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2月23日(月):冠灯の祝日

 とある世界では今日は『国の先頭に立つ人の生まれた日を祝い、日々の守りに礼を言う』日。 アルメリアでは『冠灯の祝日』として、窓辺の灯に小さな冠をかぶせ、通りへ向けて「ありがとう」を静かに置く日になる。


 朝、戸布の隙間から入る光はまだ冷たかった。雪解け水が石畳の溝に残り、泥は薄く伸びている。昨日の足跡は、今も門の外に点々と続いているのが見えた。


「みる。いく」クリスが先に靴を抱えた。


「待って。今は滑る」レオンが腕で止めた。「ぼく、地図つくるって言ったから、いくけど。いくのは昼」


 ルミナが頷く。「朝は足元が危ないわ。冠灯の支度をして、乾かして、落ち着いたら」


 梁の上でスノーが片目だけ開けた。昨日の最後の言葉を、面倒そうに引きずる顔だ。 「道は見た。泥はまだ生きてる。焦るなら、まず家の中を整えろ」


 冠灯の支度は、店の仕事というより家の段取りだった。窓辺の小さな灯にかぶせる冠――薄い金紙だけだと熱で波打つから、下地に細い針金を入れる。アストルが部品箱から輪っか状の針金を選び、ペンチで端を丸めた。


「輪はここで閉じる。尖りは残さない」アストルが言い、指の腹で確かめる。


 フィオナは金紙を折って、冠の段を作った。折り目が揃うと、それだけで形が落ち着く。レオンは赤紐を同じ長さに切り、結び目の位置を揃えた。


 クリスは金紙の端切れを集め、卓の上に並べた。「きらきら、いる」


「きらきらは、少しだけね」ルミナが釘を刺す。「目に入ると痛いから」


「すこし」クリスは頷いたのに、袋の口を開ける手が大きい。金紙を削った粉が、空気にふわりと浮いた。そこへ、窓から入る早春のマナ・ポーレンが混じる。粒が光を拾って、卓の上で小さな渦になった。


「……止めて」フィオナが声を落とした。


 渦は、止まらない。クリスの胸の辺りで弾んだ喜びが、そのまま粒の動きに移ったみたいだった。レオンが咄嗟に戸布を閉め、アストルが息を短く吐く。「風を切るな。舞う」


 グレゴールが椅子の背から薄い板を取り、卓の端へ立てた。瞳守り板だ。 「光の粒は追うほど散る。囲え。目の前を守れ」


 ルミナが濡らした布を二枚、卓の外周へ置いた。乾いた粒はそこへ落ちやすい。フィオナは小皿を逆さにして中央へ置き、渦の芯を遮った。アストルは瓶の口に薄布をかけ、粉の落ち先を作る。


「やること、いまはこれだけ」レオンが言い、クリスの手をそっと卓の下へ誘導した。「手、止める。息、短く」


 クリスは唇を尖らせた。「……ごめん」


「謝るのは、落ち着いてからでいい」フィオナは視線を粒に残したまま言う。「今は待つ」


 待つ時間の間、音は小さくなった。粒は渦を失って、湿った布へ、ひとつずつ降りる。瞳守り板の陰に入った光は刺さらず、卓の上の金は落ち着いた色に戻った。


 十分ほどして、フィオナは指先で布の端をつまみ、瓶の中へ払った。布は濡れているから、粉は飛び上がらない。瓶に溜まった粉は、また別の日に使える。


「きらきら、かえった」クリスが言った。


「戻せたね」ルミナが頷く。「だから、今日は冠灯。飾りを増やす日じゃなくて、置き方を覚える日」


 冠の最後は、短い札だった。昨日の肉球札がまだフィオナの工具袋に揺れていて、クリスはそこを指さした。「あしあと、みた。きょう、ありがとう、かく」


 フィオナは小さな短札を二枚切り、片方にだけ小さな冠印をつけた。迷子にならないための印だ。レオンが墨を整え、クリスの前へ筆を置く。「字は一つでいい。言い切れるやつ」


 クリスは眉を寄せ、ゆっくり書いた。ひらがなの「あ」。それだけで、胸の中の言葉はちゃんと立った。


 札は乾きが必要だった。ルミナが窓辺の近くに紐を張り、札を洗濯ばさみで留める。「乾くまで触らない。風は通す。熱は近づけすぎない」


 冠も同じだった。針金の輪に金紙を巻き、折り目を押さえ、赤紐で三点を吊る。形はできたのに、糊の湿りが残っている。アストルが言った。「昼まで置け。火に近づけると波打つ」


 外へ出たい二人の視線が、一度だけ戸口へ滑る。スノーが梁の上から短く鳴いた。 「足跡は逃げねえ。昼に行けば、泥の嘘も剥げる」


 昼、冠と札が乾いた。窓辺の灯に冠をかぶせると、光が少しだけ柔らかくなった。通りへ落ちる明るさが、まるで頭を下げるみたいに低くなる。


 レオンは約束どおり、紙に小さな地図を描いた。角の助け鈴の柱、水たまりの位置、乾いた石畳の筋。クリスはそこへ冠印を三つ、ぽん、と置いた。危ない場所じゃなく、歩ける場所を印にする。


 門の外へ出ると、泥は朝より固く、足跡の縁がはっきりしていた。追いかけるほどの距離ではない。角を曲がった先、灯路番所の前で足跡は途切れている。


 番所の衛兵が笑って言った。「ああ、それ。夜番の間に来る猫だよ。暖かい灯の下だけ踏んで帰る」


 クリスは息を吸い、追いかけたい言葉を飲み込んだ。代わりに、窓辺の灯を思い出す。灯は追わなくても、置けば届く。


 家へ戻る道で、スノーが上から旋回し、乾いた石畳へ影を落とした。昨日より軽い影だ。


 夕方、冠灯が一つ、窓辺で静かに燃えた。クリスは札を指で押さえ、乾ききった紙の手触りを確かめてから、灯の取っ手へ結ぶ。結び目は大きい。けれどほどけない。


「ありがとう、ここ」クリスが言った。


 フィオナは工具袋の肉球札を見下ろし、昨日の熱を今日の灯へ移した。レオンは地図を戸口の内側に貼り、明日も歩けるようにした。ルミナは鍋の火を落とし、アストルは冠の針金の尖りがないか最後に確かめた。


 梁の上のスノーが窓辺の冠灯を一瞥し、嘴を鳴らした。


「守りは追いかけるもんじゃない。置いて、待って、乾かして受け取れ――それが一番、滑らねえ」


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