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エンカンタリア  作者: 水島佳頼
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第十話    闇夜に潜む影

 小さな依頼をいくつかこなし、あとはぼんやりしているうちにいつの間にか夜になっていた。最後の依頼の時間が近づいていたので、ヴィヴィアンは店の入り口にかけてあった長い黒の外套を羽織って店にいた。

 これは仕事着として着用しているもので、季節は関係なく着ている。真夏だろうが真冬だろうが、気に入って着ているのだ。立ち襟や留め具の具合が好みにぴったりだし、部屋着の上から羽織っても何となく様になるのでものぐさのヴィヴィアンとしては嬉しい。それにジャケットと違い、こちらには色々な細工をしてあるのだ。

 ユキノは弟子にしてもらえると解った瞬間からはりきっていたので、ヴィヴィアンの家を大掃除してかなり綺麗にし、なおかつ初歩的な魔道書を既に読み始めていた。かんざしを解いたユキノの髪は肩甲骨の辺りまで伸びていて、少し癖がある。着ている衣類は着物というらしく、東国では当たり前に着られているものなのだという。上と下が一緒になっているから脱ぐのは楽そうだが、着る時に帯をどうとめたら良いのか解らなくなりそうだ。

「依頼、何時からだったっけ」

 訊ねると、ユキノは魔道書から顔を上げた。

「十時。あと三十分あるけど」

「面倒くさいからもう行こうか。早く終わらせよう」

 言ってみた途端にユキノはソファから飛び上がり、テーブルに膝を打ちつけて悶絶した。見ていて飽きないが、無駄に動きまわっているので視線で追うのが面倒くさい。

「いった、痛っ…… って、ヴィヴィアン。俺も連れてってくれるの?」

 膝をおさえて跳ね回りながら彼は問うてくる。

「当たり前だろ、自分がいないときに他人を家に置いときたくないんだよ」

 迷惑そうに言ったつもりなのに、ユキノは嬉しそうに笑いながら、読みかけの魔道書にしおりを挟んでテーブルに置いた。まだ膝が痛いらしいが、彼はこちらに歩みよってくる。

「その服、歩きにくそうだな」

 歩くときに足に絡まったりしないのだろうか。ズボンと違って両足が筒状に巻かれて固定されているわけだから、きっと歩きにくいに違いない。ヴィヴィアンは走るときに結構大股になるので、着物なんて絶対着られないと思う。

「そうでもないよ、慣れてるから。でも、腰に刀がないと何か落ち着かない」

「あれ、親父の骨董品の中に刀あったとかお前言ってなかったか?」

 そうなのだ、掃除の最中にユキノは刀を見つけたと大騒ぎしていた。ヴィヴィアンの父が趣味で集めていた東洋の骨董品の中に、刀がひっそりと眠っていたらしい。ヴィヴィアンは魔道書を読みながら生返事していたが、別に自分には必要ないからくれてやると言ったような覚えはある。

「え? あれ使って良いのか?」

「ああ。そう言わなかったか?」

 答えれば、ユキノは本当に嬉しそうに笑った。

「じゃあ暫く借りる。自分のじゃないとやっぱり手に馴染まないけどさ」

 ユキノは一階の奥のほうにある書庫の辺りから、古びた刀を二本取って来る。そうして、筒状の裾を捲り上げて端折り、後ろの帯に挟んですっかり動きやすそうな格好になった。

「とりあえず魔物でてきたら技見せろ」

「勿論! 一週間ぶりだな、刀振るの」

 腰に刀を携えて、楽しそうな足取りでユキノはヴィヴィアンの隣を歩く。歩きながら髪を後頭部でまとめ、ねじってかんざしを挿す。紐やゴムの類は全く使っていないのに、髪はそれで固定されてしまう。イリナギ王国の文化はすごいと思った。

 ヴィヴィアンは家の外に出てすぐ、ユキノを少し待たせて空中に青白く光る魔法陣を描いた。小さく一言鍵の呪文を唱えて、魔法陣に息を吹きかける。

「なあなあヴィヴィアン、今の何の魔法?」

「黙ってろ、まだ術が終わってないんだから」

 ぱちんと指を鳴らして魔法陣を消し、近くに落ちていた小石を拾ってユキノを軽く振り返る。

「見てろ」

 自宅に向かって石を投げた。ユキノが間の抜けた声を上げた。石は空気を裂いて細い音を立てながら正確に二階の寝室の窓に当たったが、跳ね返って落ちてきた。

「す、すげえ!」

「外出する時は施錠を忘れずに。基本だろ」

「すげー、めんどくさがりの癖にこういうとこだけしっかりしてるんだなっ」

 さりげなく失礼なことを言うユキノに苦笑して、依頼先のアイアランド家への道を歩く。二人の家では学習塾を開いていて、九時ごろまでは十歳にも満たないような子供から二十歳すぎの大人まで、幅広い年齢層の学生が出入りしている。広い広い家だが、森に近いので魔物が怖いとそういえばローザは良くこぼしていた。

