12月31日(水):灯納めの節
とある世界では今日は「一年の最後を締めくくり、年越し蕎麦を食べる日」だそうだ。アルメリアでは、一年間守り続けた家の灯りに感謝し、新しい年の火種を準備する<灯納め(ひおさめ)の節>である。
大晦日の夜。灯路の町アルメリアは、しんしんと降る雪に包まれていた。
フレイメル魔具修理店の居間では、一年で最後の大仕事が行われていた。
「おいアストル、まだ直らんのか? あと一時間で年が明けてしまうぞ」
「わかってるよ父さん! くそっ、今年の『時の澱』は頑固だなあ!」
アストルが格闘しているのは、居間の壁に掛けられた大きな古時計だ。
この時計はただ時間を告げるだけでなく、家中の魔具のリズムを統括する「親機」でもある。これが正しく新年を刻まないと、明日の朝、暖炉もポットも一斉に寝坊する可能性があるのだ。
だが、長針が「12」の手前でピクリとも動かなくなってしまった。
「油が足りないんじゃないの?」
ルミナが台所から「年越しのスープ」のいい匂いを漂わせながら顔を出す。
「いや、物理的な汚れじゃないんだ。一年分の『楽しかったこと』や『大変だったこと』の記憶が、歯車に重みとして乗っかってるんだよ。幸せな家ほど時計は遅れるっていうだろ?」
「あら、上手いこと言うじゃない。でも、遅れるのは困るわ」
アストルが汗だくで調整する横で、フィオナはそわそわと窓の外を見ていた。
時計の修理も心配だが、彼女にはもっと重大な心残りがあった。
(テオくん……まだ仕事かな)
パン屋の繁忙期は年末年始だ。昨日も今日も、きっと彼は走り回っている。
先日の「クッキー預け作戦」は成功したが、やはり直接顔を見て、今年最後の挨拶がしたい。でも、こんな時間に訪ねていくのは迷惑かもしれない。
フィオナが窓ガラスの曇りを指で拭っていると、玄関のベルが鳴った。
カランコロン♪
「はい! 出ます!」
フィオナは弾かれたように玄関へ走った。
重い木の扉を開けると、そこには雪を被ったテオが立っていた。
手には、白い息と共に湯気を立てる紙袋を持っている。
「あ、テオくん!」
「こんばんは、フィオナちゃん。……よかった、起きてて」
テオは寒さで鼻と耳を赤くしながら、照れくさそうに笑った。
「これ、店長から。『一年間、パンを買ってくれてありがとう』って、焼き立ての年越しパン」
「えっ、わざわざ届けてくれたの? こんな雪の中……」
「うん。……それに、僕もフィオナちゃんに会いたかったし」
テオが小さな声で付け足した言葉に、フィオナの心臓が早鐘を打つ。
冷たい夜風が入ってくるはずなのに、顔が熱い。
「あ、あのね! 私も……クッキー、食べてくれた?」
「うん! すごく美味しかった。休憩時間に食べて、元気出たよ」
二人の間に、ふわふわとした沈黙が流れる。
雪が静かに降り積もる音だけが聞こえる。
家の中からは、アストルの「よし、動いた!」という歓声と、クリスの「お父さんがんばれー!」という声が漏れ聞こえてくる。
そろそろ戻らなきゃ。
でも、まだこの空気を終わらせたくない。
二人は同時に口を開いた。
「あの!」
「その!」
目が合って、二人して吹き出す。
「フィオナちゃん、先にどうぞ」
「ううん、テオくんから」
テオは一度深呼吸をして、真剣な眼差しでフィオナを見た。
「フィオナちゃん。今年は、いろいろありがとう。……君が店に来てくれる時間が、僕にとって一番の楽しみだった」
「……っ」
「来年も……また、仲良くしてくれる?」
それは、フィオナがずっと探していた言葉の、何倍も嬉しい言葉だった。
フィオナは大きく頷いた。満面の笑みで。
「うん! こちらこそ……来年も、よろしくね!」
言葉にした瞬間、胸のつかえが取れて、温かいものが込み上げてきた。
テオも嬉しそうに目を細める。
「うん。じゃあ、良いお年を」
「良いお年を!」
テオが手を振って帰っていく背中を、フィオナは見えなくなるまで見送った。
扉を閉めて振り返ると、居間の時計がボーン、ボーンと時を告げ始めたところだった。
修理は間に合ったようだ。
「お帰りフィオナ。顔が赤いが、外はそんなに寒かったか?」
アストルがニヤニヤしながら聞く。
「う、うるさいな! 寒かったの!」
「ふふ、パンのいい匂い。さあ、みんな座って。今年最後の食事にしましょう」
ルミナが熱々のスープを運んでくる。
グレゴール、アストル、ルミナ、レオン、クリス、そしてフィオナ。
家族全員がテーブルを囲み、湯気の向こうで笑い合っている。
いろいろあった一年だった。失敗もしたし、喧嘩もしたし、ドタバタ続きだったけれど。
こうして笑って終われるなら、全部「よし」だ。
「では、フレイメル家の平穏と、来たる新年に」
「「「乾杯!」」」
グラスが触れ合う音と共に、部屋の隅の止まり木で、スノーが静かに瞼を閉じた。
外の雪はまだ止まないが、この家の中は春のように暖かい。
「人間ってのは、ただ日付が変わるだけで大騒ぎできる幸せな生き物だ。……ま、来年も付き合ってやるから、精々楽しませろよ。」




