1月1日(木):初灯の儀/静火の三日間(1日目)
とある世界では今日は『年のはじまりを祝い、去年の埃を払って心を整える』の日。 アルメリアでは『初灯の儀』として、灯路にその年最初の光を入れ、家々が戸口と段取りを静かに整える日。
居間の窓に、白い息がふわりと映った。外の空気は硬く、音まで薄くなる夜だ。 石畳の灯路は、まだ眠ったままの色をしている。けれど今夜だけは違う。町じゅうが、最初の灯りを待って息をそろえる。
「手袋、みんなあるかー?」とアストルが声を張り上げた。明るい声なのに、どこかこそこそした気配が混ざる。 ルミナは笑って、膝の上の厚い布をたたむ。「焦らなくていいのよ。初灯は逃げないわ」
フィオナは玄関の籠に、家族の分の手袋を並べ直していた。指先が少し冷える。火の適性があるのに、冬の冷えは、皮膚の外側から遠慮なく入り込んでくる。 その感覚が、今日の儀の真面目さを、逆に支えていた。
レオンは首に巻いた布をいじりながら、玄関へ走りかけて止まった。「お父さん、願い石ってさ。順番、どうする?」 「じゃんけん!」とアストルが言いかけ、ルミナに肘でつつかれて咳払いをした。「……いや、今日は、家の年長者からだ。いいだろ」
地下室の扉が、きい、と鳴いた。グレゴールが、肩から毛布を掛けたまま現れて、眼鏡の奥で目を細める。 「年長者を持ち出すと、責任が増えるぞ。だが、まあ……初灯の儀は、順序がある方が落ち着く」 「おじいちゃん、だいじょうぶ?」クリスが近づいて、指先で毛布をつまんだ。「さむい?」 「寒い」とグレゴールは即答し、続けて咳をひとつした。「だからこそ、息が見える。よい教材だ」
梁の上で、白い鷹が羽をふくらませた。スノーは片目だけ開け、欠伸を飲み込むように嘴を鳴らす。 「騒がしい。まだ夜は長いぞ」
玄関に集まると、まず問答錠が、眠たげな声で喋った。 『きょうの ことばは?』 戸口の安全を守る小さな魔具だ。簡単な質問に答えると、留め具が外れる。普段はルミナが決めた合図で、家族全員が通れる。
フィオナが答えようとした瞬間、レオンが胸を張った。「きょうは、“はつあかり”!」 『ちがう』 問答錠の声が、冷えた金属の響きで跳ね返る。
「え?」レオンが固まる。「あってるだろ」 アストルが後ろから顔を出す。「待て待て。今日の“ことば”って、儀の名前じゃなくて……合図の方だろ?」 フィオナは口元を押さえた。マフラーのせいで、声がこもっていたのに気づく。問いの音も、答えの音も、冬の空気に削られている。
問答錠がもう一度、同じ調子で問い返した。焦りの気配だけが、玄関の狭さを大きくする。
クリスが跳ねるように手を挙げた。「わたし、いう。……“まるい ひかり”? 」 『ちがう』 「みえないのに、ちがうっていうの、ずるいー」とクリスが頬をふくらませ、すぐルミナの手を握った。感情がふくらんでも、泣きには落ちない。年のはじまりの夜は、泣くより先に、家族が触れる距離にいる。
ルミナは一度、皆を玄関から一歩だけ下げた。「止まろう。戸口で言葉がつかえると、心までつかえる」 彼女の声は柔らかいのに、足元がすっと揃う。家の中の段取りは、ルミナが空気で動かす。
アストルが問答錠の金具に指を当てる。「冷えてるな。氷じゃないが、これ、口も耳も固くなる」 グレゴールが頷く。「冬のマナ・フリーズは、細い機構に先に出る。質問も、答えも、音としては欠けやすい」 フィオナは“解析眼”を使うほどでもないと判断し、手を動かす方へ頭を切り替えた。魔法で直す話ではなく、手順で整える話だ。
彼女は台所へ駆け、湯で温めた温石を包んで持って戻る。布でくるみ、問答錠の周りにそっと当てた。 「熱すぎると、留め具が歪みます。少しずつ、です」 「さすが長女」とアストルが言い、すぐに声を落とす。「……いや、いまのは、からかいじゃない。助かる」
