3月24日(火):立ち台の日
とある世界では今日は『服を人の肩へのせる前に、いったん立つ形へ預けて、落ち方と見え方を確かめる』日。アルメリアでは『立ち台の日』として、布を立ち台へ着せ、見るためのものと直すためのものを混ぜないよう、朝の置き場を整える。
朝の灯路は、昨日より風が弱かった。けれど、弱い朝は弱い朝で、物が留まりすぎる。匂いも、声も、手も、同じ場所へ集まりやすい。フィオナは外套の紐を結びながら、昨日の分校の石段を思い出していた。空の向きで声の置き場が変わるなら、立ち台の前では、着せる布と待つ手の置き場が先に要る。
台所の小棚には、昨日使った三枚札がまだ立っている。『にわ』『かいだん』『ろうか』。もう役目を終えた札なのに、朝の手順を静かに思い出させる顔をしていた。
「今日は仕立て屋へ寄るんだったわね」とルミナが言う。
「うん。セラフィナたち、今朝、分校へ持っていく上着を立ち台へ着せて見せるって」
レオンがすぐ顔を上げた。「昨日の続きだ。立つ場所が決まってても、待つものが混ざってたら、やっぱり詰まる」
「みるのと、なおすの、べつ」とクリスが言った。「まつのも、べつ」
「たぶん、そう」とフィオナは頷いた。「台が足りないんじゃなくて、置き方が混ざるんだと思う」
梁の上でスノーが羽をふくらませた。「立ってる木は黙ってる。騒ぐのは、いつも周りの手だ」
家を出ると、ひつじ雲ベーカリーの焼き始めの匂いが、昨日より長く角に残っていた。風が弱いぶん、灯路の石畳の白い冷えも、戸口の布の匂いも、その場へ留まりやすい。仕立て屋の前まで来ると、その留まり方が、そのまま朝の混み方になっていた。
ドロテアの仕立て屋の戸口には、立ち台が二つ出ている。片方には灰青の上着が半分だけ掛かり、もう片方には白い当て布が肩へ掛けられていた。その足元に、浅い籠が三つ。けれど、籠が三つあっても、中身は一つだった。待ち紐も留め紐も、襟の仮布も、見本に回す札も、直し待ちの札も、全部が同じ籠へ重なっている。
その前で、セラフィナが片手に上着、もう片手に留め針を持ったまま困っていた。ピアは針皿を支えているせいで、布を受け取れない。見るだけの子まで戸口へ寄ってきて、立ち台の正面が狭くなっている。
「フィオナ、よかった」とセラフィナが言った。「立ち台は二つあるのに、ぜんぜん進まないの」
ピアが皿を少し持ち上げる。「針を置く場所が決まってないから、持ったまま動くことになるの。見る子が前へ出るたび、手が止まる」
戸口の内側からドロテアが顔を出した。「分校の朝支度なのはいいけどね、針を持った手を戸口で立たせるのは、うちじゃ流儀が悪いよ」
今朝の用事は、分校で使う見本の上着を、登校前に立ち台へ一度着せて、肩の落ち方と襟の見え方を確かめることだった。誰がどれを持っていくかは決まっている。けれど、見る途中のもの、もう見本になったもの、直しへ戻すものの境が、何ひとつ見えていなかった。
フィオナは立ち台ではなく、まず籠を見た。次に針皿。最後に、足元に置かれたままの小さな札。台の数は足りている。足りていないのは、終わったものが帰る場所だ。
「籠を分けよう」
そう言うと、自分の中の焦りも少しだけ形になった。
フィオナは端紙を三枚借りて書いた。『これから』『みほん』『なおし』。
「セラフィナは『これから』だけ触る。着せる前のものだけ」
「うん」
「見え方が決まったら、上着ごと『みほん』へ移す。もう一回触るのは、そこじゃなくて『なおし』に入ってから」
ピアが頷く。「途中で戻さないのね」
「うん。途中で同じ籠へ戻すから、次に取る手が迷う」
