黒い龍の旅路
突然のリリョス視点です。
小さな頃、俺は、母なのに 「母と呼ぶな」 が口癖の人と一緒に各地を旅していた。
彼女は、真っ白な長い髪と赤い瞳を持つ、美しい人だった。
「私の仕事は語り部だ。父も祖母も語り部だった。このままだとお前もそうなるだろうが、向いてないからやめておいた方がいい」
彼女は、伝承を話して聞かせる、語り部という職業で各地を周っていたが、夜になると俺を置いて、現地で知り合った若い男とどこかへ消え、朝方金を持って帰ってくるという、娼婦のようなことをしていた。
のような……というのは、美化したいからではなく
彼女と夜を共にした男たちがみな、心の底から彼女を愛しているから娼婦ではない。
と力説してくるからだ。
彼女は、気安く男を受け入れる。そう言わしめるだけ懐深くまで。
けれど俺のことだけはまっすぐ見ない。無駄な会話もしない。触れてくることもなかった。
怪我をしたときも、病気のときも、俺は、一人でなんとかするか、彼女の男に面倒を見て貰っていた。
不便なことはあったが、不満ではなかった。
俺は、彼女の背中が好きだった。
俺がこけても、泣いても、振り返ることなく、立ち止まることもなく、少し速度を緩める。
凛とした背中が好きで、いつもいつも追いかけていた。
ずっと追いかけていこうと思っていた。
「リリョス」
彼女は、ある日ふと立ち止まり、振り返った。
「この絵本やる。仕事に使ってたやつだが、お前が誰かに読んでやる必要はない。あとこれも」
彼女の瞳の色に似た、赤く丸い石。
彼女から何かを貰うことなんてなかったので、首を傾げて見上げたら、ポタっと滴が落ちて来て、思わず目を閉じてしまった。
慌てて目を開けると、彼女はもういつも通り背を向けていた。
「リリョス。私はこれから、世界を救うために行かなけりゃならない」
彼女は、わけのわからないことを言い、獣化した。
真っ白な鱗を持つ翼は、どんなときでも大きく凛々しく、のびやかだった。
異種族同士の子はめったに生まれない。
種族の誇りを穢す存在なのだと、忌み嫌われる。
それなのに彼女は、いつも堂々と翼を出し、獣化する。
私たちは、異種族ではない。二人きりの種族なんだ。
そう言って、石を投げられようが、罵倒されようが、まっすぐ立っていた。
「お前は、この道をまっすぐ行け。そしたら城から迎えが来る」
「おれだけ、ちがうばしょへ行くの?」
「そうだ。道は違った。私のことは忘れろ」
彼女の白い翼がバサバサと風を起こした。
俺の翼はまだ小さすぎて飛べない。
置いて行かれる。
つい……彼女の服を掴んだ。
パシっ
あっさり叩き落とされた。
もう一度掴む気にはなれなかった。
彼女は、ギュっと拳を握りしめて。
「お前を……愛してくれる人が必ず現れる。必ずだ。だから待ってろ。いつかその日が来るまで、生きて待ってろ」
大空へ飛び立っていった。
俺は返事をしなかった。
彼女の言葉を受け入れたら、もう彼女に会えない気がしたからだ。
「…………」
俺は一人になった。
代わり映えしない、何もない道を歩くのは慣れているはずが、目の前に広がる景色に気持ちが萎縮した。
心持足元を見ながら歩き続けていると、影が差した。
翼の音に勢いよく顔を上げると、彼女ではなく、鳥のような翼を持つ、りっぱな髭を蓄えた男が降りて来た。
「お前がリリョスか?」
俺は、黙って頷いた。
「そうか」
特に説明されることなく、おっさんに抱き上げられた俺は、おっさんの飛翔によって、見知らぬ大きな邸へと連れてこられた。
「ここがしろ?」
「いや。違う。ここは、森域南部を統治している翼族の家だ」
「へーー」
なんだかよくわからないまま。
俺は、その翼族の家に住むことになった。
おっさん曰く、いずれ迎えに来るが、まだそのときではないのだとか。
「息災で」
おっさんは、俺を家主に引き合わせてすぐ、空へ消えた。
くれぐれも、獣化しないように、と言い含められたが、あまり重要なことだとは思わなかった。
突然現れた他人より、ずっと一緒だった彼女に倣った。
結果。
「きゃーーっ!!」
俺付きになったばかりの使用人が、獣化した俺を見た途端叫んで失神。
そこそこ優しかった家主に、奴隷たちが押し込められている小屋で寝泊りするよう言われた。
「わかりました」
俺は、こういう扱いには慣れていた。
昨晩お菓子をくれたやさしいおばさんが、翌朝俺の翼を見て、石を投げつけることもあったし、いちいち気にしていたら、やっていけない。
とはいえ……だ。
