第十六話 のっとじかくしょうじょう
「」は日本語、『』は異世界語となっております。主人公の頭パーン回の主人公視点なのでいろいろ読みにくいかもしれません。
近頃リリョスさんの具合が悪いような気がする。疲れているのかもしれないし、風邪かもしれない。
精神的に参っているようにも見える。
ここへ来てからの、リリョスさんの甘く優しく、スキンシップ過多な態度は相変わらずで、私はなんとかそれを崩して突破しようと……いや……実際そこまで頑張ったわけではないが、たくさん……日本語でもいいからとにかく話しかけて、毎日挨拶も欠かさず、彼が出て行くときは絶対に笑顔で送り出し、考え事は他所でするよう心掛けた。
その甲斐あってか、フっと、薄く微笑む彼がまた時折、見られるようにはなった。
しかし
以前、シャワーを貸したときのように、ボロボロで帰って来ることがあって、そんなときは何を言っても返事もしないし、こっちを見もしない、よろしければその服洗いましょうかー? と手を伸ばしたら払われてしまうほど、拒絶がひどかった。
私……調子に乗り過ぎた。
翌日、反省して、近づかないようにしたら、なんと甘く優しい彼に戻っていたとさ。というのを何度も繰り返し、その頻度は日に日に増している。
私。イケメンに振り回されています。
空風コトリに振り回されていたときと違って、自己嫌悪に陥ることはないけれど……。
リリョスさん大丈夫かな。仕事がきつすぎるのかな。
一昨日出かけて行ったリリョスさんがまだ戻らなくて、その間私は、彼のことばかり考えていた。
家主が居なくとも、食事や着替えは猫耳さんが持ってきてくれるため、普通に生活できてはいるが……。
そういえばこの間、いつも無言で作業して帰っていく猫耳さんが
『きみ。こんな灯篭だらけのところに居て大丈夫なんすか? オイラくらくらするっす』
何か話しかけてきたけれど、全然頭が回らなくて笑ってごまかした。
『ああ。大丈夫なんすね。すげ~さすがリリョス様の女……っと会話するなって言われてたんでした。じゃっ』
灯篭というのは聞きとれたから、リリョスさんが、部屋や廊下が暗くないようにと、たくさん灯篭を置いてくれたことと関係あるのかもしれない。掃除が大変とか。
でもこれはリリョスさんの気遣いだし、薄暗いよりは明るい方がいい。朝だって昼だって夜だって明るい方が……明るくしてるのがいいのだけれど。
一人は寂しい。とにかく寂しい。そしてなんだかだるい。
ここ最近、体が重い。となると二人して風邪かもしれない。頭がぼーっとして、あまり多くのことが考えられない。
今日も……明日も……明後日も帰ってこなかったら……永遠に帰ってこなかったらどうしよう。
不安でいてもたってもいられなくなった私は、真夜中にも関わらず外へ出て、門の前で羽音が聞こえてくるのを待つことにした。
膝を抱えて蹲り、目を閉じると、さわさわと雑草の揺れる音が聞こえた。
あの嵐の日から、二か月ぐらいはたったと思う。
二人きりで毎日穏やかに暮らしているせいか、どうも時間や日数の感覚がおかしくなっていると気付いたのは、暇でしょうがなくて雑草をいくらか抜いた後、速攻元の状態に戻ったのを発見したときだ。
そこから数えて二か月なので、もう少し長いかもしれない。
私……どれくらい他の人と話してないんだろう。ずっと引きこもって……リリョスさんとしか……猫耳さんとも話したっけ。でも大丈夫。彼が居れば大丈夫。彼が……彼が居なきゃ……私……生きていけな………………んん??
