夢の中の君(レオナルト視点)
長い夢を見ていた。
毎晩のように繰り返される、不思議な世界の夢。
空を飛ぶ鉄の塊。指先ひとつで光る板。
高くそびえる建物と、人混みにあふれた音に満ちた街。
言葉も文化も違う、こちらとはまるで別の世界。
そして、いつも夢の中に現れるのは、ひとりの少女だった。
黒髪で、柔らかな笑みを浮かべるその人は、ふとした瞬間、寂しげな目をするんだ。
彼女はいつも誰かと笑い、図書館で本を読み、雨の日には傘を忘れて駆けていた。
見たこともない風景の中で、彼女だけは、はっきりと印象に残った。
彼女の表情、仕草、声、息遣い。
どれもが自然で、温かく、まるで本当にその世界に生きていたように思えた。
彼女の声は、なぜか意味がわかった。
言葉は自分の知るどの言語でもない。
それなのに、彼女が発する声だけは、不思議と意味がわかった。
まるで翻訳など必要ないかのように、脳に直接響いてくる。
だが、どうしても聞き取れない言葉があった。
名前。
地名。
生まれた場所、住んでいる場所、所属する組織や学校。
そういった彼女の存在を特定する情報だけが、理解できない。
不思議だった。
彼女が誰かに呼ばれるたび、音がふっと消えたようになる。
彼女自身が名乗るときも、口は動いているのに、その意味だけが脳に入ってこない。
聞き間違いではない。
知識の不足でもない。
それはまるで、何かが意図的に認識を阻害しているような……そんな感覚だった。
ーーーーーーー
その夢の終わりは、ある夕方に訪れた。
少女は信号の前に立っていた。
本屋の袋を持ち、信号待ちをする彼女。
青に変わるのを確認して、前を見て、踏み出す。
その瞬間、耳をつんざくようなクラクション。
車。
「……危ない!」
夢の中で、そう叫んだのを覚えている。
けれど声は届かず、彼女はそのまま車に跳ね飛ばされ、宙を舞った。
砕ける音。飛び散る紙袋。濡れる地面。
目に焼きついたのは、夕焼けと、あの一言。
「もう少しだけ、生きたかったな……」
ーーーーーーー
目が覚めたとき、シーツは冷たい汗で濡れていた。
心臓は痛いほどに脈打ち、息がうまく整わなかった。
あれは夢だとわかっている。けれど、夢だとは思えないほど鮮明だった。
それ以降、あの世界の夢は見なくなった。
彼女も、現れなかった。
夢は、終わったのだと思った。
……けれど。
ーーーーーー
次に現れた夢は、見覚えのある風景だった。
鉄の塊も、光る板もない。
代わりに現れたのは、どこか馴染みのある街並み。
石造りの町。暖炉のある部屋。静かな書斎。
本を読む少女の姿。陽射しのなか、彼女は穏やかに笑っていた。
髪も瞳の色も違っていた。服装も、言葉も、すべてが異なっていた。
けれど、本をめくる手。微笑んだときの目元。
髪を耳にかける癖や、読みながら何かをつぶやく癖……
すべてが、夢で見続けていた彼女と同じだった。
あのとき死んだはずの少女が、どこかで生きている。
それからというもの、彼女は毎晩のように夢に現れるようになった。
ーーーーーー
ある夢では、彼女が日記を綴っていた。
ペンを持つ手が震え、肩がかすかに揺れている。
ぽたりと、涙が一滴、紙の上に落ちたのが見えた。
声はなかった。
けれど、なぜか伝わってきた。
孤独。
苦しみ。
それでも、誰にも見せたくない想い。
胸が熱くなった。
ただ眺めているだけでは、もう足りない。
一度でいい。会って話がしてみたい。
彼女が何を見て、何を思っているのか。
どんな名前で、何を大切にしているのか。
ちゃんと、自分の声で問いかけたい。
想いがつのっていく。
ーーーーー
言葉は、この国の共通語だった。
発音も、抑揚も、自分と変わらない。
だが彼女を特定する言葉は相変わらず聞き取れなかった。
呼ばれる声も、名乗る口元も、音が抜けたように何も届かない。
口の動きははっきりと見える。
でも、意味がわからない。
口元もちゃんと見ているし、聞こえているはずなのに、なぜだか脳が認識できない不思議な感覚。
なぜだかわからない。
ただ、彼女を見れば見るほど、心が惹かれていく。
その存在が、胸に焼きついて、離れなくなる。
ーーーーー
きっと、どこかにいる。
同じ世界に。
もしかしたら、この国のどこかにいるのかもしれない。
名前がわからなくてもいい。
顔が違っていても構わない。
彼女のことは、夢が教えてくれた。
仕草も、声も、あの雰囲気も、すべてを、心が覚えている。
だから、必ず見つけてみせる。




