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夢で出会ったモブ令嬢を王太子は絶対に手放さない  作者:


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17/20

放課後の終わり、見られていた背中

 地下の静謐な闇から地上へと戻ると、学び舎は茜色の夕光に染め上げられていた。


 石造りの階段を一段上がるごとに、肌に触れる空気が少しずつ温かくなっていく。背後からは、規則正しい殿下の足音が聞こえていた。


「女子寮の前まで送らせてほしい。夕暮れ時は、足元も暗くなるからね」


「お気遣い痛み入ります。ですが、これ以上目立つ真似をすれば、私の目指す背景としての生活に支障をきたします。どうか、ここで」


 歩きながら私が固辞すると、殿下はふっと、いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべた。


「背景、か。……ならばせめて、その背景の一部として、私が君を視覚に収めている間は、無事に帰るのを見届けさせてくれないか」


 さらりと言ってのける殿下の言葉を、私は「王族らしい、模範的な責任感の表れ」として無理やり脳内で処理した。きっと、万が一にも同伴した令嬢に怪我や事故でもあれば、管理責任を問われるからに違いない。


「お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします。失礼いたします、殿下」


 私は逃げるように頭を下げ、足早に廊下を歩き出した。

 後ろを振り返る勇気はなかった。ただ、あの銀色の瞳が、私が角を曲がるまでずっと背中に張り付いているような、奇妙な熱感だけが残っていた。


 寮へと続く、人影のまばらな渡り廊下。夕闇が建物の影を長く伸ばしている。

 ふと、背筋に冷たい何かが走った。


 誰かに、見られている。


 それは、先ほどまで感じていた殿下の熱を帯びた視線とは、決定的に質の異なるものだった。どこか遠くから、けれど射抜くような鋭さを持った、純粋な好奇心、あるいはもっと別の――。


 私は反射的に立ち止まり、背後の回廊を見渡した。

 けれど、そこには夕風に揺れるカーテンと、長く伸びた柱の影があるだけだ。

 ……気のせいだろう。地下で長時間古い本を読んでいたから、少し疲れが出ているのかもしれない。


 女子寮の自室に戻り、ようやく安らぎの中に身を沈めたのは、陽が完全に落ちた頃だった。

 私は例のノートを開き、秘匿図書室で得た知識を忘れないうちに書き留めていく。


「(……この触媒の使い方なら、これまでの配合を根本から見直せるわ。明日、早速試してみましょう)」


 筆を走らせ、図解を書き加える。

 けれど、ふとした瞬間に、あの図書室の静寂が蘇る。

 私の頬を払った、殿下の指先の熱。耳元で聞こえた、あの規則正しい呼吸。


 私は一度筆を置き、火照った両頬を冷たい掌で押さえた。


「……今日のは、きっと。髪が乱れていたのを、親切に直してくださっただけ。そうに決まっているわ」


 声に出して呟くと、それが唯一の真実であるかのように思えてきた。

 王太子殿下ともなれば、周囲の人間の身なりが整っていないことに、私のような者よりもずっと敏感なはずだ。あれはただの、マナーに基づいた親切。


 そう自分に言い聞かせて、私は重いページを閉じた。

 窓の外では、夜の静寂が深い青へと変わろうとしていた。

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