ぼーっとしがちな頭が風で冷やされて、少しだけクリアになったせいか、自分の思考に疑問を感じた。
そういえば私、ここへ来たばかりの頃、このままではいけないと思った……はずなのに、まったくもって、このままだ。リリョスさんとの関係性をなんとかしようとばかりして、魚干しや小屋に居たとき以上に、帰ることについて考えていない。
帰りたいと願うことすらしていない。
バサっ
羽音が聞こえた。
ハっと顔をあげると、リリョスさんが門から入ってくるところだった。
ギっ
体重をかけて門を軋ませ、重い足取りで庭に降り立つリリョスさんの元へ駆け寄ると、耳の下あたりから血を流していた。
『リリョスっ!!』
思わず伸ばした手は、避けられ、無言で家の中へ入っていくリリョスさん。一瞬ショックで止まってしまった私は、しかしこのままではいけないと己を鼓舞し、慌てて彼の後を追いかけた。
「おおっ」
廊下に点々と落ちている服。
どうやらそこらに脱ぎ捨ててシャワーを浴びに行ったらしい。こんなだらしないことをする人ではないはずだが……。
とにかく出てきたら、怪我を確かめないと。
私は、彼の落とした服を拾い集めた。
明日猫耳さんが取りに来るだろうけれど、一応土汚れぐらいは払い落として、ポケットの中とかも確かめておこう。
ドアの外で、彼の服をバフっと叩くと、夜の闇に土埃が舞い上がった。湿った感触に手のひらを見てみると、赤黒い液体……乾きかけの血が付いていた。
首の血が落ちたのかな。
その割に広範囲だったが、また頭がぼーっとしてきて、あまり深く考えられなかった。
着物の内ポケットには、地図のような、そうでないような、地形の上に人間の脈みたいなものと、この世界の数字が書き込まれた紙が入っていた。
「あれ……これどうやって畳むのかな」
着物の畳み方がわからず、四苦八苦しながらそれっぽい感じにして玄関先に置き、紙を渡そうと手に取ったところで。
シャワーの音が止んだ。
足音に振り返ると、陰鬱で重い空気を纏ったリリョスさんが、ポタポタと髪の先から水滴を落としながら廊下に立っていた。
『もう寝ろ』
首の怪我は大したことないのか、血がにじんでいる程度だが、そのままにしていいはずない。今から自分で手当てするようにも見えないし。
救急箱とかあるのかな。
傷の具合だけでも確かめさせて貰おうと彼に近づいた私は、忘れないうちに……と。
『リリョス。これ』
手に持っていた紙を差し出した。
刹那
ブワっと全身の毛が逆立つような気配、気迫、威圧感のようなものが彼の全身から溢れたのがわかった。
『っ……』
私の手から乱暴に紙を掴みとったリリョスさんは、嫌悪なのか、顔をゆがめた。
勝手に見たの怒ってるんだ。
『すむ……みませんっ』
『いいから』
「でもっ」
『いいから早く寝ろ!』
廊下に低い声が響いた。
怖い。
めちゃくちゃ怖いっ。
だからと言って逃げることも出来ない私は
「ほっといて欲しいなら怪我しないでください!!」
吠えてしまった。それも日本語で。伝わらないのに怒鳴ったりしちゃいけないとわかっているのに、全然制御できなかった。頭がグルグルグワングワンする。
「私っ……不安なんです! リリョスさんが……帰ってこないんじゃないかって……自分勝手な理由だけど……あなたに無事に帰って来てもらいたいからっ……だから……そのためなら私っなんでもします!」
なんでもします……なんでもします……なんでもします……。
言った瞬間頭の中でリフレインした。
あれ……何言ってるんだろ。支離滅裂じゃない? なんでもって……何か出来るの? わけがわからない。でも不安だし……んん?
『もう……いい……』
リリョスさんは、己の言動に首を傾げている私を置いて、せっかく帰って来たというのに、再び庭へ出て行ってしまった。
慌ててあとを追いかけ、なんとか袖をつかみ取るも
『フラミアのところへ行って、お前のことを頼んでくる。迎えが来るだろうから仕度しておけ。ハミグの絵と瓶は俺の部屋にある。後で届けさせるから安心しろ』
「えっ?え?ん?」
彼は、私を振り払って門から飛び立っていった。
私は一人ポツンと……その場に取り残され……いや……走って家の中へ入り、台所の椅子を持ってまた外へ出て、ドフっと木の幹側の生垣の前に置いた。
「んにゃっ!!」
ザクっ!
