椎名響①
意外ッ! それは図書室!
と、某奇妙な冒険風に話を繰り出したものの、今の俺は孤独だった。
「そして、意外ッ! 俺は一人!」
誰にも悟られない程小さな声で、俺は小さく独り事を言う。
放課後。長月さんを追いかける海翔を見送り、友達と帰る五月雨と別れのあいさつを済ましてみると、驚く事に俺は一人になっていた。
……いや、自分自身友達が少ないのは自覚してるよ。
でも、海翔も俺を見て哀れに思ったのか、「一緒に鏡ちゃん追いかけるか?」って言われたけど、俺には頑張る海翔の邪魔はしたくなったので断ったんだ。
もしかしたら、五月雨と一緒に帰れるドキドキイベントでもあるかと思ったけど、思い過ごしだったようだぜ!
「はぁ……」
今日何度目か分からないため息をつく。
そして、完全に手持無沙汰になった俺は、中学時代からの友人がいっぱいいる図書室に来たわけだ。
「友人は友人でも、本だけどな!」
うるせいやい。いつから友達は人間じゃないといけないって決まったんだよ!
ほっといてくれ!
「にしても、結構でかいんだな……高校の図書室って」
俺の中学の図書室は、多目的室と同じ広さで、置いてある本もそこまで多くは無かった。
でも、この高校の図書室は二階建てで、一階は参考書や大学試験なんかに役立つ資料や赤本、それから勉強用の机があり、二階には小説が大量に置いてある。
俺からしたら、それは宝の山だった。
「さて、せっかくだし何冊か借りて行くか」
あいにく、放課後なら時間はたっぷりあるんでな!
たっぷりとな!
「ううっ……。こんな調子で、本当に恋なんて出来るのか俺――」
海翔に言われた。青春とは、淡い恋色の空模様のことだって。
五月雨に言われた。青春とは、苦しく辛いものだって。
つまり――
「今ここを生きて行けば、絶対に目標達成できるッ!」
某炎の妖精さんの言葉を思い出し、激しく自分を激励する。
その為には、まず読書だ。本という友達ができなくして恋人など笑止千万! まずは、好きな作家さんから攻めるぜ!
「へー。ここ、結構揃ってるなー」
歩きながら両側面に置いてある本棚を交互に見る。俺の知っている本だけでなく、中学の図書室には無かったようなマイナーな本まで網羅されている。
まさに、ブックインセクトな俺には王の財宝(ゲート・オブ・バビ○ン)並みの宝物庫だった。
だけど、その宝の山を眺めながら歩いていたのは失策だった。
「きゃっ!」
「うおっ!」
案の定、人とぶつかってしまった。それと同時に、向こうが持っていたであろう本が落ちる音が聞こえた。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
謝りの言葉を投げかけて、俺は屈んで落ちた本を拾おうとする。
その瞬間。視界に、はらりと長い一房の白が見えた。
俺は思わず手を止めて、ぶつかった相手を見た。
「ううっ……す、すみません」
まるで幼い少年のようなアルトボイスが耳に入った。
彼女の容姿を一言で言うなら、まるで湖に住む妖精のようだった。
グレーの瞳や亜麻色の長髪は、彼女が日本人ではないことを物語っている。おまけに肌は雪のように白く、あどけなさを残した顔立ちは、まさに将来有望な女性になることを仄めかせている。
長月さんや五月雨とは、まったく違った美しさだった。
「――あ、あの……」
「綺麗だ――」
気が付けば、俺は彼女の風貌に……特に、その亜麻色の美髪に心を奪われていた。
図書室の窓から降り注ぐ午後の日差しが、彼女の亜麻色の髪を美しく際立たせている。思わず、美術品でも見ているのかと錯覚してしまうほどだ。
「そ、そんなっ、き、きききき綺麗だなんて!」
「へ――? ……あ、えっと――ごめん。もしかして、言葉に出てた?」
目の前の彼女の言葉で、自分が気付かないうちに思ったことを口にしていることに気が付いた。
「――ごめん。あまりにも、綺麗な髪だったから」
言ってしまったものは仕方ないので、正直に彼女に言った。そして、その彼女が持っていたであろう本を拾い集めて、立ち上がる。
彼女は、未だ地べたに座ったままだ。
片手に本を持って、もう片方の手を彼女に差し伸べる。
「立てる?」
「え――あ、はい! すみません」
おそるおそる、彼女は俺に手を出した。俺はその小さな手を掴むと、優しく引っ張った。
見た目以上に、彼女の体は軽い。
「っと。本当にごめんね。俺が本棚ばっかり見て歩いてたから」
「い、いいえ。こっちこそ、ごめんなさい。ボクも、本にばかり気を取られていて……」
ボク。と、目の前の小さな少女は言った。
ボク娘か。リアルで見たのは初めてだ。