フィオナは籠の底へ敷いてあった白布を外し、四つ折りにして立ち台の横へ置いた。『なおし』の札はその上へ寝かせる。直しに回す上着は籠へ戻さず、その白布の上へだけ重ねるためだ。布のほうが、針の先も布端の向きも見失いにくい。
「戻る場所を、布で見せるのね」とドロテアが言う。
「籠に戻すと、待ってるものと混ざるから」
それからフィオナは、針皿を二つに分けた。長い留め針は窓側。短い仮止め針は戸口の内側。持ったまま歩かなくて済むよう、取る場所と返す場所を同じにする。
ピアが息を吐いた。「これなら、皿を抱えなくていい」
「抱えた手があると、そのぶん通り道も狭くなる」
セラフィナは灰青の上着を立ち台へ掛け直した。今度は、先に襟布だけを肩へ合わせ、留め針は一本だけ取る。一本取ったら皿へ戻し、次を取る。急いで二本三本と持たない。その順にしただけで、手が空き、袖口の形が落ち着いて見えた。
戸口の外から、見に来た分校の子が顔を出す。「もう見ていい?」
ドロテアがすぐ言う。「見るのは『みほん』だけだよ。まだ針のついてるのに寄るんじゃない」
札があるだけで、言い方が短くなる。短く済むと、朝の手も重ならない。
二つ目の白い上着を立ち台へ着せるころには、戸口の前の混線はほとんど消えていた。『これから』の籠は軽くなり、『みほん』には肩の整ったものだけが並ぶ。襟だけ直すもの、裾だけ見るものは、『なおし』の白布へ分けて重ねられていく。
「さっきまで、立ち台が足りない気がしてた」とセラフィナが言った。
「足りなかったの、台じゃなかったね」とピアが笑う。「戻し場所」
フィオナも頷いた。「うん。見るものと直すものが、同じ顔で置いてあるのがいちばん急がせる」
ドロテアは『みほん』の札を指で押さえながら言った。「布は黙ってるけどね、置き場が悪いと、ちゃんと機嫌に出るんだよ」
最初の鐘が遠くで鳴るころ、立ち台の前にはようやく朝の形ができていた。着せる子は『これから』から取る。見る子は『みほん』だけを見る。直す子は白布の『なおし』だけを持つ。誰か一人が急がなくても、朝そのものが急げる並びだった。
分校へ向かう途中、セラフィナが小さく言った。「私、早く終わらせたくなると、全部を同じ籠へ戻しちゃう」
「私もそう」とフィオナは言った。「でも、朝は混ざったままのほうが遅い」
ピアが頷く。「明日から、立ち台の前に白布を敷く。籠に戻さないで済むから」
その言い方が、少しだけ嬉しかった。昨日の石段で見つけたことが、今日は布の前でちゃんと別の形になっている。
帰り道、仕立て屋の窓をもう一度見ると、朝に整えた二つの立ち台が、今度は静かに立っていた。日が少し高くなっていて、右の台だけ肩の布が明るく見える。同じ上着でも、灯りの向きで色がずれる。
家へ戻ると、レオンがすぐ訊いた。「どうだった?」
「台は足りてた。戻す場所が足りなかった」
クリスが目を丸くする。「みるのと、なおすのと、まつの」
「うん。三つに分けた」
ルミナが鍋を混ぜながら笑う。「今日は足じゃなくて、手の朝だったのね」
「うん。だから、手が戻る場所を先に作った」
夕方の窓は少し白く、外の光をやわらかく返していた。立ち台の肩へ落ちていた影を思い出す。形は立たせれば見える。でも、色は、灯りの置き場まで見ないと決まらない。明日はそこを先に整えたほうがいい。
梁の上でスノーが尾羽を一度だけ揺らした。「布は口がねえ。口がねえぶん、置き場で機嫌を言う――立たせる朝を揃えたなら、次は灯りを迷わせるな。そうすりゃ、お前らの手はまだ優しく動く」




