五話 Happy Neighborly ties
「神に会いに行く」
「あ~い」由としてはそれなりに驚いてほしかったのだが、ゾンビには通じない。
ガスを補充したライターがちゃんと使えるのを確認し、煙草とともに上着のポケットに突っ込む。
「あれ?さっきも煙草ポッケに入れてなかったっけ?」少女は先ほど脱衣所から出てきた時に、由が上着の左ポケットに煙草を入れるのを目撃していた。
「ああ、これか?」少女の疑問に答えるために、由はポケットに入った二つの煙草のケースを取り出す。
「こっちは本物で、こっちは中に予備の弾が入ってんだよ。」ソフトケースの中を少女に見えるように向ける。
「ほえ~、007みたいだね~」「ボンドなら煙草やらライターから弾が撃てそうなもんだが・・・」残念ながら由が持っているのは、普通の紙巻タバコと革張りのターボライターだった。
「そろそろ出るぞ。」靴を履く。スーツにミリタリーブーツという組み合わせが、少女にはおかしく思えた。
「靴箱にサンダルが入ってるから」「イヤ」「履いてけ、家が汚れる。」「イヤ~」由の眉間にしわがよる。しかし、これも慣れねばならことと観念した。
「じゃあ、帰ったら玄関で足拭けよ。絶対な。」「しょ~がに~な~」これは自分の短気を直すための試練だ。そうに違いない。そう思って由は耐えきった。
いつもは一人でタバコを吸いつつお気に入りの音楽をかけて車を走らせる田舎道、その他愛のない風景にこんなに癒される日が来るとは、由は予想しなかっただろう。というのも「ねーねー、やっぱ殺し屋って給料高いの~?」助手席が騒がしいからだ。
「・・・」「ねーねー」「・・・ん」由は説明するのも面倒で、少女に手帳を手渡す。
「ほぇー、意外と几帳面なんだね~」「意外と、は余計だ」その中には、今まで由がこなしてきた仕事の内容・・・クライアント、報酬、場所、そして殺した人数等が事細かに記されてあった。
「ねーねー」「なんだよ、、それ見て暇つぶしてろようっさい」「ひどいな~、ちょっと気になっただけなのに~」「・・・気になったって?」由が食いついたのがうれしいのだろう、少女は手帳を由に向けて開きながら自分の発見を説明する。由も運転しながら視線をチラチラとそちらに向けつつ耳を傾ける。
「なんか、二ヶ月くらい前から急に仕事が減ってるみたいだけどなんで?」
「知らん。平和ってことだろ。」存外どうでもいいことだったので、由は軽く受け流した。しかし少女の疑問は続く。
「しかもこのころから依頼してきてるのは一見さんばっかり、今まで依頼してきてたお得意さんはまったくいなくなってるけど?」「・・・知らん。」――――リピーターを増やしてくれ・・・由はそう言われたのを思い出した。少女にそう言われると引っかかりがないわけではなかったが、深く悩もうとも思わなかった。
「大体、仕事を取ってきてるのは俺じゃない。俺は殺して、金貰ってればそれで済む。」
それが由のスタンスだ。少女もしばらくは自分の話に興味を持たない由に対してふくれっ面を見せていたが、やがてそれすら面白くなったのだろう頬を膨らす遊びに興じ始めた。
「お前ってホント・・・」「ふゅひひっ」文字通り気の抜けた笑いだった。
「そういえばさっき有耶無耶になったが、結局お前は何が食いたいんだ?肉以外で。」由たちが今から行くのは喫茶店であって精肉店ではない。ゾンビとはいえ、連れて来ておいて自分一人だけが食事を取るのはさすがに虫の居所が悪いと由は少女に一応気を使う。
「そうだっ、あれが食べたいっ! かきなちょっ!」「人の言葉で頼む・・・。」由の貴重な良心さえ、ゾンビには通じなかった。
早朝に通った煙草屋とは逆方向に数分、周囲の田舎臭い家屋から明らかに浮いている赤煉瓦の建物、喫茶『ロブスタ』はあった。ここら辺では洒落た店の代表格として地元の学生には人気を誇るが、本当にコーヒーを愛する人は来ない。理由は名前に在り。
由と少女は並んで店に入り、窓際の席に座る。
「いらっしゃいませ」こちら、あからさまな営業スマイルが素敵なこの店の名物美人メイド峯田さん。何が名物かというと、
「ご注文をどうぞ」「酒、強いの。」「人肉っ!」
こうしてふざけたり、調子に乗ったりする輩はそろって恐怖を味わうのである。
「ご注文を確認させていただきます。お水二つ、お顔にで宜しいですね」こんなセリフがさらっと出る人なのだ。しかも機嫌が悪いと本当に水を投げつけてくる、コップごと。ダニ○ラさんとかロ○ルタさんとかに近い類のメイドに属している。そのあだ名は、誰が呼んだか『ター・峯田ーさん』。
「すまない、言い間違えた。朝食ランチのAセットをふた」「かきなちょっ!」「おい、ばかやめっ」決して怒らせてはならない。怒らせると二度と朝日は・・・
「朝食Aおひとつ、かきなちょおひとつですね。少々お待ちください」「え・・・?」由の反応もよそに、店の奥へさっさと入ってゆく峯田さん。その予想外の対応と、何よりゾンビの放つ謎言語が通じたことに由は驚きを隠せない。
「おい、なんだよ、カキ・・・なんだっけ?」「にひひっ」由はこっそりと少女に尋ねるが、見れば分るといったところだろうか、まったく要領を得なかった。
ものの数分で峯田さんは用意を済ませ、サンドイッチとコーヒーと・・・何かが入ったワイングラス?を運んで来た。
「お待たせいたしました。」なんてことのないようにテーブルの上にそれらを並べる。由が困惑していると、少女のほうが口を開いた。
「ほう・・・古典ナチョリズム派か。さすが看板にカキナ印を掲げている店だけはあるじゃないか。」「え、何それ、そんなに深いもんがあるの?ていうか何その口調」
由のツッコミを完全に無視し、少女はなぜかそのスナック菓子のようなものの入ったワインを人差し指と中指で持ち上げ、一気に中身を口の中に流し込んだ!