椅子を踏み台に生垣に飛びついた。
「待ってってば!」
もがいてもがいて上へ上り、暗くて足場があまり見えない中、ズルルっとお腹を枝に攻撃されながらも、反対側にずり落ち、脱出に成功した。
バサっ
羽音はまだ近い。
立ち上がって見上げると、少し上の方に黒い影が見えた。
『リリョスっ!リリョスっ!!』
私は、彼の名前を呼びながら、太い枝の上を走った。
『リリョスーー!!』
大声で名前を呼ぶと、リリョスさんがハっとこっちを振り返った……その瞬間。
ガクンっ
木のこぶに足が引っ掛かり、視界が反転した。
「うっ」
背中を打って、転がりながら何かにつかまろうとしたけれど、勢いは止まらず、浮遊感が全身を襲った。
「っ……!?」
私は――突然目の前に広がった放射状に伸びる太い枝と生い茂る葉に向かって手を伸ばした。
掴めそうで掴めない。
あんなに近くにあるのに掴めないなんて、どうしてだろう。
わからない。
わからないけれど体は軽い。頭も軽い。今なら飛べそうだ。あれ……飛んでるんだっけ。彼みたいに……彼のあとを追いかけて……それで……どうしたいんだっけ。どう……?……どうも……しない。どうしたいとかない。だったら帰って来てほしいからなんでもするなんて馬鹿みたいなこと、なんで言ったんだろう。
だって私は、ただ……。
「笑ってくれればいいなって……思ってぇぇぇうあああああああっ助けてぇぇぇぇ!!」
プツっと恐怖が介入して、センチメンタルだけが軽やかに飛んで行った。
ゴーーーーっ!
風の音に包まれて自分の叫び声すら聞こえない。
私は恐怖のあまりギュっと目を閉じ――。
『フクっーーーー!!!!』
光……闇の中に差す光のような強い声を聴いた。
バササっ
ガクンっと体が揺れて、浮遊感が消え、途端に風の音が穏やかになった。
頭のすぐ上で荒い息遣いが聞こえる。
「っ……」
恐る恐る目を開けると、リリョスさんの顔が見えて……。
「リっ……リョ……」
私は、ありがとうもごめんなさいも言えず、口をパクパクさせた。声が出ない。体に力も入らなくて、全体重を彼の腕に預けてしまった。
『…………』
リリョスさんは、何も言わずに、翼を羽ばたかせてゆっくり上昇した。
バササっ
羽音をたてて家の庭へ降り立ち、私を抱いたまま数歩歩いた彼は、しかし玄関にたどり着く前にガクっと膝をつき、私の体をゆっくりと地面に降ろした。
「だっだ大丈夫ですっ……か? ごめんなさ……ありあがっとうござっ…」
ようやく声が出て、けれど体が震えてうまく動けずに居たら、目の前が暗くなった。
バサっ
彼の翼に包まれ、その腕にギュっと強く抱きしめられていた。
『どうすればいいのか……わからない』
掠れた声が……すぐそばで聞こえた。
『今までずっと…………この世界を壊すためだけに生きてきたというのに……』
彼の腕が……体が……震えている。
泣いて……る?
密着した体から伝わる振動は、恐怖に震える私の心を更に揺らした。
怖い。リリョスさんが怖い。でもリリョスさんの方もきっと……私が怖いんだ。
改めて同じことを考えたら、なんじゃそりゃと思ったはずだが、このとき、この瞬間だけはそう感じたことに疑問を抱かなかった。
『お前のことは……壊せない……壊したくない』
私は、リリョスさんの背中に手を伸ばして、ポポポンっと叩いた。何度も何度も、大丈夫大丈夫と日本語で言いながら叩き続けて、そのうち何が大丈夫なんだろう……とか我に返りはじめて、それでもやめられず。
どれくらいそうしていたかわからない。フっと彼の腕が緩んだのを見計らって抜け出し、彼の両手を持って一緒に立ち上がった。
正面から見るに、泣いてはいないようで安心したけれど、何も言わず、無表情で私にされるがままなところを見ると、まだ普通の状態ではない。
どうすればいいのかまったくわからない。
こんなときはもう、とにかく一度寝るべきだ。私も彼も、仕切り直したほうがいい。
私は、まるで歩く練習をさせるみたいに彼の両手を持ったまま後ろ向きで家の中へ突入し、はしたなく足で彼の寝室のドアを開けて、ベッドへの距離を確かめながら、しかし彼の足元も確かめつつ下がって下がって……。
「わっ!」
ドサッガツン!!