「前に一度、ネズミに入られたことがあるんだよな。うち」

「ネズミ? ああ、可愛い顔してるんだよなあれ。よく餌付けて遊んだ」

「いや、違う。マウスって意味じゃなくてこの場合シーフな」

 いつかは忘れたが、まだ家族と住んでいた頃だった。そのネズミを探し出して、盗ったものをすべて返させるまではヴィヴィアンはずっと苛々していた。おかげでローザを泣かせてしまい、ナタリアに蹴りを食らい、散々だったのである。見つけ出したネズミに制裁と称して魔法で電撃を落としてやったのには、実は半分八つ当たりも交じっていた。

 それ以来、家族の中で一番魔法が上手に使えたヴィヴィアンが施錠魔術の担当になった。両親も魔法を使えたが、施錠魔術がここまで完璧に効力を成すのはヴィヴィアンが魔法をかけた時に限ったのだ。

「じゃあさ、魔物に入られたことは?」

「ない。うちの近所じゃ、通行人が襲われることはあっても自宅を襲撃されることはすくないからな。ほら、うちの向かいに酒場があるだろ。大変な思いをして住居に入り込むよりも、酒場から帰る途中の動きのにぶいおっさんを食らったほうが楽だって魔物も思うんだろうな」

「あー、酒場。そういえばあったな」

「あそこの店主、時々提携する相手なんだよ。情報通だから」

 店主は中年の男だが、酒場を営んでいるくせに酒が飲めないので腹がビール腹になっていたりはしない。極度の菜食主義で、肉料理は作るくせに食べない。暇さえあれば根菜の漬物をぱりぱり食べている、変わった男だ。

「俺、その人と話したよ。ヴィヴィアンの家どこって聞くために」

「へえ」

「美味しい浅漬けの作り方伝授してきた」

「おいおい」

 初対面で話題になるのが漬物のレシピだなんて。酒場の店主に負けず劣らず、隣にいる東国人も十分変な奴なのだとヴィヴィアンは再認識する。

「で、あの二人の家は?」

「もうちょっと」

 夜闇を歩きながら、石畳を踏む音を聞く。反響するその音は静かに闇へ溶け込んでいくが、その中に混じって獣の咆哮が聞こえたりすることは今はなかった。

 夜の街は怖い。街灯はどこもランタンに蝋燭をいれただけの簡素なものだから、深夜になるころには蝋燭が燃え尽きてあたりは真っ暗になる。夜型の住民が住む民家の灯りだけが頼りになってしまうのだ。そんなところで獣や強盗が現れたりしたときには、咄嗟の反応ができなくて取り返しのつかないことになりかねない。

「思うんだけど」

 隣のひ弱そうな東国人が闇夜に襲撃されたらどうなってしまうのかという方向に思考が進んできたとき、丁度そのひ弱そうな東国人に思考を中断させられた。今のは本当に無意識だった。隣にいるからには自分が守る義務があるとか、師匠だからとかそういうことを平気で思ってしまいそうな勢いだった。

 面倒くさい。だから人と関わるのは嫌なのだ。

「何」

「さっきからずっと、動物の匂いがするんだよ。肉食かなこれ、生臭い」

「……なんだって」

 ユキノはさりげなく刀に手をかけながら、こちらを窺うように見上げる。

「ヴィヴィアン、せーので止まろ?」

 闇夜には、さして音があるわけでもなかった。今ヴィヴィアンの聴覚にあるのは、石畳の街道に響く自分の革靴の音と、ユキノの特徴的な足音だけだった。

 ユキノは相変わらず枯れ草を編んだような簡素な履物(わらじというらしい軽量な履物だ)を履いているので、そんなに響く足音はしない。けれど彼は石畳を擦るように歩くので、足音はかなり特徴的だった。さりっ、さりっ…… まるで石畳を箒で掃くような、その音。

 規則正しく闇夜へ溶けていく二人分の足音を、注意して聞いてみる。足音に交じって荒い呼吸のような音が聞こえた。となりのユキノが息を切らしているわけでもない。……厄介な事態。

