顔を出さずに、初めての取引
この世界で、静かに生きていくためには、それなりの資金が必要だ。
自分の部屋でゆったりと本を読んで過ごす日々。
薬草の研究や、気が向いたときだけの手芸や試作。
誰にも気兼ねなく、それらを続けていくには、将来的に家に頼らない手段を持っておきたかった。
私が目指しているのは、目立たず、でも確かに生きていける準備の生活。
七歳の終わりごろ、ようやく体調も安定し、薬草の保存や乾燥の技術もある程度確立できてきた。
以前から試していたハーブのブレンドや、乾燥魚を使った保存食も、自分で食べてみて納得のいく味に仕上がった。
「これなら、きっと売り物になる」
そう思って、私は動き出すことにした。
とはいえ、私はまだ子ども。
貴族の娘という立場もあって、外で商売することはできない。
だから、父と兄の名義を借りて、裏方の研究担当という設定で、屋敷の一角から出荷するかたちにした。
取引をお願いしたのは、領内にある小さな商会。
【エルバ商会】
薬草や保存食、染料などを取り扱う堅実な商いで、派手さはないけれど、丁寧な仕事で評判の良いところだ。
屋敷からの紹介というかたちで、ナタリーを通して連絡を取ってもらい、試作品を数点まとめて渡した。
ーーーーーーー
数日後。
「お嬢様、エルバ商会から文が届いております」
そう言ってナタリーが手渡してくれた封筒には、丁寧な文字でこう綴られていた。
『あのハーブの香り、非常に良かったです。保存食も、塩加減と干し加減が絶妙でした。
こちらとしても、ぜひお取り引きさせていただければと考えております。
つきましては、一度屋敷にて“製作者様”とお会いできないかと……』
「……ああ、やっぱり来ちゃったか」
私は苦笑した。
もちろん、会うつもりなんてさらさらない。
でもナタリーが、見事に対応してくれた。
「申し訳ありませんが、研究担当は現在も療養中でして、長時間の対面は難しく……。
代わりに、内容につきましては私が代理でご説明いたします」
そして当日、エルバ商会の代表代理として現れたのは、若いけれど落ち着いた雰囲気の男性だった。
「まさか、こんな高品質な保存食を……本当に、あのお屋敷の中で作っていたとは」
ナタリーを通して話を聞きながら、彼は感心したように呟いていた。
「このハーブブレンド……胃を整えるのに適した配合ですね。市場でも一定の需要が見込めそうです」
私は屋敷の奥の部屋から、隙間をそっと覗くだけ。
顔を出すことなく、ナタリーと商会の人が交わす会話を聞いていた。
「では、試験的に少量を仕入れさせていただければ。品質が安定していれば、今後の定期取引も検討したいと思います」
その言葉に、私は小さくガッツポーズをした。
その日の夕方、父がにこやかに声をかけてきた。
「セレナ、やるね。今日、ナタリーから報告を受けたよ。ちゃんと取引が成立したらしいじゃないか」
「……まだ仮のものですけど。品質が落ちないように気をつけないと」
そう返しながらも、胸の奥がじんわり温かかった。
「自分の力で生きる」なんて、大げさなことは言わない。
でも、少しくらいなら……自分で動いて、自分の裁量で選んでいい。
これは、誰かに与えられた道じゃなく、私が選んだ、小さな自由への一歩。
これからのために。
私は、今日も研究ノートをひらく。