ウィンネとツバング。
二つの国が争っている理由は知っていたが。
捕虜の扱いについては何も知らなかった。
敷地の隅にある奴隷小屋は、野宿に慣れた俺でも、不快を感じる場所だった。
ツバング人とは言葉が通じない。その声は耳鳴りにしか聞こえない。細かい作業は任せられず、与えられるのは力仕事のみ。
休む間もなく働いて、小屋に戻っても満足な食事はなく、腹を空かせて眠るだけの殺伐とした空間に居続けるのは気が滅入る。
ここを去ることも考えたが、彼女のことを想うと、それも出来ず。
なんとなく過ごしているうちに日がたって、新しい奴隷が連れてこられた。
女性が一人と、ようやく立てるようになった赤子一人と、幼児二人。
俺より幼い。
ここは働くものでさえ最低な暮らしを強いられる場所だ。
子供だからと言って、優遇されることはない。
女性は、子供たちを食べさせるために、普通の倍以上働いて、夜は兵士に連れて行かれた。
そうまでして一緒にいたいのなら。
俺は、邸の台所に用意される自分の食事を、いくらか小屋に持ち込んで三人に分けるようになった。
へとへとな女性の仕事を、バレない程度に手伝ったりもした。
どこまでも一緒に居て欲しかった。
けれど、ダメだった。
女性は、過労で倒れ、動かなくなった。
「~~~っ!」「~~~~!」「~~!!」
三人の、耳鳴りにしか聞こえない声なき声が、母を呼んでいた。
俺は、衝動に突き動かされるまま、家主の元へ向かった。
「こどもたちを、ツバングへ帰してやってほしい。ここに居ても役にたたない」
必死に考えて、伝えたつもりだが、軽くあしらわれた。
「ガキが生意気言うな」
目の前が真っ赤になった。
お前は人間なのか?
気が付くと、俺は、家主をぼこぼこに殴っていた。
自分で自分を止められなかった。
こんなことしても意味はないと、頭の片隅では理解しているのに、何度殴っても足りない。
「貴様っ!!」
駆けつけた衛兵たちに痛めつけられ、小屋に戻されても、煮えくり返ったままだった。
俺は、痛みで意識が朦朧とする中、彼女を呼んだ。居ないとわかってるのに、何度も何度も呼んだ。
助けはこない。助けることも出来ない。
俺はなんのためにここに居るんだ。
「うっ……」
俺は、常人より体力も力もある。傷の治りは誰よりも早い。
丸一日も寝ていれば、すっかり動けるようになった。
俺は……動けるようになった。
けれど
子供たちは……。
三人の子供たちは、庭の隅にある焼却炉で、炎になった。
ろくに栄養も取れず痩せた体は、骨の一つも残さず……黒い煙と一緒に天へ昇って行った。
「っくうっあああああっ!!」
あの子は、パンをひとかけら渡しただけで、笑ってくれた。
あの子は、草笛を吹いて見せただけで、驚いた顔をした。
あの子は、泣くのを我慢していた。お姉ちゃんだからって……ギュっと目を閉じて、涙を堪えていた。
「お前のおかげで、邪魔なものが小屋にあるって気付けたよ。これで効率も上がるな」
家主が、黒い煙を見上げる俺の背中に、ゴミのような言葉を投げた。
その晩。
俺は、翼族の邸を燃やした。
上空から窓を突き破って主の寝ている部屋に入り、ベッドに火を放った。
無駄な調度品が多かった邸は、あっという間に焼け落ちた。
あっけない。
真っ黒な邸跡に立ち尽くしていると、翼を持つ髭のおっさんが降りて来た。
怪我人はあれど、死人は出なかった。火だるまにした家主も、ギリギリ生きている。
おっさんの報告を、黙って聞いていたら、胸倉をつかみ上げられた。
「お前たちはっ……悪魔なのか!?」
悪魔はこの家に住んでたやつらだろ。
「余は……お前の母に騙されたっ…………しかし、お前を城へ連れて行かなければならない。なぜなら、お前は余の息子……貴重な戦力だからだ」
おっさんは、彼女が行けと言った城の主。つまりはこの国の王で、彼女の男で。
俺の父親だった。
「お前の母は死んだ」
王は、憎しみに燃える瞳で、そう言った。
「音の子を呼びに行くため、肉体を捨て、異世界へ旅立ったが……帰ってこなかった。魂の抜けた肉体が死するまでに帰ってこなかった」
彼女は、彼女自身が語り部として言い伝えてきた、世界を救う音の子を呼ぶことができる唯一の存在であり。
音の子を呼んでやる代わりに、王の子が欲しいと取引を持ち掛け、俺を生んだのだそうだ。
「王族にかけられた呪いを解くと約束したから、お前を生むことを許したというのに……帰らずとは……」
城に運ばれながら聞いたのは、ここまでだった。
彼女が死んだ?