「せーの、」

「避けろ!」

 長い外套を翻し、背後を振り返って呪文も魔法陣も使わずに魔法をかける。咄嗟にできた技だったが、呪文や魔法陣がないと普通は魔法が使えない。

 眼鏡の奥から闇夜を睨む。黄色に爛々と光る眼が、無数に揺れている。ざっと五十はいるだろう。

「……チッ」

 魔法陣を描く。いや、間に合わない。

 描きかけの魔法陣を消して呪文を唱える。向かってきた狼のような魔物をひらりとかわし、電撃を起こす。魔法陣がないと威力は半分以下になってしまう。一匹ならやっつけられるが、大量に駆除するためには魔法陣を描く必要がある。

 しかし無理だ、描いている暇などない。一匹やっつけているあいだに他の魔物がやってきて、きりがない。

 そうだ、ユキノは?

「ユキノ!」

「俺のことなんか気にすんなヴィヴィアン!」

 ユキノは長刀をひらめかせ、荒れ狂う竜巻のような勢いで鮮やかに魔物を薙いでいた。書物でみた武者そのものの姿に一瞬目を奪われるが、ヴィヴィアンは自分にむかってきた魔物を倒すことを思い出して直感的に飛び上がる。空を裂く感覚と、ぐんと高くなる視界。すかさず呪文を唱える。

 跳躍力は魔法で強化した。この長い外套を着る理由は気に入っているということ以外にもうひとつあるのだ。冬でも夏でも着られるようにと、この外套には魔法をかけている。普段は温度調整に働く魔法だが、使おうと思えば無意識にその魔力を他の事に使うことも可能だ。今のは、高く跳びたいという思考が無意識に跳躍力を強化した結果である。

 地に足がつく前に、大規模な火炎を発生させることができた。魔物の半分ぐらいは焔に弱いタイプだったらしく、一瞬にして炭化した。

 しかし、煙を上げる屍を蹴散らし、なおも魔物が襲い掛かってくる。咄嗟に呪文を唱えながら、着地する地面のめぼしをつけた。そこに来そうになる魔物を徹底的に排除しながら、ヴィヴィアンはもう一度だけ宙を蹴って高度を上げた。

 魔物にも、水が効くタイプや電撃が効くタイプなど、様々な種類があるのだ。だから大群で来られると厄介である。

 つま先から着地し、乱れて眼鏡に被さってくる髪の間からユキノが背後にいることを確認して、正面に水の盾を出現させる魔法陣を描く。向かってきた魔物たちは突然水の壁が出現したことで、勢い余って突っ込んできた。何匹かは子犬のような鳴き声を上げ、煙を上げて骨と皮ばかりの痛々しい姿になっていく。水に弱いタイプだったらしい。彼らにとって水をかけられることは、硫酸をかけられることと同じなのだ。皮膚は溶け、むき出しの組織も溶け、やけどしたようになって死んでいく。

「……うっ」

 思わず口許を押さえる。

「ヴィヴィアン! 後ろっ」

 声に反応して殆ど無意識のうちにひらりと飛び上がり、空中で水の壁を蹴って更に高くまで跳んだ。水の盾の効力はその途端に切れ、一気に壁が崩れて辺りは水浸しになる。水に弱い魔物たちは骨を残して溶解し、その骨を踏みつけながらユキノは長刀を翻していた。

 空中で簡素な魔法陣を描きながら、ユキノの戦闘を見る。彼は刀を振り回し、返り血にまみれながらそれでも戦い続けていた。

 彼が斬った魔物の半分ぐらいは復活したが、半分はもう動かなくなっていた。延々とその繰り返しだから、だんだん立ち上がる魔物は少なくなっていた。

 魔物は打撃や刺傷を与えても、持っている魔力で自身を治癒してしまう。けれど、ユキノの刀は正確にダメージが最大になる箇所を狙って打ち込まれているようで、魔物は治癒を完了させるまえに息絶えている。白いはずの石畳が血塗れになっているのが、少ない明かりの中でも辛うじて解った。

 落下しながら魔法陣を描き、描きながら呪文を詠唱する。本当は魔法陣の完成前に呪文を唱えると失敗につながりやすいが、時間が無いので仕方ない。

 長い呪文だったがなんとか着地に間に合った。今度は氷の魔法を使った。地に足がつく直前に、ヴィヴィアンを中心にして冷たく凍えた風が吹き付ける。魔物は数秒で動けなくなった。