彼と共に藁ベッドへ倒れこんでしまった。
重いっ……っていうか今ガツンって音したけど。
私の上に倒れこんだ彼が、額を抑えながら顔を上げた。
「っどこか打ちました!?」
思わず起き上がろうとして
ドガっ!
『うっ』
彼の顎に頭突きをかまして、再びあおむけにベッドへ突っ込みかけた私は、素晴らしい反射神経の彼に後頭部を支えられて、ゆっくり寝かされた。
そういえば、さっきもどこも打たなかった。
リリョスさん、私を支えるために変な感じで突っ込んで壁で頭打ったじゃっ!?
顎をさするリリョスさんを見て、私はもう申し訳なくて、恥ずかしさもあって顔が熱くなり、正面を見ていられずに横を向いた。
気のせいか、恐怖でシャッキリしたはずの頭にまたも靄がかかりだしている。
『リ……リリョスっ……』
あまりに己が情けなくて力が抜けてしまい、ほとんど吐息のような声で彼を呼んだ。一応大丈夫ですか? という意味を込めたつもりが、返事はない。
謝らなければ。もう最大級の謝罪をしなければ。ごめんなさいでもすみませんでも足りない。もっといい異世界語はなかっただろうか。
私の上に覆いかぶさったまま動かないリリョスさんの沈黙が痛い。
何か……何か言わなければ。
「っん……」
ん?
喉から出た自分の声に、ただでさえ動かない思考が遂に停止した。
今、首筋に何か柔らかく、暖かい感触があって、そこがチクっと痛んだ。
無意識に目の前の物を押し返そうとしたら、その手を取られ、やんわりベッドに押し付けられた。
あれれぇ?
目線を動かすと、まだ少し湿っているリリョスさんの黒髪と耳が見えた。
スーッと服の中に侵入してきた何かが、ゆっくりと撫でるように脇腹移動していく。
くすぐったくて足を動かそうとするも、太ももの間に膝を置かれていて自由に出来ない。
「いたっ!」
ピリっとした痛みで、また声が出た。
すると、くすぐったいものが私のお腹あたりでピタっと止まった。
『…………』
サっと起き上がり、私の服をめくるリリョスさん。
「ちょっ!?」
思わず抗議の声を出したが
『怪我してるな。消毒した方がいい。ちょっと待ってろ』
何事もなかったかのように立ち上がって、部屋を出て行く彼を呼び止め……る理由も言葉も浮かばなかった。
お腹のあたりが痛い。
触ってみると擦り傷があった。さっき生垣を上ったときのだ。やったことはないが、唾をつけておけば治る程度のものだと思う。
つけなくても治るか……じゃなくて……今……今何した?
首筋も確かめようと手を持って行ったが、そっちは触るのが怖くて……出来なかった。
何かものすごいことになっているような気がして、無理だった。
これは……あれなの? なんか今そういうあれだったの? でもあっさりどっかいっちゃったよ? あれなの? 怪我確かめようとしたの? えっ? 怪我って……あんな確かめかたする?
でも……だって……今そんな雰囲気だったっけ? 違うよね。全然違う。なんか辛そうで……もう今日は休んだほうがいいんじゃない? って……それで頭と顎打って痛みに悶えてたじゃない。
それにほらっここ異世界だし。そうだよ異世界だもんっ。風習とかいろいろ違うじゃない! イラっときたら首筋に吸い付くとかはらわた煮えくり返ったら噛みつくとかそういう風習があるのかもじゃない!
『……その体勢で待つな。いいのかと思うだろ』
私は、全然鍛えていない腹筋でビョーンと起き上がって、首を傾げた。
『いい?』
『あ……いや……違う。俺はお前を捌け口にしようとかそんな気は一切……な……く……?……いや……そのつもりだったはずだ……が……違うのか……?だったら……なんでここに閉じ込めて…………』
激しい鼓動と、渦巻く疑問を抑えて、普通に会話しようと試みたら、リリョスさんが固まって動かなくなった。
暫く……いや……結構長く動かなかった。
だからといって、私の方からかける言葉もなく。
お互い全然違うところを見つめること数分。
ようやく動いたリリョスさんは、片手でゆっくり己の顔を覆い、深い深いため息をついてから、何かつぶやいた。
『そうか……これ……は…………俺……お前に惚れてるのか……』
読んでいただき、ありがとうございました。