異世界へ飛んで行ったと言われれば、そんな気もするが、何もなさずに死んだというのが……彼女らしくない。
違和感を感じる。
俺は、彼女の死は受け入れず、城で暮らすことを受け入れた。
「これからは、兄弟と共に勉学に励め」
弟二人を紹介されたときは、なんとも言えない気持ちになった。
ピシっと立ってこっちを伺うひょろ長いのと、その後ろに隠れてるちっちゃい方。
二人とも警戒心剥き出しで睨んできたが、嫌ではなかった。
「あっちいけ! けがれたつばさめ!」
「ん?」
ちっちゃい方。真っ白でふわふわしたスワルとは、すぐに打ち解けた。
二人の母親……王妃は、そうしてほしくないようだったが、ダメだと言われれば言われるほど燃えるものがあるのか、こそこそちょっかい出してくるスワルにやり返してるうちに、仲良くなっていた。
「こっそり歩けよスワル」
「めいれいすんな!」
俺はスワルを連れ出して、市井で買い食いしたり、釣りをしに湖へ出かけたり、城を抜け出しては遊びまわっていた。
なにより、人に見つからないよう行動することが楽しくてやっていたが
「スワルっ」
ある日、釣り竿を持ってこっそり出ようとしたら、もう一人の弟、イグライトに見つかった。
「見張りです」
イグライトは、告げ口せず、静かに後ろをついてきた。
いざという時は共犯にしてやろう。
俺の前を歩きたがるスワルと、こそこそ後を付けてくるイグライトに挟まれて歩いていると、穏やかな風を感じた。
「あにうえっジャバンするぞ!」
「ああ。そうだな。釣りやめるか」
前に一度、持ち上げて湖に投げたら、ハマってしまったらしい。
スワルの提案で、湖に飛び込んで遊ぶことにしたが
「五回だけな」
「え~~っ」
スワルはあまり体が丈夫ではないから、長時間の水遊びは向いていない。
俺は、すぐに上がって、火をおこし、服や髪を乾かす用意をした。
「あにうえっもういっかいだけ!」
何度いってもスワルは上がって来ず。
無理矢理引き上げて、渇いた俺の服をかぶせたら、ぶんむくれていた。
案の定、次の日には風邪をこじらせ、ベッドの住人だ。
俺は、王妃の命を受けた兵士に捕まり、鉄格子つきの窓と鍵付きのドアがある部屋に閉じ込められた。
弟を連れまわした罰なのだそうだ。
丸一日が過ぎ、二日目が過ぎ……。
そろそろきついなと思始めた頃。
イグライトがやってきた。
「悪くないって……言ったんだけど」
鉄格子の向こうでぽそぽそとしゃべるイグライトに顔を近づけると、パンを差し入れられた。
「兄上は……注意したって……言ったんだけど……駄目だった」
俺は、無意識に手を伸ばし、イグライトの頭を撫でていた。
そうされたことなんてないのに、体が勝手に動いていた。
「ありがとう。イグライト」
パンを受け取ったら、イグライトは照れ臭そうに笑って、去って行った。
その日のうちに、監禁は解かれ、二度目はないとこっぴどく叱られたが
俺は反省しなかった。
熱を出したスワルも懲りていなかったし、イグライトも、こっそり抜け出して仲間に加わるようになった。
いつしか城が窮屈な場所ではなくなっていた。
あの日の……燃えてしまった子供たちのことを……忘れるくらい。
穏やかだった。
王族の呪いについて聞くまでは……。
何度目か、三人で外へ出ていたことがバレ、王に呼び出されたときのことだ。
「王になれるのは、お前たちの中でたった一人だけだ」
王は当たり前のことを真剣な顔で言った。
「生きていけるのも、王になったただ一人だ。」
続けて、意味の分からないことを、やはり真剣な顔で言った。
王族は呪われている。
「余の兄弟たちは、余が即位した数か月後、亡くなった。不慮の事故だったり、病にかかったりして、死んでいった」
今までずっと、延々とそうだった。王となったもの以外は、なぜか長く生きることができない。王の兄弟という立場になったとたん、一年ともたずに死んでいく。
音域を守るために、数を増やしたいが、そうできないのは、この呪いがあるからだ。
いずれ、お前たちの中の誰かが王となる。
時が来れば……この中の二人は……命をおとす。結婚して子供が居たとしたら、その子にまで呪いが届く。
王はすべてを話し終えると、さっさとその場を立ち去った。
いつも騒がしいスワルが、何も言わない。
イグライトも……動かない。
二人に声をかけよう。
そう思って立ち上がったくせに……足は出口へ向かっていた。
死ぬ?