 氷なら、例外なく全ての魔物が凍るはずだ。ここにいるのは大群だが、知能は弱い低級な魔物だから。まれに自力で融けだして襲ってくるものもいるが、そこまで強い魔力は感じない。氷の呪文は難しく、なかなか習得できなかったことを思い出す。実戦で使えるようになったのだから、まあ進歩したということか。

「ふう……」

 ターゲットを魔物にのみ絞り、ユキノは凍らせないようにする。それだけで呪文が倍になる。早口で唱えるのは大変だったが、間違えていた時のことを考えると冷や汗が額を伝った。

「っはあ、はあ……」

 背後で息を弾ませるユキノを振り返り、ヴィヴィアンは愕然とする。血塗れのユキノは石畳の上に倒れた魔物に刀を突っ立てて、その刀で身体を支えるようにして両膝を地面についていた。

「おい、大丈夫か」

「平気」

 短く言って、凍った魔物から刀を引き抜いたユキノにそれ以上言葉はかけなかった。ユキノは懐から出した柔らかそうな紙で刀を拭いて、慣れた動作で刀を鞘に収める。

「これが、魔物?」

「そう」

「……熊なんかよりずっと手ごわい」

「だろうな。俺は熊と戦ったことないけど」

 少しずつ会話が戻ってきたこの空間で、魔物と一緒に自分たちまで凍っていたのかもしれないとヴィヴィアンは錯覚した。

 刀を握ったユキノのその青い瞳は、まるで氷河のようだった。ユキノが刀を仕舞う時、一瞬目が合ったときに凍るかと思ったのだ。それだけユキノは殺気立っていて、だからこそ魔物をばさばさ斬り殺すことができたのかもしれなかった。

「殆どヴィヴィアンに倒させちゃったなあ」

「いや、だってこれは魔道士の仕事だし。怪我ないか」

「何とか平気。でもなんか、すごい疲れたんだけど」

 平気だとはいえ、ユキノは顔やら首やら胸やらに凄い量の返り血を浴びていた。通行人に何事かと思われて騎士団を呼ばれたらたまったものではないので、ヴィヴィアンはユキノの正面に立った。首をかしげるユキノに、とりあえずかんざしをとれと指示する。

「ヴィヴィアン、今から何すんの?」

「目えつぶれ」

 言われるがまま目を閉じるユキノに向かって、小さく呪文を呟いた。途端に滝のような水が彼の頭からつま先までを洗い流し、じっとしているはずもないユキノは大声をあげて飛び上がった。

「ぶわっ、な、何すんだっ」

「動くな、今から乾かすから」

 今使った水をかける呪文の最初に、反対の意になる語を添えて呪文を唱える。ずぶ濡れのユキノから滴っていた水は全て乾いていき、着物からも血の色が抜けた。けれど、代わりに着物も一緒に一段階薄い色になってしまった。

「あー、悪い」

 ちょっとまずかったかな、と思う。故郷から持ってきた数少ない物のうち、ユキノが恐らく気に入っているのであろうその濃紺は、明るめの藍色のようになってしまった。しかし当のユキノは楽しそうに自分の身体を見回して、髪を一房掴んで鼻に近づけて嗅いだりしている。何をやっているんだこいつは。

「すっげえ! 血の匂いしない。あんな血塗れになったのに」

「聞いてないし…… まあいいけどさ」

 血なまぐさい場所からさっさと遠のきたかったので、ヴィヴィアンはユキノを置いて歩き出した。ユキノは慌てて追ってくる。ようやく隣に並ぶと、ユキノは歩きながら髪をまとめてかんざしで留めた。

「ヴィヴィアン、いつもこんなことやってんの?」

「今のは例外。あんな多数相手にしたことなんか今まで数回しかない」

 魔物を警戒しながら、並んで歩く。もう少しでアイアランド家に到着するから、それまでに魔物が来ないことを祈る。

 あの辺りなら商店も多いから、夜でもそれなりに明るいはずだ。ヴィヴィアンの家やその付近もそうだが、商店街の店は中の明かりが外へもれやすい構造になっているのだ。ただ、商店街を抜けると一気に暗くなってしまうのだが。

「そろそろだけど。もう戦うの嫌だったらナタリアんとこ行ってろよ」

「行かない。もっと強くならないと、故郷に帰って皆を助けられないから」

 毅然とした彼の態度に笑みがこぼれる。彼はどんな些細な勝負にでもむきになるタイプなのかもしれない。


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