君の名を、現で聞けたという幸福(レオナルト視点)
やっと、たどり着いた。
その名を耳にした瞬間、胸の奥で確かに何かが脈打った。
セレナ・アルトレイン。
長く夢に見続けた、あの少女の名。
誰よりも静かに、誰よりも真っ直ぐに、懸命に生きていた少女の名前が、ようやく現実の中で告げられた。
何年も前から、繰り返し夢の中で彼女を見てきた。
それは、ほんの些細な日常の断片だった。
薬草を干す姿。ノートに几帳面な文字を刻む姿。帳簿を整理する横顔。
陽だまりの中で布を染める手先の動き。
目立たぬよう、ただ静かに、でも確かに生きようとする姿。
名前も、背景も知らなかった。
それでも、彼女がただ生きていたいと願ったあの日の夢は、今でも焼きついて離れない。
彼女の姿を初めてこの学園で見かけたとき、血が逆流するかと思うほどの衝撃だった。
夢の中と同じ顔、同じ動き。いや、それ以上に生きていた。
けれど、すぐに話しかけることはできなかった。
現実の彼女に、夢の内容をぶつけてしまえば……壊れてしまう気がした。
だから、俺は偶然を装った。
すれ違い、視線を交わし、昼の姿を探した。
そして、ようやくあの日、彼女がひとりパンを食べている姿を見つけたとき──
あの静かな佇まいに、どうしようもなく心を惹かれた。
「……こんなところで食べていたのか」
驚いたように振り返った彼女の瞳に、確かに夢の面影を見た。
それだけで、もう十分だった。
けれど、俺はもう一歩、踏み込んでしまった。
「……名前を聞いても?」
少しの沈黙ののち、彼女は丁寧に頭を下げて名乗った。
「セレナ・アルトレインと申します、レオナルト殿下。僭越ながら、貴殿のお目に留まるような者ではございませんが……どうぞ、今後ともご放念くださいますように」
その名乗りが、こんなにも愛おしく、切ないとは思わなかった。
セレナ。
夢の中で、何度も心の中で呼んだ名を、やっと現実で聞けた。
その感動に胸が震えるのと同時に、彼女の意思も痛いほど伝わってきた。
だからこそ、誠意をもって問うた。
「セレナ嬢、よければ、またここで会ってくれないだろうか」
ほんの少しでも、俺という存在を知ってほしい。
そんなささやかな願いを込めて。
しかし……
「申し訳ありません、殿下。私は……学園では目立たぬよう努めております。これ以上、視線を集めるような行為は控えたく……」
その言葉に、俺の胸がきゅっと締めつけられる。
静かに、けれどはっきりと告げられた拒絶。
「どうか、もう私のことなどお気になさらずに。二度と、関わらないでいただけると幸いです」
それでも。
ここで、簡単に引くわけにはいかなかった。
「……ふむ。なるほど。……けれど、断られても、諦めろとは言われていないな」
彼女が顔を上げたとき、俺はそっと笑みを返す。
穏やかに、だが決して退かぬ意志をその瞳に宿して。
「セレナ。……君の静けさが好きだ。君の声を、動きを、もう少しだけ知りたいと思ってしまった」
それは、夢の中で幾度も抱いてきた想い。
この現実で、ようやく届いた出会いを、どうしても無駄にしたくなかった。
「また来るよ。……今度は、君が断りきれないくらいの理由を用意して」
そして俺は、その場を後にする。
振り返らなかった。
けれど、背後に残る静かな気配が、確かにそこにあった。
これは、始まりだ。
ずっと探していた君との、現実の物語の……