「古典派に近代ナチョナリズムを掛け合わせる・・・素晴らしい、革新派ナチョラーですね。おもてなしした甲斐がありました。」「ミネターさんもそっち側なの!?」全く世界観について行けず、更に困惑を深める。そんな由に対して二人は、たっぷりと間を置いてから告げた。
「「まぁ、全部アドリブなんだけどね(ですけどね)」」「どちくしょぉぉぉぉぉ!!!」
散々振り回されて怒る由。
「そもそもなんなんだよカキナチョって!」「柿の種きなこ味チョコレートの略だけど?」「案外普通だった!いや普通じゃねぇ!!んなもん聞いたこともねぇ!」由の憤慨に対して、怪訝な顔をする峯田さん。少女はもちろん笑っている。
「お客様、お言葉ですがアナタ相当のモグリですね」「お言葉が過ぎるわっ!」「ア゛ァ ?」「すいませんでした」一瞬見えた峯田さんの本性に、由は即座に謝らざるを得なかった。
「そもそも、かきなちょを造ってる会社の社長がブログで『こんな商品が売れると思ってなかった。きっとこれを買ってくれた人たちはとてもノリのいい人達なのでしょう。』ってコメントしたもんだからこっちも引っ込みつかなくなって、こういう相手にアドリブ吹っかける風潮が出来ちゃったんだよね~」やっと少女が説明に加わった。
「なんつー側迷惑な・・・」由はそこでようやく、自分の手元にあるサンドイッチとコーヒーがすっかり冷めていることに気が付いた。
「またのお越しをお待ちしております」勘定を済ませくぐったところで、由はあることに気が付いた。
「そういえばマスターは?顔出してこないけど。」「ご主人様は葉っぱの吸い過ぎと食べ過ぎで早朝からお手洗いに篭っております」「あ、そ・・・」聴かなくて良かった、そう思いながら由は店を後にした。
「ねぇ、葉っぱって何?」走り出した車の中で、由に少女が尋ねる。
「タバコみたいなもんだよ、フランスにいたころは学校に持ってきてるやつもいたな」「学校、ちゃんと行ってたんだ?」「失礼だな・・・一か月で中退したけど」「やっぱり~、にひひっ」
クリーニング屋にスーツを預け、車はさらに進む。
「・・・何お前、クリーニング屋が言ってること分んの?」
「? だって日本語だし。ちょっと訛ってるけどね。」
「ちょっと・・・?」
由は、ひょっとして早くも自分より少女のほうがこの町に馴染み始めているのではないか、と一抹の不安を抱いた。
町の奥まったところに位置する深い森、今回の外出の終着点は既に車窓から眺められる距離だった。
「ほぇ~確かに神様が居そうだね~、ト○ロみたいな感じのっ」
「あんまり期待しない方がいいと思うが・・・」
森に入る前に森の入り口に店を構える、この町唯一の修理工場へ向かう。あまり大きいわけではないが、他に競合する店がないこともあり連日買い替えたほうが早そうな軽トラと原付で賑わっている。
店先には、エンジン音を聞き分けていたのだろう既に工場長がちょこんと立っていた。
「らっしゃいませっす!南部さんっ!」
それはいかにも年頃、といった感じの少女だった。茶髪にそばかす、少し小柄な体躯をツナギが強調している。
「先客の軽トラが詰まってるっすから、駐車場の方に停めてくださいっ・・・す?」
言葉の端を疑問文に変える少女の視線の先には、ゾンビ。由は空気が凍ったように感じた。
「どどどどどちらさまっッスか?」露骨に動揺する少女と「ども~」動じない少女。
「千夏、なにを勘違いしてるか知らんがこいつはただの昨日雇った仕事仲間だからな?」
その言葉に千夏と呼ばれた少女はあからさまに肩の力を抜き「まぁ同棲してるんだけどね~」「どっ!どどどどうどっ!」「又三郎?」強張る。
「仕事上仕方がなく、だ。望んだつもりは全くないからな・・・そうだ、代金を、」
「っそそそうっすよねっ!あぉお代はいらないっしゅよ?」
ガクガクと挙動不審ながらも、千夏は会話が成り立つ程度まで復活する。
「は?なんでまた」「だって南部さん昨日お誕生日じゃないっすか!・・・え、もしかして間違ってたっすか!?」