三人のうち誰かが?
それで、王妃は、俺を嫌い、ときおり王を恨めしく睨んでいたのか。
納得がいった。
王が、彼女を憎むのも……そのせいだ。
彼女は重い約束を果たさず、俺という邪魔者を残した。
彼女が地位を欲しがるとは思えない、なぜ危険を犯してまで、王の子を産みたかったのか俺にはわからない。
穏やかな風が止んだ。
俺たちは遊びに行かなくなった。
口をきかなくなった。
勉強や剣術の訓練は共にしていたが、必要最低限接触しなかった。
俺は、ひたすらやれと言われたことに打ち込んだ。
本を読み、剣を振り、何年かの日々を過ごした。
ほおっておいたら、なかったことになるのではないかと……甘いことを考えていたのかもしれない。
ギュインっ!
日常となった剣術の稽古中、イグライトの剣を弾き飛ばし、尻もちをつかせた瞬間。
ふと、昔のことを想いだした。
俺は、イグライトの首元に剣を突き付けた。木の棒を振り回し、遊んでいた頃のように。
「いやああああ!!」
叫び声が聞こえた。
振り向こうとしたら、背中に熱が走った。
ガクっと膝が地面に落ち、後ろを見ると、血に濡れたスワルの剣を手にした王妃が、俺を見降ろしていた。
斬られた。
俺は、痛みに歯を食いしばり、傷を回復するために獣化した。
「何事だ!!」
バタバタとたくさんの人が訓練所に走って来た。
ふらつく王妃を支える侍女たち。イグライトを助け起こす兵士。
その中に王の姿もあったが、誰一人として俺の方へは来なかった。
「兄上っ!!」
スワルの声だけ……俺の方を向いているようだが、誰かに引っ張られているのか、徐々に遠のいて行く。
やがて騒ぎは治まり、その場に一人取り残された。
俺は、少しの間、動けずに蹲っていた。
「っ……」
ここに居ても仕方ない。
なんとか自室に戻ろうと体を起こしたら、ようやく、王妃付きの衛兵が来て両脇を支えられ、半ば引きずるように連れて行かれた。
医者の元へ……ではない。
イグライトに斬りかかったとされた俺は、弁明の余地なく、二人の傍に置いておくことは出来ないと、小さな庭の隅にある小屋に、荷物と共に押し込まれた。
前々から王妃が用意していたらしい。
一人で暮らせるよう整えられた小屋は、動物小屋や奴隷小屋よりも気味の悪い場所だった。
ここで誰にも気づかれず、一人で死んでしまえ。
王妃の憎しみが籠った小屋に、倒れ伏してしまう自分が情けない。
傷の痛みに堪え、うつ伏せに転がっていたら、瞼が重くなってきた。
夢うつつ。
いつか……生きて……待って…………。
彼女の声が……。
カタっ
覚醒した。
物音が聞こえた気がする。
起きて窓の外を覗くと、細い背中が見えた。
重い体を引きずり、ドアを開けてみると。
包帯や消毒液、薬草などがこれでもかという量置かれ、その上に、パンが一つ……。
「こんなのは……いやだ……」
パンを手に取った途端、崩れ落ちた。
「いやだっ……」
何が嫌なのか。頭の中がぐちゃぐちゃで、考えられないのに、自分の口からは嫌だ嫌だと……溢れて、止められない。
俺はいつまで……。
つい、空に向かって飛んで行く彼女に問いかけそうになって、ぐっと胸を押さえた。
もういない。彼女はいない。受け入れろ。
死んだんだって……受け入れれば、俺は、ここを出て……。
俺はまた、考えるのをやめた。
傷は数日で治った。
何食わぬ顔で訓練所に顔を出したら、俺の初陣が決まったことを伝えられた。
戦う以外で、ここに居る意味などないということらしい。
俺は、反論しなかった。余計なことを言ってもいいことなんてない。
戦場は…………最悪の場所だった。
斬らなければ殺される。
敵の怒号はすべて耳鳴りとなるため、頭がおかしくなりそうな音が延々鳴り響く中、人の命を奪って奪われて。
侵略した土地の人間を連れ帰る。
その中には、もちろん女も子供も居た。