ルミナが乾いた布を渡し、フィオナは金具の縁を拭いた。結露が薄い膜になって、音を鈍らせていたらしい。 レオンは自分の息を手のひらに吹きかけて、わざと声をはっきり出す。「じゃあ、もういっかい。……問いかけるぞ」 問答錠は黙ったまま、同じ問いを促し続けた。
「質問の方も、同じ言い方で固定しよう」とルミナが言った。「みんな、同じ調子で答える。急いでいるときほど」 フィオナは頷き、玄関の小棚から札用の短い紙片を一枚取った。鉛筆で、合図を書きつける。 “あけまして” “おめでとう” 二段に分け、誰でも読み違えないようにした。
アストルが苦笑する。「合図が挨拶か。らしいな」 「年のはじめの夜だけです」とルミナが言う。「静火の三日間は、これでいきましょう」 グレゴールが眼鏡を押し上げる。「挨拶は、道具の動作を整える。実に合理的だ」
札を問答錠の横に貼り、フィオナは深呼吸して、ゆっくり答えた。 「“あけまして”」 レオンが続ける。「“おめでとう”」 『よし』 問答錠の留め具が、カチ、と静かに外れた。
玄関の空気が、ひとつ軽くなった。クリスが先に靴へ手を伸ばし、ルミナに止められる。 「順番ね。外に出る前に、手袋」 「うん。てぶくろ、さき」とクリスは言い直し、指を一つずつ押し込んでいく。
戸を開けると、ひゅう、と冷気が頬を撫でた。灯路は、路地の奥から淡く目を覚まし、石と石の間を縫うように光が流れていく。 フィオナは思わず見入った。光は派手ではない。けれど、冬の闇の中で、確かな“道”になる。
通り角の願い石(撫で石)は、雪をかぶらずに丸く座っていた。誰かが朝に払ってくれたのだろう。表面は冷たく、触れると手袋越しに硬さが伝わる。 グレゴールが先に一歩出て、石を手袋越しに一度撫でた。目を閉じる時間は短い。けれど、背筋がまっすぐになる。 次にアストル。次にルミナ。続いてフィオナ、レオン、クリスが手を重ね、最後にスノーが石の上へひらりと降りた。
「お願い、した?」フィオナがクリスに囁く。 「した。かぞく、あったかく」とクリスは言った。二文で止めるのに、ちゃんと足りる願いだった。
帰り道、レオンが灯路を踏まないように歩幅を揃えているのに気づき、フィオナは少し笑った。ヒーロー心は、走りたがるのに、今日は“道”を守る方へ向いている。 「足、滑らせるなよ」とアストルが言い、レオンは頷いた。「ぼく、守る。みんなの足」
玄関に戻ると、問答錠はもう一度、同じ声で問いかけた。 フィオナが答える。「“あけまして”」 レオンが続ける。「“おめでとう”」 『よし』 今度は誰も止まらない。言葉が流れるように動作を呼び、動作が家の中の静けさを連れてくる。
ルミナは濡れた靴底を拭く布を出し、アストルは手袋を棚へ戻し、フィオナは札の位置を少しだけ直した。読みやすさを優先して、目線の高さに合わせる。 グレゴールは玄関の隅に、古い小さな鈴玉を置いた。「家の中で呼ぶときの鈴玉だ。静火の三日間は、家の音が小さくなる。小さい音の準備をしておけ」 「また、地下室から出る口実を増やしたわね」とルミナが言い、グレゴールは口の端だけ上げた。
居間に戻ると、アストルが机の上を片づけ、紙と筆を置いた。明日の書初めの準備でもあるし、家族の“今年の一枚”の場所でもある。 「静火の三日間は、余計なものを増やさない」とルミナが言った。「だから、書くのは一つだけ。やりたい段取りを一つだけ」 「一つだけ?」レオンが目を丸くする。「ぼく、十こある」 「十こは、十日でやればいい」とグレゴールが言った。「年は長い」 クリスは紙を見て、指で空をなぞった。「わたし、まる かく」
フィオナは筆の横に、小さな封筒を一つだけ置いた。宛名を書こうとして、鉛筆が止まる。年が変わっただけで、胸の中の熱の向きは、急に恥ずかしくなる。 彼女は封筒を裏返し、何事もなかった顔で筆先を整えた。
梁の上で、スノーが羽を畳み、ぼそりと落とす。 「……その宛名、裏返しても見えるぞ。だが家の中の秘密は、まず俺が預かってやる」