少女の言動は一つ一つがオーバーで、由に小型犬を思い起こさせた。
「いや、合ってるが・・・さすがにそれは悪いんじゃないか?」
由の愛車は骨董品とも言っていいモノのため、パーツ一つ、整備一度で何百万という金がかかることもあるのだ。
「いいっすよ!うち一番のお得意様ですから!それに、」「由誕生日だったの!?そっか~、私がプレゼントか~ひひっ」
人が会話中など考慮しないのがゾンビ少女である。
「どう?家に帰ったらプレゼント・・・開封してみない?」「なななななんぶさん!?」
煽っていくスタイルなのがゾンビ少女である。
「お前マジ黙ってろよぉぉぉ!!!!!」
数分後、誤解もいくらか解け由たちはそろそろ店を出ようとしていた。
「南部さん、これから師匠のとこいくっすか?」「あぁ、一応顔見せとかねえと」
そう言うが早いか千夏は店の奥に引っ込み(その挙動はやはり子犬を連想させて)フリスビーは咥えず、大き目のタッパーを二つ持って現れた。
「これっ!あんまりおいしくないっすけど、師匠の分と二つあるっすから・・・その、よかったら・・・」モジモジ、ボソボソと尻すぼみになってゆく千夏の言葉の語尾。
そんな少女の好意に応えるため、由は出来るだけ自然な笑顔をつくるよう努めた。
「ありがとな、助かる。」
その言葉に、千夏の笑顔が咲く。それは由が努力してつくる笑顔よりも何十倍も綺麗で。
車を預け、森の中へ歩いて向かう道中で由がゾンビ少女に毒づく。
「・・・お前、結構性格悪いな。」
「にっひっひ」
しかし少女は悪びれもしない。
「あんな純粋な娘見たら弄りたくもなるよ~、それに」
少女はそこでいったん間を置き、少しシニカルな笑みを浮かべながら由の顔を覗き込んだ。
「それに、『気付いてて』なにもしない方が可哀想じゃない?」
その一言に由は一瞬目を逸らし、ため息交じりに呟いた。
「俺はあんまり深く付き合いたくないんだよ」「なんで? タイプじゃないの?」「そんなんじゃねぇよ」
由は殺し屋。人殺しの身内が人殺しに関わることになるのは、由本人がよく知っている。
少女も、これ以上追及しても面白い返答が望めないと察し話題を変える。
「ところでさぁ、さっき師匠がどうとか言ってたけど、あの子は神様の弟子ってこと?」「あぁ、神の方は『拾った』とかいってたが・・・」
「じゃあ、あの子は天使さんか、にひひっ」「お前に比べりゃ女神だよ」
その瞬間、来た道の方から何かどんがらがっしゃんと大きな音が聞こえた気がした。
「ところでさ、なんでお前らみんなして俺がレズなの前提なわけ?」「じゃ、由は男が好きなの?」
言われてから、由はそんなこと考えたこともなかったと気付いた。でもまぁ「汗臭いのは・・・嫌いだ」
少女が思っていたよりも森は深く、最深部にたどり着くのには少しの時間を有した。
「ほへぇ~、こういう時に、幻想的って言葉をつかうのかぁ~」
幻想の住人であるゾンビが驚くほどに、絶景。
神社は少し高い所にあるのが一般的だが、この神社があるのは小さな窪地の中央、森がまるで神社を避けるようにぽっかりとなくなっている。根本の腐り始めた鳥居の前にあるのは『上る』階段ではなく『下る』階段で、窪地に雨水が溜まり浅い池のようになっている。澄んだ水面には森の緑が映り込み、木漏れ日が控えめに輝いている。後から渡されたのだろう浮き橋の向こうに見える、老朽化で崩れ落ちかけた拝殿はまるで門のように本来人の入るべきではない本殿への道を明け渡している。
少々危なっかしい橋を渡り、拝殿の中を抜ける。
「お賽銭とか入れないの?」「本人に直接渡した方が早いだろ」「な~る」普通の人には理解されないような不敬な会話が、ゾンビと殺し屋の間では通じた。
拝殿の先の、六畳一間ほどの本殿に、神はいた。本来仏像などが置かれているべき、まさに神がいる場所に。
「いらっしゃい、それに初めましてかな?」
作業服姿のオッサンが、胡坐をかいて座っていた。