俺は、小さく苦笑いする。
「……お互いさま――みたいだな」
お互い、本にばかり目が行っていた故の事故だったようだ。責任は五分五分といったところだろう。
「――ですね。この学校、本多いですからね」
少女もまた、小さく苦笑いをする。その幼い容姿に似合う仕草に、思わずどきんと心臓の鼓動が大きく弾む。
「だ、だな……。あっ、それ――もしかして心残先生の『轟け! 短パン小僧』だよな?」
彼女の持っていた小説のタイトルに、俺は反応する。彼女の持っていた本は、俺の大好きな作家である心残思い出先生の本だったからだ。
俺の言葉に、彼女もまた反応する。
「えっ、もしかして知ってるんですか?」
「ああ! 知ってるも何も、大ファンだぜ!」
彼の作品は、基本的にタイトル詐欺なのだ。この『轟け! 短パン小僧』も、タイトルは馬鹿げた小学生向けの漫画のようだが、内容は嘘だらけで虚ろな奇跡を追い求める短パン小僧の生きざまを描いたサバイバル小説なのだ。
「そ、それじゃあ、あの一巻のラスト――どう思いました!?」
「あれか……あれは泣けたよ。幼馴染の敦子の死を乗り越えて、浩二が大人の階段を上った瞬間のセリフ! 『俺には、もう短パン(コレ)は必要ない』あれには涙が出そうになったよ!」
「分かります! あの時の浩二の涙でボクもグッときちゃいました!」
「だよな! あー、ようやく話の分かる人に出会えた良かった!」
実は、海翔は本を読むのが遅くて、自分の好きな本を読むので精いっぱいなのだ。まあ、基本的にバイト生活の海翔には、元より読書の時間なんてほとんどないのだが。
「ぼ、ボクも……嬉しかったです。この本を知っている人に出会えて」
少女も、頬を赤く染めて言った。五月雨とは違い、色気よりも愛でたくなるような可愛さが滲み出ている。
女性ぽさより、猫を連想させる可愛さだ。
「俺もだ。実は、本について話せる友達がいなくてさ。……まあ、友達も少ないんだけど」
海翔と……この場合、五月雨も含めて――二人、か。
……別に、悲しくなんかないもんっ!
「友達……ですか――」
少女は、いつの間にか俯いていた。先程の本について語っていた時の勢いは完全に消え失せ、暗く淀んだ表情になっていた。亜麻色の髪も、どこか黒く見えるほどに。
なにか、踏んではいけないものを踏んでしまったようだ。
「ご、ごめん……。そ、そうだ! あのさ、『短パン小僧』の4巻持ってない? 近くの書店を周ってみたんだけど、全然見つからなくって」
なんとか話題転換を図ってみる。すると、再び少女は顔を上げた。
「は、はい。持ってますよ」
さっきほど元気はないものの、それでも暗い表情ではなくなっていた。
俺は、なんとかたたみかける。
「ほ、ほんと!? いいなー。俺なんか街中探しても見つからなかったのに」
本当は、海翔とカラオケに行ってお金が無かったから買ってないだけだけど……。
それでも、嘘は方便だ。
「そう、なんですか。……よ、よかったら、お貸しましょうか?」
少女は、若干おどおどしながらも、俺に言ってくれた。
「えっ? いいの?」
「は、はいっ……。けど、今日は持ってきていないので、明日でもいいですか?」
彼女の言葉に、俺は頷く。
「うん。構わないよ! それじゃあ、明日の放課後にここで……いいかな?」
「いいですけど……早く読みたくありませんか? 朝読の時間前に持っていきますよ。同じ一年生みたいだし」
そう言われて、俺はようやく彼女が同じ一年生であることに気が付いた。
この学校は、スリッパの色で学年が分かるのだ。スリッパの色は、赤が一年。緑が二年。青が三年となっている。
彼女の足元を見れば、そのスリッパは赤……つまり、俺と同じ一年なのだ。
「でも――クラス違うみたいだし……」
さすがの俺も、こんなに目立つ女の子がクラスにいたら、その子の名前くらい覚える。でも、そんな記憶が無いところを考慮すると、同じクラスの可能性は低い。
しかし、少女は首を横に振る。
「大丈夫ですよ。だって――ボクも、あなたにあの本を読んでもらいたいから……」
ちょ、そんな顔を赤くして言わないで!
なんか、勘違いしちゃいそうだから!
「う、うん。ありがとう……えっと、俺は情坂隆仁。5組だよ」
「分かりました。ボクは、椎名響。4組です」
ここでようやく、俺達は自己紹介を済ませた。
そして、お互いに顔を見る。
「よろしく」
「よ、よろしくです」
この時、この瞬間を持って、俺達は友達になった。
そして、同時に始まったのだ。
椎名響と俺。いや、それだけでなく、海翔や五月雨……そして長月さんまで巻き込む騒動の始まりだった。