あの日の黒煙が昨日のことのように鮮明に蘇った。
小屋へ帰っても、耳鳴りが止まない。
こんなところに居たくない。
そう思うのに、戦場で人を斬り、ぞろぞろと帰る列に流され、帰ってきてしまう。
彼女は本当にこの世界を救うために飛んで行ったのだろうか。この世界が嫌になって飛び去っただけじゃないのか。
「俺も……いきたい」
あるとき、燃え盛る戦場で空を見上げていたら、足元から彼女の気配がした。
地面を見ると、幾本ものうねる筋が脈打っていた。
龍脈が見える。
ありとあらゆる計測を経て、ようやく場所を突き止められるものが……見える。
俺は、この不思議な現象を、自然に受け入れ、暇さえあれば地面へ意識を向けるようになった。
龍脈の起点は、大樹にあるようだ。
人で言うところの心臓に近いものを大樹から感じる。
大樹が脈打つたび、世界も脈打つ。
繋がってる。
一体どこまで?
俺は、ちょっとした好奇心で、敵国のツバングに潜入するという危険をおかした。
負傷した敵兵を運ぶフリをしながら、無言で行動すれば、意外とどこまでも入っていけた。
敵の音領域で獣化は出来ないので、こんな酔狂なことする奴居るわけないと、油断しているのだろう。
ツバングは、ウィンネとそう変わらない街並みで、ツバング人は、ウィンネ人とそう変わらない暮らしをしていた。
途中見かけたウィンネから連れてこられた奴隷も、ツバングの奴隷と同じような扱いを受けていた。
何もかもが同じなのに、奪い合う。
おかしなことだ。
なるべく人通りの少ないルートを使い、たどり着いたツバングの大樹も、ウィンネの大樹と同じだった。
鼓動を感じる。
太い龍脈を辿ってみたところ、どこまでいっても二つの鼓動がぶつかり合うことはなく、共鳴していた。
しかし、それは地中での話だ。
地上にある宝珠が、脈打つ二つの音を分離させ、片方を打ち消している……のかもしれない。
この世界を分断しているのは、宝珠で、そこに流れ込む二つの力で。その原点は大樹にある。
俺は、実験を試みた。
龍眼石を使って龍脈を揺らし、植物を萎れさせてみたり、木を枯らしてみたり。
もっと大きなものは……どうすればいい。
俺は、狂った龍眼石に目を付けた。
龍眼石は、一番初めに聞かせた鐘の音のみに反応するが、ごくたまに狂っているものもある。
狂った龍眼石は、本来の音ではなく、より大きな振動に反応して、暴走する。
年に数十個見つかる程度ではあるが。
龍脈と繋げた仕組みを壊される前に早期発見しようと、年の終わりに、巨大鐘を鳴らして探す儀式がある。
年末の儀式時、大樹を流れる太い龍脈すべてに狂った龍眼石を設置すれば……。
大樹が枯れれば、世界中の龍脈の流れが滞る。
宝珠へ送られる力が消えれば、音領域は消え、言葉の壁が消える。
王など意味のないものになる。
ただの希望的観測だ。
龍脈が機能しなくなれば、獣化出来なくなり、生活水準はガタ落ちする。なにより世界が枯れて、滅びる可能性が高い。
それでもいい。
延々こんなことが繰りかえされるより……マシだ。
俺は人を殺し過ぎた。
龍脈の位置を地図に書き込み。
狂った龍眼石を少しづつ集め、世界を壊す準備を着々と進めながらも
死にたい。
戦場ではそんな気持ちになった。
俺が死ねば、世界は壊れない。二人のうちどちらかは生きていける。
破滅か死か。
考えないように、考えすぎて、もうわけがわからなかった。
眠れぬ日々を過ごし。
疲れ果てて、どこにいてもどこにもいないような、半端な状態を彷徨っている時分。
彼女が……音の子を世界にもたらした。
俺は、驚いた。
久しぶりに感情がまともな反応をした。
けれど、そこに希望を見出すことが出来なかった。
音の子は、普通の少女だった。
どうやって世界を救えばいいか今はまだわからないのだと、泣きそうな声を出す、普通の……ただの少女。
