撃するときにはそれを魔法で発芽させて相手の自由を奪う蔓草へと生長させたりするのだ。そういう魔法があまり得意でないヴィヴィアンからしてみると、ちょっと格好良いと思う。彼はヴィヴィアンの外套に少し似た七分袖の外套を愛用し、外出する時はいつもそれだ。その薄っぺらな外套の中からどうしてそんなに出てくるんだというほど、エストルは種子を多用する。
「久々に戻ってきたら街がこんな状態だろ。お前のことだからその辺で死んでるかもって思ったけど生きてたからまあよかったよ」
「何だそれ。俺、魔物にやられるほどやわじゃないから」
「知ってるよ」
エストルは快活に笑う。長めの髪はいつも風に吹かれたような形で、全体的に彼から見て右側へ流している。そんな、この辺りにしては斬新な髪型や服装のおかげで街で見かけるとすぐに解る。姿を見なくても近くにいる時は魔力の関係で大体『いる』感じがするので、気まぐれに戻ってきたときにも驚いたりはしない。
「そういや、この外人のおチビは何だ? 変な格好。拾ったのか、こいつ」
エストルはユキノをじろじろ見下ろし、楽しそうに観察している。ユキノはむっとして、エストルの不躾な視線を真っ向から受け止める。
それもそうだろう、ユキノは別に小さくない。ひょろりとしてはいるが、身長は高くもなければ低くもないのだ。ヴィヴィアンが無駄に長身だから、隣に並ぶと小さく見えるだけである。
「弟子だっ」
「ぶっは! おいおいヴィヴィアン、お前弟子なんか取るようになったのか? お師匠さん! あはははっ!」
げらげら笑い出すエストルに、ヴィヴィアンは深いため息をついて頷いた。そのタイミングで、街の真ん中の時計台の鐘が鳴り始める。七時になったようだ。
「流れでそうなった。なんかもう、俺何してんだろうって感じ」
「ヴィヴィアンこの人誰」
「あー、放浪癖?」
まだ憮然としているユキノに、一言で説明してやる。ユキノはぽかんとした。
「えー。今ので終り? もっとまともに紹介してくれよ」
不満げなエストルだが、こういう風にしか表現できない。彼がこの街にいるのは、かなり稀なことなのだ。学校の卒業と同時に二ヶ月間どこかへいったきり戻ってこなかったし、その後も一週間戻ってこなかったりした。戻ってくるたび異国の話や王宮の話をしに店に寄ってくれるが、気づくとまたいなくなっているのだ。
「で? この放浪癖って何者?」
「エストル=グルーバーっていう同級生だけど、しょっちゅう色んなところを旅してるからなかなかこの街には戻ってこない。けど騎士団で遠征してるとかそういうんじゃなくて、こいつは一応魔道士。騎士団っていえば、エストルの姉さんは女性初の部隊長だよな」
「そう。姉貴かなり強いからな。ついでに言えば俺もここいらじゃヴィヴィアンの次に強いぞ。放浪癖じゃなくて根無し草って言えよ、その方が俺らしい」
「で、見ての通り面倒くさい奴」
おお、とユキノは納得する。軽い性格のエストルだから、面倒くさい奴などといわれても本気にしないところが良いと思う。けれど、その日暮らしの計画性のない男だから、彼には結構貸しを作っている。この男はその貸しを、なかなか返してくれないところが駄目だと思う。ルーズなところはお互い様なので責める気にはなれないが、ヴィヴィアンはどんなに面倒くさくても借りたものは必ず返すタチだ。
いつも微妙な切れ方をするエンタリです。
12月の更新が一度きりだったのでこれは不味いと思い。
2008年最後の更新です。
それではみなさん、よいお年を!