彼女が音の子を連れ帰るのに何年もかかったように。
音の子が世界を救うのにも時間を要するのかもしれない。
間に合わない。
俺のなかにある黒煙は、日々体積を増していく。あの日と同じように何もかも壊すか、戦場でのたれ死ぬか。
「リリョスっ」
二択しかなかった俺の世界に、もう一人の異世界から来た少女が……飛び込んで来た。
何も知らない。言葉もわからない。
だから俺に笑いかける。何気ない会話をする。触れることを許してくれる。
わからないからなんだ。
自分に言い聞かせ、戒めようとしても、少女……フクを見るとダメだった。
フクの笑顔は、忌み嫌われる翼を持つ者でもなく、王の愛人の子でもなく、世界を壊そうとする悪魔でもない。
ただの俺に向けられているような……気がした。
愛らしくて。眩しくて。都合のいい解釈ばかりが浮かんでくる。
俺がおかしいんじゃない。
フクが特別だからだ。特別な何か……。
フクは異世界に呼ばれたのではなく、巻き込まれてきた。
フクこそ普通の少女のはずなのに、俺にはそうは思えなかった。
フクは、何度他人に追いやられても、理不尽な目に遭っても、押し付けられたその場所で、ちょこちょこ動き回って、ときどき不安そうにして、またちょこちょこ動いて……居心地の良い場所を作っていく。
俺とは違う。
俺は、殴り、燃やし、破壊しようとして……結局動けないでいる。
嵐の中。
壊れた小屋の前で……必死に藁を編んでいるフクを見た瞬間。
胸の奥が締め付けられた。
こんなになってもまだ……居心地の良い場所にしようと……頑張るのか。
空虚なのに満たされたような、よくわからない矛盾した気持ちに、戸惑っていると、フクの方から腕の中に飛び込んで来た。
もう……待ちたくない。
にじみ出た弱い気持ちに抗って、フクに忠告したが、聞いていないのか、意味がわからなかったのか、離れようとしなかった。
突き放せ。
頭の中で警鐘が鳴っているのに、体が言うことをきかない。
連れて帰ってしまえばいい。フクがいれば……俺は死にたいとは思わない。フクが傍にいれば計画を実行できる。
フクも計画の一部だ。
俺は、無理矢理己の気持ちを正当化して、フクを連れ帰り、邸に閉じ込めた。
動き出すためにそうした……はずが。
フクを邸に置いて戦場へ出ると、一層深い苦しみに襲われた。
人を斬るたび。
彼らはもう帰れないのだと……思うたび。
叫びたくなった。
俺はもう何がしたいのかわからなくて。
それでもフクと離れたくなくて。
王妃の策にのることにした。王妃は、俺に監視を付けていたので、俺がツバングに潜入したことを知っていた。
俺も、たまたまではあるが、王妃が何やら怪しげな輩とつるんでいるのを知っていたので、ツバングに入ったことを王に告げると脅されたとき、それをネタに脅し返して、事なきを得たと思っていた。
まさか俺の潜入を策として意趣返ししてくるとは、王妃もなかなかやるものだ。
音の子がもたらされる前なら、王も賛成しただろう。
「そなたの判断にまかせる」
王は、やるやらないは自分で決めるよう、丸投げしてきた。
今の王は、俺の扱いをどうするべきか迷っている。かといって王妃に強く出ることも出来ず、威厳を失いつつある。
俺は、音領域を取り戻すのではなく、捕虜を助けようと思った。
あの日の後悔は消えない。燃えた子供も帰ってこない。何もかもわかった上で、そうしようと心に決めた。
幾度も訪れる窮地の中。
フクに会いたい。
いつしか、たった一つの願いを軸に、戦っていた。
人を助けるためじゃなくて、自分のために剣を振るっていた。
朦朧とする意識の中。
ようやく抱きしめた細い体。
俺は、そのぬくもりに、震えるほど感動した。
もう……愛してくれる誰かになんて出会えなくてもいい。
愛する人に出会えたから。
ありがとうございました。




